第11話 ファイアードラゴンの猛威【2】

 戦慄の炎が夜を照らす。暴れるファイアードラゴンを魔法で押さえつけているドラゴンハンターたちの姿が見えた。


 燃えている家屋が建ち並ぶ場所に来たラーラは、地上に降り立った。街の魔法使いもこの一帯に降り立ち、消火に当たっていた。


 この場所はここにいる魔法使いだけで消火ができそうだったので、ラーラは入り組んだ場所へ駆け足で入っていった。そのとき、燃えた建造物の瓦礫が崩れ落ちてきた。


 一瞬の出来事だったので、躱すことができずに、手で頭を覆って悲鳴を上げた。その瞬間、誰かに抱き寄せられ、体が宙を浮いた。間一髪のところで助けられたので、礼を言おうとして、顔を上げた。


 助けてくれた人の顔を見て、驚きの声を上げた。

 「カル!」


 「単独行動は避けたほうがいい」


 「ここの炎を消そうとしたのよ」


 「だったら俺に魔力を半分よこせ。そのほうがおまえが放つ小さな水の魔法よりも役に立つ」


 何年ぶりだろう……至近距離で顔を見るのは……恋人同士だったころいつも言っていた……あなたの瞳には不思議な魅力がある、と。あのころのように、カルの瞳に吸い寄せられそうになった。


 「偉そうに言わないでよ」


 ラーラはカルの黒頭巾の襟首を掴み、自分に引き寄せた。そしてカルの唇に、自分の唇を押し当てた。口から魔力を放出させたラーラの唇が、仄かに光を帯びてゆく。魔力を分け与えたあと、カルの唇から自分の唇を放した。


 「昨夜と違う女を今夜抱き、あすの夜はまた別の女を抱く。割り切った関係や娼婦のほうがいまの俺には合っている。おまえは自分に合った真面目なヤツを見つけたほうがいい。俺のことは忘れろ」


 勝手に待っていたのは自分だ。それなのにカルの言葉に怒りを感じた。


 恋愛はひとりでできるわけではない。相手がいて恋愛が成り立つのだから、自分の思いどおりにならないことのほうが多い。相手の心に寄り添うことはできても、相手の心を制御することはできない。


 いっそうのこと、うまくいかないことさえも喜びに変えることができたなら、恋愛の達人になれるはず……そんなことはわかっている……それができないのが恋愛の切なさ……


 いまのキスでカルの心を制御することができれば……と、淡い期待をいだいた。ほんの僅かでも希望があるなら、この身を悪魔に捧げてもかまわないくらい彼を愛していた。


 母のティナに “執着という魔物に取り憑かれている” と言われたが、執着だろうと愛だろうとそんなことはどちらでもよかった。ただ、ただ、彼が欲しい……それだけなのだから……


 「だったら、あなた以上に愛せる人をここに連れてきてよ! どうしても忘れられないの!」涙を零した。「何年経ってもあなたが好きなの……カルじゃなきゃダメなの……すごく苦しいの……」

 

 自分でも呆れるくらいに馬鹿だ。過去の恋に未練だらけの自分は、世界一、格好悪い女かもしれない。それでも想いを口にしたかった。この想いを届けたかったのだ。


 「……」カルは一瞬、困惑した表情を浮かべたが、そのあと昔のように優しい笑みを浮かべ、ラーラの髪を撫でた。そしてもっとも残酷な言葉を口にした。「おまえの幸せを心から願っている。さよなら、ラーラ」と、そう言って背中を向けた。


 ほうきに乗り、夜空へと浮上し、弾丸のような速さでこの場から去っていった。


 小さくなりゆくカルの後ろ姿を見て、ラーラは泣き崩れた。


 ふたりの関係は完全に終った……いや……もうとっくに終っていたのだ。それを受け入れられなくて、手放すことができなかっただけ……


 これから先、二度と会うことはない。思い出のジグソーパズルのピースは、周囲の家屋のように燃えて灰になった……それを受け入れなければならない。


 いまここでさよならが言えたなら、世界一、格好悪い女ではなく……世界一、美しい女になれるだろうか……


 たとえそれが嘘の感情だったとしても―――


 「さよなら、カル―――」

 

