第14話 言葉の応酬

 電車で揺られる事三十分ちょっと。

 TVランド前駅を降りれば案内があったので従い、その先にあるゴンドラへ乗り込む。


 十分ほど空中散歩を楽しめばいよいよ入園口のゲートだ。

 入園料を支払いゲートをくぐると、空那が感心したように口を開く。


「東京にネズミーランド以外の遊園地あったんだ~!」


 元奈良県民たる空那も俺と似たような感想を抱いたようだが、ネズミーランドが千葉にある事は知らないらしい。

 現地民が聞いたら怒るぞ。俺も生駒山上遊園地って大阪にある遊園地だよねと言われた時にはそいつの首をへし折りそうになった。


 しかしながら、現地民であるはずの姫井は一瞬空那の方へ目はやったものの穏健派だったのか、さもありなんといった具合に視線を外した。


「ねー元宮、最初どこ行くー?」


 パンフレットを開きながら姫井が無駄に体を寄せてくる。


「別にどこで……」

「ねね、まーくん!」


 適当に答えようとするが、空那の声によって遮られる。

 目を向けると、少し向こうで何やら興奮した様子で空那が飛び跳ねていた。


「陰陽聖戦コラボやってるんだって!」


 空那の視線の先に焦点を置くと、そこには陰陽聖戦のキャラ達の等身大パネルが並び、コラボ実施中! と大きく書かれていた。


「オアシスエリアで物販もやってるらしいから行こ……って!」


 嬉々として振り返る空那だったが、すぐさま表情を強張らせる。

 原因は言わずもがな俺と姫井の距離感だろう。

 姫井はしめたとばかりにさらに密着すると、俺の腕にがっつり抱き着く。


「一人で行ってろ! あたしと元宮は別の……」

「いや行くしかないだろ何言ってるんだ」

「は?」


 俺の即レスに、胡乱な眼差しをこちらに向ける姫井。


「お前陰陽聖戦だぞ。まさか知らないわけ無いよな?」

「いやまぁ、アニメやってたのは観たことあるけど……」


 そうだろうそうだろう。

 日本を代表する週刊誌で長らく上位に君臨し続ける漫画でファンも多く、原作は勿論、アニメ円盤は飛ぶように売れているし、近年公開された映画では興行収入百億を突破するなど実績も多い。俺も少し前まではアニメでいいや勢だったがここ最近では週刊誌とまではいかなくとも単行本を最新巻まで揃えるくらいには推していた。


「あ、ちょ」


 姫井の拘束をすり抜け、空那もとい陰陽聖戦のパネルの方へと歩く。


「まーくん! 今あの女とくっついてたよね⁉」

「くっついたというかくっつかれたというか。まぁ仮に前者だとしてもお前にとやかく言われる筋合いは無くないか」

「あります! 空那まーくんの幼馴染なんだよ⁉」

「そうでありますか」


 まぁそんなわけないが、今回は空那に比重を置くと決めている。姫井が物騒な事を言っていたからな。あまりストレスを蓄積させすぎると姫井の思惑通りになってしまう可能性も捨てきれない。

 適当に肯定しておくと、空那が指を突き立て嬉々と語る。


「だからね、まーくんは空那と離れては駄目なのです」


 そう言うと、空那が俺の腕に抱き着く。


「えへへ~」


 嬉しそうにはにかむ空那を横目に後ろへと視線の移すと、姫井が棒付きキャンディーをバッグから取り出しながら早歩きで俺たちの方へと近づいてくる。


「おっけー、陰陽聖戦ね。あたしも興味出てきたかも」


 俺の横に立ち、姫井が飴玉の包装を剥きながら告げる。


「物販ってどこでやってるんだっけ?」

「オアシスエリアだと」

「ふーん、りょーかい」


 答えると、姫井は棒付きの飴玉を口に咥えながらこともなげに頷く。


「別に嫌ならこなければいいのに」


 ボソリと呟く空那だったが、姫井は聞き逃さなかった。


「なに? 陰陽聖戦興味出てきたって言ったよね? 聞こえてなかった?」

「だ、だってなんか嫌そうだもん」


 言い返す空那だったが、拾われると思っていなかったのか動揺を隠しきれていない。


「決めつけてくんなよ。マジうざいしほんっとキモイ、嫌い」


 姫井の視線が空那を射すくめる。


「そういう奴普通に生きてて害でしかないから、死んだほうがいいよ」


 そこまで言うと、姫井はぐっと空那へと顔を近づける。


「てか死ね」

「っ……!」


 突如放たれた何の飾り気もない単純な言葉の暴力に、空那は何も言い返せない。

 言葉を失うその姿を見ながら、姫井は静かに口の端を歪める。


 なるほど、シンプルだが悪くない手だ。人間、関係ない相手でも存在を否定される言葉を投げかければ少なからず心に傷を負うもの。一回一回はなんてことない傷でも回数が増えればやがて致命傷に至る。反応を見るに、恐らく姫井は今日空那に対し何度もそういった言葉を投げかける腹づもりなのだろう。だがそうはさせない。


