第31話

「すいません。今日、そちらのお部屋って空いてたりしますか? ……あー、わかりました。ありがとうございます」


 スマホを耳から離し、コンビニの壁に背を預けてため息をついた。じめじめと暑い淀んだ空気が代わりに身体を巡る。都会は本当に空気が不味い。深く息を吸うと人工的な臭いが混ざっているのがよくわかる。


「どうだった? って聞くまでもなさそうだね」


 ちょうど希がコンビニから戻ってくる。手には二つに割れるタイプのアイス。差し出されるがままに片方を受け取り、代わりにスマホを返す。


「やっぱり、このシーズンはどこも埋まってるね」


「まーまー、まだ外うろついてる人もたくさんいるし、大丈夫だよ。さすが都会だね」


 泊まるところを予約していなかったことに気づいた時は焦っていた彼女は、今ではやけに落ち着いている。その代わり、僕が非常に焦っているわけだが。

 もう夜の二十時を回ろうとしているにも関わらず、行き交う人の数は減らない。むしろ、仕事終わりのサラリーマンなどのせいか、若干増えているようにも感じる。

 田舎でこの時間に僕たちが出歩いていようものなら、結構目立ちそうだが、ここではそんな心配はあまりしなくてよさそうだ。


「このまま行くと本当にネカフェとかになるんだけど」


「私はそれでもいいけどねー。ネットカフェとか満喫なんて地元にはないじゃん? ちょっと気になるよね。でも、そういうところって夜は年齢確認するらしいよ」


「マジか……」


「マジなのです。たぶん、ビジネスホテルとかそういうところもされると思うんだよね」


 アイスを持つ方とは別の手を顎に当て、遠くに見えるビジネスホテルを見る彼女。


「完全に詰んでんじゃん……。今の状況」


 彼女も僕も一応見た目は十八歳だから、ぎりぎり大学生に見られてもおかしくはないのだが、それ以前に部屋が空いているホテルがないのだからどうしようもない。


「うーん。どうしたもんだろうか」


 頭を抱える僕を不思議そうに見る彼女。


「いやいや、年齢確認されずに空いてそうな場所なんていっぱいあるじゃん。ほら、そろそろ行こうよ」

 

 そういうと、彼女はひとりでに歩き出した。


「えっ? だから、この辺のホテルは粗方電話してみたんだって」


 まだまだ元気な足取りで前を行く彼女に追い付く。


「むー、幽霊くんだって本当は分かってるでしょ」


 思い当たるような施設はあるといえばある。そうは言っても、実際に利用したことなどあるわけもなく、地元にも噂される程度の建物しか知らなかった。


「いや、さすがにそういうのはマズいでしょ」


「散々同じ屋根の下で夜を明かしてるんだから、いまさら関係ないでしょ。幽霊くんと行くなら世界一安全だと私が保証するよ」


「なんか、甲斐性なしみたいな言い方されてる気分なんだけど」


「あはは、そうかもね」


 彼女が嫌な気分になるかと思って避けていたが、彼女はそんなこと全く気にしなかった。何にせよ、一晩中彼女を歩かせる羽目にならずに済んだようだ。



「わぁー、すごい! めっちゃ豪華じゃん!」


 部屋に入った途端、彼女は子供の様に無邪気な歓声を上げた。僕はそのテンションとはかけ離れた安堵の息を吐く。僕たちが入ったは受付などは無く、パネルで部屋を選択して出るときに清算するタイプのものだった。

 途中、廊下で若い男女とすれ違ったが、特に見向きもされなかった。


「ほら、幽霊くんも早く来なって! ベッド大きいよ!」


 部屋の中央に大きなベッド。天井にはお洒落なシャンデリアと、点灯していない小さなスポットライトが何個か。壁に埋め込まれた大きめのモニターに硝子製のテーブル。僕の想像する豪華なホテルの部屋だった。

 もっと、きらびやかでネオンな雰囲気というか、目がちかちかするような場所だと思っていたが、実際はそんな雰囲気は一切感じられない。


「すごっ! ジャグジーだ。初めて見た!」


 一人部屋中をウロチョロする彼女に少しだけ気を取られつつも、ベッドに身体を投げ出した。身体的疲れは一切感じていない。しかし、精神的にはだいぶ疲れていたようだ。

 十年越しに感じる、身体がいくらか沈み込む感覚。そういえば、こっちで目覚めてからというものの、寝転がるときはいつも硬い場所だったことを思いだす。

 懐かしさと同時に暗い病室を思いだして、すぐに身体を起こした。


「うひゃー。想像以上の豪華さだね。雑誌で見た以上だよ」


「雑誌にこういう場所のこと書いてあるんだ……」


「SNSとかだと、もっと水族館みたいな場所とか、お洒落なやつも流れてくるんだけどね。実際に入ってみると、そういう奇抜さはないけど、そこらへんのビジホとかよりは全然お洒落だし広いし、大満足だよ!」