 泣き続けるラーラの姿を上空から見ていたユタナは、彼女に話しかけられずにいた。カルが来てから立ち去るまでの一部始終を好き好んで眺めていたわけではなく、ラーラの姿を見つけた途端、話しかけられない状況となってしまったのだ。だがテルマとの約束は、ラーラとともに行動すること。


 (どうしよう……タイミングが悪すぎる……)


 恋愛経験のない十六歳のユタナにも、ナキが言っていたラーラの昔の恋人が彼だということが理解できた。ふたりの関係はずいぶんと前に終っていて、ラーラだけがカルに想いを寄せていたのだろうということも同時に理解した。


 しばらくラーラには話しかけられそうにないので、ほかの魔法使いと消火を行うほうがよさそうに思えた。とは言え、初対面の人と会話を交わすのが苦手なユタナにとって、見ず知らずの人に話しかけるという行為はかなり勇気がいる。


 どうすればよいのだろう……と考えていたとき、突然、激しい雨が降り出した。今夜は天気が悪く、星々が雲に隠れていたので、降るだろうと思っていた。ユタナにとってはいま降ってくれてよかった。その理由は、ラーラの涙が洗い流されるからだ。これでようやく話しかけられる。


 正面に降り立つのではなく、気を使って、後方に降り立ち、名前を呼んだ。


 「ラーラさん」


 ユタナの声だとわかったラーラは、空を見上げて、雨で涙を流し、振り返った。


 「どうしてここに? 危ないわよ」と、何事もなかったかのように振る舞う。


 ここにいる一番の理由は、カルと会って、両親の最期について訊くことだ。いましがた気まずい光景を見なければ、正直にそれを答えられたが、ここでカルの名前を口にするのは抵抗があったので言わなかった。


 「小さな規模ですけど水の魔法が使えるので、ラーラさんと一緒に消火活動をしようと思ったんです」


 「そう、それならあたしから離れないでね」


 「はい」


 「雨が降ってきてよかった。魔力を含んだ炎だから消えにくいけど、ないよりもあったほうがいいからね」


 「あたしもそう思います」


 ユタナとラーラは、水の魔法を放ち、周囲の炎を消し始めた。





・・・・・・・・





 大勢のドラゴンハンターが獰猛なファイアードラゴンを囲んでいる。ここはまさに戦場だった。大型の鳥類に乗った筋骨隆々のマッサは、額から血を流していた。マッサだけではなく、怪我を負っている者が多数いた。


 戦っている場所が街だったため、すべてをなぎ倒すような大技の魔法を使うことができないので、本領を発揮できずにいた。どうにかしてファイアードラゴンを森へ誘導したい。そうすれば思いっきり戦える。


 カルら魔法使いが手から魔法のロープを放った。炎のように煌々と光るロープはファイアードラゴンの首に巻き付いた。しかし、大暴れするため、そのロープは断ち切られてしまった。


 カルが苛立ちの表情を浮かべた。

 「くっそ、埒が明かない」


 大型の鳥類に乗ったドーリヤはしびれを切らす。

 「もういいかげん大技ぶちかましてやろうぜ」


 「バカなこと言うな。そんなことをしたら街がめちゃくちゃになる」


 ジンが空に話しかけるように言った。

 「雨だけかよ……雷はどうした、雷は……」


 そのとき―――夜空に紫の稲妻が走った。その直後、雨音に混じって轟音が聞こえた。運が巡ってきたようだ。彼らは口元に笑みを浮かべた。


 カルは声を張り上げた。

 「ヤツに向かって雷を放出させろ! 森に追い込め!」


 全員がそのつもりだ。


 「そんなのわかってる!」ジンが全員に言った。「準備はいいか! 始めるぞ!」 

 

 全員が自分に向かって一斉に魔法を放つと、上腕がみるみるうちに金属と化した。金色に輝く腕を稲光が走る空へかざした。凄まじい勢いの雷が彼らに手に落ちると、衝撃によってほうきに乗る体がぐらついた。


 彼らは素早く体勢を整え、ファイアードラゴンに向かって数億ボルトの雷を放出させた。雷の衝撃を受けたファイアードラゴンは、悲鳴に近い鳴き声を上げて、森の方向へ飛んだ。


