第10話 陽芽莉パパ

 姫井の家は歩いて二十分くらいのところにあった。

 駅前はけっこうな賑わいだがここまで来ると閑静な住宅街と言った具合だ。てっきりマンションとかそういうとこに住んでるのかと思ったが、目の前にあるのはコンパクトな一戸建てだ。ただコンパクトと言っても都内である事を考えれば、姫井の家はそれなりに経済的余裕はあるらしい。まぁ西東京だけど。


「入って入って」


 姫井が先だってポストの前に立つと、追加の飴玉を咥えつつ、玄関へ入るよう促してくる。

 あまりじろじろと自分の家を観察されるのも気分は良くないかと俺は入口の方へと目を向けた。


 ドアの前へ足を運ぶと、後ろから姫井がやってきてドアを開けてくれる。

玄関先へと踏み入ると、即座に左側の扉から人が顔を覗かせた。


「おかえり陽芽莉」


 そう言い玄関の電気をつけたのは、眼鏡をかけた物腰やわらかそうな男だった。


「ただいま」


 姫井が応じると、玄関の照明の光が男の眼鏡に反射する。


「パパ」


 姫井が付け加えるかのように言うと、その男は柔和に微笑んだ。

どうやらあの人というのは父親の事だったらしい、なかなかのハンサムと言った風貌だ。年齢ももしかしたらまだ四十行ってなんじゃないか。


 姫井の父親は姫井からこちらへと目を向けると、おもむろに近づいてくる。

 こんな時間にうちの娘をたぶらかしてどういうつもりなのか問い詰められたりしないだろうかとやや不安になるが、それは杞憂だった。


「君が元宮君だね⁉」


 姫井の父親が目の前までやってきて、満面の笑みを向けてくる。


「えと、まぁ、はい」

「いやあ、本当にありがとう! 陽芽莉を強盗から助けてくれたんだって?」

「まぁ、一応、そうなりますかね」


 あまりの毒気の無い眼差しについ気の無い返事をしてしまう。正直何かあるんじゃないかと思って身構えていたんだが。


「そうかそうか。僕は陽芽莉のパパです。よろしく」


 姫井の父親が手を差し出してくる。


「よろしくお願いしますお父様」


 こちらも応じるべく手を差し出そうとすると、すぐにその手は握られ引き寄せられた。


「そんなに固くなくて大丈夫だよ。僕の事は気軽に下の名前で英人ひでひとさんとでも呼んもらえれば」


 にこっと姫井の父親……英人さんが微笑みかけてくる。


「分かりました。よろしくお願いします。英人さん」

「そういえば今日も助けてくれたんだよ元宮」


 出し抜けに言葉を挟み込んでくる姫井は、事実の通り子供が親に自慢するがごとく誇らしげだ。

 その姿にやや違和感を覚える。


「今日も?」


 英人さんは俺の手を離すと姫井へと顔を向ける。

 この感じ、さっきの出来事は知らなかったみたいだな。姫井がどういうやりとりをしてたのかは分からないが、流石に路地裏の出来事は言っているものと思っていた。


「そ。変なのに路地裏に連れ込まれたけど返り討ちにしてくれた」


 ね? と姫井が俺の方に笑いかけてくる。


「たまたま通りかかったもので」

「それは驚いたな……本当に無事でよかったよ陽芽莉」

「まあね」


 姫井が短く同意すると、再び父親の視線はこちらへと向いた。


「しかし何人も追い払っちゃうなんて本当に強いんだね」

「どうでしょう」


 適当にはぐらかすが、英人さんは気にした様子もなくうんうん満足げに頷く。

 ……妙な人だな。


「ささ、元宮君。入って入って」


 促されるので一応靴を脱ぎ玄関先に踏み入るも、時間が時間なのもありやや憚られた。


「本当に大丈夫ですか? もう十時まわってますけど……」

「もちろんだよ。何せ陽芽莉の恩人だからね」

「そうそう。遠慮しなくていいって」


 姫井がそう言うと、英人さんが左の扉を開ける。


「それに元宮君のために料理も用意してみたんだ!」

「え、パパが……?」


 予想外だったのか姫井がいぶかし気に問いかける。


「フッフッフ」


 英人さんは不敵な笑みを浮かべると、俺たちを扉の向こうへと招き入れる。

中はリビングになっているらしかった。


 物は少ない印象で、あるのはテレビ、観葉植物、ソファー、あとは食卓くらいだ。食卓の向こうにはキッチンがある。

 英人さんは俺達を食卓に座るよう誘導すると、キッチンの方へと引っ込んだ。


「てか蒸しあっつ」


 そう言いながら姫井はリモコンを手に取り空調に電源を入れる。


「本当に良かったのかここ来て」


 別に姫井とは別段親しい間柄というわけでもないのにここまでしてもらってしまうと非常に気を遣う。


「しつこい。あたしたちが良いって言ってるんだから素直にもてなされろ」


 食卓に座る事を渋っていたら、姫井に怒られてしまった。


「バッグこっち置いとくから貸して」

「お、おう……ありがとう」


 姫井は半ば強引に俺からカバンをひったくると、俺を椅子へと座らせる。

自らも隣に座ると、ふと持ち手に何個もつけられたお守りを引き気味に見やった。


「そういえばなんでこんなつけてんの……」

「聞かないでくれ」


 こめかみの辺りに鈍痛が走っていると、姫井が気遣わしげに口を開く。


「あー、幼馴染」

「よく分かったな」


 素直に感心していると、姫井がこともなげに言いながら脇へとカバンを置いた。


「お守りって言ったら好きな人に渡すのは定番だし」

「ふむ」


 なるほど定番。まぁ定番か。いや定番か……?

 やや認識のズレを感じていると、英人さんがキッチンから出てくる。


「用意できましたよ~!」


 そのまま食卓まで歩いてくると、お盆を食卓の上へと置いた。


「じゃーん! 僕特製のお茶漬けで~す!」

「おお~……」


 リアクションに困るー。

 てかこれもしかして暗に帰れって言われてない? だってそれ、ぶぶ漬けどすやん? 

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