第30話
東京――きらびやかな街並みに隙間なくできる雑踏。夜になっても街の灯りは消えることなく、至る所でどんちゃん騒ぎが起きている。東京に対する知識の少ない僕が抱くイメージだ。
最後に行ったのは、希と同じく中学校の修学旅行。その時は、自由行動という散策の時間はほとんどなく、国会議事堂を訪れて偉そうな人の話を聞いたり、よく分からない工場の見学をしたり、あとは王道であろう上野動物園を巡ったりなど、ほとんど社会科見学だった。
修学旅行で回ったところはどこも紛れもない東京ではあるのだが、僕の思い描く東京を、その時は感じることが出来なかった。
田舎で生まれて都会をほとんど知らないまま死んだ僕の目に、今の東京はどのように映るのだろうか。
電車に乗り、景色が目まぐるしく移り変わるうちに、途端に実感が湧いてきた。きっと、大人になってしまえば分からない感覚。でも、子供では体験できないこと。大人と子供の狭間である今だからできること。
「うわー! 私たち、本当に東京行くんだね!」
隣に座る彼女も高鳴る胸を抑えられていないようだ。しきりに新幹線の中を見回したり、外の景色に視線を巡らせている。
「ちょっとワクワクしてる?」
彼女が覗き込むようにして聞いてくる。からかっているような、共感を求めているような視線を、僕は直視できなかった。
「まぁ、少しは」
「うっしっし。そりゃそうだ! あー、田舎っぽさ出さないようにしないとなぁ。上向いて歩かないように! とか」
「それなら、まず服買いたいかな。こんなダサい制服なんて、まさに田舎って感じじゃん」
「確かに。それじゃあ、私が幽霊くんをコーディネートしてあげるよ!」
「いや、大丈夫」
「なんだい、その反応は。これでも、雑誌とかはよく見るから大丈夫です! 男の子の服とかあんまり分からないけど、私のセンスに任せてよ!」
大袈裟に胸を張る彼女に少しの不安が残るが、彼女が楽しそうならそれでいい。今は、本当にそう思える。
「それより、旅といえば駅弁だよ幽霊くん! 私、鯛めし。幽霊くんは?」
彼女の問いに答えることなく、駅で購入した弁当を目の前に出す。
「ありゃりゃ、幽霊くんも鯛めしか。被っちゃったね。食べさせあいっこ期待してたんだけどなぁ」
「駅弁といえば、鯛めし以外考えられないでしょ」
「まぁ、それは私も大いに同感だけどね」
しばし、他愛もない会話を広げながら、食事をとる。食べ始めが一緒ならば、食べ終わりもほぼ同時だった。
「む、幽霊くんも梅干し残してるね。嫌い?」
二つの空の弁当箱には手が付けられていない小梅が、ころころと振動で転がっている。
「梅干しのあの顎がキュウってなる感じが苦手」
「ありゃま、嫌いな理由まで一緒だ。真似しないでよね」
「いやいや、僕の方が十年も先に生まれてるから」
なんでもない自虐交じりの会話を繰り広げているうちに、外の景色は山海から徐々に建物が多く見えるようになってきた。窓の外を見渡しても山や海なんか一切なく、ひたすらコンクリートのビルが乱立している。
その光景に何とも言えない多少の不安と、大きな興奮を覚えずにはいられなかった。
車内アナウンスが『品川』を告げる。
「つ、着いたー!」
既に降りる準備万端の彼女もまた、僕と同じような胸の内なのだろう。
新幹線がゆるやかに減速し、そしてホームで止まる。
新幹線を降り、なぜか二人揃って自分達が乗って来た列車を見送る。
「着いて早々だけど、私たち帰れなくなったりしないよね?」
「大丈夫――だと思う」
「歯切れ悪いなぁ。でも、そんなこと気にしてても意味ないし、とにかく着いたー!」
彼女の突然の伸びに周りの視線が少しだけ集まる。
「ちょっと、いきなり田舎者出さないでよ」
「あっ、ごめんごめん。じゃ、行こっか!」
彼女は僕の手を取り、弾むような軽い足取りで歩き出す。
この胸の高鳴りと息詰まる感覚は、東京に来たという興奮だけだとは思えない。しかし、今の僕にはこの感情を表現するだけの経験も知識もなかった。
