第7話 気になる姉妹
そんな猜疑心や、耽美主義が生まれる事件の背景には、時代的な背景がないとは言えないだろう。
耽美主義的な事件が生まれる時代背景には特殊なものがあり、猜疑心から生まれるものは、人を信頼するとバカを見るというような時代に出てくるのかも知れない。
不倫などが横行し始めた時期などには多いかも知れない。
しかし、実際にそれが社会問題となって、
「不倫なんて、珍しくもなんともない」
と言われるような時代になってくると、嫉妬することが当たり前のようになり。今度は冷めたような目で見るようになると、
「不倫なんて、もうみんなが当たり前のようにしているこの時代に、妬んだだけで犯罪者になってしまうなんて、実にバカバカしくなっちゃうよな」
ということである。
だから、確かに、離婚や不倫が増えてきたこの時代、不倫などで、寝とられたからと言っていちいち犯罪を犯すような人は、
「暇人なんじゃないか?」
と言われるだろう。
それほど、不倫や離婚は日常茶飯事、そんなことに嫉妬しているエネルギーがあるなら、新たな恋に走ればいいと思うかも知れないが、さすがにそこまでサバサバしている人は珍しいだろう。
だからこそ、猜疑心を理由とする犯罪は減っているかも知れない。しかし、逆に、もっとわけが分からない犯罪が増えているのかも知れない。
それは、衝動殺人というものである。
「感情的に、人を殺したくなったから、殺した」
というものであるが、
「いきなり感情が爆発してしまって、殺された人は可愛そうだ」
ということになる。
しかし、ここに一つ間違いがある。
「いきなり殺したくなって」
というところが違っているのだ。
というのは、殺したくなったのは、いきなりなどではなく、徐々にバロメーターが上がって言っていて、ある瞬間に、沸点に達してしまったのだ。
それがたまたまその時だったというだけで、決して、いきなり爆発したわけではない。
「なるべくしてなった犯罪」
と言えるもので、そういう意味では、本来の意味での衝動殺人というものは存在しないのかも知れない。
いや、言われている衝動殺人の意味合いを本人が勘違いしていただけなのかも知れない。
きっと、本人は、
「急に人を殺したくなった。相手は誰でもいい」
と思っているのかも知れない。
だが、実際には、じわじわ感情が盛り上がっていって、その瞬間の爆発だっただけで、風船だって、一からゆっくり膨らんでいき、ある地点になると爆発するのだ。
知らない人は、いきなり爆発したとしか思わないだろう。何しろ風船を膨らませている本人が、驚いて腰を抜かすわけだから。
そうやって考えてみると、衝動殺人にだって、捜査をしているうちに、犯人の内に籠められた感情が浮き彫りにされることで、その原因は、意外とハッキリしたものだったりするはずだ。
衝動殺人がどのようにして起こるのかというメカニズムは分からないが。時と場合によって、いくつもの糸が絡み合うことでできあがる殺意だってあるということだ。
下手をすれば、逆恨みだということもある。いや逆恨みがほとんどの場合だってあるくらいだ。
逆恨みするということほど、疑ってしまったことから起こるものだったりする。ただ、その場合は、考えが浅はかだった場合がほとんどで、
「感情よりも先に行動に移してしまった」
ということもあり、そういう場合の方が、よほど、悲惨なものであったりする。
そんな悲惨な状況が、場合によっては美しく見えたりもする。それが耽美主義だといわれることから、耽美主義と猜疑心から来る犯罪が似ているといわれるゆえんだったのかも知れない。
聡子の一件があってから、しばらくは、友達との行動は、あまり頻繁ではなくなっていた。つまり一人でいることの方が多くなったというわけである。
別に一人が楽だとか、一人の時間を楽しみたいとかいうわけでもなく、かといって、友達と時間が合わないわけではない。
急に気分的に、
「人と一緒にいたくない」
というそんな時間が増えたのだ。
孤独な時間というわけだが、思ったよりも嫌な時間ではなかった。毎日の時間の中で、一度、どこかの時間でそういうタイミングがあるのだった。
夕方くらいに訪れるのだが、決まった時間というわけではない。時間も三十分くらいのこともあれば、その日、寝るまで誰とも関わりたくないというそういう時間である。
「関わりたくない」
そう、ひと言でいわば、その感覚だったのだ。
