第6話 猜疑心
その男が、聡子と付き合っていた男だったとは、最初は知らなかった。しかし、さすがにいくら恋愛に疎い須川だと言っても、ここまで露骨なことをされると、勘づかないわけもない。何しろいつもは、二人だけでしか過ごしたことのないその場所に、他人が入り込むなどありえないと思っていたからだ。
だが、それはあくまでも、須川の勝手な思い込みであり、いくらなんでも、それを相手のせいにしてはいけないのだろうが、
「聡子には彼氏がいて、その彼氏と別れそうになっている」
というようなそんな話を外野から聞かされていたのだから、怪しむくらいは当然のことであろう。
そのウワサを持ってきたのが、友達だと自認している人であり、須川にとっては、
「友達の中一人」
というだけであり、それ以上でもそれ以下でもない。
下手をすれば、挨拶だけの相手だと言ってもよかった。それだけに、その人の話には須川に対しての忖度という意味では、限りなくゼロに近いだろう。それだけに、信ぴょう性はあるような気がするのだった。
ただ、
「くだらないウワサの伝道師」
というだけなのかも知れない。
結局、
「信じる信じないは、本人である須川の胸三寸」
ということである。
だが、情報が最初からあっての状況が、判断するにいたるだけの条件を満たしていれば、それは十分にありえることだといえるのではないだろうか。
そう考えると、その場というのは、
「俺はまるでピエロか何かか?」
という思いを抱かずにはいられない。
いつものように、授業を受けて、そして、これもいつものように、喫茶店に入って、コーヒーを注文した。普段と変わらない時間だった。
手放しで喜んでもいい時間。それなのに、須川には何か違和感があった。不安な気持ちが心の中のどこかにあり、何かに怯えているほどの感覚だった。
しかし、そんなところに、
「やあ、石坂さん、こんなところにいたんだね?」
と言って、聡子に声をかける一人の男がいた。
この瞬間、何か違和感があった。ぎこちなさとでも言っていいのだろう。そもそも、待ち合わせでもしていない相手に、
「こんなところにいた」
などという言葉は不自然ではないだろうか。
この言葉をいうのは、かなり親しい相手か、その日、最初から待ち合わせでもしていた相手でもなければ成り立たない。
「ええ、最近ここによく来るんです」
と言って答えた聡子には焦りや狼狽えの雰囲気は一切感じない。
まるで最初から決まっていたセリフを吐いているがごとくであった。
「この二人、知り合い?」
と思ったが、それも、結構深い仲だということもよく分かった。
しかも、そのわりに、まったく嬉しそうではない。ぎこちなさは感じられた。そこまで思うと、この間からのウワサ話が頭をもたげたのであった。
「これが、お付き合いをしている相手?」
と感じた。
悔しいが、キリっとした甘いマスクに端正な顔立ち、癒し系の聡子とでは、お似合いに感じられた。
しかも座った席は、最初、須川と聡子が四人掛けの席で、対面で座っていたのだが、聡子が、彼に気づいた時、さっと、隣の席に置いていた荷物を、足元に移動させた。
ただ、須川の隣も荷物は何もなかった。荷物があったとしても、最初から避けるつもりはなかったのだが、もし、この男が長居をしようと企んでいると感じれば、荷物を避けるくらいはしたかも知れない。
それなのに、その男は、何のためらいもせずに、聡子の隣に座った。別に、
「ここ、いいかい?」
という言葉を発するわけでもなく、当たり前のように座ったのだ。
勝手に相手の性格を読んで、
「こうでなければいけない」
という思い込みはいけないのだろうが、その時感じたこの男であれば、これくらいの心遣いがあってしかるべきだと思えたのだ。
自分の想像に違えるだけの行動をしたのだから、やはり、それだけこの男が、聡子との関係がある男だということを証明しているかのように思えたのだった。
もちろん、須川が最大級の違和感を持っているので、おかしいと思ったのだが、知らない人だったら、この二人のさりげなさに、騙されたことだろう。
だが、それだけ聡子に癒しを感じ、徐々に恋心を育んできた須川にとって、目の前に現れたこの男は違和感でしかなく、苛立ちを覚えないわけにはいかない男だったのだ。
さすがに、いつものような会話をできるはずもなく、
