第2話 予期せぬデート

 大学二年生の年度末試験が終わってホッとした時期のことだった。

 友達と街に出かけて、本屋や、レコード屋などを巡ってから、返り付いて少し下頃だった。

 松阪は実家を離れ、大学時代はアパートを借りて生活をしていた。仕送りを貰いながら、遊ぶお金は、アルバイトで稼ぐという。当時としては普通の大学生だったのだ。

 最初は、電話の使用権に結構お金がかかるので、一人暮らしを初めてすぐは、電話も引いていなかったが、大学一年の途中で電話を引いた。

「連絡が取れないと困るからな」

 と、特に試験の時に、情報交換できないのが大きかったことに気づいた松阪は、秋にあって電話をつなぐことにしたのだ。

 時々友達が遊びに来ていたので、電話をかけようにも部屋に電話がないことで、

「電話くらい引いてくれよ。連絡が取れないというのは不便だからな」

 と言われたものだ。

 確かに、大学に行けば、毎日のように会うと思って、意識していなかったが、試験前など、情報交換に直接会ってするしかないのがどれほど不便かということに気づいたのだった。

「俺は、夏までには電話を引くようにしたので、夏休み前の試験の時は、だいぶ助かったものだよ」

 と言っていたが、なるほど、

「電話があれば」

 と、不便さを身に染みて感じたことに後悔したのだった。

 電話がつながったことで、最初は、用もないのに連絡をしていたものだが、やはりあるのとないのではまったく違う。

 翌日に待ち合わせを控えていて、急遽相手がこれなくなったとしても、連絡の取りようがないことで、街亜合わせ場所に行って初めておかしいことに気づき、そこでやっと連絡を取ってみる。

 連絡が取れなかったことで、心配になったり、事情を察したりするが、相手からすれば、

「連絡の取りようがないんだから、しょうがないよな」

 ということである。

 電話をつなげたことで、友達との連絡が楽になった。さすがに、無用の電話はすぐに控えるようになったが、電話があると思うと、気が楽でもあった。

 なんと言っても、結構電話の使用権料もバカにはならない。今のように、携帯電話が普及し、家庭電話が姿を消していくと、家庭電話が不便で高いだけだったと思う人もいることだろう。

 特に市外局番などは大変で、最初は公衆電話しかないときは、十円を何十枚も握りしめて、夜中に公衆電話に掛けに行ったものだ。

 時に自分は違ったが、遠距離恋愛をしているやつは、夜中に十円玉を持って、公衆電話で、何十分も話をしていた。

 まだ、近くに十円しか使えない公衆電話しかなかった時は悲惨だった。

 そのうちに、テレフォンカードが出てきたことで、十円玉を大量に持っていく必要はなうなってきた。

 だが、そのテレフォンカードが普及し始めた頃に、電話を引いたというのは実に皮肉なことで、実際にテレフォンカードは持ってはいたが、それほど使ったという記憶はなかったのだ。

 部屋につけた電話機は、最初に感じたのは、

「軽い」

 というものだった。

 実家にあった家庭電話は、まだダイヤル式のもので、実に重たいものだった。

「まるで、大きな石を持っているような感じだ」

 と思っていたが、プッシュホンになると、実に軽くて、薄っぺらいものとなっていた。

 横から見ると、

「直角三角形」

 のように見えるダイヤル式の電話機は、本当に重たかった。

 ダイヤルがプッシュボタンになっただけでもすごいのに、それ以上に重たさの違いの方にビックリするというのは、それだけ本当に重たかった証拠であった。

「本当に、ダイヤル式の電話というのが、不便だったんだな」

 と感じさせられたのだ。

 その日の電話が鳴ったのは、午後八時半くらいだっただろうか。当時は、午後八時を過ぎると、遠距離などは、電話代が安くなったものだ。そういう意味で、夜の時間帯に電話を掛ける人が多かったものだった。

 三コール目くらいで電話に出た。

「はい、もしもし、松阪です」

 と言って電話に出たが、今であれば、ありえないことである。

 なぜなら、今のように個人情報の厳しい時代であれば、電話口で自分の名前を名乗るなど、自殺行為もいいところだ。

 だが、今は電話番号から、個人の特定はほぼ無理である。何しろ固定電話ではなく、携帯電話なのだから、どこにいる誰なのかなど、番号からは分からないだろう。

 しかし、昔の電話番号は、市外局番で、市町村はハッキリと分かる。そこから先は市内の番号を探れば分かるというものだ。

 しかも、今では詐欺に電話を使ったりもする。

 不特定多数の携帯電話に、ショートメールなどで、

「あなたが加入したサイトから、数万円が引き落とされます。身に覚えのない方は、こちらまでご連絡ください」

 と言って、電話を掛けさせるのだ。

 そこで、その電話番号が生きているということが分かり、そして名前を聞き出せば、相手も特定できる。それからが、詐欺が始まるわけだが、詐欺に気を付けている人は、相手に、

