第13話 ひとつになった夜
ファイアードラゴンが現れた夜、ナキと施設を抜け出し、マザーに叱られた。あれ以来、彼女たちは消灯時間に見回るようになった。あのときは心配をかけたので、もうルール違反はしないと心に誓った。夜型のユタナにとっては窮屈だが、気にかけてくれて嬉しかった。未だにその表情を作ることはできないが、感謝している。
今夜も十一時過ぎているが、寝付けないので、スタンドライトをつけて、ベッドの中で読書をしていた。
そのうち眠たくなるだろう……と、思いながら、どれだけページ捲っただろうか……
ベッドから背を起こし、窓に歩み寄った。カーテンを開けて夜空を見上げると、満天の星が見えた。今夜は月も綺麗だ。飛びたいけど我慢。
「眠れない……」と、呟いた直後、
後方から「わかる……」と、ナキの声がしたので、驚いて振り返った。
ナキの姿を見て、尋ねた。
「いつあたしの部屋に入ったの? 全然気づかなかった」
「いまだよ」
「マザーたちに怒られるよ」
悪戯っぽい笑みを浮かべて
「十一時過ぎたらマザーたちも就寝する。つまり、抜け出せるってこと」
「だめだよ。また心配かけるから」
「どうせ気づかないよ。俺のわがまま聞いてよ」
“俺のわがまま聞いてよ” ナキとあとどのくらい一緒にいられるだろう……成長して自由に夜の飛行を楽しめる日はやってこない。彼が成長することはないのだ。確実に訪れる死……
ナキのことが好き。
もう夜抜け出さないと心に誓った……だけれど……その心はナキと一緒にいたいと言っている。マザーたちに心配をかけてはいけないと、頭ではわかっている。
誘いを断れば、二度とナキと夜空を飛行することはない……彼はもうすぐ星空の彼方へ行ってしまう……
罪悪感はあったものの、理性よりも感情を選択した。
(約束を破ってごめんなさい、マザー。ナキと夜空を見たいの)
「どこに行きたい?」
「妖精の森がいい」
「いいよ」
ナキが行きたいところならどこにでも連れて行ってあげたい。彼にとって妖精の森は秘密基地のようにわくわくする場所なのだから。
ユタナは窓を開けて、ほうきに跨がった。するとナキもそのうしろに跨がった。子供のころからラーラのほうきの後ろにもたくさん乗ってきた。魔法さえ使えたら上手に飛行できる自信がある。
「いいなぁ、魔法使い」
「飛ぶよ。しっかり掴まって」
「慣れてるから大丈夫」
ほうきが浮遊し、床から足が離れると、ふたりの寝間着に風が孕んだ。窓の外へと飛び出したふたりは、星々に囲まれた満月が煌々と光る夜空へと浮上し、街の上空を飛んだ。
惨劇のあの夜、ファイアードラゴンは街に大きな爪痕を残した。だが人々は前を向いて生きている。いまでは街じゅうに散乱していた瓦礫が撤去され、復興作業も進んでいる。住民たちは日常生活を取り戻すために努力している。それでもすべてが元通りになるまでには、まだ時間がかかりそうだ。
眼下に広がる街を突っ切ると、黒い野原が広がる。ここも緑豊かな森だったが、焦げた倒木が折り重なり、草花が燃えて地肌が剥き出しになってしまった。来年の春が来る頃には、植物が芽吹くだろう。樹木が生長するには長い年月が必要だが、草花が生い茂れば、また美しい場所となる。
「すっかり変ってしまった。子供のころ、ラーラとこの森で木の実を一緒に拾ったんだ」
「また綺麗な森に戻る。いつの日か、きっと」
「そうだな」
森を横切ったユタナは、目的地へと向かった。
壮大な森の中心に聳える生命の木が見えたので、速度を上げた。
あっという間に妖精の森へ辿り着いた。ユタナは降下し、森の中へと入っていった。周囲には体を発光させた妖精がたくさん飛んでいる。
大地に降り立つと、ユタナは妖精に向かって手を伸ばした。指先に留まった妖精は、ユタナを見て微笑んだ。
「ユタナは歓迎されてるよ」
「ありがとう」と、妖精にお礼を言った。
生命の木が聳える泉へと歩いた。ユタナは、ナキと自分の周囲にシャボン玉のようなシールドを張り、初めて来たときと同じように泉の中へと潜水した。
目の前には生命の木の太い幹がある。潜水し続けると、幹の中心に光り輝く空洞ができ、その中へと吸収された。前方に見える七色に光る入り口を通り抜け、妖精の住処へと辿り着いた。
大地に降り立つと、シールドを解除した。今夜も青くて大きな天体が空に浮かんでいる。それを囲む周囲の星々は宝石のように美しい。
ナキは触ると発光する茸に触れた。
「ハンモックに行こうぜ。あれ大好きなんだ」
「うん」
