第2話 自殺未遂

 十六歳になったユタナは現在、魔法医療学校に通っている。だが、いじめが原因で不登校だったため、どの教科も単位が足りないので、留年が決定している。きょうは家に居たくないから、しかたなく登校することにした。


 いじめを受ける理由は、笑わない、抵抗できない、おとなしいからだ。そのうえ、いつも死人のように無表情であることから、デスマスクという酷いあだ名まで付けられてしまった。


 おとなしいだけで、なぜいじめられなければならないの? と、心ないことを言われるたびに、苦しい思いをしていた。


 両親を亡くした六歳のユタナを引き取ったのは、ヤドルドの弟夫妻だ。兄弟ではあるが、利口で穏やかなヤドルドとは正反対の性格だ。最近では夫婦喧嘩も耐えない。家にいても夫婦喧嘩の巻き添いを食らうので、今朝ほうきに跨がって空へ飛び立った。それがきょう久しぶりに登校した理由だ。


 学校に到着したユタナは、恐る恐る教室に足を踏み入れた。自分の机には誹謗中傷の落書きをされていた。同級生の視線がこちらに集中し、くすくすと笑う声が聞こえた。


 陰湿ないじめ。やっぱり来るべきではなかった……と、後悔しながら席へと歩を進めた。


 クラスで目立った存在のレリナが教卓に頬杖をついた状態で、魔法を使い教科書を引き寄せ、ユタナの頭を目掛けて投げ飛ばした。教科書がユタナの後頭部に当たると、周囲の生徒は高らかに笑った。


 軽く巻いた金髪のツインテールをいじりながら、口元に笑みを浮かべて、ユタナの席へと歩を進めた。

 「ねぇ、デスマスクちゃん、さっさと学校やめちゃえばいいのに。てゆうか、笑えもしないのに生きてて楽しい? 何しに生きてるの?」


 ユタナが何も言わずに席に着いた直後、教室に教師が入ってきた。


 教師はユタナ以外にも気に入らないクラスメイトをいじめているのは知っているが、彼女の親が権力者でこの学校にも多額の寄付金を納めているため、どんなことがあってもきつく注意することはない。

 「またいじめ?」


 「いいえ、あたしは人をいじめたことなんてありません。ユタナと会うのが久しぶりだったので、楽しく遊んであげていたんです」


 「そう、まあいいわ」とレリナに返事してから、ユタナに目を向けた。「生徒指導室に来て」


 「はい……」

 (いじめられているのはこっちなのに、どうしてあたしが生徒指導室に? それとも単位の関係?)


 返事したユタナは教室から出て、教師と一緒に廊下を歩いて、生徒指導室に入った。


 教師はデスクの縁に軽くお尻を乗せ、本題に入った。

 「言うまでもなく、単位が足りないのよ、どの教科もね。留年は決定よ。どうするの?」


 魔法医療学校を卒業し、医者になるために進学しなければ、自分の将来はない。だけれど……笑うことができない医者なんてこの世にいない。どちらにせよ将来がないように思えた。

 「まだ考えてません……」

 (考えてないっていうより、どうしていいのかわからない)


 「そう。考えがまとまったら教えてちょうだい」


 「はい」


 「それから、何も言い返さないからいじめられるのよ。おとなしすぎるあなたのためを思って言うけど、デスマスクっていうあだ名を、誰でもあなたに付けたくなるわ。両親が死んだことは同情するけど、このままでは社会に出てもいじめを受けることになる」


 “あなたのためを思って言うけど” と言いながら、人の傷つくことを平気で言う奴とは縁を切れとよく言うが、これがそれそのものだと思った。


 ストレスが溜まると生徒に厳しくしたり、その日の機嫌を態度に出す。私情を持ち込まないでほしい。生徒には何の関係もない。とくにいじめに加担する教師はいらないと思った。


 (大嫌い。もういい帰ろう)


 ユタナは生徒指導室のドアを開けて廊下に足を踏み出したので、引き止めようとした。


 「ちょっと、まだ話が終ってない」


 「もうじゅうぶんわかったので……」と、返事したユタナは、廊下の窓を開けて、ほうきに跨がり、外へ飛び出した。


 空を飛んで家路に着く。急に雨が降り出したので、傘の代わりにシールドを張った。眼下に広がる街の景色も見慣れた。子供のころ住んでいた田舎町には、あれ以来戻っていない。実家を見るとつらくなるからだ。


 自分のせいで両親は死んだ……もうあのころには戻れない。


 時間を戻す魔法があればいいのに……石になって死んだ人をも生き返らせる魔法があればいいのに……


 涙を拭ったユタナは、家の玄関の前に降り立った。


 そのとき、叔母が窓から顔を出し、ユタナに命令した。

 「雨が降ってるから夕飯の材料を買ってきて! あんたはあたしと違って便利な魔法が使えるから、ほうきでひとっ飛びでしょ!」


 体重が増えたからダイエットすると言っていたが、口先だけだ。歩いて行けば運動になるが、必ずと言っていいほど召使いのように使われる。

 「……」

 (またか……)


