死にたかった魔法使いの少女と生きられない人間の少年との恋物語

愛花

第1話 プロローグ 

 太陽が輝く青い空に、真っ白な雲が流れてゆく。山間の砂利道に沿って根を下ろす木々の梢も、そよ風に乗って揺れていた。この静かな空間の中に、馬の足音が響いた。その足音は次第に大きくなり、やがて二頭立ての箱馬車が、この景色の中へと入り込んだ。


 手綱を握る御者が空を見上げて、首を傾げた。


 (なんかへんだな……)


 きょうのような晴れの日は、たくさんの鳥たちが飛んでいる。いまは雛を育てている季節なので、いつもなら空は賑やかなはずなのに、やけに静かだと思った。


 周囲の木々を見ても、翼を休めている鳥がいない。なぜ鳥の囀りが聞こえないのか……まるで嵐の前の静けさのようだ。だが、雨は降りそうにない。


 御者は周囲の様子に不安を感じていたが、車両の中にいる家族三人は落ち着いた時間を過ごしていた。


 六歳の誕生日を迎えたばかりのユタナは、母親似の長い赤毛を束ねながら、

澄んだ空のような水色の目を窓の外に向けた。買い物日和の良い天気に心を弾ませ、口元に笑みを浮かべた。おしゃれをすることが大好きなので街へ行くことが楽しくて仕方ない。


 景色を眺めていたユタナは、父のヤドルドに視線を移した。

 「どうしてもきょう街で買い物したかったの。わがまま聞いてくれてありがとう」


 ヤドルドは父親の代から診療所を受け継ぐ優秀な医者だ。この世界の医療は、魔法と医学を融合させて治療を行う。生まれつき魔力が備わっていなければ医者にはなれない。きょうは休日なので自分も街へ出たかった。だからユタナの誘いはちょうど良かった。


 「いいんだよ。パパも買い物がしたいからね。ところで何が欲しいの?」


 「パパとママが誕生日にプレゼントしてくれた靴に合う花柄のワンピースが欲しかったの」


 赤毛のボブヘアの母親のミナも目を輝かせた。おしゃれが好きなので流行には敏感だ。今年流行のデザインのスカートが欲しい。ちなみに夫婦で診療所を営んでいるため、彼女も魔法使いであり看護師だ。職業柄マニキュアや濃いめのメイクは普段はしないが、外出のときはファッションに合わせてそれらを楽しむ。


 「私もスカートとトップスが欲しいわ」


 「女性は欲しいものがいっぱいあるね」


 「ねぇ、パパ。お医者さんのは楽しい?」


 「楽しいときもあれば、大変なときもあるよ。人の命を救う仕事なんて誰にでもできるわけじゃないし、誇りに思っている。きっとこれがパパの天命なんだよ」と言ってから、人差し指から青い光を放った。「だから魔法が使える」


 ミナはユタナの成長をヤドルドに見せたい。親馬鹿かもしれないが、素晴らしい魔力を秘めていると確信している。

 「ユタナだって上手に魔法が使えるのよ。この子はすごいわ」


 「いいよ」ユタナはヤドルドと同じように人差し指の先端から光を放った。「ほうきに乗るのもうまいんだよ」


 「すごいじゃないか。ユタナには素晴らしい才能がある」


 ミナはユタナの将来を伝えた。子供は親の分身ではない。だから自分の好きな道を歩んで欲しいと思っているが、やはり自分たちと同じ道を選んでくれたことはとても誇らしいし嬉しい。

 「将来はパパみたいなお医者さんになりたいんですって」


 弱冠六歳だが自分の将来を決めていた。医者となり、多くの人の命を救う、ヤドルドと同じように自分に魔力が備わっているのは、そのためだと思っていた。

 「うん、あたし大きくなったらパパみたいになる」


 診療所の後継ぎはユタナだ。老後に現役を引退したあと、他人に診療所を任せるよりも、身内に任せたい想いがあった。それ愛娘ならこれ以上幸せなことはない。ヤドルドは嬉しかった。