手を繋いだふたりは高木が立ち並ぶ場所へ入った。すると、あのときと同じように、数本の樹木の枝が垂れ下がり、格子状に絡み合って、ハンモックの形となった。ふたりがそれに飛び乗った直後、枝は上昇した。
手を伸ばせば星に手が届きそうなくらい高い場所。遊園地のアトラクションのようで、ナキはこの不思議な木が大好きだ。ハンモックの枝に生っている果実は、前回よりも数が増えていた。だがまだ青いままだった。それでも試しにもぎ取って食べてみた。やはり、まだすっぱい。
「残念、熟してない。真っ赤になると本当においしいんだ」ユタナに差し出す。「食べてみる?」
果実を受け取ったユタナはひとくち食べてみた。
「まだ青いからすっぱい」
「ユタナにも熟したのを食べさせてあげたかったよ」
「ところで絵は仕上がったの?」
絵は仕上げに入ったので、もう少しで描き終わる。そのためいまはユタナにモデルを頼んでおらず、ひとりで制作している。
「ほとんど仕上がっているようなものかな」
「そう。早く見てみたい」
ナキは笑みを浮かべた。
「ユタナの顔を描いてて思ったことがあるんだ」
「何を思ったの?」
自分の気持ちを素直に打ち明けた。
「俺、ユタナが好きだ」
ナキのことが好きだと感じる想いは、確かな恋心。この胸の高鳴りは紛れもなく恋。
ユタナも自分の想いを打ち明けた。
「あたしもナキが好き」
「ユタナのほうきに乗って、星空を飛んで楽しかった。たぶん……きょうが最後。もうそろそろ……終わりが近いのがわかるんだ」
ナキが死ぬことはわかっている。だけれど、本人の口から言われると、とてもつらい。
「そんなこと言わないで」
「この病気が診断されてから、せめてかわいい彼女が欲しかったなって、そう思っていたんだ。そうしたら、うちの施設にユタナがやってきた。すごく嬉しかった」
「あたしの寿命を半分あげたい。あたしたちは同い年だから、そうすれば、ふたり一緒に死ねる」
首を横に振った。
「それは無理なんだよ。たとえ同い年でも、どっちが先に死ぬかなんて誰にもわからないんだ。俺みたいに想定外の病気になることだってあるんだから。どんなに愛し合っていても死別するときがくるんだ」
「あたしのママとパパはソウルストーンを使って、ふたりで死んだ。ナキが死んだら、あたしもソウルストーンを使ってあとを追うの」
カルに教えてもらった両親の最期の話をユタナから聞いているので、ソウルストーンがどのような魔法なのかを知っている。
「絶対にだめだ。ユタナは生きるんだ。生きなきゃだめなんだ」
「ナキがいない世界なんていやだよ……せっかく出逢えたのに……」
大粒の涙を零したユタナは、ナキの唇に自分の唇を押し当てた。そしてラーラがカルにしたように、口から魔力を移した。魔法使い以外のふつうの人間に魔力を注入しても、意味がないことを知っている。
もしも……魔力を注入することでナキの寿命が延びるなら、何度だってそうする―――
もしも……身体を重ねることでナキにエネルギーを分けてあげられるなら、何度だってそうする―――
お願い死なないで―――これから死んでしまうナキに言ってはいけない言葉だ。なぜなら、死にたくないのも、生きていたいのもナキ本人なのだから。
ユタナにキスされて驚いたナキは目を見開いた。
「ユタナ……」
ナキとの出逢いは、運命の始まりでもあり、苦しい人生が終わりとなるきっかけだった。もっと一緒にいたい。ナキが側にいてくれたら、両親を死に追いやった自分を許せる日がくるような気がした。
「あたしたちはここから始まるの。それは永遠に続く……途切れることなく永遠に……」
ナキは、ユタナの頬を引き寄せ、やわらかな唇を食むように、深いキスをした。
一糸まとわぬ姿になったふたりを照らす星々の光は、まるで互いを慈しむ指先のように温かくて優しい―――
互いに初めての恋。ナキはユタナの身体に触れ、そっと愛撫した。成長過程にいるふたりの身体は、いましがた口に含んだ果実のように、熟しておらず青く若い。それでも、大人と同じように愛を感じていた。
ナキは思う―――ユタナは人生の中でいろんな人たちと出会い、恋もするだろう。しかし自分はこの恋が最後。相手が君でよかった―――
指を絡ませ、ついばむようにキスをしてから、ふたりの鼓動も身体もひとつに溶け合った。
ユタナは初めての痛みの中に、大きな幸せを感じた。
あすなんていらない―――今夜が永遠ならふたりは生きていけるから―――
「愛してる」と、ユタナは呟くように言った。
ナキは微笑んだ。
「俺も愛してる」
ふたりはもう一度、深くキスを交わした―――
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