「この男の存在が、ここまで自分を、蛇に睨まれたカエル状態にしてしまおうとは思ってもいなかった」
と感じさせたのだった。
会話のない時間が、ただ過ぎていくのがこれほど辛いことだということを、須川は思ってもいなかった。
そのうちに、さすがに居たたまれなくなったのだろう。男は、
「それじゃあ、そろそろお暇しよう」
と言って、席を立った。
その後に、須川は信じられない光景を見ることになった。なんと、男が立ち上がったのを見て、おもむろに、聡子も立ち上がったのだ。
「えっ? 君も?」
とビックリして、その次に焦りを感じた。
焦りを感じてしまったことで、何も言えなくなり、二人が、そのまま示し合わせたように、目の前からいなくなるのを、ただ茫然と見ていた。
何か会話を交わしたような気がしたが、会話の内容など、覚えているわけもなかったのだ。
「一体、何を起こったのだ?」
と思ってただ、茫然と一人取り残されたが、しばし、自分が冷静さを取り戻すまで、そこから離れることができなかった。
「どうして、俺が一人取り残されなければいけないんだ?」
これを感じるのは当然のことである。元々は、いつもの二人のルーティンであり、二人にとっても、暗黙の了解だったのだ。
それを、勝手に表れて、その場を乱しておいて、しかも、攫うように彼女と一緒に出ていくなど、
「何て奴だ」
とばかりに、男に苛立ちを抱くのは当然として、
「なぜ、彼女もこのぶしつけな男に伴って行動しているんだ?」
と感じた。
「行動させられている」
ではなく、自分から、
「行動しているのだ」
ということは、須川にとって、とても、容認できることではない。
「では、この男はどういう用事があったのだ? しかも、二人だけの用事なら、自分をまきこむ必要などないではないか?」
と思うのも当然のことだ。
となると考えられるのは、
「この俺を含めた。いや、二人にとって、今回の主役は、この俺ということになりかねないではないか」
そこまで思うと、これが、二人の計略であり、
「元カレであった、この男に、須川という男を見定めてもらったのではないか?」
としか思えないではないか。
これは、さすがに男としてのプライドが許すわけもなく、顔を真っ赤にして怒りに震えたとしても、いいレベルのことである。
それを思うと、自分だけが置き去りにされた? いや、おざなりにされたと言ってもいいだろう。
「聡子はこんなやつと付き合っていたのか?」
と思い、最初は聡子に同情的だったが、
「いや、待てよ。聡子だって、十分に納得した行動のはずだ。それでなければ、却って惨めな思いをしなければいけないレベルの問題だ」
と感じたのだ。
聡子にとっての、あの男から比べれば、ただの友達に過ぎなかった須川。聡子はあの男と別れるに伴って、自分のまわりにいる男たちに、初めて意識を向けたのかも知れない。
「この男と別れたあとに、まわりの男たちが自分をどういう目で見ていたのかということを、自分は分かっていなかった」
と感じたとすれば、それを知りたいと思っても、不思議ではない。
ただ、本当に好きだった相手と別れることになったそんな状態で、いきなり考えられるかどうかは、須川にしては、甚だ疑問ではあったが、ありえないことではない。
そこで、彼女とすれば、元カレの目から見た、自分のまわりの男たちを、
「品定め」
してほしいと感じたのではないだろうか。
そう思うと、品定めされた男たちは、まるでまな板の上の鯉ではないか。前述のように。「ピエロのようだ」
と思ったのも、そういうことだったのだ。
こんな惨めな思いをしたのは、久しぶりだった。もし、聡子がそこまでの気持ちでなかったとしても、今回の行動は、須川が知っている聡子からは、まったく考えられない他愛度を取る女だったのだ。
それを思うと、これまで聡子に感じていたあの、
「癒し」
のイメージが、音を立てて崩れていくような気がした。
「あれだけ好きだと思っていたのに」
と感じたが、次の瞬間、
「あれ?」
と思った。
「俺がいつ、聡子のことをそこまで好きだったと感じていたのだろうか?」
という思いであった。
確かに聡子という女性を、
「癒し」
の感覚で見ていたのではあったが、ここまで好きだという感情が本当にあったのだろうか?
