第6話 りほの秘密
りほとの再会を果たした松阪だったが、りほが以前と少し雰囲気が違っていたことに戸惑いがあった。今までは可愛い系だと思っていたのは、キレイ系に変わっていたからだ。イメージが違ったからなのか、少し自分の中でリアクションがいつもと違うことが分かった。しかも、落胆していることが分かっただけに、どうしていいのか分からなくなっていた。
思い出すのが小学生時代、確か三年生の頃だっただろうか。好きだった女の子がmイメージチェンジしてきたことがあった。
お互いに、物静かなタイプで、それがゆえにお互いに惹かれたのかも知れないが、
「相手の気持ちは手に取るように分かる」
とまで思ったほどだった。
相手のことが分かるのは、
「普段から、自分のことを隠そうとしてしまうからだ」
と思っていた。
恥ずかしさから、自分を表に出そうとしないと、同じように引っ込み思案の人の気持ちが分かる気がしてくる。それはむしろ、引っ込み思案な自分だからこそだという思いと、
「俺が分かってなければ、他の人に分かるはずはない。何しろ、これだけが取り柄と言ってもいいくらいだから」
という、何か矛盾した考えだが、雰囲気とは違った内面を持っていることで、それが自信につながるというのは、往々にしてあることではないかと思うからであった。
小学生の頃、その子を見ていて、雰囲気から来るその顔が実に自分にとっての理想通りであり、その理想がもう一度、雰囲気に引き戻され、そこで彼女の性格を確定させるのだった。
だから、小学生の頃から、
「見ただけで、相手の性格が分かる気がする」
と思っていた。
ただし、これは女の子にだけ言えることであり、小学生の頃は分からなかったが、中学生になって思春期になると、
「これが、異性に対しての感情というものなのだろうか?」
と、感じるようになったのだ。
小学生の頃は、異性への感情がなかったので分からなかったが、もし、あの頃、異性とう意識があれば、もっと違った感情になっていたことだろう。
彼女の雰囲気が変わったことで、明らかに落胆してしまった松阪は、その感情を表に出してしまい、彼女の気持ちを傷つけてしまったに違いない。
彼女から遠ざかってしまったのは、本当は、落胆してしまった自分を、彼女が嫌いになったのではないかという思いからだったが、たぶん、何も知らないまわりは。
「松阪が、相手を傷つけたんだ」
と思われていたに違いないと思った。
実際に、その頃から、まわりの目の厳しさを感じた。
女の子からの視線の冷たさに、動揺してしまい。さらに、女の子というものが分からなくなってしまった。
それはそうだろう。
お互いに引っ込み思案な二人が仲良くなった。それが、彼女が髪型を変えてきたというだけで、明らかに遠ざかってしまった男に対して、
「あの男は、彼女の顔だけがよかったんだ」
と思われても仕方がないだろう。
そんな態度を、
「露骨だ」
ということは、思春期ではない女の子であっても、察しが付くというものだ。
しかも、小学三年生というと、女の子の発育は、そろそろ芽生えてくる頃だ。
「男に比べて、女性の方が、子供の頃は、発育が早い」
と言われている。
背が高い女の子も多く、体格も明らかに男の子よりも、発達しているのがよく分かる。すでに大人びた女の子もいるくらいだ。
松阪は、そんな女の子たちを意識して怖がっていた。その視線が怖いと思っていたのだ。だからこそ、引っ込み思案な彼女のことが気になったのかも知れない。彼女に関しては、発育を意識することもなく、完全に自分の味方だという意識があったのだった。
そんな昔のことを思い出してしまっていた松阪のことを知ってか知らずか、りほは何も分かっていないかのように微笑んでいた。その表情は素朴であり、ただ懐かしいと思っているとしか思えないほどだった。それを見た時、ホッとしている自分がいることに、松阪は気が付いたのだった。
「本当に久しぶりだね」
一年ちょっとの期間をかなり長かったと思っていた松阪だったが、
「ええ、そう? 一年ちょっとしか経っていないわよ」
とりほが言ったが、それを額面通りに受け取った松阪だったが、りほは、そうではなかった。きっと、松阪が少しでも違った言い方をしていれば、
「ちょっとしか経っていない」
というような表現はしなかっただろうと思うのだった。
松阪にとって一年という期間をどう考えるか。それは、
「近いものから見る距離と、遠くから見る同じ距離とでは錯覚からなのか、違って見える」
という感覚だったのだ。
時間という概念をっどう表現していいか分からない松阪は、時間を距離で頭の中に思い浮かべたりしていた。