 「ユタナは優しいし、たくさんの人を救える。いい医者になるよ」と、微笑んだ直後、突然、馬車が止まった。「どうしたんだろう?」


 「嘘だろ!? 大変だ!」


 と、御者が大声を上げたので、ヤドルドはドアを開けて外の様子を見た。すると空の彼方に巨躯な赤いファイアードラゴンが飛んでいたのだ。ヤドルドは目を見開き、息を呑んだ。


 ファイアードラゴンは灼熱の炎を吐き、すべてを焼き尽くし、灰にする。ファイアードラゴンが去ったあとは地獄絵図のような光景が広がることとなる。つまり、ドラゴンの中で最も恐れられている脅威の存在なのだ。通常ならファイアードラゴンの息の根を止めるために、そのあとを追いかけるドラゴンハンターが近くにいるはずなのだが、その姿が見当たらない。


 この王国のドラゴンハンターは、ドラゴンの狩りで生計を立てている。ドラゴンの鱗は鋼のように硬く、その上、魔力を帯びているため、身を守るための鎧や盾などを作るにはもってこいの材料となる。よって、売ると金になる。


 とはいえ、つねに危険と隣り合わせであり、居住地にドラゴンが出没した場合は、人々のためにも戦うので、結果として彼らは勇者や英雄のような存在となる。


 血相を変えたヤドルドは御者を急かした。

 「距離はまだ遠い。逃げよう!」


 御者は手綱を握る手が震えた。子供時代に住んでいた土地がドラゴンの被害を受けた。だからこそドラゴンの恐ろしさをを知っている。ましてやいま空を飛んでいるのは大型のファイアードラゴンだ。恐怖のせいなのか……とてつもなく大きく感じた。


 「馬の全速力でもそのうち追いつかれる。あいつの好物は人の悲鳴だ」


 「あなた、どうしたの?」と窓越しから外を見たミナは、空を飛ぶファイアードラゴンに驚愕し、目を見開いた。「大変だわ! なんてこと!」


 「ママどうしたの?」


 ミナは状況を訊こうとしたユタナを抱きしめた。気丈な言葉とは裏腹に身体が震えた。だが、親の自分が取り乱したら、ユタナがパニックを起こす。なんとか平静を装おうとした。

 「大丈夫よ。なんでもないわ」

 

 悠長に会話などしている暇などない。早くこの場から立ち去らなければ。ヤドルドは馬車の中へ飛び乗った。

 「逃げよう!」


 御者は手綱を握り、馬を走らせた。このとき鳥が一羽も飛んでいなかった理由を理解した。野生の動物は天候やその他の危険を察知する能力が備わっている。遠くからやって来るファイアードラゴンの気配を感じていたのだ。


 「行け――! 全力疾走だ! 追いつかれたら全員死ぬ! 命懸けで走れよ!」


 馬車が速度を上げて走る。砂利道のため振動が体を伝う。こんなにも荒っぽい馬車は初めてだ。幼いユタナにも緊急事態だということが理解できた。

 「怖いよ! ママ! どうしちゃったの!?」


 「大丈夫!」


 ユタナは窓越しに空を見上げた。すると生まれて始めて見る巨躯なファイアードラゴンが翼を羽ばたかせていた。ドラゴンの被害の経験はない。だが何よりも恐ろしいことはわかっている。悲鳴を上げてミナにしがみついた。


 「ママ、怖いよ! どうするの!? あたしたち死んじゃうの!?」


 「大丈夫! あたしたちは死なない!」


 ヤドルドはユタナの肩に触れた。

 「パパとママといれば心配ない」


 「パパの言うとおりよ。あたしたちは逃げ切ることができる」


 ファイアードラゴンは、高速で空中を移動する。なんとか逃げ延びたかったが、残念ながらあっという間に追いつかれてしまった。巨大な双翼をはばたかせながら、鋭い目で地上を見下ろし、勢いよく炎を吐き出した。周囲の木々は燃え上がり、熱い炎が吹き荒れる。