「あなたは、どこの誰にお電話をおかけ何ですか?」

 と逆に質問してみる。

「この番号の電話をお持ちの人です」

 としか答えない。

 それはそうだろう。適当な番号の先にメールを送り付けているだけなので、相手を特定できていないということだ。

 特定もできていないのに、引き落としもくそもないものだ。そこで詐欺だと分かる。

「分かりました。あなたの番号は、警察で照会してもらいます」

 というと、相手は、黙って切ってしまった。

 もうダメだと分かったのだろう。

 きっと、相手はアルバイトか何かだろう。電話をかけてきた相手に対しての対応マニュアルなどがあり、相手が怪しんだり、警察などと言う言葉を口にしたら、何も言わずに切っていいなどというマニュアルになっているのかも知れない

 そう思うと、

「してやったり」

 という気持ちになり、気が楽になってくるものだ。

 念のため警察の生活安全課に連絡を入れ、事情を説明すると、

「こちらで照会すると、ありませんでしたね。その番号。でも、相手は用心深いので、同じ番号は使わないですよ。少々費用が掛かっても、いくつも口を持っていて、番号を契約しているはずです。でも、ご報告ありがとうございます。最近、またこういう詐欺増えていますので、お気を付けください」

 ということであった。

 警察は、実際に何か被害がない限り動くことはない。これはあくまでも通報というだけで、警察に何かをしてもらおうとは思っているわけではない。

 あくまでもこちらが、

「善意の第三者」

 として通報しているだけである。

 それを思うと、今は何とも世知辛い世の中になったというものなのか。だから、電話口で、知らない人からの電話かも知れないので、自分の名前を名乗るなど、持っての他なのだ。

 そうやって話をしてみると、警察もかなり用心をしているようで、いろいろと教えてくれる。

 最近でこそ、変なメールも電話もなくなってきたが、別の方法で、あの手この手と詐欺が横行しているようだ。

 本当に住みにくい世の中になったものだ。

 警察というものは、基本的には役に立たない。それでも、通報するのは安心感を得たいからだろう。

 ここ数年で、世界的な伝染病の蔓延で、新手の詐欺が増えている。

「人の弱みに付け込む」

 これこそが詐欺だというものだろう。

 だが、そんな詐欺など、その時代にはそんなにはなかった。詐欺を行うにもそれほどメディアの口も多いわけではないので、詐欺になることもない。だから、安心して電話に出ることができるのだ。

 松阪が自分の名前を名乗ると、相手は、少し息遣いをしているようで、若干の間があってから聞こえてきた声が意外だったので、ビックリさせられた。

「あ、あの」

 その声の主は明らかに女性だったのだ。

「私、中川りほと言いますが、覚えていらっしゃいますか?」

 というではないか。

 なるほど、声に聞き覚えがあったはずだ。あれは、一年生の時、確か大学を中退していった女の子だった。

 理由は、自分のやりたいことを目指したいということだったのだが、彼女が何の道を進みたいといっていたのか、ハッキリと覚えていなかったが、忘れた頃に連絡をくれたというのは、どういうことだったのだろう。

「もちろん、覚えているけど、どうしたんだい?」

 確か、りほには連絡先を教えていたはずだ。

 いやいや何よりも、一度だけ待ち合わせて二人で出かけたことがあったはずだ。その時、「急遽いけなくなったりした場合の連絡に」

 ということで、電話番号を教えたのだった。

 りほの番号もその時に聞いていたが、彼女も一人暮らしだったので、大学を中退した時点で、アパートを引き払って、実家に戻ったはずだった。

 それなので、今の彼女の連絡先を知る由もない。だからこそ、余計に、

「彼女と連絡を取ることなど二度とないだろう」

 と思っていたのだ。

 だが、そんな彼女から連絡が入ったのだ。しかもいきなりである・

「お元気にしていました?」

「ええ、元気ですよ。でもどうしたんですか? 田舎に帰ってから、一年近く連絡もくれなかったので、どうしたのかなって思ってね」

「いや、ちょっと懐かしくなって、そっちに遊びに行ってみたいなって思ったんだけど、最初に思いついたのがあなただったのと、他の人の連絡先を知らないというのもあって、ちょっと思い切って連絡を取ってみたんですよ」