 ふつうのドラゴンならこの攻撃で息の根を止めることができる。だが、ファイアードラゴンは一筋縄ではいかないので、全員がこの攻撃で仕留められるとは思っていない。


 目的はファイアードラゴンを森に追いやることだ。そうすれば退治することができる。それがうまくいったので、彼らはファイアードラゴンを追いかけて森へ向かった。


 その光景を見ていたユタナとラーラは、ファイアードラゴンが街からいなくなったので安堵した。


 ラーラは、大勢のドラゴンハンターの中にカルの姿を捉えたが、視線を逸らした。


 まだ気持ちが揺れ動く。


 母のティナに言われたお見合いの話を真面目に聞いてみようかと思った。たった一度きりの人生だからこそ、好きな人と一緒になりたいと願った。それは純粋な乙女心だ。しかし、たった一度きりの人生だからこそ、諦めなくてはならないこともあるのだろう……自分が幸せになるために……


 だけれど……


 その人がいつしか本命になる保証もないし、その人といれば幸せになれる保証もない。


 偽りの愛で身体を重ね、偽りの笑顔を相手に向ける。


 寂しさを紛らわせるだけの恋愛には嫌悪感があった……なりたくない自分になってしまう……


 この苦しい心を癒やす方法を知りたい……


 「もしも……長年想っていた人に振られちゃって、二度と会えなくなったら、ユタナちゃんならどうする? どうやって彼のことを忘れたらいいかな……忘れるために誰かと一緒になったほうがいいかな……」


 馬鹿げた質問をしているのはわかっていた。たった十六歳の少女にこんな質問をして、自分はどうかしている。


 ユタナもラーラからの質問に戸惑った。明らかにカルとのことを訊かれている。大人の恋愛なんてわからない自分が答えても意味がないように思えたが、率直な意見を言った。


 「複雑な恋心はあたしにはわかりませんが……無理に忘れようとしなくても、好きな人ができれば、その人のことで頭がいっぱいになると思うので、好きな人ができるのを待ちます」いまのラーラを慰めるつもりで言った。「いつかきっと素敵な人が現れるはずです。ラーラさんも素敵な人だから」


 心は病んでいるが、自分の考えをしっかりと持っていることに驚いた。精神的な病気が治ったらこの子なら素敵な恋ができる、と思ったので、もうひとつ訊いてみた。


 「いつになったら、好きな人ができるかな」


 「彼への想いを手放せたとき……」事情を見ていて知っているので、言葉を続けた。「焦る必要はないと思います。時間が解決してくれるはずです」


 想いを手放すのは、いますぐは無理だと思った。それができなくていままで苦しんできたのだから……だけれど気持ちが落ち着いたら、それこそ時間が解決してくれるはずだ。


 ラーラはユタナが言ったとおり、好きな人ができるのを待つことにした。それまではいつもどおり、仕事に邁進しよう。自分らしく生きていくために、前を向こうと思った。


 世の中にはたくさんの男がいる、彼だけが男ではない、と、気休めにもならない慰めの言葉を他人は言う。他人は痛くも痒くもないのだから平気でその台詞が言えるだろう。自分にとってあなた以外は意味がないのに……ずっとそう思ってきた。だけれど執着という魔物から解き放たれる時が来たのだ。


 いつかきっと、カル以上に愛せる人が現れることを信じて―――


 「そうね、ありがとう」


 礼を言った直後、上空から、突然、名前を呼ばれた。

 「おい! ラーラ!」


 ふたりは見上げた。するとほうきに乗った街の魔法使いの姿が見えた。


 「無事だったのね!」彼と顔見知りのラーラはすぐさま尋ねた。「家は大丈夫なの?」


 「俺ウチは大丈夫だったが、友人の家が燃えちまったよ。でも、あいつは生きてる。生きてさえいればなんとかなるから、必要なことはすべて協力するつもりだよ」


 「ええ、生きてさえいればなんとかなるわ。復興には時間がかかると思うけど、みんなで協力し合いましょう」


 「ああ、頑張ろう!」肝心な話を切り出した。「ひとりひとりが水の魔法を放つよりも、魔力を合わせたほうが大きな魔法を放てるから効率がいい。ラーラも協力してくれ」


 「もちろんよ」と返事してから、ユタナに言った。「あたしたちも彼らのところに行きましょう」


 「はい」


 ふたりはほうきに跨がり、夜空へと浮上した。

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