そう感じるようになってから、一日一日があっという間に過ぎていく気がした。もう二年生も終わりに近づいていた。本来なら、年末の十一月くらいというと、
「そろそろ師走の慌ただしい時期、クリスマスなどがあり、正月へと向かうあの時期、結構好きなんだよな」
と感じていた。
ただ、クリスマスというと、その頃から、彼女と一緒に過ごすというのが、定番のようになっていて、いつも、クリスマスやバレンタインの時は、街の賑わいをよそに。一人であった。
そのくせ、何に期待しているのか、その時期はソワソワしてしまうのだ。
逆にホワイトデーでは、バレンタインでもらえなかったわけなので、ドン引きしてしまう。ただ、この時は、世の男性のほとんどを知らないが、少なくとも自分の知り合いのほとんどはドン引きしているので、仲間がたくさんいて助かったと思っていたのだった。
年末が近づけば、楽しい気分になるのは、演出に騙されているからなのかも知れない。
11月の終わり頃から、街はイルミネーションと呼ばれる電飾で飾り付けられ、街のあちらこちらから、いくつものクリスマスソングで溢れている、
「ジングルベル」
「赤鼻のトナカイ」
などは本当に昔からだが、
「ラストクリスマス」
「クリスマスイブ」
「恋人はサンタクロース」
などの、定番曲が聞こえてくると、浮かれた気分になるというものだ。
ちなみに、クリスマスの本番というと、基本的には、24日のイブの夜ということになっている。クリスマスイブというのは、その前夜という意味で、クリスマスの25日が本番のはずなのに、なぜなのだろうか?
実は、ここに、宗教的な意味合いが含まれている。
キリスト教の一日というのは、前の日の日暮れから始まると言われている。普通であれば、午前0時を境なのだが、ただその方が説得力があるというものだ。
午前0時というのが、一日の始まりと言われても、時計があれば分かるのだが、逆にいえば時計がなければ、どのタイミングが日付の変わり目なのかというのが分かるということなのか、時々オカルト小説やマンガなどで、
「同じ日を繰り返す」
などというシチュエーションがあるが、それは、午前0時が起点であった。
「どうしてその時間なのか?」
ということを考えたことはなかった。
考えたことのなかった自分が、何か恥ずかしいと思えてくるほどであった。
まるで図ったようなクリスマスではないか。
恋人同士が、イブの夜にホテルにしけこむ。まさに、それこそクリスマスだと言わんばかりである。
人気ホテルなどは、半年も前から予約済みだったりする。夜景の綺麗なホテルだったり、レストランでおいしい食事をして、その階上にしけこむというお膳立て、いったいクリスマスというのは、いつから、カップルがしけこむ日になってしまったのか?
実に嘆かわしいと思っている世の男性、いや、男性だけではなく、女性も相当数いることだろう。
この日だけは、予約をせずに利用しようとしても、絶対に無理なのは、チキン屋さんと、ラブホテルの部屋などであろう。もっとも、ラブホで予約などできるはずもなく、クリスマス本番の時間になると、一気にドン引きしてしまい、クリスマス気分は、その前日までだったことを、思い知らされるのだった。
これは、正月にも言えることだった。
正月というのも、大晦日の、日付が変わるまでだ。
年末のテレビ番組で、どこもカウントダウンが始まり、日付が変わったとたんに、
「おめでとうございます」
という能天気なアナウンサーの声が聞こえてきた瞬間に、一気にドン引きである。
そこから先は、一気にテンションが下がっていって、
「じゃあ、お休み」
と言って寝るだけだった。
中には。
「これから初詣」
「これから初日の出を見に行く」
などというエネルギッシュな人もいるが、須川は、そんな気になれるわけもなく、とりあえず、
「どうでもいいや」
と考えるだけだった。
特に正月は、何が嬉しいというのか、子供の頃は、お年玉くらいだったか、朝起きてきて、家族でおせち料理とお屠蘇、お雑煮でお祝い? 完全にドン引きしているので、楽しくも何ともない。
おせち料理も、おいしいとは思わない。縁起物と言って入っているものは、当然和風のものばかり、子供の口に遭うものではない。
さらに、テレビでやっている番組も、中継で初詣を映していたり、スタジオでは、くだらない漫才や演芸をやっているばかりだ。何が楽しいというのだろうか?