この感覚は、一日と、一年という感覚に似ている。これは、昭和の時代に子供時代から思春期と過ごしてきたからこそ感じるものであって、キーワードは、「アナログ時計」であった。
一日は、24時間だが、それを表すのに、アナログ時計では、12の時間と刻んだ形式になっている。もちろん、午前と午後があるわけなので、一日に時計の長針は、二回転するわけだが、「12」という数字は、一年の月の数に匹敵する。
つまりは、一年という季節を、アナログ時計をイメージすれば、考えられるというわけで、
「時間をイメージする時だって、アナログ時計を頭に思い浮かべるのだから、一年のそれぞれの月だって、時計をイメージすれば、簡単に考えられるのではないだろうか?」
というものであった。
そのことを考えていると、
「一日だって、一年だって、秒という最小単位を使って、規則正しく時を刻んでいるのではないか」
と考えていたのだった。
だから、松阪は時間を大切にしようと思っていた。ただ、大人になるにつれて、
「感情によって、時間の感覚がまったく違ってくる」
ということが分かるようになってきた。
それは明らかに大人になっているからであって、それだけ、
「感情の起伏が激しくなってきた」
というべきか、
「その起伏にやっと気づくようになってきたからだ」
というべきなのか、自分でもよく分かっていなかったが、明らかなこととして分かっているのは、
「楽しい時はあっという間に時間が過ぎていき、苦しいことや悲しいこと、そして楽しいことを待っている時などは、時間がなかなか過ぎてはくれない」
ということだった。
逆に言えば、
「楽しい時は時間が早く過ぎるが、それ以外の時はなかなか時間が経ってくれない」
ということである。
時間は、誰にとっても、皆に平等なのに、その人の感情だけで、こんなに違ってくるということを日ごろから考えていたので、自分の書く小説に、時間に対しての感覚ということをテーマにしたりする話が多かったりするのだ。
だからといって、それがすべてSF系というわけではない。
「SFの発想をエッセンスにしたミステリーがあったとしてもいいのではないか」
という考えもあることから、タイムパラドックスについて、考えるようになったのも、今から思えば、必然的なことだったのかも知れない。
そんなことを、りほを目の前にしたその時も、頭のどこかで考えている自分がいて、意識は、頭のど真ん中で考えているような気がしたくらいだった。
懐かしさの走馬灯が、頭の中で巡っていた証拠だといえるのではないだろうか。
「りほも、似たようなことを思っているのかも知れない」
と、頭の中で考えていた。
楽しいドキドキした時間であったが、その分、どこかで頭痛のようなものが起こっていることにその時、気づいていなかったのだ。
「その頭痛が、瞬時の記憶喪失を呼び起こし、走馬灯を作り出しているのかも知れない」
と感じていた。
出会った瞬間、いろいろ思い出しながら、思い出した瞬間から、
「別の時空を見ることができたら?」
というまるでパラレルワールドを引き起こしたような気がしてきた。
「可能性というのは、無限にあるんだ」
と考えると、パラレルワールドが、
「もう一つの」
という考えだというのはおかしい気がする。
なぜなら、言葉に、
「パラレル」
というワードが入っているではないか。
ダブルであったり、アナザーという言葉ではなく、マルチやパラレルは、複数のものだからである。特に、パラレルともなると、果てしなく広がったものであることを考えると、無限という発想に近いのではないかと考えるのだった。
さらに、考えていることというものが、
「循環している」
という発想なので、何度も同じところを潜っているつもりだとしても、それは、まったく同じところを巡っているわけではないということだ。
これは以前小説に書いた発想であるが、
「同じ日を繰り返している」
という内容のものを書いたことがあったが、普通に考えれば、同じ日を繰り返すというのは、実に不思議なありえないと思っていたが、逆に、
「毎日が、繰り返しているという発想に間違いがないと考えると、少しずつ違っている毎日、今の普通に前に進んでいるという毎日の方が不思議なのではないかと思うのだ」
というところから始まった。
いろいろな考え方をしていく中で、
「循環」
という発想が、大きなキーワードをなしているのだとすれば、一日が終わって、翌日になって、その一日は前の日と違うという発想が正しく、その発想のために、
「明日という日は、少なくとも今日よりも少しずつでもいいから、進歩した日であるように努力すべき」
などという発想とは矛盾しているのではないだろうか?
