第11話 焦燥
英人さんの眼鏡が湯気で曇っていくのを見ていると、姫井が大きなため息を吐く。
「はあ、そんな事だろうとは思った。今からあたしがちゃんとしたの作るから、二人はそこで待ってて」
「いや別に俺はこれでも良いが」
むしろ変に豪華な物出されるよりよっぽど気を遣わなくて良い。なんなら帰りたいまでもあるが。
「だーめ。客に出すようなものじゃないからそれ」
姫井はおもむろに机から立ち上がると、さっさとキッチンへと引っ込んでしまい、実質英人さんと二人きりにされてしまう。
え、何これめっちゃ気まずいんだが。英人さんもずっと静かだし。
恐る恐る様子を窺おうと首を回すと、気づけば俺のすぐそばまで英人さんは迫ってきていた。いつの間に……。
「あー、えっと、英人さん?」
声をかけると、英人さんは湯気で曇った眼鏡を取ったかと思えば、さっとハンカチをポケットから取り出した。
咄嗟に身構えてしまうが、特に心配するような事は無かった。
「ごめんね元宮君……実は僕、料理できないんだ……でぼ、よろごばせだぐでっ、うぅっ」
英人さんは声を震わせると、ハンカチで自らの目元を抑える。
本当に妙な人だなこの人……。
「いやその、気持ちだけでも全然嬉しいって言うか、俺お茶漬け好きですし」
咄嗟にフォローの言葉が口をつくと、英人さんは一転、ぱっと顔を綻ばせ先ほど姫井が座っていた椅子の背もたれを抱く。
「なんて良い子なんだ元宮君! ハグさせておくれ!」
「それ椅子ですけど……」
一応指摘すると、英人さんがはっとした様子を見せる。
「いやあすまないね元宮君、僕目が悪くて……」
英人さんが苦笑いを浮かべながら眼鏡をつけると、俺の真向かいにの席に座る。
漫画じゃあるまいし眼鏡とったからって相手の場所間違える人いるわけないでしょ……。ジョークのつもりか?
胡乱な眼差しを送らないよう努めなければと改めて英人さんの方へ目を向けると、すぐに視線がぶつかる。
「えーっと」
「どうしたんだい?」
即座に英人さんが返してくる。
何か俺に対して気になる事でもあるのか、英人さんは俺の方をじっと見つめてきていた。
その視線はあまりに半直線的で、まるで威嚇されているような気にすらなる。やっぱりさっきのはジョークだったのかな!
だとすれば笑うべきだったが今更笑っても仕方ないからな。この際このまま黙殺するのも悪くないが、気まずすぎても嫌だし少し世間話でも振ってみよう。
「英人さんってなんの仕事されてるんですか?」
「僕はフリーランスでシステムエンジニアをしているけど、それが?」
それがと言われましても返答に困るな。あまり聞いちゃいけない事だったか? 確かに少し意外ではあったのだが。
「いえ、特には」
あまり深く踏みいったところで大したメリットもないかと早々に切り上げる。
「……?」
頭に疑問符を浮かべているような素振りを見せる英人さんだが、未だ俺から視線を外さない。
こちらも同じように視線を送り返せばどう反応してくるのだろう。少し気にはなったが、無意味な事だと思いとどまり、ポケットにしまっていたスマホを取り出し、電源を入れる。
画面を見れば昼間から放置していたのも相まって大量の通知が来ていた。そのほとんどが空那からのものであり、三十分前にも何やらメッセージが届いているようだった。
流石にそろそろ見ないとまずいかとアプリを開くと、連絡の催促やら、好意を仄めかすもの、かと思えば恨みつらみなど非常にバリエーション豊かで不安定な文字列が目に入る。だがやはり一番目についたのは最新のメッセージ……というよりは画像だった。
どーして。
そんな無機質な言葉のすぐ下に鎮座するカッターナイフ。
どうせあいつにこの刃物で自分をどうこうする度胸はない。となればほぼ確実に俺の気を引くためにアップロードしたものだろう。
分かり切っている事ではあるが、俺にとってそれは無視できるものではない。よく分かってるよ。流石幼馴染だ。
「すみません、俺帰りますね」
「ん、どうしてだい?」
立ち上がると、英人さんはこちらに目を向けることなく尋ねてくる。
正直この人の事も気がかりだが、そんな事より今は空那だ。流石にストレスを蓄積させすぎたかもしれない。
「急用ができまして」
空那の事を伝えるのも変に思われそうなので適当にはぐらかすが、それでは満足しなかったのか英人さんは再び俺へと視線を向け残念そうに眉尻を下げる。
「どうしても行かなきゃいけないのかい? 陽芽莉の手料理を食べてからでも……」
「いえ、お構いなく」
姫井が持って行ったかばんのとこまで行き手に取ると、玄関の方へと足を向ける。
リビングのドアへと手をかけると、こちらに気づいた姫井が慌てた様子で台所から飛んできた。
「ちょ、元宮どこいくわけ⁉」
「すまん野暮用ができたから帰る」
言ってそのまま行こうとするが、姫井に服の裾を掴まれ阻まれる。
「まだご飯ごちそうしてないじゃん!」
「またの機会に頼む。もし用意が進んでたら申し訳ないが」
「それはまだ下準備しかしてないから問題ないけど……」
姫井は言葉を区切ると、英人さんの方を一瞥し、またこちらへと向き直る。
ややあって何か言いたげに口を引き結ぶと、おもむろに口を開いた。
「じゃあせめて途中まで送る」
「気持ちはありがたいが、そもそもお前を送るためにここまで来たのにそれだと本末転倒だろう」
「あっ……」
掴む手をほどきリビングから出るが、姫井はまだ付いてくる。
「おい」
「家の前くらいまでは見送らせてよ」
「それなら問題ない」
姫井が俺より前に出ると、先んじて玄関の扉を開ける。
俺が出るのを確認すると、再び前に出てポストの前で立った。
「じゃあまた」
姫井がぶっきらぼうに言ってくるので俺も手で応じさっさと背を向ける。
「絶対また来てもらうから」
去り際、姫井がそんな事をぽそりと呟くのが聞こえるが、もし行くならせめて英人さんとの同席はご遠慮願いたいものだ。普通に気まずい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます