JK、OLをかう
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「うわぁぁぁぁぁぁぁ! 無理無理無理無理無理ー! じね゛ぇ゛ー!」
1人しかいない駅のホームで発狂してる。
そんな私の名前は朝日雫。
上京して2年目の社会人で24歳。
ぴちぴちの新米OL。いい人なしの独り身です。
そんな私、絶賛、仕事で病んでいます。
「あーあ。会社が爆発しないかな」
私はなにをやってもミスばっかりしてしまう。
次から次にやってくる仕事にパンクして、失敗が積み重なっていく。
そんな取り返しのつかない山の処理は、早々に諦めてしまった。
何もうまくいかない。毎日が本当に嫌んなる。
上司にはキレられて、失敗を理由にセクハラをされて。
けど、私には非があるから、理不尽なことも我慢する。
今日も今日とて、お酒でストレスを発散した。
いつも頭がぐるぐるになるまで飲んで誤魔化す。
そして、少し覚めると駅のホームで帰りの電車を待つのだ。私の日常は、これの繰り返し。
また明日も仕事があって、当然、足取りは重く感じた。
「私、人間社会向いてないのかな〜」
誰も、答えてくれない。
「あははー、笑えるよねー」
何にも笑えない。
この日々が、後何年続いていくんだろう。
ふと目の前にある電車のホームを見つめる。
「……しにたい」
覚悟もなしに口に出す私は本当に弱い。
ほんとは、そんな勇気もないくせに。
「雫ちゃん。死にたいの?」
「……え?」
突然、透明な声が鼓膜を揺らした。
「うわっ」
バランスを崩してしまい、何とか立て直そうとする。
でも酔いが回ってて、視界がぐらついた。
完全に体制を崩して、平衡感覚を失う。
「おっとっと……」
知らない女の人に、抱かれて支えられる。
お礼を言いたくて上を見上げれば、すぐそこには作り物みたいに綺麗な顔。
「ねぇ、雫ちゃん。人生いらない? 死にたいってそういうことだよね?」
は? この人、なに言って。てか誰。あ、ちょっと待って。顔近い!まつげ長い! 目綺麗! 超可愛い!
きっと、今の顔はリンゴよりも真っ赤だ。
「……っとキター!」
片手で私を支え、片手でガッツポーズを繰り出す彼女をみて少し冷静になる。
あれ、よく見ればこの子、ドラマや映画でよく見る……。
「……東雲蛍?」
「え! 私のことしってるの? 雫ちゃんに知られてたなんて嬉しい!」
だから近い。何もかも全てが近い。
私の曖昧な知識が正しければ、この子はまだ女子高生で17歳だったはず。
しかも今を煌めく天才女優、と言われてた気がする。
最近はテレビを観れてないから、何となくしかわからない。
そんな私ですら知っている有名人だったはずだ。
誰に見られているかもわからないから、余計な面倒事は避けないといけない。
私は肩を押して、物理的に距離をとる。
それでも、食い気味に顔を近づけてくる。
「知ってるなら、説明とかいらないよね」
「え、あぅ」
「よかった〜。色々な手間が省けたよ」
「あ、あの! 私に何の用、ですか?」
これ以上は限界だから、強引に話を遮る。
「……うーん」
東雲さんは、すこし悩むそぶりをして。
「雫ちゃんの人生を買いたいの」
深夜でも、太陽のように輝く笑顔で彼女は言う。
「……は?」
って、あれ? なんて言った? 私の人生を買う?
流石に聞き間違いか?
「あの、どういう……」
「雫ちゃんの人生を買いたい」
だ、そうだ。
今度は、はっきりと聞こえた。
聞き間違いではないらしい。
「いや、どゆこと?」
「雫ちゃんの人生を――」
「いや、それはわかったから」
なんでこんなスラスラと頭のおかしいことが言えるんだろう。
本当は私がおかしいんじゃないかと、そう錯覚するほどに自然だ。
「……人生いらないんでしょ?」
「いや、いらないというか……」
「仕事は辛くて、セクハラ野郎に媚びるのが嫌で、貯まったストレスをお酒で誤魔化す人生。捨てちゃいたいんでしょ?」
「うん、まぁ、一部はあってるけど」
「じゃあ、私に売って?」
「えっと、あの……」
「あっ、勘違いしないで! 誰でもいいわけじゃないよ! 私は雫ちゃんだから欲しいの!」
「は、はぁ?」
東雲さんは早口で捲し立てるように喋ってくる。
私は頭を必死で回転させるが、酒の飲み過ぎてバカになってしまっている脳は正常に機能しない。
「私は雫ちゃんを所有したい!」
「……は?」
「一生幸せにする!」
確信した。コイツはヤバい奴だ。
「まぁ、言質とったから、雫ちゃんに拒否権はないけどね」
マズイ、本当にヤバいかもしれない。マジで頭がおかしな人に絡まれた。
芸能人とは日本語がまともに通じない人種なのか?
とにかく、無い頭を捻って言葉を搾り出す。
「いやー、でもね。あれは気の迷いというか。仮に要らないとしても、東雲さんに売るとは言ってないし」
「なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで? 私の他に大切な人とかいるの? いないよね? 私、全部知ってるよ?」
いや、こわ。目、死んでんじゃん。
「そもそも、東雲さんって何? 蛍って呼んで!」
「でもね。私達、まだ知り合って5分だよ」
「……ふぅん」
あれ? なんか地雷踏んだ?
「し、東雲さん、あのね――」
「会社、大変でしょ?」
嫌な空気を誤魔化そうとしたけど、向こうから遮るように割り込んでくる。
「……うん」
「クズ上司に2度と会いたくないでしょ?」
「まぁ、うん」
「人生辛いでしょ?」
「そりゃね」
「楽をしたいでしょ?」
「できるならね」
「じゃあ、雫ちゃんの人生ちょうだい? 全部叶うよ!」
「……いや、そうはならんでしょ」
「ちっ! 少し酔いが覚めてきてるか……」
「あぅ、へ?」
コロコロ変わる顔を見ていると、頭がバグる。
正直、状況の変化に全くついていけない。
まぁ、多少は覚めてるとはいえ、酔っているのもあるけど。
「わかった。とりあえず、この瞬間だけは諦めるよ。まずは、友達から始めよう?」
「まぁ、それなら」
よかった。結構あっさり諦めてくれるらしい。
そこそこ普通の関係から始まりそう。
まぁ、人生を買いたいとか人のこと所有したいとか、どう考えてもおかしいし。
あっ、有名人の友達とか東京っぽい。
ちょっとだけ、テンション上がってきた。
「じゃあ、雫ちゃん。これ!」
私には、その取り出された一升瓶が光り輝いて見えた。
「に、日本酒……」
貧乏人の私にはよくわからんけど、みるからに高そう。
「そう! お酒好きでしょ? 社会人になってから毎日のように飲んでるもんね。とりあえず、お近づきの印にでも!」
「……えぇっと」
確実にヤバそうな、それも芸能人からのお酒。
本当に大丈夫だろうか。
まさか変な薬とか入ってないよね。
「さ、飲んで飲んで!」
「う゛え゛ぇ。ここで開けるの?!」
「うん。むしろここで飲まないと持って帰る」
なんで、こんな私の人生が欲しいのか。
なぜ女子高生が都合よくお酒を持ってるのか。
話がどんどん入れ替わっていって、アルコールで脳が終わってる私は振り回される。
間違いなく正常な判断能力が失われていた。
「これ、いらない?」
「そんなことは……、ないけど」
何故か用意されてる陶器製のコップに、お酒が注がれていく。
でも、ここは駅の中だ。
私は礼節を重んじる社会人で大人。
マナー的にもこれはいけないことなんだよ。
でも、せっかく用意してくれたし。
このウルウルとした瞳で上目遣いとかされたら……。
私は生唾を飲み込む。
「……いただきます」
まぁ、誘惑には勝てないよ。
酔ってる今の私は正常ではない。
そういうことにしよう。
「どーぞ!」
笑顔で手渡される。冷たくて気持ちいい。
私はそのコップに口をつけて、少しずつ飲み込む。
「美味しい……」
一口飲んだら、美味しすぎて理性が飛びかけた。
「よかった! はい、つぎどうぞ〜」
何とか抑えようと心と格闘したけれど、止まることなく注がれるお酒を全部流し込んでしまった。
そして、なくなるたびに足されていく高級な日本酒。
ちょっとだけ覚めていたはずの酔いがどんどん戻ってくる。最終的には……。
「あははは〜」
「雫ちゃん、騒いだら駄目だよ」
「はーい!」
私の記憶はここで途切れている。
あぁ、うん。その後の事はよく覚えてない。
言われるがままに場所を移動した気もするし、しなかった気もする。
辛すぎる仕事の愚痴とか、歳下の彼女に泣きついたりとか、くだらない本音を吐き出した、のかも。
繋がってない断片が、片隅に残ってるだけ。
だけどね。
「私の人生? 売る売る〜。ほたるに買ってほしー!」
「うん、ありがとう。雫ちゃん。一生大切にするね」
この会話と彼女の眩しい笑顔は、ぼんやりと真っ白な頭の中にある。
そして、同時に思った。
なんで、貴方は私の名前を知ってんだよって。
◇
目覚めたら、上には見知らぬ天井、知らない部屋、隣には私の腕を抱きながら眠る超絶美少女。
そういえば昨日、東雲蛍さんという有名人に駅で話しかけられて……。
人生買うとか、売るとか、そんな話をした気がする。
それからどうなったっけ。記憶にない。ここ、どこ?
「痛った……」
何とか起き上がることを試みるけど2日酔いで無理。
隣ですやすや眠る、現役JK芸能人を揺らす。
「おーい……」
「うぅーん。雫ちゃぁん、おきたぁ?」
寝ぼけ眼を擦りながら起き上がる。
なにそれ、可愛い。可愛すぎる!
いかんいかん。そんなことより。
「あの、東雲さん。これは、どういう」
「昨日は蛍だったのに……。まぁいいか」
「あ、あの〜、だから」
「ん? 雫ちゃんは私のモノになったから、ここで一緒に暮らすんだよ」
ダメだ。全く会話にならん。
そういえば、なんか色々とやらかした気もする。
なら、やるべきことは一つだ。
この状況を何とかして有耶無耶にする。
相手は狂った女子高生。
こっちも狂えばなんとかなるはずだ。
「いやー、それは多分、きっと酔って口走っただけで。それに会社もあるし……、会社?」
東雲さんの肩を強く掴む。
彼女は肩をビクッと揺らした。
「今、何時!」
「……昼の12時」
彼女は部屋に掛かっている時計を指差す。
「嘘でしょ!?」
「あ! 雫ちゃん。待って! 危ないって!」
彼女の声を背に、私は本能で走り出す。
遅刻確定でも何とか足掻かないといけない。
それが社会人というものだ。
そもそも4時間以上の遅刻は、遅刻と呼ぶのだろうか。
身体は焦るが、頭の中は妙に冷静。
いや、現実を受け入れたくなくて思考停止してる。
「ヤバいヤバいヤバいヤバい!」
寝室らしき部屋を飛び出して、とりあえず玄関を目指す。
とにかく急いで会社に行かなきゃ。
また怒られて、またキモい手で身体を触られて。
このままだと、嫌なことが増えていく。
生活するためには仕事をしないと、諦めないと。
リビングと廊下を仕切るドアを乱暴に開いて、廊下を走り玄関を目指そうとした時だった。
「……え?」
突然、引っかかったような感覚がした。
何かに足をとられて、目の前に地面が迫ってくる。
「へぶし!」
気づけば、地面とキスしてる。
遠くから私の名前を叫ぶ声がした。
顔を少し動かすと、左足首には何かがつけられている。
「……くさり?」
走ってきたはずの部屋に向かって伸びている。
これが原因で先へ進めず、盛大にすっ転んだらしい。
二日酔いと合わせて、頭が締めつけられるように痛い。
なんでとか、どうしてとか考える余裕はない。
鼻を流れる温かいものが気持ち悪い。
でもとにかく、急がないと。
「雫ちゃん!」
「……か、かいしゃ」
駆け寄ってくる東雲さんに手を伸ばしながら、私は意識を手放した。
◇
「で? これはなに?」
あれから暫くして、意識は戻った。
大した怪我はなく、頭はガンガンするけどそれどころじゃない。
私は左足をジャラジャラさせながら、リビングにあるソファーに陣取る。
とにかく話を聞こう。そうしないと何もはじまらない。
「雫ちゃん、これオレンジジュース。2日酔いに効くんでしょ?」
「あっ、東雲さんありがとう」
正面で正座しながらジュースを渡してくる。
それを一気に流し込んだ。美味しい。味が高そう。
「……じゃなくて、これなに?」
危うく彼女の雰囲気に流される所だった。
「何って、鎖? 枷?」
「いや、それは知ってんだよ。なんでこんなの付けてるの? これのせいで死にかけたんだけど」
「雫ちゃんが急に走り出すのが悪いんじゃん」
東雲さんは唇をとんがらせて、そっぽを向く。
可愛い、綺麗、許しちゃう!
「とは、いかないんだよな〜」
「何が?」
「いや、こっちの話」
ぐるっと部屋を見渡してみると本当に広い。
テレビはぱっと見でも80インチ以上あるし、このリビングだけでも、私の住んでいる部屋の数倍はある。
それにドアがいくつもある。
まさに、金持ちが住んでそうなマンション。
「とりあえず、これ外してよ」
この鎖の先は一つの部屋に繋がっている。
さっき、その部屋のドアノブをガタガタやってみたけど、鍵がかかっていて開かなかった。
「なんで?」
「いや、なんでって……」
「雫ちゃんの人生は私のものになったんだから、この家から逃さないよ?」
終わった。会話のキャッチボールが成立しない。
そして、感情の死んでいる目が怖すぎる。
いや諦めるな。真っ当な大人として、この子をなんとか更生させるんだ。
「あのね、これは犯罪だよ?」
「違うよ」
「いや、違うって……」
「雫ちゃんが望んだんだから違うよ」
「いやいや……」
「そもそも、この状況を見られて困るのは雫ちゃんでしょ?」
「なんで?」
「このままだと、一人暮らししてる女子高生の家に押しかけてきて、鎖で繋がれたいって言い出した変態さんだよ?」
「なんでだよ! そっちが無理矢理――」
「それ、お巡りさんは信じてくれるのかなー」
「ぐっ……!」
確かに向こうは社会的な地位があって、こっちは底辺。
この人に監禁されましたなんて、誰も信じてくれないかも。
「か、会社とかはどうするのよ。今日、無断欠勤なんですけど! スマホ返してよ!」
こうなったら別の切り口から攻めるしかない。
私に家族はいないから心配する人はいないけど……。
喉元まで出かかったそれを口に出すのはやめた。
「辞めるから大丈夫だよ」
「何を?」
「会社」
「……は?」
「今日で雫ちゃんは会社を辞めますって連絡したから。あと部屋の解約とか、諸々の手続きはハンコ押すだけだよ」
「いや、何してんの!?」
「それに外には2度と行かなくていいんだから、スマホも要らないでしょ?」
「いるよ! 私は現代人だよ!? 必需品!」
私は分かりやすく頭を抱える。
何故だ、どうしてこうなった。
これまで真っ当に生きてきたはずなのに。
私の世間的地位は、無職でホームレスの変態まで堕ちてしまうらしい。
私が何をしたっていうんだ。
「だって、雫ちゃんがそうしていいって言ったんだもん」
「……私が?」
「うん」
「さっきから私が私がって、そんなこと言うわけないじゃん!」
「いや、言ってたよ」
「しょ、証拠!」
「……いや、見せてもいいけど」
「出せるもんなら出してみてよ!」
証拠さえなければ私が有利なのは変わらない、はずだ。
まだ高校生だし、衝動的に物事を進めてしまう気持ちはわからなくもない。
無駄にお金がある分、めちゃくちゃをやれてしまうんだろう。
大人である私は寛大な心で許してあげるべきだ。
まぁ、高校生がテキトー言ってるだけだろうし、なんとかなるでしょ。
「……後悔しない?」
「しないしない」
「ほんと?」
「証拠なんてないから、誤魔化してんでしょ?」
「うーん」
「出せるものなら、出してみなよ!」
「まぁ、そこまで言うなら」
東雲さんはリモコンに手を伸ばし、テレビの電源を入れる。
「……本当にいいの?」
「いいからはやく!」
もう、時間稼ぎは通用しないぞ。
はやくボロを出させて穏便に事を済ませよう。
「後悔、しないでね」
大きなテレビには、このリビングが映し出されていた。
今、私が座ってるソファーに東雲さんと私。
なんか、本能的にヤバい気がした。
「ちょっ、まっ……!」
東雲さんは私の静止を無視して再生ボタンを押す。
『ほたる〜』
『どうしたの?』
ん?
『ん〜! しゅきしゅき〜!』
『雫ちゃん、私もだよ』
ん? ん? ん?
『ほたる〜、ちゅーしよ! ちゅー!』
『んー、だめ』
『なんでなんでなんで!』
そこに映っていたのは、東雲さんに猫撫で声で頬擦りし、抱きつきながらキスを拒否され、ばたばたと駄々をこねる私らしき人。
『じゃあ、私に雫ちゃんの人生売ってくれたらいいよ』
『私の人生? 売る売るー! ほたるに買ってほしいー!』
『うん、ありがとう。雫ちゃん。一生大切にするね』
女子高生に頭を撫でられ、満足そうに目を細めて笑う私。
『雫ちゃんの人生は私のものだから、仕事とか煩わしいものは全部辞めるでいいよね?』
『うん! もう全部イヤ!』
『手続きと署名は全部やるから、ハンコは押してね』
『うん! ……ねぇ、もういいでしょ?』
『全く甘えんぼさんだな〜』
私と東雲さんの顔が近づいていく……。
「今すぐにとめろぉぉぉ!」
私は立ち上がって叫んだ。
「うわっ、雫ちゃんうるさいよ」
「んだよこれ!」
証拠云々よりも、まずなんで私は女の子とキスしようとしてるんだよ。
いや、もうしたのか? 事後?
いくら超絶可愛いとは言っても女の子だし、ありえない。ありえないよね? ね?
「昨日あったことを録画してただけだよ。ね、ちゃんと言ってたでしょ?」
「いや、確かに言ってたけど!」
「なら何も問題ないじゃん」
「で、でも、この時は明らかに酔ってるし……、問題はそこだけじゃなくて……」
「もう、わがままだなー」
なんで私が悪いみたいになってるんだ?
てか、あれ?
「……え?」
なんか、クラっとしてしまった。
見えている世界がぐわんぐわんする。
突然立ち上がってしまったからだろうか。
気づけば、またソファーに座っている。
「雫ちゃん、大丈夫?」
「……え、うん」
東雲さんは正座をやめ、いきなり距離を縮めてきて、私の頬を右手で摘む。
視界が東雲さんでいっぱいになった。
「雫ちゃんは私のモノだよ」
「ふぇ? うぇ……?」
状況が飲み込めなくて、更には物理的にうまく喋れず、間抜けな返事をしてしまう。
なんか、今までとは雰囲気も、声のトーンも全く違う。
その冷徹な表情と低い声に恐怖を覚えて、何も言えなくなる。
蛍に感情も心も、全部を飲み込まれてしまいそう。
そして、今度は優しく抱きしめられた。
「辛かったね。寂しかったね。これからは、ずっと私が一緒だから」
「……うん」
天使のように優しい、全身が包まれるような声。
こんなはずじゃないはずなのに、そうしたいって気持ちが心を覆う。
隠してきた本音が引き出されていくような。
私はこれ以上、誰かに捨てられたくない。
「私には雫ちゃんが必要なの」
「うん」
「だから、雫ちゃんの人生を私にください」
「……はい」
ようやく蛍の顔が見れて安心する。
「よし、いい子いい子。私が一生幸せにするから……」
「うん」
誰もを虜にするような、慈愛に満ちた笑顔で頭を撫でてくれる。
わけわからないけど、涙が出てくる。
あぁ、なんか、もういいかな。
こんな素敵な人が私みたいなのを欲しいなんて、きっと奇跡だ。
どこからか取り出されたクリアファイル。
そこに入っていた紙が机の上に置かれていく。
「じゃあ、これにハンコ押していってね」
「うん」
そして蛍は、私が書類にハンコを押すところを撮影してる。
もう逃さないと言う事なんだろう。
でも、どうでもいい。
なんかフラフラするし、考えるのも面倒だ。
数枚の紙に捺印し終わると、強烈な眠気が襲ってくる。
今日はずっと寝ていたはずなのにどうしてだろう。
「えらいえらい、よくできました。後は私がやっておくからね」
「うん。ありがと」
「雫ちゃん、ねむい?」
「……うん」
頭に触れる、蛍の手が気持ちいい。
もう、どうでもいいや。
私の存在価値なんて、人間社会にとっては数枚の紙程度でしかない。
もしもこれが消えてしまったら、私を人間だと認めてくれる人は何人いるのだろう。
だけど、蛍は私を必要としてくれる。
だって、こんな私を大切なお姫様のようにベッドまで運んでくれて、優しく布団までかけてくれた。
これだけで私には十分だったから。
「おやすみ」
「……ほたる、おやすみ」
私は意識を手放した。
その夜は久しぶりに、幸せな夢を見られた気がする。
JK、OLをかう qay @tarotata
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