7話
使役系統を習得した翌日、アルギスは部屋のソファーで足をばたつかせながら、不機嫌そうに寝転がっていた。
というのも、いつも通り地下の鍛錬場へ行こうとした時、ジャックに連れ戻され、そのままダンスのレッスンとなったのだ。
夕食の後でジャックに貴族教育の再開を聞いたアルギスは、昨日の夜、得意げにソウェイルドへと報告したことを思い出し、静かに顔を覆った。
(はぁ、余計なことを言うんじゃなかった……)
つまらなそうに視線を彷徨わせていると、魔術書と共に渡された紙の束が机の上に置かれているのが目に入る。
すぐにムクリと起き上がると、丁寧に表紙付けされた資料の中から〖ソラリア王国 概要〗と書かれたものを手に取った。
「……どれどれ。ソラリア王国は”ラナスティア大陸”の東方に位置し、元は1000年前に6人の英雄によって建国された小国――」
資料に目を落としたアルギスは、一度顔を上げると、机の中から折りたたまれた地図を取り出す。
そして、ペラペラとページを捲りながら、ソラリア王国に関する資料と大雑把な地図を見比べ始めた。
「ん?”イブフェルド”?この名前は知っているぞ」
思わず声に出しながら”イブフェルド”についての記載がある資料を探していく。
やがて見つけ出した資料には、”イブフェルド”はソラリア王国の北方にある、一部に強大な魔物の出現する荒野だと書かれていた。
さらに詳しい情報に目を通していくと、”アルデンティア帝国”との国境沿いのため、これまで幾度も戦場になっているという。
(俺が知っているのは、この強大な魔物が出現するところだけか)
あまりにも限定的な自身の知識に眉をひそめながらも、アルギスは元の資料へと戻る。
やがて通貨や社会構造に関する項目を見ていくうちに、王都のページが目に留まった。
(エリアマップは流石に同じだな。……ただ王宮の役職に関しては見たことがないものの方が多い)
『救世主の軌跡』に登場した役職は宰相と近衛騎士団長のみだった。
しかし資料には、”ソラリア王国は騎士団だけで3つの師団を持つ”と記載されている。
その上、所属も王族や軍務省、魔術省など様々な管轄にわけられているという記載を見て、頭を抱えた。
「考えて見れば当たり前だが、これほど王宮の権力構造が複雑だとは……」
考えるのが嫌になったアルギスは、読んでいた資料の束を机のできる限り遠い場所に置く。
そしてエンドワース公爵領について書かれた別の資料を手に取ると、魔物に関するページを探し始めた。
(ゲームでは冒険者ギルドの依頼で魔物を討伐したが……俺にはまだ無理だろうな)
冒険者ギルドに登録できるのは相当先の事だろうと考え、資料の中にあった領地の経営に関する項目に目を付ける。
そこには、”ソラリア王国では魔物の被害を抑えるために領主は騎士団の派遣し、定期的な魔物狩りを行う事で領内に侵入してきた魔物を排除している”と書かれていた。
「これだ」
騎士団の定期的な討伐隊に同行できれば、魔物と戦うことができる。
予想外の収穫に、ウキウキとした表情でアルギスが手帳に予定を書き込んでいた時、扉をノックする音が響いた。
「入って良いぞ」
「失礼いたします」
手帳に目を落としたままアルギスが許可を出すと、音もなく扉が開かれる。
中に入って来た人物に気が付いたアルギスはペンを止め、顔を上げた。
「こんな時間にどうした? ジャック」
「旦那様からお話がある、とのことです」
アルギスの傍までやって来たジャックは、ソウェイルドの指示を伝えると、穏やかな表情で腰を折る。
一方、呼び出されたアルギスは、思案顔になりながら立ち上がった。
「……そうか。ならば、すぐに向かおう」
理由が気になりつつも、手帳と地図を机にしまい、ソウェイルドの執務室へと向かっていく。
(今度は何の用だ……?)