さらに、もっとドン引きなのは、年賀状だ。
去年せっせと書いて、
「いつまでにポストに入れれば元旦に届く」
などということを言われ、それまでに書いておいたものだ。相手にも届いているだろうし、送った相手からも届いているはずだ。
「何が楽しくて、手紙のやり取りをするんだ? 内容は、皆決まった内容じゃないか。それも、絶対に上げたい人だけに送るわけではなく。どうでもいい人、下手をすれば、嫌いな人にまで送らなければいけない。それは親の都合というもので、
「子供会のメンバーの息子さんだから」
などという理由で、好きでもないやつにわざわざ年賀状を書かないといけない。
子供心に理不尽に感じていた。
さらに嫌だったのは、当時は今のように
「元旦から開いている店がある」
などというところはなかった。
何しろ、当時はコンビニすらない頃だったので、薬屋ですら閉まっていたのだ。
せっかくお年玉をもらっても買いに行くところもない。遊びに行くとすれば友達のところしかない。
友達のところに行くと、遅くなることもあるだろう。
「皆遅くなったので、泊っていってもいいわよ」
と友達のお母さんは言ってくれた。
皆親に連絡し、泊れる手筈を整えていたのに、須川の家だけ、
「帰ってこい」
と言って叱られた挙句、涙を流しながら、どれほど惨めな思いをしながら家に帰ったことか。
友達のお母さんが説得してくれたが、須川の親は承知しない。結局、泣く泣く帰らされるという、惨めな結果になるのだった。
「なんで俺だけがこんな目に」
と言って情けない気分にさせられる。
もうこうなっては、ドン引きどころの話ではない。正月が来るのがトラウマになるくらいだった。
そもそも、須川家では、人が家に来ることはなかった。以前は親せきが来たりしていたがそれもない。そのくせ。親せきに呼ばれると、家族で出かけていく。ただ、それもあいさつ程度のための、挨拶すらしたくないという親の雰囲気がダダ洩れの状態だった。
そんな親を見ながら、
「なんと情けない家に生まれたんだ」
と感じ、さらに、
「生まれてくる際に、子供は親を選べない」
と痛烈に感じたものだった。
この時の経験がトラウマになってしまい、今でも、夢に見たりするくらいだった。
一人でいるようになった頃、大学で、一人の女の子から声を掛けられた。
「正樹お兄ちゃん」
と言って、声をかけてきたのは、どこか見覚えはある気がするのだが、正直ハッキリとはしなかったので、きょとんとしていると、
「私よ私。本田由香子よ」
というではないか。
すぐには思い出せなかったが、小学生の頃、初恋の相手だったあの子の妹ではないか。
小学生の時の初恋の女の子だった、
「本田つかさ」
彼女はその妹である。
確か二つ下だったと思うので、現役で入学して、今一年生ということか。いつも元気な女の子で、あれだけ引っ込み思案のお姉さんとはまったく正反対の性格だった。まるで、
「お姉ちゃんのものは、全部私がもらうわ」
とでも言いたげなほどに目立とうとしていたのは、今からでも思い出せるほどだったのだ。
「由香子ちゃんも、この大学だったんだね?」
「うん、本当なら、もう一ランク上の大学でもよかったんだけど、そうすると、浪人になってしまうので、それはうちの家計からいくと難しそうだったので、この大学に現役入学ということにしたの」
という。
雰囲気は子供の頃と変わっていないが、ずいぶんと大人びたものだ。
何しろ、知っているのは、少女というよりも、幼女と言ってもいいくらいで、ロリコンおじさんであれば、目に入れても痛くないというくらいに思うくらいの年頃だったのだ。
「お姉ちゃんは元気にしてる?」
「ええ、元気にしてるよ。現役で東京の方の大学に入学して、今は向こうにいるわ」
というではないか。
ずいぶんと差をつけられたと思うと、何か悔しい気がしてきたのだ。
それから、由香子は自分のことを話し始めた、聞いてもいないこと、普通なら聞きにくいことでも、彼女は自分から話してくれた。ひょっとすると、話ができる人を探していたのかも知れない。
由香子が、絶えず姉を意識していたのは、話を聞いていてよく分かる。
確かに、姉を知っている相手に、姉の話題を出すことは分かりやすいと思ったからだろうが、彼女自身が姉を意識し、ライバル視していたことは十分に分かる。しかし、あの頃の須川と姉の確執など知る由もないだろうから、遠慮なく姉のことを口にしていた。そうしながら、意識してディスっているようだった。それも相手に、
「私は姉を意識しています」
ということを意識させながらである。
ひょっとして、
「そんなお姉ちゃんよりも、君の方がよほどかわいいよ」
とでも言われたいのか、それとも、ライバル視して粋がっている由香子に対して、
