04



その日の公務は、孤児院への訪問であった。

アンジェルの王女としての公務は、式典への参加だけでなく激励を民へ贈る活動もある。そのなかでもアンジェル自身が率先して行っているのが、孤児院への訪問だ。王都近辺の数か所へ、定期的に順番に訪ねて子供たちと話す。孤児院に着くと、汚れてもいいよう侍女から借りたお仕着せを纏い、場合によっては子供たちと泥んこになって遊んだりもする。予想外にドレスのときに汚されたとしても、アンジェルは微笑んで許すのだ。

聖母がごときその様子に、民は彼女への信愛を増してゆく。


「おーじょさまー、ぜんぶかけるようになったのー」


「まぁ、アルファベットを全部? すごいわっ、私がニコレットの歳のときはこんなに綺麗に書けなかったもの」


「ぼくは、この本読み終わったんだ」


「この本は馴染みない単語もあったのに……、ティボーはただ賢いだけじゃなく想像力豊かなのね」


褒めてもらいたがる子供たちに、心からの称賛を贈るアンジェル。会わない間に遂げた成長を報告する子供たちは、彼女の前では天使のようだ。彼女は、孤児だからと憐れむのではなく、したたかに生きる子供たちを心から尊敬している。それが眼差しから伝わるから、子供たちも素直になるのだ。

護衛であるセヴランももちろん同伴している。アンジェルと異なり服装を場に合わせず、常と変わらぬ騎士服を纏っている。アンジェルと周囲が把握できる壁際や木の下で不動で見守っている。銅像のような彼に挑む少年もいたが、あまりの反応のなさに早々に飽きてしまった。

セヴランも、公務の際の彼女は立派だと思う。ただ過分に奇怪しい一面を知っているため、子供たちのように純粋に慕う気にならない。自分に対する態度と雲泥の差に、残念な心地を覚える。かといって、彼女の唯一ともいえる欠点をみせて子供たちを失望させたいなどとは思わない。世の中には知らない方がいいこともある。護衛騎士の守るものは、身辺だけではなく、彼女の地位や名誉も含まれるのだ。

子供たちが遊び疲れ、昼寝の時間になったため、アンジェルは孤児院から帰ることにした。見送りは子供たちの世話をする修道女。彼女は、アンジェルに深く感謝を述べる。


「王女殿下のご慈悲に、いくら感謝してもしきれません」


尼僧様マスールは大袈裟ですわ」


謙遜するアンジェルに対して、修道女は力いっぱい首を横に振った。


「いいえ、いいえっ、王女殿下が孤児院に寄付くださる金貨一枚で、どれだけ我々が救われていることか……! 必ず子供たちのために使うように、と厳命くださるおかげで、他の孤児院の者たちも感謝しております」


アンジェルが用途を指定して寄付してくれるおかげで、教会の上層部に掠め取られることなく純粋に子供たちの生活と育成のために寄付金を利用できている。現場の人間にはそれがどれだけありがたいことか。


「ほ、本当に、大したことでは……」


感謝の眼差しを受け、アンジェルは気まずさを感じる。実は、純然たる善意による行動ではないのだ。それを暗に伝えようと否定するも、修道女には結局謙虚な人柄だと勘違いされてしまった。何かを勘付いたらしい護衛騎士推しの視線が刺さりながら、彼女は修道女からの感謝の言葉を受けるのだった。

帰りの馬車にのっても、視線は刺さり続けた。アンジェルは視線を逸らし沈黙を守るが、セヴランには金貨一枚という単位に覚えがあった。


「……姫様、どういうことでしょう」


「な、なにが?」


「自分に握らされた金貨は、姫様の私財です。お断りした以上、今も姫様がお持ちなのですよね」


「それは、もちろんいつも通り……、ね? クラリス」


鋼鉄の表情で圧をかけられ、アンジェルは視線を泳がせながら、隣の侍女へ答えを投げた。クラリスは静かな表情で、頷く。


「はい、いつも通り孤児院へ言葉添えのうえで寄付いたしました」


額が額なので、毎回違う孤児院へ寄付をしている。アンジェルは、ほぼ毎日セヴランへお布施を試みていた。その頻度からして国中の孤児院へ寄付が回ってるとみて相違ないだろう。孤児院勤めの修道女が感謝するのも当然であった。


「姫様?」


「ごめんなさいっ、推し活の一環です!」


私財をなげうつにもほどがあると、セヴランが諫めようと口を開くと、アンジェルが即座に非を認め、謝罪した。欲求には耐えられなかったと。

セヴランに直接貢げないのであれば、間接的に貢ぎたいと、侍女のクラリスに協力してもらったのだ。彼に受け取ってもらえなかった金貨を、孤児院へ寄付することで、間接的にでも推し活ができたと充足感を得ていた。慈善の心ではなく、推し第一の精神による寄付だったのだ。