人間は、前に進むもので、進歩していくものだという発想は、
「必ず、明日がくる」
というところから来ているのか、それとも、
「前に進む進歩を手に入れるために、明日というものが創造され、明日が来るのを当たり前のように考えているのではないか?」
という、二つの発想が生まれてくる。
後者は、考えてみれば、画期的な発想であり、普通は誰も考えないと思うことで、小説のネタになるのではないかと考えたのだった。
なんと言っても、循環という発想が、すべてに影響している。それは、上から見れば、循環しているように見えるが、実は立体になっていて、まるで螺旋階段のようになっているのだとすると、
「明日が必ずやってくる」
という発想もありなのではないか。
つまり、最初は、
「同じ日を繰り返している」
という発想が主流だったが、そこに立体をイメージして、螺旋階段を創造することで、今のような、
「明日は必ず来る」
という発想になったのではないだろうか。
これが、二次元から三次元への発想で、そこに時間という概念が加わることで、四次元の発想が息づいてくる。そうなると、そこに初めて、時空や時間軸を理解することができて、
「明日は必ずやってくる」
という発想に、時間軸を含めた発想となり、それが、今度は、定説になってくるのではないかというような話であった。
それを少し物語にした話だったのだが、自分の小説が、どうしても堅苦しくなり、理屈っぽいものになってきていたのだ。だが、
「そんな小説があってもいいではないか?」
と開き直っているのも事実だった。
その日のデートは、まるでデジャブだった。
「前にどこかで見たような内容だ」
というものであり、ただ、それが、
「同じ日を繰り返している」
という発想を思い起こさせたのだということに、最初は気づかなかった。
りほが口にするセリフの隅々まで、
「どこかで聞いたような」
と感じるのだ。
そんなに記憶力がいいわけではなく、
「どこかで」
としか覚えていないような曖昧なことなのに、それをセリフの一字一句まで覚えているわけもない。
それなのに、同じだったと感じるのは、覚えているからだという意識とは違うものなのではないだろうか。
つまり、デジャブというものが、
「以前に経験したと思うことを思い出しているからだ」
というのがそもそも違っていて、
「未来に起こることを予知夢としてごく最近見たのだ」
ということであれば、セリフも情景も自分が創造したものなので、意識の中に残っているとして、不思議でも矛盾でもないのだ。
創造というのは、
「自分が一から作り出したもの」
であり、想像というものは、意識がその前後を忖度し、イメージしたものだといえるのではないか、
だから、意識は自分の意志というよりも、曖昧なものだと考えていいのだと思う。だから、その時の情景を思い浮かべるのは、
「想像」
であり、
相手が感情を込めたと思う言葉は、
「創造」
なのではないかと考えるのであった。
だから、デジャブというのは、
「創造なのか? それとも想像なのか?」
のどちらかではなく、そのどちらも含め、それぞれの役割で考えられたものが、一つの感覚を生み出すといえるような気がするのだ。
その時のデートも、自分が思い描いたことがどのままであったという感覚と、覚えているという感覚がそのままであったのとは、それぞれの、
「創造と想像」
が、都合よく、うまく噛み合ったからなのではないだろうか?