 熱さに耐えかねた馬は、前肢を高く上げ、鳴き声を上げながら暴れた。それと同時に車両も横転したため、御者席から放り投げられた御者は、ボールが弾むように地面に叩き付けられた。背中に強い衝撃を受け、起き上がれずにうめき声を上げた。ここから立ち去りたい馬は起き上がって逃げようとするも、綱に繋がれているうえに、三人が乗っている車両の重量もあるので、逃げるに逃げられない。


 車両の中で頭を強打したユタナは、意識を失っていた。ヤドルドとミナも体を強打し、痛みに顔を歪めた。ユタナを抱きかかえていたミナが腕を骨折した。しかしズキズキと痛む腕をいたわっている暇などない。気絶しているユタナを守らなければならない。


 ミナはユタナの顔を見つめて、もうこの手に抱くことのない愛しい姿を目に焼き付けた。


 まさかきょう死ぬことになるとは思わなかった。この子だけは絶対に守る。この子を守るためなら命は惜しくない。


 あなたは私の宝物よ―――愛してる。


 ミナはユタナに覆い被さり、炎から守ろうとした。


 ちょうど六年前、ユタナが産声をあげた。待ちに待った我が子が誕生した。ユタナはこの人生にこれ以上ないくらいの幸せを与えてくれた。親になる喜びを教えてくれた唯一無二の存在。赤ちゃんのユタナをあやすとかわいい笑顔を見せてくれた。どんなに疲れていてもその笑顔を見ると元気が出た。まさに天使だと思った。


 母乳を飲んでいるときはこちらを見上げてくる。その表情がなんとも愛らしくいまでも忘れていない。成長してしまえば、あのころの思い出はほんの一瞬のものだ。本当はユタナの成長を見届けたかった。そしてヤドルドもミナと同じ思いだ。自分の命を犠牲にしても守りたい。

 

 ファイアードラゴンが鋭い牙の生えた大きな口を開けると、溶岩のように熱い猛火がこちらに向かって放たれた。周囲は火の海となり、馬車も御者も一瞬にして灰になったが、ヤドルドとミナは空に向かって手のひらを向け、大きな光を放った。ふたりは炎から身を守るため、シールドの魔法を咄嗟に放ったのだ。


 ファイアーストームのような灼熱の暴風が吹き荒れる頭上には、青空はなく、見えるのは炎のみ。シールドを張らなければ、炎に呑み込まれてしまう。


 我が子を守りたい―――ふたりの指先は燃え、次第に炭と化し、いままで感じたことのない熱さと激痛に襲われた。


 ミナは、痛みに耐えられずに涙を零した。

 「あなた……もうだめ。あたしたちの魔力ではこれが限界……」


 普通のドラゴンならこのシールドで炎を防ぐことができる。だが、ファイアードラゴンの場合、魔力が強いため、ふたりが放つシールドでは防ぎきることができなかったのだ。これほどまでに自分が無力だと感じたことはなかった。

 

 「なんて強さなんだ……」


 「あたしたちの体が灰なる前に、最後の魔法を……」

 

 命と引き換えに自分自身にかける魔法……それしかユタナを守る手段がない。愛娘を守れるならやるしかない。


 「ソウルストーンを使うときが来たのか……」


 どのみち死を覚悟していたミナは、特別な魔法を使うためにシールドを放ったまま構えた。

 

 「愛してる。天国で逢いましょう」


ヤドルドもミナと同じように構えた。

 「僕も愛してる。天国で再会しよう。神はきっとこの子を見捨てたりしない」


 「ソウルストーン!」と声を発したふたりは、自分の体に魔法をかけた。


 ふたりの体は、みるみるうちに石像と化してゆく。だが手からは、シールドの魔法をずっと放ち続けていた。この魔法を使えば、どんな状況にでも耐えられる石の体となるが、命と引き換えになる。


