第5話 試験の執行
須川は、大学に入ってやっと好きになることができそうな女の子である聡子と、いくつか授業が一緒だった。
三年生になると専門がほとんどなのだが、二年生までは、一般教養の授業が多いので、同じ授業が重なっても別に不思議はなかったのだ。
授業が終わってから、たまに話をするようになった。大学の生協の横に、喫茶ルームがあり、友達とは来たことがあったが、女の子とは、友達であっても、初めてだった。緊張もしたが、彼女が話題を振ってくれるので、会話は盛り上がった。
彼女は思った通りの博学で、
「何か好きな教科はありますか?」
と聞かれて、
「そうですね、日本史なんか好きですね」
というと、彼女は目を輝かせて、
「それなら、私もついていけそうです」
と、謙虚に言ったが、実際に謙虚だった。
彼女の日本史の知識は相当なもので、それも、学校で習うことよりも、いわゆる、
「学校では教えてくれない歴史」
に関しても造形が深かったのだ。
「どの時代が好きですか?」
と聞かれて、黙っていると、
「私は時代からの切り口というよりも、それぞれの時代に起こった事件などの点と点を線で結んで考えるようにしているんですよ」
というではないか。
須川のように、歴史に造詣が深ければ、言っている意味が分かるが、そうではない人には、聡子が何を言いたいのか分からないだろう。
「なるほど言っている意味は分かるような気がします。それには、何か一つの事件から幅を広げていくという考えでしょうか?」
と聞くと、
「ええ、そうです。歴史というものって、いろいろな切り口があると思うんですよ。一番わかりやすいのは、時系列ですよね。時間が、過去から現在、そして未来に続いていく。もっというと、未来が現在になり、過去になっていく。つまりは、未来がどんどん少なくなっていき、過去がどんどん増えてくる。それを皆は意識していないでしょう? 人間一人一人ではなく、社会全体で考えるからですね」
「そうですね」
「でも、これを人間一人に限ると、人間の命には限りがあるということになる。どんどん時間が過ぎていくと、その人に受け持たれた時間がどんどん短くなっていくわけですが、それを意識する人は、あまりいないですよね? それは、その人の寿命が誰にも分からないからです。もし、須川さんが、あなたの寿命は80歳だと言われたとしましょうか? 今が二十歳くらいなので、あと六十年あることになる。まだ四分の一しか生きていないわけです。でも、これが四十歳、五十歳になればどうですか? 半分来たことになるので、考え方も変わってくると思うんですよね。でも、普通人生は、平均寿命というのがあって、その通りには行かないものですよね? 病気や事故で、明日死ぬかも知れない。不謹慎だけど、ありえないことではない。もっといろいろやっておけばよかったと思ったりするでしょうね? あと、寿命が分かっていればとも感じるかも知れない。でも、すべては終わっているんですよ。だから、寿命が分かっているのと分かっていないの。一長一短ある。もちろん、余命宣告を受けた人にこんなことをいうと、失礼極まりないと思うんですが、普通に生きてきた人には一長一短だと思うんですよ」
と聡子は言った。
少し話が脇道に逸れている感じであるが、もう少し聞いてみようと思った。
「寿命が分かっているメリットとしては、目標があれば、そこまでに計画が立てられるということですね。それともう一つは、生活という意味でリアルな話ですが、寿命が分かっていれば、年金の授受も決めやすいですよね」
というのだった。
「そうですね。年金の問題などは、切実ですね」
と須川は言った。
須川が大学生の頃は、まだ、あの世間を騒がせた。国家の大不祥事と言える、
「消えた年金問題」
などのなかった頃だったが、定年が後ろにずれこんだりして、少子高齢化問題が、大きな問題になっていたのだ。
そんな時代を聡子はまるで予知しているような言い方だった。
「デメリットもあるんですよ。寿命が決まっていれば、先が分かってるだけに、何かの目標を立てたとして、そのゴールに対しての達成度がリアルに分かってくる。寿命が七十歳として、五十歳を過ぎた頃に、もうすでに目的達成ができないことが分かれば、そのあとの人生をどうすればいいかということですよね。確かに次の目標を立てればいいということでしょうが、一生を掛けた目標が断絶してしまい、残り二十年で何ができるのかって思ってしまうでしょうね。そうなると、憤りとショックとで、生きがいはない。先は見えているで、それこそ何もできなくなってしまうという危険性は大いにあるんですよ」