「まぁ、全く同じ感想ではあるけど」


 その後、彼女は浮かれ足でお風呂場に向かっていった。微かに聞こえてくるシャワーの音とたまに聞こえてくる彼女の驚いたり、浮かれた独り言。

 盗み聞きしてるようで申し訳なくなり、テレビをつける。これも思春期の男子の噂話ではあるが、こういった場所のテレビは、いかがわしい内容のものしか映らないとかいう話を思いだして少し焦った。しかし、実際はそんなことはなく、普通のテレビ番組も映った。

 こんな場所で感じるのも不本意ではあるが、大人にならないと知りえないこともたくさんあるんだなと痛感した。もっと広い世界を、たくさんのことを見て、体験することができたに違いない。子供のころに夢見ていたことや友達との間で噂していたことを確かめられたはずだ。

 だからこそ、じわじわと悔しさがこみあげてくる。ほんの数週間前は早く死にたいとしか思っていなかったのに、どうして今になってこんなにも悲しくて、胸が苦しいんだろうか。


 気が付くと僕の手に彼女の手が重ねられていた。顔を上げると、バスローブに身を包んだ彼女が心配そうに僕を見つめていた。濡れた髪に火照った肌。大きな瞳に意識が吸い寄せられる。


「いくら呼んでも返事がないから。大丈夫? 疲れちゃった?」


「ちょっと考え事をしてただけだよ」


 作り笑いだとバレただろうか。

 きっと、バレてる。

 でも、彼女は追及しない。僕がされたくないと分かっているから。


「そっか」


 彼女は優しく微笑む。やっぱり、それ以上は何も聞いてこなかった。


「せっかくだから、僕もお風呂入ってみようかな。本当は必要ないんだろうけど」


「おっ? 美少女の残り湯に入るなんて幽霊くんも男の子だったんだね」


「何馬鹿言ってるんだか」


 シャワーも湯船も熱いのか冷たいのか一切分からなかった。しかし、渦巻くもやもやが水と一緒に流れ落ちていく、そんな気がした。


 着ることに若干の抵抗を覚えるが、一日着続けた服をまた着ることは抵抗があったため、仕方なくバスローブを羽織って脱衣所から出る。

 先にお風呂に入った彼女は、ここに来る前にコンビニで買いこんだお菓子やお酒をずらりとテーブルに並べ終えて満足そうにテレビを観ていた。


「およ。やっぱり男の子のお風呂は早いね。ちゃんと入った?」


「……多分? 熱いのか冷たいのかも分からなかったけど」


「そりゃ、もったいない。まっ、温度が分かったところで幽霊くんの性格なら大した感想は出て来なそうだね」


 濡れた髪をガシガシと乱暴に拭きながら隣に座る。彼女は肩にバスタオルを羽織っているものの、髪はまだ艶が強く残っており、先端から水滴が今にも滴り落ちそうだ。


「髪、ちゃんと乾かしなよ。風邪引くから」


 すると彼女は、待ってましたと言わんばかりの速度でドライヤーを銃のようにして僕に向ける。


「幽霊くん、乾かして!」


 家ではしっかりとドライヤーをかけた状態で風呂から出てくる彼女だ。きっと、このシチュエーションをさせたかったのだろう。


 ――自分でやりなよ。それくらい。

 喉から出かけた恥ずかしさを隠そうとする言葉を飲み込み、ドライヤーを受け取る。

 彼女は意外そうに目を丸くしている。


「ありゃ、素直じゃん」


「ほら、後ろ向いて」


 彼女は肩を左右に揺らしながら、言われたままにする。

 二人には若干広すぎる空間に、テレビから聞こえてくるガヤの声とドライヤーの音だけが響く。

 かれこれ五分くらいずっと無言だ。彼女にしては珍しい……なんて言ってしまえば失礼だろうか。


「耳赤いけど、熱かったら言いなよ?」


「……ん、分かった」


 またしばしの沈黙。

 最初は強張ったように力が入っていた肩の力も抜けたようで、彼女は僕の膝に軽く身体を預けている。


 それにしても、同じ人間とは思えないくらい髪質が違って驚く。一本一本がとても細く、少し引っ張ったら簡単にちぎれてしまいそうだ。束ねると――こういうのは天使の輪って言うんだったか、光の波が出来る。