「今日のデートは最高だな」
と思ったのは、最初は、
「ああしよう、こうしたい」
と思っていたはずなのに、それ以前に、目の前に現れた情景が、すべてデジャブだと思えたことが、自分の計画をすべて台無しにしたのだ。
それでよかったと思っている。
しょせん、付け焼刃な八道は相手のことを考えていないものであるが、その場に合わせた対応こそが、いわゆる、
「神対応」
であり、それが、自分の感性にピッタリと嵌っていれば、その相手が、自分にとって理想の相手であり、今後も、近づきになっていくことに、自然と育めるのではないかと思うことで、
「初めてのデートでこれ以上を望めば、バチが当たる」
と言えるのではないだろうか。
その日は、二人は同じホテルであったが、最初は別々の部屋に泊まった。さすがに、いきなりツインというのは、ハードルが高いと考えたが、その考えは、完全に二人の未来を確信してのことであり、そんな確信犯的な態度は、許されることではないと思ったのだ。
これから始まるとしても、最初は、
「親しき仲にも礼儀あり」
というものである。
一つ気になったのが、
「彼女がなぜ俺を指定して、こっちに出てくる気になったのだろう?」
ということであった。
本当は彼女の、それからを聞きたいと思ったのだが、聞くのが怖い気がする。だから、自分のことも敢えて話さなかった。自分のことを話してしまうと、相手も喋らなければいけない雰囲気を作ってしまい。
「黙っているのは悪いことだ」
と思わせてしまえば、本末転倒なことである。
だから、会話にも苦労する。本当であれば、
「あれからどうしてたの?」
というところから始まる会話が、久しぶりに会った相手に対して、一番自然なことのはずなのに、それができないというもどかしさがジレンマになってしまい、会話が進まないことをまるですべて自分が悪いことのように思ってしまうと、自分を苦しめるだけで、いいように進むわけはなかった。
となると、会話が少なくなるのは必然で、こんなに気まずい雰囲気になってしまうとは、想像もしていなかった。
いや、想像はしていた。何をどう話していいのかを考えてきたはずだったのに、それがすべて壊れてしまった。
あの、
「瞬時の記憶喪失」
によって、意識が飛んでしまい、前述のような発想が頭の中でグルグル回ってしまい、そう、まるで宇宙の果てまで行って、また戻ってきたかのような感覚である。
それを思うと、
「今日一日が、本当にあっという間だったような気がする」
と思った。
しかし、この思いは逆に、
「楽しかったということの証明ではないのかな?」
ということでもあり、
「楽しかった時だけ、その日があっという間だったような気がする」
という意識に近かったのだ。
だが、冷静に考えてみると、楽しかったというわけではない日でも、
「あっという間に一日が過ぎてしまった」
と感じることも結構あった。
考えてみれば、
「楽しかったと思う時以外が、時間が長かった」
と思うのであって、別に楽しいというわけではなかった時が、時間が長かったと言っているわけではない。
そういう意味では、矛盾はしていないのだが、何か釈然としない気持ちになるのだった。
「そうだ、一日があっという間だったと思う時というのは、ハッキリと覚えていうことと、忘れてしまったことがそれぞれ頭の中に強くあって、しかも、ハッキリと覚えていることが強すぎて忘れてしまったことを、忘れたという意識すらなくなってしまったことで、あっという間に過ぎてしまったような気がしているだけなのかも知れない」
ということは、
「錯覚なのか?」
と思えてきた。
これは夢の世界とは正反対のことで、夢であれば、覚えていることとすれば、
「怖い夢だ」
ということに、相場が決まっているかのように思えたのだが、起きている時の、
「夢のような時間」
というのは、楽しいことだけではないか。
そうでないと、
「夢のような時間」
とは表現しないだろう。
悪夢であれば、
「この世の地獄を見た」
という表現になってしまい、夢とはまったく違う感覚になるのだ。
「夢なら覚めてほしい」