ということであった。
「それにですね。死というものが近づいて、余命をカウントダウンするようになると、いくら目標を立てて、それを達成してしまったとすれば。もう生きがいがないまま、あとは死を待つだけですよね。それって、ロウソクの炎が消えて後の燃えカスでしかない、それを思うと、急にリアルな死というものが押し寄せてくる。それまでは、生きがいがあったから、そこに向かってまっしぐらだったけど、完全に燃え尽き症候群になるというものですよね?」
と聡子はつづけた。
それを聞きながら、
「まだ、若いのにそんなことまで考えていたんだ」
と、感じると、寒気がしてくるほどだった。
「あっ、すみません。私調子に乗ってしまいましたね。気心知れた友達が相手だと、いつもこんな話になってしまって、急に我に返って、いつも誤っているんです。本当にごめんなさい」
と聡子は言った。
「いや、大丈夫ですよ。僕もお話を聞いていて分かる部分も結構ありましたのでね。でも、ちょっと話題としては重過ぎるような気がしたので、少し圧倒されていたというのが、本音ですかね」
と須川は言った。
「ごめんね。いつも友達からは、それがあんただからって言われるんですが、こんなに興奮してお話したのは久しぶりでした」
というのだった。
それからあとは、普通に歴史の話に花が咲いた。その後の彼女の話も結構、専門的で他の人だったら難しすぎるのではないかと思ったが、その前の話があまりにも重たすぎたので、そのあと、どんな話でも、大したことのない話に落ち着くように感じるのだった。
「私、一つのことに集中すると、まわりが見えなくなる方なんですよ」
と、聡子が言った。
「あっ、それは僕も一緒なんですよ。しかも、他の人と同じでは嫌だと思うところがあるので、よくまわりから。お前は難しいって言われるんです」
と言って、須川は苦笑いをした。
それを聞いた聡子も、
「類は友を呼ぶと言いますけど、そうなのかも知れないですね」
というのだった。
聡子という女の子は友達としては楽しいと思うのだろうが、もし、彼女にするのであれば、普通は考えるかも知れないと思った。少なくとも彼女の話についてこれなければ、どうすることもできない。置いていかれてしまった時点で、あとは、
「交わることのない平行線」
を描くだけになってしまうことだろう。
それを考えると、
「聡子さんには、彼氏はいないのかも知れない」
と思った。
彼女のような女性には、自分のような男性が合うんだという意識を強く持ってしまったその時から、
「俺は聡子さんを好きになったんだろうな?」
と感じたのだろう。
そのあとの歴史の会話では、飛鳥時代から、幕末に続く話を一本でつないだ。そのキーワードになる言葉は、
「宗教と、国際化」「
という観点であった。
「厩戸皇子の時代から、乙巳の変、そして、奈良時代に続くこの時代は、仏教というのが大きな問題ですよね。厩戸皇子が、仏教を奨励し、法隆寺や国分寺の建立を進めた。その頃には、蘇我氏の台頭もあり、蘇我氏は仏教推進派だったので、仏教ではない、そもそも日本にあった国教というものを推進した物部氏を滅ぼすことで、蘇我氏は力を持った。でも、厩戸皇子が亡くなったあと、蘇我氏が実験を握ると、王位継承問題と相まって、蘇我氏を滅ぼそうとする一派があった。それを、帝に、蘇我氏が国家の滅亡を企んでいたという話をして、成敗された蘇我入鹿を今までは悪者として言われてきたけど、実際には、あの時、乙巳の変が起こってしまったことで、日本の歴史は100年発展が遅れたといわれたんですよ。それは、宗教問題だけではなく、蘇我氏が朝鮮半島の外交を対等外交だったのに、中大兄皇子や中臣鎌足が、百済一辺倒の外交にしたことで、朝鮮との交易がうまくいかず、さらには、日本に攻めてこられないかということを警戒しなければいけなくなったのよ。その挙句が、50年ちょっとの間に。10回ちかくの遷都が行われた。そんなことをしていなければ、仏教文化が花開いていたかも知れないですよね」
と話してくれた。
この話は実に興味があった。確かに乙巳の変というものが、歴史で言われていることと違うという研究が近年されているのも、分かっていたからだ。
須川の大学時代というと、発掘調査などがどんどん盛んになっていって、歴史認識も教科書に載っているものとはかなり違ってきている。
敢えてここでは、今の人に分かりやすいように、現代言われている言葉で書いたが、須川が大学時代というと、前述の厩戸皇子を、