 守りたいものがあれば死後も守り続けられ、倒したい敵がいれば死後も攻撃魔法を放っていられる。ただし、魔法には時間制限がある。魔法の効力が切れる前に、ドラゴンハンターが来てくれると信じ、この魔法を使ったのだ。


 その後、しばらくして、ようやく四人のドラゴンハンターが到着した。


 背丈ほどの大きな剣を背中に携えた筋骨隆々のふたりの男が、それぞれに大型の鳥類に乗り、黒頭巾を纏ったふたりの魔法使いがほうきに跨がっている。この地でのドラゴンハンターは、魔力は持たないが戦闘に優れた肉体派と、強い魔力を持つ魔法使いが組んでいることが多い。そしてドラゴンハンターの大半が男だ。


 銀色の髪と紫の目が特徴の若い魔法使いカルが周囲を確認した。銀色の髪が風に靡いた瞬間、眼下に広がる炎の海の中に僅かな光を発見した。その光から、ドラゴンの魔力とは異なる魔力を感じとり、すぐにシールドだということがわかった。しかし、ファイアードラゴンを食い止めておかねばシールドまで行くことができない。


 カルはファイアードラゴンを食い止めるために、手から光を放った。その光は弧を描きながらロープのようにファイアードラゴンの首にぐるぐると巻き付いた。その光のロープを、大型の鳥類に乗った男、ドーリヤに渡すと、「しっかり持ってよ」と言ってから、シールドが放つ光の方向へ飛んだ。


 ドーリヤは渾身の力で光のロープを自分に引き寄せた。上腕筋がさらに盛り上がる。

 「こいつ、すげぇ力だぜ!」


 光のロープで縛り上げられたファイアードラゴンの首が上を向いた。これで地上に炎は吐けない。だが、凄まじい力で双翼をばたつかせ、必死に逃れようとしているため、ドーリアでも長くは押さえておけないだろう。


 そして、カルと同年代のもうひとりの魔法使いジンが、彼が放った魔法と同じように、ファイアードラゴンの首に光のロープを巻き付けたあと、それをもうひとりの男、マッサに渡した。


 「俺もカルのところに行く。あの青い光のシールドが気になるんだ」


 ファイアードラゴンを引き寄せているマッサの腕に、光のロープが食い込む。普通のドラゴンなら、“余裕だ、任せておけ” と、言うところなのだが、きょうはそうはいかない。


 「なるべく早く戻ってきてくれ!」


 「きょうのドラゴンはクソでけぇからな。魔力が消費するからあんまり使いたくないんだけど」と、ジンはふたりに星のような光を放った。「これで頑張ってくれ」


 ふたりのたくましい体の筋肉が一瞬にして急激に増幅し、人の体とは思えぬほど膨れ上がった。彼がふたりにかけた魔法は、攻撃力と防御力を上げるものだ。


 「ジン! 早く来てくれ!」と、カルに呼ばれたジンは、そちらへほうきを飛ばした。


 眼下に広がる炎の中に、シールドの魔法を放つ石像となったヤドルドとミナを見たジンは目を見開いた。

 「ソウルストーンを使ったようだな。いったいなぜ……」地面に横たわるユタナの姿を発見する。「子供を守りたかったのか」


 ふたりが放つこのシールドの魔力では、ファイアードラゴンの熱から身を守るのは難しい。腕が灰になってしまう。


 「ふたりは子供さえ無事ならそれでよかったんだ。シールドの中心部なら熱くない。だから子供は生きている」


 「ソウルストーンを放ってからどのくらい時間が経つんだろう。さっさと救い出さないと、子供が危ない」


 「炎の中に侵入するとき水の魔法を放てば、突然シールドが切れても大丈夫だ。急ぐぞ」


 ふたりは急降下し、炎の中へ侵入するのと同時に、水の属性の魔法を放った。シールドの内部は、瞬時に水に覆われた。


 こいつらも水の魔法を放てばよかったのに……と、一瞬、思ったが、その魔力があればもっと強いシールドを張ることができた。


 (つまり命と引き換えにソウルストーンを放たずにすんだよな……自分たちの到着が遅れなければこの子の両親は助かったかもしれない)