 それを聞いて、少しうれしくなった。

 自分のことを最初に思いついたというのは嬉しいが、それ以上に、連絡先を知っているのが自分しかいないということに、さらなる喜びを感じたのだ。

 ということは、少なくとも、待ち合わせてどこかに行ったのが自分しかいないということか。他にいたとしても、他の人の連絡先は廃棄したとしても、自分の分だけは持っていてくれたということで、自分に対しての特別感の半端のないところが、ゾクゾクするほど嬉しかったのだ。

「そうだったんだね。それは嬉しいですよ。でも、忘れられていなかったというのは本当に嬉しい。忘れられていたとしても、思い出してくれたわけですよね。それが、嬉しいんだよ」

 というと、

「忘れてなんかいませんよ。松阪君とは、一緒にデートした仲ですもんね」

 というのだ。

 松阪は、彼女がこっちにいた頃、その日のことを一言もデートだとは言ったことはなかった。松阪も、自分の口からそう言ったことはなかった。お互いに言わないようにしていたわけではない。松阪の心境は、

「ただ、恥ずかしい」

 というだけのことだったのだ。

 彼女がどういう気持ちだったのか知りたかったが、そのためには、自分の心境を話さないといけないだろう。

 それは、さらに恥ずかしいことだった。だからこそ、必要以上に聞いてはいけないのだと思ったのだ。

「やりたいって言っていたことはどうだい?」

 と聞くと、少し間があって、

「ボチボチかな?」

 というではないか。

「聞いてはいけないことだったかな?」

 と感じ、必要以上に聞いてはいけないと感じた。

 彼女は黙っていたのだ。

「ところで、今日はどうしたんだい?」

 と話題を変えてあげると、

「そうそう、今度そっちに行きたいんだけど、よかったら会わないかな? と思ってね」

「えっ、僕とかい? もちろん会えるなら嬉しいよ。いつのことなんだい?」

 と聞くと、

「今度の日曜日なんだけど、よかったら、新町駅で待ち合わせできると嬉しいんだけど」

 というではないか。

 どうやら、新町駅のあたりに用事でもあるのだろう。あの駅はこのあたりでも一番の都会に当たるところのちょうど繁華街に近い駅になる。賑やかなのは必至であるが、そもそも、りほはそんな賑やかなところは苦手だったはずだ。

 以前にデートした時も、最初は映画を見たり、ショッピングをしたりと、そういうところがいいのかと思っていたが、

「私は賑やかなところが苦手なので」

 と言って、美術館に行ったり、公園を散歩したりと、本来なら初デートではなく、何度かデートを重ねたカップルが行くようなところを好んでいたのに、いきなり新町駅で待ち合わせということはどういうことだろう?

 それを考えると、

「新町駅の近くに、その用事がある場所があるのだろう」

 というのが、順当な考えではないだろうか。

「うん、分かったよ。何時がいいかな?」

「じゃあ、正午にしませんか? 一緒に昼食からというのは、いかがかしら?」

「うん、そうだね」

「じゃあ、お店の方は私の方でキープしておくので、任せておいてね」

「うん、お願いしようかな?」

 ということで、その日は電話を切った。

 ちょうど、その日は、予定が何もなかった。

「いや、そもそも、休みの日なんて、普段から何もすることないじゃないか?」

 と思っていた。

 大学生というと、平日すら、授業以外はほぼ自由なのだから、休日だからということで何かあるというわけではない。

 夏休みなどのまとまった休みは、長期バイトに勤しみ、後半で旅行に行ったりするのが楽しみだった。旅行と言っても、遠くに行くわけではない。鈍行に乗って、二、三時間くらいのところを拠点にして、そこから、数日、ユースホステルなどを使って旅行する。

 ユースホステルであれば、当日の予約でも結構いけたりするので、旅先で友達になった人の予定を聞いて、まだ行っていないところであれば、

「じゃあ、俺も今日はそっちに行ってみようかな?」

 と言って、行動を共にしたりする。

 そんなことができるのも大学生の特権のように思えた。そのたあめには。

「いかに安くあげるか?」

 ということが大切なのである。

 関西に大学がある松阪は、山陽地方など、恰好の旅行先であった。

 当時はまだ、四国大橋などもなかった頃で、宇野と高松を結ぶ、宇高連絡船というのが運航していた時代だった。旅行するには、岡山、倉敷あたりから、山陽道にぬう形で、福山、尾道、三原などがあった。尾道、三原などからは、瀬戸内海に浮かぶ島々にも行けて、結構幅広い観光ができた。