「どうして、そういうことになるのですか」


「だって、セヴランはル・ゴフ卿の子になったことで才能を伸ばすことができたのでしょう? 優しい貴方は自分と似た立場の子供たちに心を痛めているはずだわ。だから、貴方のように子供たちが充分な教育が受けられるよう支援することで、貴方の心を少しでも軽くできればと……」


セヴランはわずかに瞠目する。


「自分が孤児だと知っていたのですか……?」


セヴランは、騎士団長ラザールと血が繋がっていない。彼は孤児で、ラザールの養子だ。国境の森で獣に襲われた馬車を発見したラザールが、奇跡的に生き残った赤子を拾い育てた。国に忠誠を誓った身だったラザールは未婚だったため、跡継ぎにちょうどいいと養子縁組をした。

ちょうどいいだけで身元も怪しい子供の親になるなど、酔狂な男だ。成長して物心つく頃には、セヴランは父親をそう評価していた。感謝はしている。どこの国の血が流れているともしれない自分を育ててくれたラザールに報いるために、彼は自身を律し努力し続けてきた。自分を受け入れた国、育った国に忠誠を誓うために。

出自を恥じてはいないが、今となっては話題にのぼることもない事実のため、アンジェルが自分の出自を知っていたことに少なからず驚いた。

すると、彼女は簡単に情報源を明かす。


「ル・ゴフ卿がね、セヴランのこと教えてくださるの。例えば、まだ身体ができあがる前は女顔だってよく揶揄からかわれて、その悔しさからいきなり髪を短くして、ル・ゴフ卿は似合わなすぎて笑ってしまったこととか。ひよこみたいな髪型だったと聞いたわ。そんな思春期のセヴラン、見たかったわ。さぞ可愛らしかったことでしょうね」


貴重な姿を想像してアンジェルは頬を染めるが、セヴランの方は父親へ殺意が湧いた。余計でしかない情報を勝手に漏洩しないでもらいたい。


「そういったささいな出来事をつぶさに語れるほど、ル・ゴフ卿はセヴランを愛しているのよね。本当に素敵だわ」


恥でしかないことを、そのようにいわれてしまえば言葉もでない。

口元を真一文字に引き結ぶセヴランの態度を、照れと断じたアンジェルはその様子にもときめいた。表情の硬さに変わりはないが、いつもまっすぐに見返す視線が逸らされている。推しの貴重な照れ。可愛い。

愛想の欠片もない男に可愛さを見出し悶えることのできる主人に、侍女のクラリスは隣で感心していた。

自身の恥を咳払いで押しのけ、セヴランは気になったことを訊ねる。


「姫様は……、自分が孤児だと知ったうえで、そのような態度でいらっしゃたのですか?」


出自が判らないのだ。他国との境でみつかった、どこの血が流れているとも知れない人間。自分の身には犯罪者の血が流れている可能性だってある。本来なら王族に近付くことも許されない身の上だ。ラザールが身元保証人となってくれているからこその格別の厚遇だと、セヴランはよく解っていた。

だから、不思議でならない。王女のアンジェルが、身分違いにもほどがある自分を気に入るなど。出自を承知のうえだというなら、余計だ。

しかし、アンジェルはきょとりと小首を傾げる。


「人は、どこで生まれるかなんて選べないでしょう? 私が王家に生まれたのも、セヴランが生まれてすぐこの国の地を踏んだのも、たまたまだわ。むしろ、そんな境遇でストイックに生きるセヴランの方が、私よりずっと高潔で素敵よ」


セヴランの出自は、彼を見下す理由にはならず、むしろ彼の生きざまは敬愛すべき美点だとアンジェルは瞳を輝かせた。

存在の全肯定をされ、セヴランは先ほどとは別の意味で彼女から視線を逸らした。常日頃より彼女からの評価は過分だと思っていたが、なんとも面映ゆいことだ。


「そんな貴方は、絶対に幸せにならないと。きっとあたたかで素敵な家庭をもてるわ。それこそ、私が恐れ多いくらいに……」


アンジェルの確信のこもった言葉に惹かれ、セヴランは正面を向く。彼女は一体どんな顔でいっているのか。

悟りきった表情で、わずかに睫毛が伏せられていた。馬車の窓から注ぐ昼下がりの陽光のように、おだやかな笑みを浮かべている。


「恐れ多いのは自分の方です」


セヴランはぐっと拳を握り、手を伸ばしたくなる衝動を堪えた。ひだまりのような笑みだったというのに、諦観にみえたのは錯覚だったのだろうか。

触れるのも叶わぬ相手に、その衝動はおこがましいにもほどがある。握った拳のように、固く固く揺らいではならないと決意を結び直した。




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