ゆっくりと育んできたところに、あの男が登場してきたことで、嫉妬心が芽生えてしまい、
「奪われたくない」
という思いからか、何か焦りのようなものが生じていることから、それだけでは収まらない心のわだかまりがあったのではないかと感じたのだ。
「もう、聡子のことなんか忘れてしまえ」
という思いと、
「この苛立ちを与えた聡子という女に対して、一矢報いる何かがなければ気が済まない」
という思いが交錯した。
だが、先ほどの男に対しての怒りは不思議となかった。感じたのは。
「あの男は、聡子の思惑を知ってか知らずかの態度だったのだろうか?」
という思いと、
「いやいや、思惑を知らないわけはない。聡子に黙って利用されようとしたのか?」
と感じた。
男とすれば、聡子と別れたいと思っているところに、自分のまわりにいる男たちを紹介されて、聡子に似合う男をあてがえば、ここで別れることを、この俺のせいだという意識を分散させることができると考えたのかも知れない。
そんな風に思っていたのだとすれば、聡子との利害は一致し、
「円満に別れることができる」
と考えたのではないだろうか。
どちらにしても、二人が須川に、いや、須川だけではないのかも知れないが、やったことというのは、おおよそ許されることではないと思えてならなかった。
しかも、
「可愛さ余って憎さ百倍」
というだけないか。
この時の須川の心境は、まさにその通りだったのではないだろうか。
相手の男が果たしてどういう意見を聡子に行ったのかというのは気になるが、どうせ、
「あいつでは心もとない」
というのが本音だっただろう。
しかし、男としては、聡子に潔く別れてほしいという思惑があったのだとすれば、
「あいつはいい男なんじゃないか?」
というだろう。
どっちに転んでも、失礼千万な二人が、こんなジャッジをすることすら、許されることではないだろう。
自分たちの納得のためだけに、女のまわりにいる男性たちをジャッジするなど、もってのほかだ。もし、これを須川以外の男性にもしているとすれば、今度は逆に、聡子が、この男のまわりの女性をジャッジしていたのかも知れない。
「この二人は、本当に痛いカップルだ」
と言われても、無理もない二人だと言ってもいいのではないだろうか。
そんなことを考えていると、
「残念だけど、この喫茶ルームに来ることは、当分はないな」
と思った。
「ほとぼりが冷めれば、また来ることになるかも知れないな」
と感じたとすれば、それは、あくまでも、須川は、
「自分が悪いというわけではない」
ということを、十分に自覚はないということだろう。
「悪いのはあの二人であって、この喫茶室にも、この俺にも一切の落ち度はないのだ」
と感じた。
そういえば、須川がそれから以降、何人か付き合うことになったのだが、その時にでも、この時のようなひどい仕打ちをされたこともないし、
「自分にはまったくの落ち度があったわけではない」
と感じたことはなかったのだ。
そんなことを感じていると、須川は、聡子のことが本当に好きだったのかどうか、考えるのも嫌になった。
「好きだったのではなく、癒しを求めていただけなんだ。だから、求めた相手を間違っていたわけではない」
と思うのはあくまでも、
「自分に落ち度はない」
ということを証明したいだけだった。
その証明がいったん出来上がると。それが免罪符になり、それ以降、自分に対して相手がいかに思っているかを判断してもいいという免罪符であった。
そもそも、そんなものなど必要があるはずなどない。
それなのに、なぜそんな感情になるのかというと、
「それだけ、自分には、本当の恋愛というものをしたことがない」
という証拠だと思ったからだ。
「本当の恋愛って何なのだろう?」
本気の恋愛というものなのか? だったら、本気というのは何なのだろう?
好きになった人を守りたいという感情なのか? それとも、守りたいという人の登場で、自分が変わったということを確かめられるものだからなのだろうか?
もっとも、守りたいという感情と、本当の恋愛というものをくっつけて考えるにふさわしいものなのかというのを考えてしまう。
好きになった人のことをあきらめるというのが、どれほど辛いのか、あの時の二人に分かっていたのだろうか?
もし、二人に罪があったとすれば、その辛さから、逃げようとしたからではないのだろうか?