「髪、綺麗だよね」


 自然とそんな言葉が出ていた。


「そうかな? ちょっと……ううん、かなり嬉しい、かも」


 会話が続かない。

 いつも彼女から話を振ってくることが多いから、彼女が口を開かないと、必然と会話が少なくなる。


「なんか、静かじゃない? 耳赤いし、体調悪かったりする?」


「う……」


「う?」


「う、うるさいなー! 恥ずかしいだけだよ! 普通、女の子は男の子に髪を触らせません! そういうこと!」


「どういうこと……?」


 また、しばしの沈黙。しかし、少しは話しやすくなったのか、今度は彼女から言葉が飛んでくる。


「それにしても、幽霊くん髪乾かすの上手いね。こなれている感じがするというか」


「あぁ、たまに彼羽の――あ……なんでもない」


 突然、彼女が振り返る。ふくれっ面で僕に軽くデコピンをする。


「デリカシー! でも、幽霊くんにしては珍しく自分で気づくことができたみたいなので、許します」


「そりゃ、どうも」


 彼女の髪を乾かし終わると、また昼間のテンションが再来したかのように、疲れを一切見せない彼女主催の宴が始まった。

 未成年の飲酒は禁止されているけど、どうにか今日くらいは許してほしい。

 大きなモニターでテレビを見ながら二人で笑い、トランプをしては二人で笑い、備え付けのカラオケで僕が歌えば彼女が笑う。

 テーブルからお酒の姿が次々に消えてゆく。


「ねーねー、次ババ抜きで勝ったほうが、負けた方に何か命令できるってことにしよ!」


 彼女は突然の賭けを持ち掛けてきた。


「命令って……特に思いつかないんだけど」


「なんでもいいんだよ? ちなみに私はもう決めてる。二つ」


「一つじゃないのかよ」


「一つなんて言ってないよ。何個でも」


 僕の承諾を得る間も無く、彼女は、カードの山札を器用に二等分して半分を渡してきた。


「ふふーん、絶対に勝つよ!」


 強い意気込みと同時に僕の山札からカードを取る彼女。得意げに二枚のカードを二人の間に投げ捨てる。

 いまいち、状況が飲み込みきれないが、何も考えずに彼女の山札からカードを一枚抜き取った。

 五分後、僕の最後のカードが中央に積まれたカードの束の中に投げ入れられる。


「負けたー! ババ抜きなら完全に運なのにー!」


「運も無かったってことでしょ」


「むー、まっ勝負は勝負だからね。さぁ、なんでも命令しなさい」


 随分と赫らんだ頬の彼女は新しい缶を手に取り、カシュっとプルタブを立てる。


「そう言われてもなぁ。じゃあ、君が勝った時に僕に命令しようとしてたことを教えて」


「そんなことでいいの? 勿体無くない? 本当に甲斐性なしだなぁ」


 彼女はぐいっと缶を煽る。


「えっと、私が命令したかったことだよね? 一つはねー、頭を撫でなさい」


「いや、割とそっちもそんなことって感じだけど。それで、もう一つは?」


「もう一つは……。やっぱり言わない!」


 彼女はそっぽを向いて、トランプを片付けはじめた。


「あっ、せこい!」


「忘れちゃったんですー。思い出せないから、しょうがないね!」


 二つ目の命令したかったことははぐらかされてしまった。気になりはしたものの、きっとなんて事のない命令だったのだろう。

 それから一時間程経っただろうか。テーブルにずらりと並べられていた食材たちはほとんど消え失せていた。


「うーん。良い気分だー。ねー、幽霊くん」


 明らかに目が据わっている。そんな彼女にふっと笑いが溢れた。

 僕は当たり前だが、どんなにお酒を飲んだとしても酔うことはない。


「ほら、そろそろお開きにしよ。明日も早いんだから」


「えー、まだ楽しむ!」


 その言葉と裏腹に彼女は力なくテーブルに突っ伏した。なんとか彼女を促してベッドで寝るように誘導する。

 ここからはいつも通り一人の夜が始まる。


「んー、幽霊くんも寝なきゃ駄目。はい、隣に来なさい!」


 だいぶ酔っているのだろう。彼女は目を閉じたまま僕の袖をグイグイと引っ張ってくる。

 しばらくしても離しそうになかったので、仕方なく彼女とできる限り間隔を空けてベッドに潜り込んだ。僕がベッドに入ったことが分かったのか、彼女は袖から手を離す。


 彼女が完全に寝たら、そっと出るとしよう。

 窓の外はぼんやりとネオンに色づいている。いつもとは違う外の景色に色んなと想いを馳せる。

 ふと、背中にコツンと彼女がぶつかってくる。寝息が近くで聞こえて無いはずの心臓が軽く跳ねる。どうやら、だいぶ疲れていたようで、すぐに寝てしまったようだ。

 そろそろベッドから出ようとしたその時、彼女が呟く。


「言えるわけないじゃん……」


 思わず振り向くと、彼女はやっぱり寝ていた。どうやら、寝言のようだ。それでも、僕の動きは完全に止まった。

 彼女は目をつぶっていても分かるくらい、ひどく悲しそうな表情をしていたから――。


「消えないで……」


 胸がひどく痛んだ。

 色んな感情がごちゃ混ぜになって、息苦しい。

 どうしようもなく溢れ出す感情の波に無理やり蓋をした。

 彼女を抱きしめて、頭をそっと撫でる。

 彼女の頬に一筋の涙が伝った。


「僕も、命令。……どうか、僕を忘れないで」


 こんなこと言っては駄目だと分かっている。


 ――四日。


 脳裏に無情な数字が響いた。


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他サイト様主催スターツ出版大賞最終選考作品の加筆・修正版です。

旧名「夏色リバイブ」


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