 さらには、倉敷から北上し、備中高梁、新見と、中国山地に向かっていくと、こちらも山陽道と違った情緒豊かな街を拝むことができるのだ。

 大学二年生の夏は、山陽地方に行った。一番の印象深い場所は、個人的には、井倉洞だった。あそこは、全国的にどれだけの有名なところなのかは分からない。実際に松阪自身も、行くまでは知らなかった。

 だが、実際に行ってみると、その壮大さには、度肝を抜かれた。

 日本でも有数の鍾乳洞である、山口の秋芳洞に、中学の修学旅行で行ったが、その時と変わらないほどの感動があったのだ。

 なんといっても、井倉洞のすごさは、

「普通に平地を、軽く登ったり下ったりしているだけだと思っていたが、気が付けば山の上に来ていたようで、洞窟から出ると、そこは山の上だった」

 ということであった。

「それだけ、中がらせん状になっていて、直線にすると、相当長かったのだろう。一つの山単位の螺旋階段を上り詰めた」

 と言ったところであろうか。

 高いところから下を見ると、めまいがしてくるようだった。下は、河原になっていて、川の水があまりない分、大きな岩が、ゴロゴロ転がっている。しかも、真っ白な石なので、眩しさもあってか、めまいがするのはそのせいなのかも知れない。

 下まで来てから上を見上げると、

「思ったよりも高くないかな?」

 と一瞬感じたのは、上から見た時のめまいを思い出したからで、すぐにまた、

「いやいや、結構高かったんだな」

 と思い直したものだった。

 この洞窟は、当時、映画の撮影にも使われたということで、また、すぐ近くにある備中高梁の丘の上にある大きな屋敷も、当時別の映画の撮影にも使われたということだ。

 あの辺りは、ちょうど映画撮影の舞台だったのか、実はこの二つの映画は、同じ映画会社製作で、しかも、その主役が同じ俳優だったというのも、

「ただの偶然だったのだろうか?」

 と疑いたくもなってくるというものだった。

 そこから今度は、山陽道に回ったのだが、今度はまったく違った光景が広がっていた。

 今までは、山間の落ち着いた雰囲気で、少し閉鎖的に見えたが、今度は、目の前には瀬戸内海が広がっている。外海のような壮大さはないが、その分、重厚に漂っている雰囲気が素晴らしい。特に、太陽に照らされた波の穏やかな海面は、丘の上から見ると、その荒々しさのない壮大さは、余計に落ち着きを感じさせる。

 それは、山のように迫ってくるものではなく、

「限りない広さ」

 を思わせ、山地とは相まって、お互いの良さを引き立てるものであった。

 映画で見た、尾道の街を実際に歩いてみると、

「これがあの時のシーン」

 というように思い出されてきた。

「尾道三部作」

 と呼ばれた作品は、実は作品が好きだから、あるいは、女優のファンだからということで見たわけではない。

「話に聞く尾道という街での撮影」

 ということが気になったからだ。

 というのは、自分が住んでいる街と同じで、目の前を海、後ろには山が迫ってきていて、自分たちの街と同じで、

「坂道だらけの街」

 と聞いていたのだ。

 そんなところは、きっと、

「街の中心に神社があって、その上に鎮守様があるのだろう」

 と勝手に想像していたが、どうも違っていたようだ。

 山の上には寺があり、街のあちこちに寺があるというところであった。

 目の前に迫っている島とは真っ赤な橋でつながっていて、そこを漁船だけではなく、輸送船も走っているというのは、ビックリだった。

 自分の住んでいた街にも、前に島があるが、そことは橋でつながってはいない。いずれ繋ぐという計画すら内容だった。

 大学に通い始めてから、都会に出てきたが、都会も、同じように、前には海、後ろには巨大な連山が広がっている。

 もちろん、規模はまったく違っていて、日本有数の貿易港として有名なこの場所は、実に、

「住めば都」

 だったのだ。

 狭い範囲に、私鉄が二本、そして、当時の国鉄が通っていた。当時、国鉄は民営化寸前ということもあり、赤字経営でボロボロだった。私鉄が強かったのも当然であり、街には私鉄が経営する百貨店が乱立していたのだった。

