第4話 幼馴染と夜のアレコレ

 まさかあの女を採用するとは、よほど人手不足なのか、あるいは下心か。確かに見てくれに関して言えばそれなりだったように思う。でもいくら容姿に優れていたってあんな態度するような人間じゃなぁ……。

 明日の出勤日が億劫だ。


 店長が投下した爆弾発言に憂鬱になりつつも、自宅の扉に手をかければ当然の如く鍵は開いている。


 玄関に踏み入り奥の部屋へと入れば、空那が我が物顔でベッドでくつろぎ、こいつの推し漫画である陰陽聖戦を読んでいた。その姿にこれまでの疲労がさらに上乗せされたような心持になる。

 まだその単行本包装はがしてなかったはずなんだけどなー。おかしいなー。


「あ、まーくんおかえり~!」


 空那は俺に気づくと、起き上がり俺の胴体へと抱き着いてきた。

 人肌の暖かさが伝わると同時に、ぽふんとバニラのような香りが弾ける。

 密着してくるその小さな肩にそっと手をかけると、一息にぐっと押し込み引きはがした。


「離れろ」

「もー! 何するの~!」


 空那が不服そうに頬を膨らませながら迫ってこようとしてくるので、腕を伸ばしたままにして近づけさせないようにする。


「なんでまだいるんだよ。さっさと自分の家に帰れ」


 あとついでに家主より先に最新巻に手を出すな。


「どーしてそんないじわる言うの? 空那ずぅうっと待ってたんだよ⁉」

「だからだよ。こんな時間まで娘が帰らなかったら両親が心配するだろ」

「まーくんの所に行くって言ったらから平気だもん」

「いやそれにしたって限度というものがだな」


 言うと、空那は不意に動作を止め伏し目がちになる。


「まーくんは……!」


 空那は熱を帯びたような声を発すると、顔を上げて今にも零れ落ちそうな瞳を向けてきた。


「空那と一緒にいたくないの?」

「うん」

「っー……」


 息を吐いてるのか吸ってるのか分からない音が聞こえると、すーっと空那の顔から熱が引いていくのが分かる。

 だがすぐに真っ赤に染まると、空那は目をくの字にして両手の握りこぶしを振り下ろす。


「ひどい! まーくんなんて知らない!」


 部屋の扉を開け、早歩きで外へと出ていく空那。扉がバタンと閉まると、部屋の中は水を打ったように静まり返る……と、再び勢いよく玄関の扉が開いた。


「どーして追いかけてこないの⁉」 

「早ぇよ」


 出て行ってから1秒も経ってないのよ。

 いやそれ以上経ってたとしても追いかけるつもりは無かったけども。


「まーくんって強くて頭良くてかっこいいけど乙女心は全然わかってないと思います」


 でも君は人の心を分かってないよね?


「まったくもーだよ」


 ぷりぷりしながらもしっかり部屋に踏み入り俺のベッドに鎮座する空那につい半目になる。意地でもまだここにいるらしい。


「十時には帰れよ」


 諦めてそう告げると、空那が顔を綻ばせる。

 その姿をしり目にフローリングへと腰を落とすと、座卓に晩飯の入ったコンビニ袋を置いた。とんでも人事やら人員不足やらで職場環境は良いとは言えないが、廃棄商品を持って帰らせてくれるのは非常にありがたい。


「そういえばお前飯は」

「まだ食べてないよ」

「そうかい」


 呆れつつ一旦コンビニの袋を座卓の奥へと押しやる。


「でもそういう事なら尚更早く帰った方がいいんじゃないのか? ご飯作って待ってくれてるぞたぶん」

「パパもママも空那の帰りに合せてくれるって言ってたから大丈夫だよ?」


 あわよくばこれで帰る気にならないかと思い言った事だが、その目論見は見事に外れてしまった。

 ていうか両親揃って合わせるって事はもしかしてこいつが帰ってくるまで何も食べないようにしてるって事だよな? 空那の両親とは当然面識があるしある程度優しい人となりは知っているが、それにしたってここまで優しいとはな……。あるいは甘すぎるとも。


 まぁ、そういう人たちだからこそ俺のような奴と娘が交流してても許してくれるのだろうが。

 中学の時に俺が起こしてしまったある過ちが脳裏によぎると、ふと空那が俺の肩を叩いてきた。


「ねね、そういえばまーくん」

「なんでしょう」

「どうやってあそこに上るの?」


 空那がドアの右上の方を見ながら小首を傾げる。視線を追えば、四角く沈んだロフトへの入り口があった。元々梯子はあったのだが普段使わない場所な上に邪魔になるので梯子は取り外している。


「梯子。今は外してるが」

「そうなんだ。どこにあるの?」

「ベッドの下に畳んで入れてる」

「なんと~!」


 空那は目を丸くすると、そそくさとベッドの下を覗き始める。


「ほ、ほんとだ……気づかなかった……」


 普通にしてれば気づかないと思うが、家主のいない間に一体何してたんですかね。


「上ってみていい?」


 空那はベッドの下から顔を上げると、いたずらめいた笑みを浮かべ問うてくる。


「構わんが特に何も無いぞ」

「え~ほんとかなぁ?」


 疑わしげな声をあげながらも空那は梯子を懸命に引っ張り出し両腕で抱えると、覚束ない足取りで体を揺らしながらもなんとかロフトにかける事に成功する。


「えへへ~もしえっちな本とかあったら燃やさないと~」


 空那は嬉々としてはた迷惑な事を宣いながら梯子を上っていく。


「おお~けっこう広いねまーくん!」


 丈が長いとは言えないスカートの裾を揺らしながら、高揚気味に声を上げる空那。まぁ人一人寝るくらいのスぺースは余裕であったっけか。


「おやおや~何かダンボールがありますねぇ?」


 どこか得意げに告げる空那。横着して箱を取ろうとしているのか、つま先立ち気味になり足を震わせる。危なっかしい事この上ない。


「とれた! ……ってあれ? からっぽ」


 そりゃそうだろう。置いてあるものと言えば越して来た時の残骸くらいだし。

 スカートの裾を揺らしながらごそごそと上にある箱をいじっていたらしい空那だったが、やがて満足したのかロフトから頭を引っこ抜く。


「うーん、他に探してない所無かったよね……」


 そもそもなんである前提なのかね。てか今の時代そういうのは大抵スマホの中にあるものなんじゃないのか? いやでも、俺の数少ない友人に菅生という奴がいるのだがそいつはスマホと現物(意味深)の両刀と言っていたな。