「どうぞ、坊ちゃん」
やがて、執務室まで辿り着くと、後ろに控えていたジャックが扉を開けた。
促されるようにアルギスが執務室に入ると、難しい顔で書類と睨めっこをしているソウェイルドが目に入る。
「お待たせして申し訳ありません、父上」
「よく来たな、アルギス」
「はい。お呼びとのことですが」
アルギスに気が付いたソウェイルドは、持っていた書類を机に置き、顔を上げた。
そして疲れたように背もたれへと寄りかかると、ゆっくりと足を組む。
「ああ。呼び出したのは、”祝福の儀”について説明するためだ。よく聞いておきなさい」
「!承知いたしました」
唐突に始まったソウェイルドの説明に、アルギスは驚きつつも、じっと耳を傾けた。
すると、出発の日時、教会の構造、王都でのパーティについて、と説明は次々に続いていく。
(この世界の教会か。……少しだけ、楽しみだな)
アルギスが教会について思いを馳せていると、説明を終えたソウェイルドが、再び書類を手に取った。
「――伝えるべきことは以上だ。下がっていいぞ」
「……失礼いたします」
ペコリと頭を下げたアルギスは、説明を頭の中で反芻しながら執務室から出ていく。
しばらく無言で廊下を進んでいた時、ふと後ろを振り返り、ジャックへと顔を向けた。
「聞いていただろうが、1週間後王都へ向かうそうだ」
「はい。ご準備は既に整えてございます」
「……そうか。ならいい」
不意な問いかけに対しても、ジャックは相変わらず穏やかな声音で言葉を返す。
アルギスが前を向き直ると、会話はそれきりで終わり、2人は無言でアルギスの自室へと戻っていった。
「では、おやすみなさいませ。坊ちゃん」
「……ああ」
ジャックに促され、部屋へと入ったアルギスは、欠伸をかみ殺す。
そして、そのまま真っすぐ寝室まで向かうと、ベットに倒れ込んだ。
「……あと、少しだ」
布団にもぐり込んだアルギスは、公都出発までの日数を指折り数える。
しばらくしてスヤスヤと寝息を立てるアルギスの口元は、楽し気につり上がっていた。
◇
時は流れ、1週間後。透き通るような青空と、雲一つない晴天の中。
王都へと向かう街道にはエンドワース家の紋章の付いた3台の馬車と、騎士たちの乗った馬が並んでいる。
続々と続く行列の中で、初めて公都を出たアルギスは、中心を走るひと際豪華な馬車に揺られていた。
「どうだアルギス、この馬車の乗り心地は?」
「素晴らしいですね。それになんだか外から見た時と、中の大きさがあっていないような……」
隣に座るソウェイルドの問いかけに窓から顔を放したアルギスは、キョロキョロと辺りを見回しながら答える。
光沢のある布で装飾された馬車の内装に目を向ければ、足元には毛並みの長い絨毯が敷かれた、小部屋と言っても過言ではない程の空間が広がっていた。
すると隣に座っていたソウェイルドは、首を傾げながら馬車の扉へと触れるアルギスにピクリと眉を上げる。
そして、満足げな笑みを浮かべると、アルギスの頭を撫でながら口を開いた。
「おお、よく気が付いたな。実はこの馬車は魔道具でな、”空属性”の付与によって内側の空間を拡張しているのだ」
「”空属性”……そんなものも、あるのですね」
聞き覚えの無い属性に、アルギスは好奇心に目を輝かせながら馬車の内装に目線を戻す。
しかし、苦笑いを浮かべたソウェイルドは、頭から手を放すと小さく息をついた。
「もっとも、”空属性”の所有者自体は既に存在しない。今残っているのは”付与の魔術陣”だけだがな」
(付与と、魔術陣か……屋敷の地下の物がそうなのか?)
アルギスが新しい情報にあれこれ考えている間にも、青々と茂る草原に敷設された街道を、馬車はかなりの速度で進んでいく。
チラリと窓の外に目を向けたアルギスは、ふと口から疑問が零れた。
「そういえば王都までは、どれほどの距離なのですか?」
「なに、せいぜい5日ほどの距離だ。今回は騎士や使用人の数も少人数で向かうからな」
(地図を見て想像していたよりも、王都と公都の距離は近そうだな……)
ソウェイルドの回答に、地図で見た大雑把な距離を思い出しながら、慣れない馬車の旅が、そう長く続かないことにホッと息をつく。
そして、安堵の表情を浮かべながら、ソウェイルドへと笑いかける。
「人数が少ないにせよ、思っていたよりも近いのですね」
「それなりに急ぐように、御者と騎士たちに言いつけてあるからな」
アルギスの言葉を聞いたソウェイルドは、頬杖をついて窓の外を眺めながら、事も無さげに口を開く。
「……なにか、お急ぎになる理由があるので?」
聞き慣れた声音に嫌なものを感じたアルギスが、機嫌を窺うように質問を重ねると、アルギスへと顔を向けたソウェイルドが、小さく肩をすくめた。
「いいや?だが、この私がそう何日も、マズイ食事と薄汚い寝床で寝ることになるなど、あってはならん」
「……全く、その通りですね」
お前もそう思うだろう、と言わんばかりの表情で見つめるソウェイルドに、引きつりそうになる頬を抑えたアルギスは、どうにか笑顔を作る。