 ヤドルドとミナの姿をした石像の前に降り立ったカルは、彼らの念がまだ残っていることに気づいた。そして、子供に対する強い愛と想いをも感じ取ることができたので、垂れ下がった袖の中から小さなカプセル型のアイテムを素早く取り出した。遺言カプセルは、この世に魂が残っている段階でなければ使用することはできない。なぜなら、魂の声を記録するアイテムだからだ。


 カルは、遺言カプセルの中に両親の最期の言葉を収めてあげようと考えた。上空には、光のロープだけで食い止めているファイアードラゴンがいるので、油断はできないし、早く事を済ませないとこちらの身にも危険が及ぶ。それでも、そうしたかった理由は、この子が生きる道を見失わないようにと願う彼の優しさからだった。

 

 「遺言カプセル……」ふだんのカルならあり得ないような行動に驚いた。「冷たいおまえがねぇ」


 「たんなる気まぐれだ」遺言をカプセルに収めるために、ヤドルドとミナの石像に話しかけた。「ふたりの勇敢な死者よ。お前たちの声を、この子に届けよう」


 ヤドルドとミナの姿をした半透明の魂が石像から抜け出した。ふたりの魂はユタナを守るために、ドラゴンハンターが来るまでこの世に留まりたかったのだ。


 魂は静かにゆっくりと声を発した。



 ―――ママはいつもあなたを愛してる。一緒にいてあげられなくてごめんね。

 

 ―――未来に希望を持つんだ。パパもいつもユタナを愛してる。



 遺言を言い終わると、ヤドルドとミナの魂は一筋の光となり、一瞬にして天へと消えていった。カルは、ふたりの遺言を収めた遺言カプセルを袖の中に入れて、ユタナを抱きかかえた。


 「魂はこの世界に長くは留まれない。逝くべき場所へ旅立った」


 「俺らもここから出よう」


 「ああ」


 ふたりは素早く上昇した。


 ユタナを見てジンが疑問を口にした。

 「その子どうするんだ?」


 「急いで街の診療所に届ける。魔法では心のケアはできない。目覚めれば泣きじゃくるだろう。俺たちではどうすることもできない」


 「人数が足りないから早く帰ってきてくれよ」と言った直後、「俺らもいるよ!」と後方から声がしたので振り返ってみると、他のドラゴンハンターがこの場に集まっていた。


 ファイアードラゴンの首にかけた光のロープも増えており、それを押さえ込む人数も増えていた。彼らにとって、ドラゴン退治は生計を立てるうえで大事な収入源でもある。巨躯なドラゴンの場合は、戦うにも苦戦を強いられる。現場には大人数が集まることが多い。


 他のドラゴンハンターの魔法使いがカルに言った。

 「こんなにでかい獲物を独り占めかよ。俺らも手伝うから、さっさとその子を連れて行け。当然、分け前は貰うけどな」


 「勝手に来て分け前よこせって意味わかんねぇよ。まあいいや、すぐに戻る」と、返事したカルは、弾丸のような速さで、街へと向かった。


 あっという間に街の上空にたどり着いた。街の住居のほとんどが赤い煉瓦の屋根だ。ファイアードラゴンの炎を彷彿とさせるこの景色が好きではない。


 ユタナに視線を移した。

 