 新町駅というのは、そんな都心部の、繁華街の近くにある、私鉄の駅だった。

 国鉄の駅も近くにあるが、私鉄の駅の方がきれいで、しかも、待ち合わせをするのにちょうどいいスペースもあったのだ。

 若者が利用するのは断然私鉄の新町駅の方で、国鉄を使うのは、年配者が多かった。

 国鉄の駅近くには、神社があったり、オフィス街であったりと、大学生が立ち寄る場所ではないということだった。

 尾道はまったく比較にならないところであるが、自分の実家の街に似ているという意味で、

「行ってみたい街ランキング」

 であれば、ベストスリーには入っているとこであった。

 りほの田舎は、確か、あのあたりだといっていたような気がする。松阪が、旅行の地を、この山陽に選んだのは、心の奥で、

「りほのふるさとだ」

 と思っていたからだろう。

 まさか再会できるなどという奇跡を望んでいたわけではないが、近くに行くことで、懐かしさが味わえると思ったのも確かだった。

 松阪の故郷は反対方向で、地域とすれば近江の方だった。京都から少し入ったところになるのだが、琵琶湖が近く、いいところだとは思っていた。

 だが、育った環境は、

「山には近いが、海のないところ」

 というイメージだった。

 確かに日本一の湖である琵琶湖のほとりではあるが、大海ではないのだ。りほのふるさとはいくら瀬戸内海と言っても、立派な海である。海産物も淡水の琵琶湖とはまったく違う。あこがれのようなものがあったのは事実だった。

 大学のある街にしても、そうである。海が近いことで、入学したての頃に、よく海を見に行っていたものだ。

 りほと知り合ったのは、ちょうどその頃、りほも海が好きだったので、話をしていて、お互いの共通点が海であると分かると、よく港に出かけたものだ。

 今では港には大きな商業施設が立ち並んでいるところは、昔は国鉄の資材置き場だった。駅からも近く、ゆっくりと海を見ることができる環境としては、ちょうどよかったのだ。

 観光クルーズも近くから出ていて、何度乗ったことだろう。

 デートという形ではなく、趣味の共有という形だと松阪が感じていたのは、

「彼女には彼氏がいるんだろうな」

 と勝手に思い込んでいたからだった。

 だから、きれいな人だと思いながらも口説こうとはしなかった。彼女が中退して田舎に帰った後で、

「実は彼氏などいなかった」

 と聞かされて、

「もったいないことをした」

 と思ったのだ。

 一度だけのデートだったが、悪い経験ではなかった。ただ、一つ気になるのは、彼女は結構わがままなところがあった。どちらかというと、

「お嬢様タイプ」

 だったのだ。

 しかし、そんな彼女が、大学を中退してまで田舎に帰らなければいけないということで、「さぞや、逼迫した事情があるのだろう」

 と思ったのだが、それがどういう理由なのかピンとこなかった。

 もう、田舎に帰るんだから、一度くらいデートしてみたいという思いから思い切ってデートに誘ったのだが、なぜこれがもっと前にできなかったのかということを思うと、自分が憎々しい思いだったのだ。

 そんな彼女が、ほとんど忘れかけていたところに電話をかけてきた。ただ、そこまでくれば。もう恋愛感情もほぼ忘れてしまっていて、電話で話していて感じるのは、

「懐かしさ」

 であった。

 その懐かしさをどう感じるのかというと、思い出すのは二人きりの時ではなく、皆と一緒の時に、彼女を意識してしまっていた感情だった。

「俺に少しでも興味を持ってくれたら嬉しいな」

 という思いであり、

「こっちはこれだけ気にしているんだから。もう少し俺のことを気にしてくれたっていいじゃないか?」

 という半分上から目線の感情だった。

 それは、なかなか思うように感情を自分にぶつけてくれないことへのもどかしさのようなものがあったからだろう。それを思うと、懐かしさは、半分、あの頃の自分を恥ずかしいと感じる思いだったのだ。

 そんな彼女が、こちらに来ると言って、最初に自分に声をかけてくれたのだ。ただ、ひょっとすると、何人かに声をかけてダメだったからの自分かも知れない。それを確認してもいいものかどうか、迷っていた。

 気にはなっているが、この場で聞いて、せっかく思い出してくれたものを無にするというのは、いかがなものかと思うのだった。

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