「聖徳太子」
と呼び、乙巳の変のことを、
「大化の改新」
と呼んでいた。
大化の改新と乙巳の変の関係は、
「乙巳の変というのは、飛鳥板葺宮において、朝鮮からの朝貢物を清涼殿で目録を蘇我氏が、読み上げている最終に、当時皇太子であった中大兄皇子と、蘇我入鹿をライバル視する中臣鎌足が討ち果たすというクーデターが行われ、それによって、蘇我入鹿が殺され、さらに父親の蘇我蝦夷も、屋敷に火を放って、自害したという事件であり、これを歴史上、一般的に、大化の改新と呼ばれていた」
ということであったのだ。
本来の大化の改新というのは、クーデターの後の、中臣鎌足と中大兄皇子との間で行われた改革をいうのだ。
しかし、その改革はほとんどうまく行っていない。聖徳太子の行った政治を継承するということであったが、実際には、仏教ではなく、国教を厚く信仰したり、朝鮮との外交も、後手後手に回ってしまったのは、前述のとおりである。
確かに、あのまま蘇我氏が勢力を持ってしまうと、独裁国家になったかも知れないが、少なくとも歴史が逆行することもなく、50年ちょっとの間で、10回近くも遷都をする必要などなかったであろう。
その後も、聡子と歴史の話に花が咲き、源平合戦の時代、さらに封建制度、戦国、本能寺と、話は尽きることはなかった。
「ごめんなさいね。私、本当に一つのことを考えていると、他のことが目に入らなくなってしまうので、でも、本当に楽しかった。ここまで歴史の話に花を咲かせることができる人って他にいなかったので、私にとってのストレス解消にもなったわ」
と言っていた。
最初の佇まいから、
「この人に、ストレスなどという言葉があるわけはないだろう」
と思っていたくらいである。
しかし、そんな彼女の口から出てきた、
「ストレス」
という言葉、それを聞いて、
「ストレスなんて、本当に誰にでもあるんだな」
と感じたのと、
「そのストレスというのも、きっと人によって違っているに違いない」
と感じたのだった。
須川にとってストレスとは、
「汗が滲んできて、焦りを感じ、それはきっと、先が見えていることが一番の原因ではないかと思っていたが、逆に限界のないことの方が、ひょっとすると、底なし沼に嵌ってしまうようで、怖いのではないか?」
と感じるのではないだろうか。
講義が終わってからの、喫茶室での会話は、何度か続いた。だが、行動範囲がそこから発展することはなく、いつも、生協近くの喫茶室ばかりだったのだ。
ただ、一つのことに集中していると、ストレスなどというものが存在しないのではないかと思うほど、集中しているものだった。
独学であるが、歴史の勉強をしている時に、いつもそれを感じていた。しかし、須川というのは、いくつかの性格があった。
「他人と同じでは嫌だ」
という考え方であったり、
「何かを作り出すということに関しては、これに勝るものはない」
という考え方。
今の時代であれば、
「〇〇しか勝たん」
などと言われるものになるのだろうが、自分の中で最優先の考え方だったのだ。
そういう意味で、中学時代から好きだった、探偵小説があったのだが、当時、テレビ化や映画化されて、一大ブームを巻き起こした。
本屋に行けば、その小説家の本がほとんど文庫化されていて、一作品一冊を横に並べたとしても、一段ではとても入るわけはないほどの数であった。
実際に発行されている本が、その作家だけで120冊近くあったのだ。有名どころの作品というと、その中の10作品ほどだが、それでも。多いといえるのではないだろうか。
元々、作品の発表された時代というのは、戦後すぐくらいだったので、ブームは発行かあだいぶ経って、いきなりやってきたということなのだった。
その作家というのは、元々編集者上がりで、編集者をしながら、作家活動をしていたのと、戦争中は、どうしても探偵小説と呼ばれるものは、娯楽性が強いということで、当局の検閲に引っかかり、絶版の憂き目を負っていたりした。
実際に、探偵小説家というだけで、当局に目をつけられていて、それでも生活のために他のジャンルの作品を書かないといけない憂き目に遭っていた。
そこでその作家が書いたのが、時代劇だった。
時代小説なのだが、内容は探偵小説であった。江戸時代の風俗を中心にした推理物を書いていた。これは、目をつけている当局に対しての反発だったと言ってもいいのではないだろうか。
しかし、戦争が、
「敗戦」
という形で終わり、連合国による、
「押しつけの民主主義」
のおかげで、新憲法にも、
