第3話 イレギュラーなんだよそれは

「おい、そこのお前!」


 声からして男のようだ。一度俺の方向へとナイフを向けてくると、すぐに姫井の首元にあてがう。


「金を出せ! さもなければこいつを殺す!」


 切っ先が白い肌へ食い込むと、姫井は男の手元を睨みつけながら歯噛みする。その姿は声を押し殺しているようにも見えた。

 男はナイフを押し当てたまま姫井を無理やり歩かせると、レジ前までやってくる。


「さぁ早く出せ!」


 男が声を荒げながらすごんでくる。

 先ほどは隠れてはっきりとは見えていなかったが、近くで見ると意外と若そうな面だった。大学生、あるいはそれよりは上くらいか。体格もそれなり、僅かに除く首筋も健康そうな事から多少は鍛えているのがわかる。


「お、おい何してる? 早く出せと言ってるんだ!」


 刃先がより深くめりこむと、白い肌に汗が滲み出す。

 んー、店長は一体何をしてるんだ。バックからでも異様な気配は伝わってくるとは思うのだが、まさかクレーマーだと思って気づかないフリしてるんじゃないだろうな? いやでもあの店長なら割とありえるな……。


「おい聞いてるのか!」


 再び問われるので仕方なくこちらも応対することにした。


「聞いてますよ」

「だったらはやく金を出せ! この女がどうなっても……」

「別に構わないが」

「なに?」


 男な怪訝そうな声と共に、姫井の怒りとも絶望ともとれるような視線が向けられるのを感じる。


「殺せるものなら殺してみろと言ってるんだ。お前こそ聞こえなかったのか?」

「んなっ……」


 俺の言葉に男がやや及び腰になる。


「て、てめぇ! 舐めてると後悔するぞ! 俺は本気だからな!」


 一瞬切っ先をこちらに向け威嚇すると、再び姫井の首元へと当てた。肌が沈み込むほどの強さで。


「じゃあ俺からも一つ聞く。お前はそんなおもちゃで人をお本気で殺せると思ってるのか?」

「っ!」


 男が口を開きかける前に、ナイフ――のおもちゃをはじく。腕の中に抱えている以上姫井になんらかの危害を加える事は可能だが、そんな隙は与えない。胸倉を掴み引き寄せ、思い切り頭突きをお見舞いしてやる。


 大きくのけぞるのは、男の頭。

 同時に姫井の拘束もとかれたので、俺は即座にレジを越え、体勢を崩す男の手首を捉えた。一足で後ろへと回り込むと、腕の自由を完全に奪い床に抑え込む。


 静寂に辺りが包まれると、ナイフのおもちゃが床を跳ねる乾いた音が聞こえてくる。


「は、離せよ! なんだよこれ!」


 ややあって、ようやく状況を理解したか男が拘束から逃れようとする力が伝わってくる。余計な労力使いたくないから大人しくしておいてほしいのだが。


「あー姫井……だっけか。店長呼んできてくれ。警察に突き出す」

「はぁ⁉ 警察⁉ 待てって! 俺が何したってんだよ!」

「いやいや強盗しようとしてたでしょ」

「ち、違うんだって! 誤解なんだ! 兄ちゃんの言った通りあのナイフはおもちゃでさ……」


 まぁそうだろうな。あれだけ切っ先を食い込ませてるのに血が流れないのはおかしい。


 まぁ殺意とかは無かったんだろうし、俺も他人の人生に泥をつけるのは本意ではないから一応店長には被害届までは提出しないよう頼んでみるか。


「なぁそうだよな⁉  あんたもなんとか言ってくれよ!」


 不意に男は何故か姫井の方へ顔を向け同意を求める。


「は? 急に何? 意味わかんないし!」


 姫井は半歩後ずさると、身を翻す。


「あ、おい店長を……」


 言うが、姫井は俺の事などお構いなく早歩きで外へと出ていってしまった。なんなんだよ一体。そりゃ急に拘束されてナイフで脅されたらそれがおもちゃだったとしても怒りたくもなるのも分かるが……。まぁいい。今はこいつだな。


「くっそ、ふざけんなよあいつ! はめやがったな!」


 はめやがった、か。気になる言葉ではあるが。


「ナイフを持った男がここに入ったと通報が……」


 ふと自動ドアが開くと、二人組の警察が姿を現す。


「と、もしかしてその人か⁉ ケガは⁉」


 警察の人達が慌ててこちらへと駆け寄ってくると、俺へと声をかけてくる。随分と早い登場だな。


「無傷です」

「良かった。後はこちらに任せて」


 警察の人が言うので拘束を解き引き渡す。


「う、嘘だろおい? 待ってくれよ! 俺は何も……!」

「話は車の中で聞くからね」


 二人のうち一人の警察が男を外へと連れていくと、その姿を見送っていた残った警察がこちらへと再び顔を向ける。


「もしかして君一人で?」

「まぁ、はい」

「いやすごいなぁ。武道とかやってたの?」

「そんな感じです」


 うちの実家は道場だ。そこの長男である俺は幼い頃からある程度武術の手ほどきは受けていた。


「おお~将来有望だなぁ。それでえっと、今ここの責任者の方は……」

「クレームの人いなくなった元宮くーん?」


 警察の人が尋ねてくると同時に、バックヤードから店長がバーコード頭を覗かせる。

 おいおい本当にクレームだと思ってたのかよ。


「ん、元宮君……?」


 警察が俺の顔を見てくるが気づかないふりをしておいた。


「ってあれその制服……って警察じゃ~ん⁉ も、元宮君、何かやらかしちゃったの~⁉」


 ふと店長が警察の方へ目を向け素っ頓狂な声を上げる。

 なにこの人。その頭レジに通してやろうか。


「あ、ああいや、彼ではなくてですね」


 警察は俺から店長へと視線を移し、すかさずフォローに入ってくれる。

 その後、事の顛末の説明などはすることになったが、それ以外はおおむねいつも通りの業務をこなし退勤時間となった。

 が、最後の最後で店長がイレギュラーなこんな事を告げてくるのだ。


「あ、そうそう。今日来た子、明日から働いてもらう事になったから、元宮君色々と教えたげてね」


 は、嘘だろおい。

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