そして、再びソウェイルドが窓に顔を向けたことを確認すると、隠そうともしない傲慢さに内心でため息をついた。
(はぁ……これさえなければ、割といい父親なんだがな)
静かになった馬車の中で、アルギスの向かいに難しい顔で座っていたバルドフはガチャリと金属音を響かせながら、腕を組む。
しばしの沈黙の後、意を決したように両膝へと手を置いて、頭を深く下げた。
「……旦那様、急がれるのも結構ですが、騎士たちにも多少のご配慮を頂きたく――」
「はぁ、わかった……。考慮しよう」
バルドフの苦言に、ソウェイルドは眉を顰めつつも、納得したように頷く。
一方、隣で耳をそばだてていたアルギスは、ソウェイルドが意見を聞き入れたことに、目を見開いた。
(やはり、バルドフの地位は特殊らしいな。ソウェイルドがこれほどすんなり他人の意見を飲むとは……)
感心したように見つめるアルギスの視線をよそに、バルドフは口を一の字に結ぶ。
「申し訳ございません。出過ぎた真似をいたしました」
「なに、それがお前に与えた役目だ。食事をとれそうな場所が見つかり次第、昼食にするとしよう――ジャック」
「かしこまりました。では、そのように」
再び深く頭を下げるバルドフに手を振ったソウェイルドは、向かいに座るジャックへと目線を移した。
名前を呼ばれたジャックが振り向き、御者へと指示を伝えると、しばらくして馬車は静かに停車する。
「旦那様、どうやら先行していた騎士の1人が、街道付近の草原に木陰があるのを発見したようです」
「ふむ、では食事にするか」
窓の外へと目線を向けたソウェイルドが小さく呟くと、ジャックとバルドフは頭を下げて馬車を降りていく。
そして、それぞれ使用人と騎士の元へ別れると、一時的な拠点を作るため、指示を出し始めた。
昼食をとるだけのはずが、どこにしまってあったのか、豪奢な椅子や大理石のテーブルまで用意され始めている。
(……ただの昼食に、ここまでする必要があるか?)
馬車の中から2人の様子を眺めていたアルギスは、着々と作られていく拠点に、半ば呆れていた。
しばらくすると、拠点の確認を終えたジャックが馬車へと戻って来る。
「お待たせして申し訳ございません。昼食のご用意が整いました」
「行くぞ、アルギス」
「はい、父上」
ジャックから報告を受けたソウェイルドは、アルギスを一瞥すると、馬車を降りていく。
そして、少し遅れて馬車から降りたアルギスの手を引いて、純白のクロスが掛けられたテーブルへと向かっていった。
(食事といっても、どうするんだ?)
椅子に腰かけたアルギスは、首を左右に振りながら、キョロキョロと辺りを見回す。
すると、簡易的なテントから、使用人たちが料理を乗せたトレイを持ってやってきた。
「お待たせいたしました。春野菜のポタージュでございます」
「では、頂くとするか」
「……はい」
優雅な動作でスープに手を付けるソウェイルドに、アルギスもまたスプーンを手に取る。
そして、湯気の立つスープに訝し気な視線を送りながらも、そっと口に含んだ。
(……屋敷で出てくる料理と同じだと?どこから持って来たんだ?)
普段、屋敷で出される料理と寸分違わないスープに、アルギスの疑問は膨らんでいく。
その後も静かに昼食の時間が進んでいく中で、側に控えていたバルドフの目がスッと鋭くなった。
(急になんだ?)
アルギスが横目に見ていると、あたりを見渡していたバルドフはソウェイルドへと向き直る。
「どうやら魔物が近づいてくるようです。己が出てもよろしいでしょうか?」
「……食事中に魔物の姿など見る気はない。許可してやるから、さっさと切れ」
「承知いたしました」
腰を折ったバルドフは、自身の近くに置いていた、身の丈に近いほどの大剣を布から取り上げた。
持ち上げられた幅の広い剣身は、太陽の光に晒されて赤黒く輝いている。
軽快に大剣を肩へと担いだバルドフは、標的の正確な位置と数を知るため、上位の探知スキルを持つ部下に向かっていく。
(……どうするんだ?)
食事を続けていたアルギスは、目線だけを動かし、バルドフの行動を追いかけた。
するとアルギス達の元を離れたバルドフは、まるで散歩でもするかのような足取りで魔物がいると思われる方向へと向かっていく。
「な!?」
アルギスが離れていくバルドフの背中を見つめていると、次の瞬間、ブレるように姿が消えたのだ。
思わず食事の手を止め、顔を上げた時、拠点の東にあった森の近くで黒い火柱がたち上がり、ユラユラと陽炎が揺らめく。
(……なにが起こったか、わからなかった)
対処にかかった時間は長く見積もっても5分程度で、バルドフは悠々と拠点に帰還する。
消えるような移動速度を見せつけられたアルギスは、改めてその強さの瞠目していた。
(強いのは知っていたが、実際に見るとこれ程とはな……)
バルドフが側に戻って以降、魔物が現れることもなく平和に昼食は進んでいく。
やがて、食事を終えた一行は、少しの休憩の後、遠くに見える街を目指して再び移動を始めるのだった。
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