 ユタナたち親子がファイアードラゴンの餌食になっていなければ、いまごろ街は火の海だったのだ。つまり、ドラゴンハンターが到着するまでのあいだ、彼らが標的となっていたことで、街への被害を食い止めることができたのだ。


 カルは思う……彼らには申し訳ないが、大惨事になるところだった……誰かの不幸が誰かの幸せとなり、誰かを救う……人生とは皮肉なものだ……と―――


 診療所の上空に到着したカルは、地上に降り立った。診療所の玄関を潜り抜け、院内に足を踏み入れた。廊下の先には待合室がある。その奥から、黒髪をひとつに束ねた看護師が、漆黒の瞳をこちらへと向けてから、駆け足で寄ってきた。化粧は眉を描くだけでおしろいを付けているくらいなものだが、透明感のある美しい肌の持ち主だ。


 「カル!」


 「ラーラ、この子を頼む。いま、ファイアードラゴンと戦っている。その犠牲者がこの子の親だ」


 「まさか……亡くなったの?」


 「ああ。この子を守って死んだ」


 もうひとりの看護師がカルへと歩み寄り、ユタナの体に触れた。

 「その子を病室に運ぶわ」


 カルはユタナを看護師に任せた。

 「任せた。たぶん怪我はしていないと思う」


 「先生に診てもらうわ」と、ユタナを抱きかかえた看護師は、病室に向かった。


 カルは、ラーラに遺言カプセルを渡した。

 「両親の最期の言葉だ。遺言の再生のやり方は知ってると思うけど、カプセルを潰せば遺言が出てくる。一度再生したらもう再生できない。魂はすでにあの世だから一度かぎりだ」


 「もちろん知ってるわ。最期の面会が果たせなかった家族にも使うから」


 「そうか。それじゃあ、仲間のところに戻る」


 ラーラはカルの腕掴んで、紫色の瞳を見つめた。目は心の鏡。ラーラは自分の感情を抑えきれなかった。彼と会うのは何年ぶりだろう……

 「カル、気をつけて」


 カルは冷たい態度でラーラの手を振り払い、背を向け、玄関に向かって歩を進めた。

 「俺のことは忘れろ。あの頃とはちがう……何もかも変ってしまったんだ」


 「カル!」


 引き止めようとしたが、何を言っても無駄だということはわかっている。


 なぜなら……ふたりはとっくに別れているのだから……


 ラーラは、カルの後ろ姿を見つめた。

 (彼のことが忘れられないのはあたしだけ……)


 玄関から出たカルはほうきに跨がり、あっという間に空へ飛んでいってしまった。


 ため息をついたラーラは、ユタナがいる病室に向かった。病室に入るとベッドに横たわるユタナの姿が見えた。


 ラーラは、ユタナの側にいる看護師に尋ねた。

 「先生の診察は終わったの?」


 看護師は答えた。

 「ええ、終ったわ。怪我はしていない。ただ、今後の心のケアが大事になると言っていた」


 「でしょうね」


 「ファイアードラゴン、怖いわね。こっちに来る前にドラゴンハンターが退治してくれるといいけど。先生が念のために警戒態勢をとるって言っていたわ」


 「そのほうがいいわね」ユタナの髪を撫でた。「あたしがこの子を見るわ」


 「わかったわ。お願いね」


 看護師が病室を出て行くと、ラーラはベッドの前に置かれた椅子に腰を下ろし、七年前の出来事を想起した。


 幼なじみのカルとラーラは、子供のころから仲が良かった。いつしかふたりは恋をするようになり、毎日が幸せだった。


 だが、悲劇は突然訪れるもので、この街がドラゴンに襲われた。比較的小型のドラゴンだったので、街への被害は最小限に食い止められたが、彼の両親が犠牲となった。当時、冒険家だったカルは長旅に出ていたため、ドラゴンの襲撃を知らずに街へ戻ってきた。


