05



王都が賑わい始めた。アンジェルの誕生日が近いからだ。

アンジェルは、もうすぐ十八となる。彼女を祝う誕生祭のため、王都の民たちは勢力をあげて準備をしていた。自室の窓からみえる夜闇にも、いつもより多い灯りがうかがえ、かすかに賑やかな声や囃子が届いた。きっと祭り当日のための演奏や劇の練習を遅くまでしているのだろう。

いつもなら笑みが浮かぶその光景を、アンジェルはただ静かに眺めた。


「……私が推せるのもあと少しね」


手元に視線を落とすと、書き終えた招待状たちがテーブルに散らばっていた。今回、父王に周辺国の王侯貴族への招待状の一部を任された。アンジェルが手ずから書いて送るのは、歳若い男性がほとんどだ。

一人娘のアンジェルに、王位を継ぐための婚姻が迫っていた。自身の立場をアンジェルは理解していた。十八にもなれば、誕生日のパーティーに招く相手のなかから、婿に迎える人を選ばなければならない。

セヴランがどんなに清廉潔白な騎士であっても、婚約者ができれば異性が近くにいることを快くは思わないだろう。彼を傍におけるのは、自分が婚姻するまでのことだ。


「セヴランに出会えてよかったわ」


存在することに感謝できる奇跡のような存在。ただひたすらに愛せる相手に惜しみない愛情を向ける体験ができた。彼は常に自分を大事にする言葉を向けてくれる。それが、王女という身分によるものでもよかった。職務に真面目な彼に叱られるのも幸せだった。


「クラリスも、協力してくれてありがとう」


「いえ、すべてはアンジェル様のご随意に」


控える侍女へ感謝を伝えると、当然のことと返された。限りがあると解っているから、クラリスも自分の我儘を聞いてくれたのだ。セヴランからすると甘やかしすぎに映ったことだろう。しかし、幼い頃からアンジェルをみてきた彼女が、少しでも主人の希望を叶えてあげたいと願うのはごく自然なことであった。

いつもは誕生日が待ち遠しかった。父が必ずちょっとした我儘を聞いてくれるから。十七の誕生日に願ったのは、物語にでてくるような自分だけの騎士だった。本当に自分だけの、自分の理想が詰まったかのようなセヴランが護衛騎士となったときは、本当に感激した。その感激の分だけ、十八の誕生日が少しでも遠退かないかと願ってしまう。


「セヴランに毎日会える日々は、本当に幸せだったわ」


彼が毎朝迎えにきてくれるたび、心が躍った。鉄面皮のような彼も、一緒に過ごすうちに渋面の険しさが増したり、いろんな表情が垣間見えた。眉間の寄せ方で怒っているのか、困っているのか、判別がつくようにもなった。


「もっといろんな彼を見たかったわ。セヴランの私服が見れなかったのは残念ね……、城下にいくときですら騎士服なのだもの。確かにとても似合っていて、セヴランのための服だし、そんな真面目なところも好きなのだけど。見れないからこそ、稀少な姿を拝みたくなるものよね。それに、一度ぐらい笑った顔も……」


推しのいろんな姿や表情を拝みたいと思うのは、自然なことだ。孤児院へ訪問したときなど、子供たちが畏縮しないようアンジェルがお仕着せを着たのに対し、職務勤勉なセヴランは一貫して騎士服だった。私服でなくとも、騎士服以外の彼がみれるかと期待していたアンジェルは、子供たちが怯えるかもしれないと促してみたが、ならば子供たちに近付かないと返されてしまった。そう一貫した態度をとられれば、アンジェルも引き下がるしかない。

自分が困らせてばかりなせいもあるが、もともと表情の乏しい彼の笑うところなどレア中のレアだ。叶うなら、ぜひ拝みたい。あの彼が笑うことがあるなら、それだけ彼に喜ばしいことがあったときだろう。推しの幸せの瞬間など最高に決まっている。

つらつらと欲求をあげていき、そうしてぴたりと途切れさせた。


「けれど……、きっとそれを拝めるのは、セヴランの奥さんね」


瞳に浮かべるのは諦観だ。

王女の身でできることは限られている。浮かんだ欲求たちは、どれも推し活の範疇を超えた願いだ。彼に相応しくない自分が抱くのは、恋愛感情じゃない。充実した日々を与えてくれていることに感謝するだけでいいのだ。

事実を再確認して、諦観を振り払ったアンジェルは、招待状をまとめ気合を入れた。残された時間、存分に推しを堪能しなければ。

翌日から、元気だった。


「セヴラン、今日も生きていてくれてありがとう!」


「そう言いながら、金貨を握らせるのやめてください」


眩しい笑顔に直面し、セヴランは朝から渋面になった。

握らされた金貨を押し返され、アンジェルは頬を膨らませた。


「もうっ、一度くらい受け取ってくれたっていいじゃない」


「受け取れません」


セヴランの頑なな態度は相変わらずだ。


「受け取ってくれないと、私は貴方に何も残せないじゃない」


ぽそり、と零れた言葉は、聴こえるか聴こえないかの声量だった。セヴランの視線を感じて、アンジェルはことさら明るく笑った。


「朝食でしょ」


もう仕度はできていると、アンジェルは自室をでて食事の間へと向かう。横を通り過ぎてゆく彼女に振り返り、数歩後ろに下がって追従する。腰まであるやわらかな長い髪が歩くたびに揺れ、後ろからでも細い肩が覗く。常に伸びだ背筋、ぶれない軸に彼女の高貴さを感じる。それでも華奢でしかない背中をみるたび、守らねばと思いを新たにする。

数歩先に届かないひそやかさで、セヴランは呟く。


「残るもなにも、消えようがありませんよ」


こんなにも心を占める相手を忘れようがない。彼女はどれだけのものを自分に残しているのか知らないのだろう。

先ほどの声が届いていたのを知らないように――




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