「そんなに気を張らずに、気楽にいけばいいんだよ」
と言ってもらいたいのか。
どちらにしても、由香子には、あざといところがあるのは確かだった。
だが、須川には許せた。許せたというよりも、これが彼女のかわいらしさであり、魅力の一つだとまで感じるほどであった。
さらに須川は由香子を見ながら、
「この子を見ていると、彼女のこれまで育ってきた状況だけではなく、姉の後姿まで見えてくるようで不思議だった」
と感じるようになっていた。
「私、彼氏いないからフリーだよ」
とあっけらかんというではないか。
まるで、
「私フリーだから、彼女になってあげてもいいわよ」
とでも言いたげだ。
明らかな上から目線に感じられるが、それも悪いという気はしない。
「俺って、ずいぶん、この子に甘いんだな。まさか、つかさに対しての反動から何だろうか?」
と感じたのだ。
実はその頃の須川は、いわゆる、
「素人童貞」
だったのだ。
昔からあったような、大学生になっても童貞の男には、
「先輩のおごり」
で、童貞を卒業させてもらうという、風俗による初体験は済ませていたが、彼女がいた時期もあったが、そこまで発展することはなかった。
ひょっとすると、相手はその気だったのかも知れないが、須川自身に度胸がなかっただけなのかも知れない。そんなことを当事者である間に分かるはずもなく、別れた後になって、時間をかけて考えれば、やっと分かるというレベルであった。
そんな状態だったので、初恋だった人の妹と、付き合うということに対しても、違和感を感じるのに、それ以上ともなると、想像すらするのが罪であるという感覚になっていたのだった。
さすがに、そんな不埒なことを考えること自体、許されることではないと考えると、
「普通に友達としてであれば、意外といけるのではないか?」
と思うのだった。
しかし、実際に話をしてみると、二つしか違わないのに、話題がついてこない。それでも、何とか由香子は付き合ってくれているようだった。
そんな様子を見ていると、
「これだったら、俺の方が話に合わせられるようになるまで、待ってくれているだろう。だから一生懸命に話を合わせられるように頑張ろう」
と思うのだったが、そう思ったのを予知したのか、それからすぐに、由香子は、須川から距離を置くようになった。
「これがあざとさなのか?」
と感じたが、どうもそうではないようだ。
実際に嫌われているのではないかと思うほどになり、それまでのあの思わせぶりな態度は何だったのだろう?
再会してから、そんな風になるまで、考えてみれば、三か月もかからなかった。実際にはもっと経っているだろうと思っていたのだ。なるほど、なかなか馴染めないと思ったはずだ。合わない話を合わせようとしているのであれば、二か月くらいなら、許容範囲で、三か月くらいまで、スムーズに行っていた時期とのギャップは埋まるはずもないくらいである。
須川本人としては半年くらいは経っているつもりだった。それくらいであれば、話が合わなければ、自分の話下手を真剣に悩んだとしても仕方がないだろうからである。
それにしても、彼女の心変わりはどこにあるのだろう?
確かに天真爛漫で、天然なところがあった。心変わりをするのも分かる気がするし、心変わりをする場合、ケロッとしてしまうくらいの女だということは分かっていたような気がしていた。
ただ、天真爛漫というのは、
「罪のないこと」
であって、あざとさではなく、あどけなさが垣間見えるものではないのだろうか。
彼女の場合は、最後はあざとさではなく、真剣に上から目線だったのではないか? と感じさせるところがあった。
しかし、別れてしまって、その時のことを思い出そうとするとできないのだった。
完全に、意識が飛んでいるのだ。まるで夢でも見ていたかのような感覚になり、好きだったのか、そんなに真剣ではなかったのかということが曖昧になってきて、気が付けば、別れていたという感じであった。
もし好きだったとすれば、どこが好きだったのか。
天真爛漫さだったのか、それとも、天然なところか、はたまた、姉とは似ても似つかないところなのか、いろいろ考えた。
確かに姉とはまったく違った。といっても、今の姉を知らないだけに、どんな女の子になっているのか、興味はあるが、妹とこのような形になってしまった以上、いまさら知ったところでどうなるものでもない。
もし、それを知りたいという思いがあったのだとすれば、
「今のつかさに遭ってみると、自分の好み通りの女の子になっているかも知れない?」
と考えたからだ。
「俺の好みって、いったいどういうものなのだろう?」
と考えてみたが、簡単に思いつくものでもなかったのだ。