 生まれつき類い希な魔力の持ち主だったカルは、自分さえ旅に出ていなければ、両親を救えたのに……と、後悔の念に苛まれ、ずっと自分を責め続けた。その後、ラーラに別れを告げ、誰にも何も言わずに、この街を出て、ドラゴンハンターとなった。カルの仲間たちは、彼の過去を知らない。


 ユタナを見つめるラーラの目に涙が浮かんだ。


 (この子が心配。過去のカルのように自分を責めてほしくない)


 ユタナの顔にラーラの涙が零れ落ちたそのとき、ユタナが目を覚ました。


 馬車の中にいたはずなのに、白い天井が見える。ユタナは目で周囲を確認した。

 「診療所? ママとパパは?」


 ラーラは手にしていた遺言カプセルを見せた。

 「これ、なんだかわかる?」


 遺言カプセルを見た瞬間、ユタナは顔色を変える。子供にもこれが死者の声を収めるアイテムだということくらいわかる。目の前に遺言カプセルがあるということは、この中に収められた声の主はもうこの世にいない。


 ベッドから背を起こし、声を震わせて尋ねた。

 「そんなわけない……ママとパパが死ぬはずない。ママとパパはどこなの?」


 子供に両親の死を告げるのは、残酷だ。だが、この現実を伝えなければならない。ラーラは遺言カプセルをユタナに渡した。

 「彼らの声を聞いてほしい」


 ユタナは怖かった。自分を置いて両親が死ぬはずない、そう思いたかった。恐る恐る遺言カプセルを手のひらで潰すと、遺言カプセルからヤドルドとミナの姿をした白い煙が現れ、静かに言葉を発した。



 ―――ママはいつもあなたを愛してる。一緒にいてあげられなくてごめんね。

 

 ―――未来に希望を持つんだ。パパもいつもユタナを愛してる。



 まちがいなく両親の姿と声。確実なふたりの死を知ったユタナは、悲鳴に近い鳴き声を上げた。

 「あたしが街へ買い物に誘ったの! きょうは買い物する予定じゃなかった! もし、あたしが買い物に誘わなければママもパパも死なずにすんだ! あたしが悪いの! あたしのせいだ!」


 ラーラはユタナを抱きしめた。

 「ちがう! あなたのせいじゃない!」


 「ママ! パパ! ごめんなさい!」


 慰めるのは無理だと判断したラーラは、ユタナの額に手を当てた。その手から仄かな白い光が放たれると、ユタナは静かに眠った。


 廊下にいた看護師が、ユタナの鳴き声に驚いて、病室に入ってきた。

 「どうしたの!? 大丈夫?」


 ラーラは返事した。

 「いま鎮静の魔法をかけたわ」


 「両親を失ったショックは大きい。その子の精神面が心配よ」


 「あたしも心配だわ」


 看護師が病室を出ていくと、ユタナの体に布団を掛けた。そのあと、物思いにふける。


 生まれてきた以上、誰もが死を体験する。誰もがあす死ぬかもしれない。神様に健康と長寿を約束されている人はこの世にいない。国王ですら、命の保証はされていない。命は平等と言うけれど、そういう意味で平等なのだろうか?


 だけど、人生は不平等だと思う。何不自由なく暮らせる人もいれば、苦悩の多い人生の人もいる。結局、寿命だって人生に反映される。やはり命すら平等に思えない。そう考えてしまうのは、あたしだけだろうか?


 神様教えてください。そしてあたしの質問に答えてください、と神様に問いかけても、返事はない。いつも一方通行だ。だから、あたしたち人間には祈ることしかできない……


 それならせめて、この子のために祈らせてください。


 この子の心をお救いください。カルのように自分をせめてほしくないのです。この子の未来に希望がありますように―――


 そしてあたしは信じます。全人類が神の子であらんことを―――


 この祈りが天へと届いたのか……届かなかったのか……


 ユタナはこの日以来、心の病となり、笑顔を失った。

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