駅を後にして、僕らはまず服を見繕うことにした。流石に田舎のダサい制服のまま東京を練り歩くのは精神的に辛いものがある。
彼女は僕を目一杯コーディネートしたかったようだが、こっぱずかしくて結局、大型のチェーン店で服を買うことにした。
小一時間、彼女の選んで来た服に対してぼんやりとした感想を垂れ流し続けた末、ようやく僕らは店を後にする。
中央にロゴの入った白のTシャツに黒いスキニー。靴は黒を基調としたシンプルなスニーカー。
「よし、かっこよくなったじゃん! あれだね、あんまり都会ぶらない服装ってのが大事なんですよ」
大方、雑誌からそのまま持ち出したであろうそれっぽいことを言いながら、コーディネートをした彼女は満足げに頷いている。
新品の靴の硬さに違和感を覚えつつ、お手洗いから戻って来た彼女の服装を見つめなおす。
「一応、お礼は言うよ。ありがとう。だけど、どうして君まで着替えているの?」
彼女もまた、店に入った時とは一式違う服装でいる。僕の服と色違いの黒のTシャツに白のロングスカート。靴は僕のと全く同じやつだ。
「まー、まーいいじゃん。私、カップルコーデが密かに夢だったの」
その場でくるっと回転して見せる彼女。
「今更とやかくは言わないけど、君のそういう行動にも慣れて来た自分が怖いね」
「甘いなぁ。これでもまだセーブしてるんだよ。私が本気を出したらすごいんだからね!」
ビルから照り返した夏の日差しに照らされる彼女の笑顔はとても輝いていた。けど、そんなこと素直に口に出せるわけもなく、彼女の服装の感想と共にそっと目をそらした。
しかし、彼女は意地悪く視線に入り込むように僕の横について上目遣いで見つめる。
「さっ、次はどこに行く? まだ一日は半分残ってるよ!」
「んー、とりあえず歩きながら考えよっか」
そのあとはぶらぶらと人の流れに身を任せて街をふらついて、彼女の希望で渋谷や原宿といったいかにも若者の集まる場所を巡る。
「どこも人が多いね。さっきのなんだっけ? あの一本道」
「竹下通り?」
「あぁ、それ。あそこは人が多すぎて何回幽霊くんを見失ったか分からないよ」
そんな会話をしている今も、人がやたら多くてちょっと目を話せば互いに見失ってしまいそうだ。
「はぐれたら本当に困るからね。僕、携帯持ってないし」
「ちなみに私はお金を持っていません。えっへん!」
「僕が払うとは言ったけど、ちょっとは持って来ておけばよかったのに」
「大丈夫、大丈夫。最悪、はぐれたらここら辺に戻ってくるようにするよ」
彼女と僕の間に人が通り、一瞬彼女が視界から消える。そして、すぐにまた姿が見える。
彼女もこちらを見ていたようで、不意に目が合う。僕は目をそらすが、彼女はこちらを見たままだ。
むずがゆくて、無言で彼女の手を取る。一瞬、力なく添えられた手が、ぎゅっと握り返してくる。
「はぐれたら、危ないから」
少し強引すぎた気がして、手を離そうとすると、より一層握り返してくる力が強くなった。
「ん……そうだね」
珍しくおとなしい返答に視線を向けると、今度は彼女が目をそらす。夕暮れに映える彼女の頬がほんのり色づいているのは、暑さのせいだろうか。
そのまま会話は途絶え、しばらく無言で歩いた。周りの喧騒にポツンとできた無音の場所。でも、不思議と苦ではなかった。
「あっ!」
突然、隣を歩く彼女が大きな声をあげる。
こちらを向く彼女は引きつった顔で、僕を見つめた。
「今日、どこに泊まるの?」
「……あっ」
休みシーズン真っ只中の東京。時刻は十八時を回っている。
すっかり失念していた。
どうやら、簡単に一日は終わってくれそうもなかった。
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他サイト様主催スターツ出版大賞最終選考作品の加筆・修正版です。
旧名「夏色リバイブ」
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