「つかさに会ってみたいな」
と思い始めると。今度は、由香子と別れてしまったことがもったいないと感じるようになった。
ただ、どちらかから、
「別れよう」
と切り出したわけではなかった。
もし、逆に、正式に別れ話をしていれば、ひょっとすると、また付き合いを続けられたか、それとも、正式に別れられたかも知れない。
しかし、もしここで復縁できたとしても、最終的には別れが待っているような気がして、その時、
「あのまま、自然消滅していた方が、お互いに傷つかなくてよかったかも知れないな」
と感じたかも知れない。
しかし、自然消滅というものが、ここまで寂しくて情けないものだとは思わなかった。確かに、傷つくことはないかも知れないが、それだけに、しばらくの間、頭の中に彼女のことが離れず、別れたことを後悔しているに違いない。
頭の中で、何かモヤモヤとしたものが渦巻いていて、次第にその渦の中に、記憶にも残らず、寂しく消えていくものだと須川は感じていた。
記憶というものがいかに曖昧で、いかにいい加減なものなのかということを思い知るのは、それから少ししてのことだった。
あれは、退学三年生が終わり、四年生になってすぐだっただろうか。そろそろ就活を考えなければいけない時期に入っていた。
まだ、自分たちの頃は、就職活動の正式な解禁というのは、十月だった。
だが、実際に十月になって活動などしていては、もう完全に手遅れである。
実際には、四年生になってすぐに活動を始めなければならない。基本的には六月末くらいまでには、有力企業の第一次面接の予約は締め切っているのが現状だった。
友達が教えてくれなければ、呑気だった須川は、完全に乗り遅れるところだった。
その時に二、三人であったが、頼れる友達を作っておいて本当に良かったと思うのだった。
その友達のおかげで、就職戦線に乗り遅れずに済んだのだが、さすがに成績の悪さだけは、どうしようもなかった。
それでも、何とか、八月くらいまで、何十社という会社を受けまくり、あがいてはいたのだが、思ったようにはいかずに、ほとんどの会社は、一次審査にも合格できず、内定が一社ももらえないという惨敗状態だった。
就職活動をしている間に、友達が数人できたが、彼らがいうには、
「十月までに、内定がもらえなかったら、結構きついかもな」
ということであった。
八月中旬くらいまでは、自分の行きたいジャンルの会社を目指して就職活動をしていたが、
「これではダメだ」
と思い、業界の幅を増やして、その業界のことも勉強し、真摯に就職活動と向き合ったのだ。
それでも、なかなか難しく、九月に入り、半ば諦め気味で受けた会社、二、三社から内定通知を貰うことができ、何とかホッとできたのだった。
何とか、就職活動も終わり、卒業のめどが立ったことで、ふっと気が抜けてしまっていた。
友達は、旅行に行ったりして、最後の大学生活を満喫しようと計画していたが、少しの間、就活での疲れが残って、精神的にまだ、身体に震えが残っているほどだったのだ。
そんな状態でなかなか、重い腰が上がるわけもなく、
「もう少し、ゆっくりすることにする」
と、旅行に誘ってくれた友達に断りを入れ、少し落ち着くことを選んだのだった。
だが、悲劇というのは突然襲ってくるもののようで、それから少ししてのことだった。須川に思いもよらない悲劇が襲ってきた。
その日は、数日間、ずっと家にいて、身体に根が生えるのではないかと思うほど、身体が重たくなっていたので、
「これではダメだ」
ということで、何とか買いものにでも行こうと思い立って、夕方くらいから出かけた時のことだった。
帰る頃にはすっかり、夜のとばりは下りていて、バスを降りてから、家に帰ろうと歩き始めていた。久しぶりに歩いたこともあって、身体の平衡感覚が少しおかしくなっていたのだろう。
それに、どこか寂しさが募っていたので、足元ばかり見て歩いていたようだった。
実際に、フラフラしているようだったと、後になって聞かされたのだが、ただ、どうもその時、須川には何か予感めいたものがあったようだ。
そして、気が付けば、病院のベッドの上にいた。頭には訪台がグルグル巻きになっているようで、足は、ギブスがまかれていた。他にも悪いところもあるようで、明らかに身体全体が損傷していて、起き上がることもできないようだった。
「君は交通事故に遭ったんだ」
と医者から説明されて、
「やはりそうなのか?」
と心の中でつぶやいていた。
さらに、医者は、痛烈なことを口走った。
「どうやら、君は記憶を失っているようなんだ」
というではないか。
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