「表現の自由」
が認められ、探偵小説を大っぴらに書けるようになったのだった。
「さあ、これからだ」
と、その作家は叫んだというが、まさにその通りだったのだろう。
戦前の、いわゆる
「探偵小説の黎明期」
と呼ばれる時代には、たくさんの探偵小説家がいた。
トリックやストーリー性を重視した本格探偵小説であったり、猟奇的で、変質者の犯罪と呼ばれるような、変格探偵小説であったり。はたまた、道徳や倫理を度返しして、ただ美というものを追求した形で、探偵小説にこだわったものではない、
「耽美主義」
と呼ばれる小説もあった。
戦後には、探偵小説というものが一時期流行ったが、そのあと、社会がどんどん復興してきて、世間的秩序が形成される中で、その矛盾を抉るような、
「社会派小説」
というのが生まれてきたりした。
須川が好きだったのは、戦前の黎明期から、戦後の社会派小説が出てくる前の時代だったので、ちょうど、ブームもその時代だったのだ。
このあたりの話は、さすがに聡子には分からなかったようで、少し退屈させたかも知れないが、
「俺は、探偵小説を読むようになって、自分でも書いてみたいと思うようになったんだ」
というと、とたんに興味を示してきた。
「へえ、そうなんですね。読んでみたいなぁ」
と普段言わないような甘えた声を出してきたので、思わず背筋がゾクッとしたのだが、その時、それまで見たことのないような、トロンとした目をした聡子を初めてみた。
その日は、きっと体調が悪かったのか、何かトランス状態だったようで、明らかに違っていた。まるで、酒に酔っていたのかも知れないと思ったほどだ。
時代小説を読んでいると、どこか、ミステリーのようで、SFの部分も秘めている。
時代小説には、娯楽性がなければ成り立たない。なぜなら、時代小説が、フィクションだからである。時代小説というのは、基本的には江戸時代に代表される
「時代劇」
などを中心にしたものだ。
ほとんどがフィクションであるが、しかし、史実に基づいた登場人物だったり、歴史的事件を題材にしたりして、そこから、娯楽性を持った話を作り出す。
時代劇というと、
「水戸黄門」、
「遠山の金さん」
などの話が有名だ。
確かに水戸光圀も遠山金四郎も史実としては存在する。だが、水戸光圀は、別にテレビドラマのような
「諸国漫遊」
をしたわけではない。
そもそも、「大日本史」というものを編纂していた人間に、諸国を回れるはずもない。
また遠山金四郎にしても、ドラマのモデルは違う人だというような話もある。いくら何でも、町奉行がお忍びで、庶民の中に入り込んで、背中の入れ墨を見せて回るなどありえないだろう。そういう意味でも、あの話は、
「完全な一話完結」
でなければ、成り立たない。
一度、背中の入れ墨を見せてしまえば、いつどこでウワサニなるか分かったものでもない。下手をすれば、金四郎が、庶民と一緒にいるところを刺客に狙わせるということだったり、正体さえ分かれば、
「金さん」
として、闇に紛れて殺害してしまえばいいだけだ。
当然、庶民として町奉行が暗殺されたなど、奉行所、ひいては幕府の体制自体を揺るがす問題となり、町の平和どころではない一大事になりかねない。
完全に、娯楽性のみを重点においた、フィクションでしかないのだ。
また、時代小説と似ているもので、歴史小説というジャンルがある。こちらは基本的にフィクションであってはならない。歴史上の人物であったり事件を中心にした物語であり、そのほとんどがノンフィクション。架空であってはいけない。
そういう意味で、娯楽性よりも、史実に充実で、それゆえに、時代考証の間違いなど、あってはならないことなのだ。
歴史小説自体が、まるで教科書であるかのようなもので、だからこそ、歴史に忠実でなければならない。娯楽性は度返しなのだ。
それに比べて、時代小説は、史実の追及は度返しである。かといって、時代考証をおろそかにするわけにもいかない。中には、
「時代考証は、デタラメです」
という但し書きを書いて、いかにもギャグのような作品を書く人もいるが、それはある意味で例外である。完全に娯楽性のみだからだ。
時代小説がミステリーだと言ったのは、ある程度正しい史実を元に、娯楽性を追求して書いているのだから、謎解きの要素も踏まえている。そういう意味では、
「時代小説を読むには、最低限の歴史認識が必要だ」
と思うのだ。
歴史認識があるから、登場人物が史実に対してデタラメであっても、
「どうして彼らが登場する必要があるのかということは、歴史を知らなければ想像もできないこと」