というのは、あくまでも寝ていて見る感覚で、起きて見る夢は、楽しくて忘れたくない夢を、明快な記憶とともに、覚えているからなのだ。
りほの話を聞けないのは、やはり何かの消化不良のような気がしていた。それを察したのか、最初の日の、ディナーの時間に話を聞くことができた。その日のディナーは、宿泊することにしているホテルのレストランでの予約しておいたディナーだった。
しかも、最上階のスカイレストランは、まさに高級感を表していて、
「百万ドルの夜景」
と言われた街を一望できるオープンビューとなっていて、最高であった。
当時は、そんな言葉もなかったが、今でいえば、まさに、
「サプライズ」
これこそ、男冥利に尽きるというものだった。
そんな夜景の余韻に浸りながら食事をしていて、ほとんど食べ終わり、最高の満腹気分に浸っている時だった。彼女は急に話始めた。
「私がどうしていきなり学校をやめて、田舎に帰ることになったのか、そして、今日、どうして急にあなたに遭いたくなったのか、ずっと気になっていたんでしょう?」
と、りほは言い出した。
最初は、なんと答えていいのか、戸惑ったが、
「うん」
と彼女の顔をまともに見ることもできず、俯き加減で答えるしかなかった自分が恥ずかしくなった。
そんな中で、
「私ね。本当は、田舎に帰って、結婚する予定だったのよ」
というではないか。
これは爆弾発言以外の何物でもなかった。いくら、過去の話とはいえ、いまさらながらに驚いた。というよりもショックだったのだ。
りほのことを少なからず、好まざる相手だとは、思ってもいなかったからである。
いや、
「好きだった」
と言ってもいい。
その気持ちに気づいたのが、りほが田舎に帰ってしまってからのことだった。
「この寂しさはなんだ? 俺はりほのことを好きだったということなのか?」
と、なぜ、一緒にいる頃、気づかなかったのかと思った。
しかし、逆に、一緒にいる時であれば、余計に思いを断ち切ることができず、苦しんだかも知れない。その時は少なくとも、もう目の前にいないのだから、後悔するだけで済んでいるといってもいいかも知れない。
「じゃあ、あれから、田舎に帰って結婚したのかい?」
と言いながら、彼女の薬指を見たが、そこには、あるはずの指輪がないではないか?
「俺と会うために外してくれたのかな?」
と思っていると、彼女も松阪が指輪を気にしているのが分かったのか、左手を見せながら、
「ああ、これ? うん、結局結婚しなかったんだ。ゴネにゴネて、結局親も折れたというわけね。相手も、愛想を尽かせたのか、婚約にも至らなかったわ。でも、それがよかったのか、親もさすがに自分たちがしていたことが、ひどいことだって気づいたのか、それとも、諦めなのか、もう何も言わなくなったの。だって、大学をやめさせてまで結婚させようとしたわけだから、親としても、さすがにやりすぎたと思ったのか、今では、すっかり私の言いなりに近いかも知れないわ」
と彼女は言った。
その言い方は、少し投げやりにも聞こえたが、実家で、何とか暮らしているのであれば、それはそれでよかったと思った。
ただ、今の話では、半分しか答えを聞けていない。
「なぜ、いきなり田舎に帰ったもか?」
ということは聞けたのだが、肝心の、
「どうして今この俺に遭いに来てくれたのだろう?」
ということであった。
帰った事情を聴いた後だけに、余計に気になってきた。帰った事情が、かなりショッキングだっただけに、訪ねてきた理由も、それなりに、ショッキングなことに違いない。
ただ、それが果たして松阪にとって、いいことなのかどうなのか、そのことが、今度は気になってしまうのだった。
「まさか、本当は俺のことが好きだったので、この俺に遭いに来た」
なんてことであれば嬉しいが、そんなに甘いものではないような気がした。
「松阪君が懐かしいと思っていたら、この間、夢に出てきてくれたのよ」
というではないか。
どうしても、夢から離れられない運命のようだ。
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