 「牛乳とお肉と茸と、なんか適当に野菜もね。あ、それからあたしの好物のサボテンも。あれカロリーが少ないからダイエットにいいのよ」


 言い返せないユタナはふたたびほうきに跨がり、言われるがまま頼まれた食料品を買いに店まで飛んだ。買い物を終えて家に帰ると、台所のカウンターに買ってきた食料を置いた。


 買い物袋の中を覗いた叔母が顔色を変え、「入ってない! あたしの好物が入ってない! あんた買い忘れたの!? 信じられない!」と、ユタナを怒号した。


 サボテンを買うのを忘れていた。

 「ごめんなさい……」


 「本当に役に立たない子ね! 買い物ひとつ任せられない! なんて馬鹿な子!」


 自分で買いに行けばいいのに……と思った。


 そのとき、仕事から叔父が帰ってきた。ヤドルドと兄弟だが、顔も性格も似ていない。本音を言えば、祖父母の家に行きたかった。しかし、ヤドルドの財産目当ての叔父が、“責任を持ってかわいいユタナを育てる” と強引に自分の養子にした。

 「なんだよ、ぎゃーぎゃーうるさい」


 「お使いひとつできないから怒っていたのよ」今度は水を飲むために台所に入った叔父に目くじらを立てる。「あんた! 香水のにおいがする! あたしの香水じゃない!」


 「おまえに関係ないだろ」


 また浮気だのなんだの始まる。この場に居たくないからさっさと自分の部屋に戻った。ユタナはベッドに腰をかけた。部屋の壁は薄いのでリビングルームの揉め事が聞こえる。


 ≪仕事が軌道に乗ったと思ったら、今度は女!? あたしは笑いもしない薄気味悪いユタナの面倒を見て、家事だってやってきた! それなのに、あんたときたら!≫


 ≪俺だってあんな子供を引き取りたくて引き取ったわけじゃない! 兄貴みたいに優秀じゃないし、魔法だって使えない! 仕事がうまくいってなかったから、兄貴の金が必要だったんだ! いまは儲かってるから兄貴の金には手を付けてない!≫


 ≪だったらあたしが貰う! あんたと別れるからお金がいるの!≫


 ≪血も涙もない女だな! ユタナの金だろ!≫


 ≪いまさら善人きどりか!≫


 最悪の現実、聞きたくない揉め事。ユタナは両親の写真を手にした。


 写真にぽたぽたと涙が零れ落ちる。


 もう消えてしまいたい―――


 心の叫び声は、誰にも届かない。


 両親を失った日から人生の大半を苦悩に費やしてきた。


 笑うことができない。つらくて毎日泣いた。それでも涙は枯れない。いままで流してきた涙をかき集めたら悲しみの海になるだろう。海底の静けさは孤独そのもの。そこから引き上げてくれる手が欲しかった。人々はそれを神の助けと呼んでいる。だが両親が死んで以来、神に祈ったことはない。あのとき、神がいないこと知ったからだ。


 神がいないこの世界で、涙の海底から海面に顔を出すことができたとしても、そこには太陽も月も存在しない。ここが暗闇でも、水平線の向こう側には、光の世界があるかもしれない……と、ユートピアを信じて進んでも、続くのは孤独な暗闇のディストピア。きょうもきのうと同じ景色が広がるだけ……


 死にたいと、生きたい。死にたいと思う気持ちの裏側には、生きたいと懇願する想いがあった。相反する感情だが、それはつねに同時に存在していた。


 消えてしまいたい……なぜ? 


 孤独、いじめ、苦悩……すべてから解放されるために死を選択する。だがもし、自分が望む方向に事態が動いたら……どう感じるだろうか? はたして本当に死を選ぶだろうか? だけれど自分が望む方向に事態が動くことはないし、幸せを感じられることなんてないと思っていた。


 死を選択する以外に、楽になれる方法がない……この欺瞞の世界から抜け出したいだけ……もし、ここに心の平安があるなら生きていたい……


 毎日、誰かが命を絶っている。人生の中で共鳴し合うのは、愛ではなく苦悩だった。光が当たらない世界にいる自分の姿は、誰にも見えていないのかもしれない……


 ママの遺言は、一緒にいてあげられなくてごめんね……


 本当に一緒にいたかった。


 パパの遺言は、未来に希望を持て……


 どうやって? 


 心が苦しい、誰か助けて―――好き好んで居場所のない人生を望んだわけじゃない。


 机に歩を進めたユタナは、机の引き出しからカッターナイフを取り出し、いくつかためらい傷を作ったあと、左手首を深く切った。鮮血が飛び散った瞬間、ユタナは痛みによって気を失った。



 

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