だからだ。
それは、時代考証についても同じことで、時代への認識が間違っていれば、時代考証から歴史を勘違いしてしまいかねないからだ。
特に推理するには、基本的なルールとして、
「与えられた材料には、ウソがあってはならない」
というのがあるだろう。
探偵が謎解きを始めた時、それまで一度も登場したことのない人物を
「犯人だ」
というのはルール違反である。
確かにトリックの中には、「叙述トリック」というものがあるが、それにも最低限のルールがいくつか存在する。それが、時代小説における時代考証であり、ミステリーと似ているというところはそういうところからも来ているのだ。
また、SFというのは、そもそも、時代小説というのは、時代を超越しているので、史実があるとはいえ、誰も見たものが、この世に残っているわけではない。それを思うと、その時点で、歴史小説であっても、架空のものだといえるだろう。
時代小説の場合は、あくまでも娯楽性重視で、一定のルール、例えば時代考証などを守りながらの、架空の話である。
だから、実際に存在したといわれている人物を、自分の中で勝手に、
「駒」
として扱い、本来であれば敵の武将を自分の味方にしてみたり、逆に、味方のはずの武将を敵にしてみたり、そして、少し反則であるが、時系列的に出会うはずのない人物を登場させてみたり、いわゆるパラレルワールド的な演出と、タイムパラドックスのような話にすることで、SF色が出るというものだ。
そういう意味で小説というのは、一つのジャンルを書いているつもりでも、実は他のジャンルの様相も呈している場合が結構あったりする。
それが小説の醍醐味であり、読むだけではなく、
「自分でも書いてみたい」
と思うこともある。
趣味としては、かなり難しいということもあるので、なかなか小説を書こうとする人は少ないだろう。だから、密かに自分だけで書いて、自己満足する人も多いだろうから、そう思うと、実際の執筆人口は、思ったよりはいるのかも知れない。
さて、聡子と知り合ってから、半年くらいが過ぎようとしていた。
半年も経てば、彼女のことを少し分かってきていて、彼女は自分の口からは話さなかったが、ウワサであったり、部活の様子などを見ていると、どうやら彼氏がいるのは間違いないようだった。
それを知ってから、それまでと少し自分が変わってきていることを、須川は気づいていた。
少し遠ざかっているというのか、それとも、少しずつ縮めようとしてきた距離を、知った時点から、それ以上近づかないようにしたというのか、明らかに自分の中で、何かが変わってきた。
そのうちに、聡子が須川の態度に対して、寂しそうな態度をとるようになった。
ただ、それは、須川にだけだというわけではなく、まわりの自分の友人、皆に対してであったのだが、やはり、自分が聡子のことが好きだと思ったからなのか、そのことに気づいていなかった。
そのせいか、須川の中で、
「俺が何か、したのではないか?」
と思い込んでいたが、それこそ自惚れであったのだ。
そのうちに、ウワサが流れてきて、どうやら聡子は、
「彼氏と別れたらしい」
ということだった。
本当は自分から確かめたいのだが、それもできないで、少し悶々とした気持ちになっていた。
「もし、別れたのであれば、俺にだってチャンスがあるじゃないか?」
という思いはあるのだが、いざ自分にチャンスが来たと思うと、
「俺が果たして、彼女にふさわしい男なのだろうか?」
と感じた。
「臆病風に吹かれた」
ということなのだろうか?
男というものが、本当に自分の中にあるのであれば、臆病風などないのかも知れないと思った。しかし、相手のことを考えて、猪突猛進にばかりではないのが男だといえるのではないだろうか。それを思うと、必要以上に、自分を煽るようなことをしてはいけないと感じるのだった。
そんな時、自分の中で、
「試される」
ことが起こったのだ。
それを演出したのが、聡子だったのだが、彼女が何を思ってそんなことをしたのか分からない。ただ、須川の気持ちを分かったうえで、聡子の中で何かを吹っ切りたいという思いがあり、言い方は悪いが、
「須川は利用された」
ということかも知れない。
だが、この行動が聡子にとって、かなり度胸のいることだったというのは間違いないだろう。下手をすれば批判されることである。自分の中で納得できていたことだったのだろうか?
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