「いやお前が死ねよ」

「え……」


 出し抜けに言ってやると、姫井が俺の方を見て瞳孔を開く。

 しばらく無言で見下していると、姫井の瞳が弱々しく揺らめいた。


「そんな、」

「って俺に言われたらどうだ?」

「……っ」


 姫井が正確に状況を把握したタイミングに合せて疑問を投げかける。

 黙りこくる姫井だが、わざわざ本人の口から聞かなくとも分かる事だ。

 関係の無い人間にも効くような言葉を関係のある人間、それも意中の人間に投げかけられて平気なはずは無い。


 ま、本当に意中であればの話だが、少なくとも俺に嫌われることを良しとしていないのは間違いないとみられる。


「大よそ、その類の言葉を継続的に投げかけ心理的負荷を与えるつもりだんだろうがやめとけ。それはもろ刃の剣だ。何故ならその言葉は俺の口からさっきの言葉を誘発させる可能性があるからな」


 体験というものは心に根強く残る。ネガティブな体験であれば尚更だ。今回は結果的に偽の体験だったが、偽りだと分かるまでは間違いなくその言葉は本物だった。


 その大きな負荷を心に刻みこまれた今、再び同じ状況を誘発するような行動は今後取りづらくなるだろう。


「……分かった」


 狙い通りにいったか、姫井は特に反駁することなく素直に頷く。後はまぁ、一応一時でも存在を否定したことに対するフォローを入れておけばとりあえず大丈夫だろう。


「あはは……」


 ふと乾いた笑い声が聞こえる。

 ややちりちりとした空気が身を覆い始めると、空那の腕に少し力が入る。


「害しかないなのはあなたじゃない! あなたこそ死……っ!」

「おやめなさい」

「むむ! んぐぐ~!」


 諭しても止まりそうになかった勢いなので、物理的に口を塞がせてもらう。今の姫井にその言葉はたとえ空那からのものであっても響きかねないからな。俺は姫井に嫌われたいと願っているが、必要以上に傷つけることは望んでいない。


「いいか空那。俺にとって空那は勿論必要不可欠な存在だが、姫井もまた必要な存在だ」


 言い聞かせている相手は空那だが、その実これは姫井への言葉でもある。

 伝わりやすいよう姫井の方を一瞥して続ける。


「何せこいつがいなくなれば俺のバ先での仕事が増えるからな」

「でも!」


 俺の手から逃れ空那が言い募ろうとするが制する。


「まぁ聞け。仕事が増えたらどうなると思う? 残業三昧で家に帰るのが遅くなるだろう。そうなればお前と過ごす時間も減ることになるな」

「それはダメ!」

「そうだろ? だからまぁ、滅多なことは言うなよ。言い方は悪いが姫井は間接的にお前の役にも立ってるんだよ」

「むむう……そっか……」


 一応頷く空那だが、しぶしぶと言った具合でまだ少し不満そうだ。

 まぁ、空那も姫井の言葉がかなり堪えていたという事だろう。その反動で傷つけられたから傷つけ返すのは当然だというような思考になるのは分からなくもない。先ほどの空那は相手を傷つけてやろうという明確な意志を感じた。もしかしたら昔いじめられてた時の記憶でも呼び起こされたのかもしれないな。


「ふーん、そ、元宮あたしの事必要なんだ」


 ふと、姫井が片目を閉じつつ視線をよこしてくる。


「そりゃそうだろ。あのコンビニマジでやばいからな。従業員が一人増えるだけでもすこぶる貴重なんだよ。お前が来る前なんてもうほんとどれだけ俺への負担が大きかったか……」


 一度十五時間労働してた時は自らの正気を疑ったよね。なにがやばいって動き回りすぎてそれだけの時間を浪費していたことに退勤時まで気づかなかった事だ。

 まぁ一時は怠慢な店長のせいで姫井も負担だったが、こいつ意外と物覚えいいし普通に働いてくれるから割と助かってるんだよな。


「元宮も色々苦労してたんだ」

「違いないな」


 肩を竦めたい気分になっていると、ふと片腕に熱がこもる。


「はやく行こまーくん」


 自分の知らないところの話をされているのが面白くなかったのか、空那はややぶっきらぼうに言いながらくいくい引っ張ってきた。


 入園料を払っておいて園内を散策しないのも勿体ないので、空那と歩幅を合わせるとする。

 歩き始めると、空那はおおむろに姫井の方へと目を向けた。


「べっ」


 憎たらしく舌を出す空那に、姫井はふっと笑みを浮かべる。


「ねぇ元宮、こいつ殴ってもいい?」

「暴力は外傷がついたとき面倒だからやめとけ」

「そっか。あーマジでうぜぇこのちんちくりん……」


 姫井の怨嗟の籠った声が耳に届く。

 まぁそれはたぶん一般的な認識だろうな。この子割とうざいよね。

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