須川は、聡子と縁が切れてからしばらくして、そんな風に感じるようになった。
聡子のことは、意識しなくなっていったが、二人が自分にした行動に対しては、結構考える機会があった。
「考えては、打ち消して」
というのを何度も繰り返していたが、その感情がどういうものなのか、いや、この感覚は感情ではなく、考察であるということを感じ、感情を振り払うことで、彼女のことを忘れなければいけないと思うのだった。
それにしても、こんな仕打ちを受けた自分が、忘れるために努力しないといけないなんて、理不尽なのではないかと思ったが、この理不尽さをいかにその後の自分の人生に生かせばいいのか、その時に分かるはずもなかった。
しかも、年齢を重ねるごとに、そんなことを考えるのも嫌だったし、
「考えないようにしよう」
とすら思ったほどだった。
それから、二人の心境について、いろいろ考えてみることにした。
ほとんど恋愛関係を結んだ人がいるわけではないのに、考えて何が分かるのか? と考えたが、どうにも自分なりに納得できないのは嫌だった。正直、
「舐められている」
としか思えないからである。
「そもそも、聡子という女性がそういうことをする女だったのか?」
というところから考えてみたが、
「そんなことを考えることができる女性でなければ、偶然思いついたとしても、行動に移すだけの根性じゃないだろう」
もし、そんな気持ちが頭のどこかにないのであれば、思いついてから、行動するまでに、一つ何かクッションがあるのではないだろうか。そのクッションは、行動するための起爆剤のようなものであるならば、思いついただけで行動するには、やはり日ごろから頭に描くことのできる性格でないとできないことではないだろうか。
それを考えると、須川の女を見る目がなかったということなのだろう。だから、あんな男と付き合うことになったのだろう。
聡子はそんな性格だから、あの男と知り合ったのか、それとも、あの男が聡子のそんな性格を見て、同類だとでも感じて近づいたのか。まわりから見て、
「誰が見ても、羨むくらいのカップルだ」
と言われていたようだが、それは、
「美男美女」
ということでなのか、それとも、
「性格が合う二人であり、その性格がいいことから、言われていたことだ」
ということなのか、それによっても違ってくる。
ただ、美男美女と言われているばかりなら、意外と性格的に腐っているカップルも結構いたりする。特に顔がいいというだけで得をしてきたことで、絶えず、上から目線で、性格の悪さがさらに顔に出るので、悪魔のような形相になっているかも知れないのだ。
そんな二人がいつ、どうやって知り合ったのか実に興味がある。下々のありがちな合コンや大学祭のようなところで知り合うような気がしなかった。
もし、そんなところで知り合うのであれば、却って腹が立つ。
「お前たちのような連中が、世間一般と同じだなんて、却ってムカついてくる」
と感じるが、これは、あくまでもまわりから、
「俺はお前たちと一緒だと思われたくない」
あるいは、
「一緒だと俺自身が感じたくないんだ」
というほども、まわりから妬まれていたのだと思うのだ。
ただ、二人がそんな妬みを受けているなど、思ってもいないだろう。
妬まれていたのを知っていたとしても、それは、
「私たちを美男美女だと思うことでの嫉妬からだ」
ということを、分かっているからであろう。
嫉妬というのは、感じる方は苛立たしく、嫉妬を受ける方は、嫌なものだというのが普通なのだろうが、嫉妬というのは、少し違う気がする。
嫉妬する方は、嫉妬することで、相手に対しての憤りを嫉妬のせいにすることで、相手を憎む理由にすることができ、嫉妬される方は、まわりから羨ましがられるほどの注目度だといえるのだろうが、嫉妬を受けるということは、自分がそれだけあざといことをしているという証拠であり、本来なら、羨ましがられることではないだろう。
本当に美男美女で、性格がいいのであれば、嫉妬を受けることなどないだろう。なぜなら、自分が男性であれば、美女と野獣がカップルになれば、美男が残って、美女が一人減るということであり、確率からいうと、自分に彼女ができる確率が減るということである。ただし、自分がブサイクだという認識があり、
「ブサイク同士であればいい」
と思っているのであれば、逆に、ブサイクが残るので、自分にも可能性がないわけではない。
だがこの考えは何とも情けないものではないか。自分がブサイクであり、