 ま、見知らぬ女のそういうのを見たいという欲求が無い俺には分からん世界だ。


「でも無いならどうやって……」


 梯子に乗ったまま未だ思案している様子の空那だったが、ふと下を見下ろすのが視界に映る。


「はっ!」


 やがて何かに気づいたか、頬を赤らめスカートの裾を抑える空那。そそくさと梯子を下りていくと、もじもじと膝を擦り合わせる。


「柄は……?」


 柄はって変な聞き方する奴だな。普通に見えたかどうかでよくないか。


「水玉だな」

「はふっ……⁉」


 答えると、空那はあまり聞かない息が多めの声を上げ、一層顔を紅くする。

正直すぎただろうか。いやでも角度を検証すれば確実に見える位置だと分かるし、嘘ついても仕方ないよな。


「で、でもそうだよね、無いって事は困るもんね」


 空那は要領の得ない事を言うと、上目がちに潤んだ視線を合わせてくる。


「え、えと、ちょっと恥ずかしいけど、今から脱いで渡すね……?」

「いや何故そうなるやめろ」


 スカートの中に手を添えようとしてか、裾を持ち上げ肌色をあらわにさせる空那の両手首を即座に掴み止める。


「ど、どーして止めるの⁉ 今ちょうど空那水玉履いてるんだよ⁉」


 空那が顔を真っ赤にしながら涙目で訴えかけてくるが、何を言ってるのかちょっとわかりません。


「いやいやだからなんで脱ぐって発想になるんだよ」

「だって水玉柄のは今履いてる一枚しか持ってなくて……」

「そもそも渡そうとする意味が分からないんですがそれは」


 疑問がつい口をつくと、空那が自らの胸に手を添え身を乗り出す。


「だ、だって、まーくんは空那の事しか見えてないからえっちなの持って無いんだよね⁉」

「む、ん、んん? そ、そんなわけないんだろ。一体急に何を言ってるんですかね」


 突如降って湧いた核心を突く一言についおかしな日本語を吐いてしまう。

 え、なにこの子。そんな話一回もした事無いのになんでわかるの? もしかして人の心読める超能力者?


 いや待て冷静になれ俺。そんなわけないだろ。綿貫空那という人間をしっかりと解析すれば答えは見えてくるはずだ。この子の自己愛は相当なもの。その思考は常に自分中心に展開されている。つまり今回のそれもその思考パターンから繰り出された普通じゃない発想。身内になら愛されて当然として信じてやまないが故の妄言虚言戯言である。だから俺は冷静にたしなめればいい。


「も、もしかしてえっちな自撮りとかのほうがよかったかな……?」

「よしストップだ落ち着け。ちょっとおかしな思考になってるな。恐らくお前はありとあらゆる勘違いをしている」


 問題はどこからどこまでをどのように勘違いしているのかが非常に説明しづらい事だ。なまじか正しい事も言ってるので尚更だ。


「え、あ、あ、そ、そうだよね⁉ 目の前に空那、いるもんね……。で、でも心の準備が、あ、お風呂、お風呂とかも入らなきゃ、恥ずかしい……」

「待て待て待て。誰もそんな要求はしてない」

「だ、大丈夫だよまーくん、予習はその、一人でよくしてるので!」

「よっ……く!」


 なんてこと口走ってるんだこいつ! 

 ああもうだめだ。暴走してるな。完全に冷静じゃなくなってやがる。いやそれは俺にも言える事だが……何にせよこのままでは本当によろしくない。


「本当にに落ち着いてくれ。そもそも俺たちはキスすらした事無い間柄なんだぞ! 色々と吹っ飛ばしすぎだ!」


 もはや間違いを正す余裕はなかった。今この場で空那と俺がそのような関係性になる事が不当であると証明するのに一番分かりやすそうな根拠を探して提示する。


「あっ」


 空那も冷静さを取り戻す事ができたか口を開き小さく言葉をこぼす。


「そ、そうだよね……」


 空那は紅潮した顔はそのままに目をぱちくちさせる。

 先ほどのはややきつい物言いだったかもしれない。これまで曖昧にしてきた境界をはっきりさせるという事は即ち壁を作るのと同義だ。果たして空那は俺の伝えたこの現状の関係をどのように捉えたのか、少し気になってしまった。


「えと、その……」


 空那は逡巡したそぶりを見せると、熱っぽさを残したまま視線を逸らす。


「今日は帰ろうかな……」


 空那の表情からが真意を読み取ることができず、一抹の不安が胸をよぎった。

ああまったく愚かな事だ。俺のような人間が空那と一緒にいるべきではない。それは分かっているのにやはり求めてしまっている。そんな感情は捨て置かなければならないのに。


「……じゃあな」

「うん、ばいばいまーくん」


 空那は小さく手を振ると、俺から背を向ける。

 そのまま靴を履いて帰るかと思われたが、扉の取っ手に手をかけたところで不意に動作を止める。なんとなく終わりを感じさせるような、そんな気配を感じた。


「ちゃんと明日までには用意しておくので!」


 と思ったら全然そんな事は無かった。


「は? いや、待っ」


 俺が制止するより早く空那は外へと出て行ってしまう。

 うん、なんというか。

 もしかして今の俺は空那の中で幼馴染の下着を欲している変態となっているのではなかろうか。

 それだけが心配になった。

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