「ブサイクだから、相手もブサイクでもいい」
という理屈だ。
そこまで条件を下げてしまうと、本当にその下げた条件が本当の条件のように錯覚してしまい、嫉妬というものを、悪いものにしてしまいがちである。
本当は、嫉妬を抱くことで、自分を磨き、いい男になるように精進するという考えから生まれたもののように感じていたのだが、このような考えになってしまうと、本末転倒も甚だしいものになってしまうだろう。
嫉妬というものを考えているうちに、
「嫉妬というものが、どこから生まれるのか?」
という考えが生まれてきたことに気づいていた。
嫉妬という言葉を考えると、似たようなものとして、
「猜疑心」
というのがあるが、実際には違うもののようだ。
「嫉妬というのは、自分よりも優れている人を憎んでしまうことであり、猜疑というのは、相手の言動の裏を読んでしまうこと」
のようだ。
相手を妬み、そして疑うことに、
「猜疑嫉妬」
という言葉があり、それは、嫉妬したことで、相手を疑うということであろうか。
また、嫉妬という言葉は、猜疑嫉妬のようなもの以外にも。
「優れてる人を妬む」
ということで、相手が自分よりも優れているという条件がある。
普通、恋愛関係で嫉妬というと、相手がどんな相手であれ、自分が好きになった人の心を奪われてしまう人に対して感じることだ。だが、好きになった人が誰かを好きになると考えた時、どれが自分であってほしいと思うのは当たり前のことで、それは、自分を立派な人間、優れている人間としての尊敬の念を抱いていてほしいと考えるところから来ているのであろう。
それを考えると、やはり、
「妬む相手は、自分よりも優れている人間であることが大前提なんだ」
ということになるのであろう。
猜疑心というのは、
「相手の言動の裏を読む」
ということで、疑うということを前提に考えることであった。
心の裏を読む場合に、相手との探り合いなどで、制した方は、いいように言われるが、猜疑心の場合は、悪いことしかない。
猜疑心が強すぎると、妬みがひどくなり、相手を信じることができなくなると、何を言っても無駄な状態になってしまう。
いくら好きな相手であっても、一度疑ってしまうと、
「可愛さ余って憎さ百倍」
と言われる通り、何を言っても、そのすべてを言い訳と取られてしまい、憎しみしか生まれなくなってしまうであろう。
そうなってしまうと、事件に発展してしまわなくもかなくなるだろう。
相手を蹂躙して、いうことを聞かせようと、監禁したり立てこもったりする事件であったり、それがエスカレートして殺してしまったりである。
そんな場合に、たまに、
「耽美主義」
と比較されることもあるが、実際には全く正反対だといえるのではないだろうか。
耽美主義というのは、あくまでも、道徳秩序を超越した「美」というものを、いかに手に入れたり、自分で表現できるかということである。
耽美主義での犯罪と、猜疑心による犯罪は、犯罪者の歪んだ性格から生まれるものであったり、猟奇的な犯罪という意味では共通したところがないわけではないが、その原因となる入り口はまったく違っている。
耽美主義は、前述のように、あくまでも美を追求すればそれでいいのであり、心の中の問題ではないのだ。
耽美主義とは、本人が感じた美に対してであれば、感情をマヒさせるというだけであり、猜疑心のように、犯罪に対して向き合った感情を決して、マヒさせることのないものとは、根本から違っているものだといえるだろう。
しかも、耽美主義の犯罪は、なかなか起こるものではないが、猜疑心から起こる犯罪は、一歩間違えば起こるものであり、感情が強ければ強いほど、感情そのものを表に出して、自分の正当性を訴えようとするかも知れない。
耽美主義には、犯罪の正当性など関係ないのだ。最初から、美しければ犯罪だとは思っていないのだ。悪いことをしているという感覚がないから、美というものを追求できるのだろう。猜疑心のように、悪いことをしているという感情から自分を正当化させ、その正当性ゆえに、人殺しも辞さないと訴えたいのである。
どちらが潔いかといえば、耽美主義であろう。自分の追及するものに対しても、あくまでも疑うことのない探求心である。つまり、耽美主義には、
「疑う」
という感覚がないのだった。
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