02



アンジェルの護衛騎士としてセヴランがついたのは、彼女が十七、彼が十六のときだった。

王が愛娘へつけるのに要望した条件を満たしたのが、意外にも年若いセヴランであった。強さだけでなく、真面目を絵にかいた堅物であることで有名な彼ならば、王女付きにしても問題ないと判断された。

近衛騎士団長につれられアンジェルの前に現れた彼は、すでに成長期を迎えており彼女より背が高く、均整の取れた体躯の少年だった。アンジェルもとしを聞くまで、年下だとは思わなかった。

華奢で細い手足のアンジェルと違って、筋肉で締まった彼が騎士服に身を包み、ひざまいて彼女へ首を垂れる。


「本日より仕えさせていただくセヴラン・ノエル・サロモン・ル・ゴフです。誠心誠意、王女殿下をお守りいたします」


礼節にのっとった挨拶。真顔で固い声音で述べられたため、定型文のようだった。うつむくに従って、さらりと前髪が流れ、目にかかる。ストロベリーブロンドの前髪越しに、伏せられた同じ色の睫毛が覗いた。


「好き」


ぽろりと零れたのは、アンジェルの心の声だった。

王女の返事を待っていた周囲は静寂を保っていたため、その呟きは部屋にいる全員の耳に届いた。本来なら、王女から挨拶を返されれ、面を上げる許可をいただくところだ。その許可を得られなかったセヴランは、予想されなかった言葉を耳にして俯いたまま固まる。

その場にいた全員が聞き間違いを疑ったが、続くアンジェルの言葉がそれを否定した。


「ストロベリーブロンドの髪に甘やかな顔立ち、なのに厳格にひきしまった表情、服のうえからでも分かる鍛えられた身体、騎士服は貴方のためにあったのね。この世に、ここまで完璧な人が存在していたなんて……! もう好き以外のなにものでもないわ!」


彼女のいう通り、セヴランは外見だけでいえば、微笑みかければ女性が一目で落ちるだろう美丈夫だった。しかしながら、彼の生真面目な性格が如実に表れた表情筋は笑うことなく、眉間に皺がよりがちだ。真一文字に結ばれた口は、必要最低限しか話さない。年相応な可愛げが一切ない、と騎士仲間からは揶揄されていた。

だが、その性格がにじみ出た表情筋含め、彼の容姿すべてがアンジェルの好みど真ん中であった。好みの集大成が具現化して現れたものだから、彼女は驚愕と歓喜に震えてた。王が大事な愛娘にうつつを抜かさない男を護衛に選んだというのに、まさか愛娘の方がうつつを抜かすことになるとは、アンジェルの父も思わなかっただろう。

理解の及ばない言葉が降り、困惑したセヴランは彼女の許可なく顔をあげる。その行動を咎めることなく、むしろ彼の瞳の色をよく確かめることができアンジェルは歓喜し、光悦の滲む眼差しを向ける。国中から愛される王女から、おそろしく唐突な愛を一身に受け、セヴランは彼女との間に時空の歪みが発生したように感じた。

以降、現在にいたるまでアンジェルは護衛騎士セヴランへ日々讃辞を贈り、どうにか彼へ貢ごうと試行錯誤する。そして、それらすべてをセヴランは過分だと頑なに断り続けるのが日常と化した。

セヴランが非公式な場で姫様と呼ぶようになったのも、彼にとっては発端が謎な押し問答の結果だ。尊び敬う相手に畏まられるのはおかしい、とアンジェルがいいだし、名前で呼ぶように懇願してきたのだ。あまつさえ、逆に自分に敬称をつけて呼ぼうとしたものだから、セヴランは本当に困った。尊び敬うべき相手はアンジェルの方だというのに。その事実も説くも、彼女が主張を変えないものだから、いたしかたなく妥協案として王女殿下ではなく姫様と呼ぶことでこちらを様付けで呼ぶことを防げた。

アンジェルと話していると、警護とは別のところで気疲れしてしまう。警護中は堪えているが、自室に帰るとセヴランは長い溜め息を吐くようになってしまった。

その日は、式典があり、王女であるアンジェルが国民の前に顔をだす。警護の観点と、全員が王族の顔をみえるように広場に面した二階のテラスからの挨拶だ。テラスは半円状に突き出した箇所があり、そこから広場が見渡せるようになっている。

王の挨拶を粛々と聞いていた民衆が、王女の挨拶の段になると歓喜に湧く。可憐な彼女の声を聴くため、アンジェルが話しているときは静かに耳を澄まし、終わった瞬間に民衆から歓声があがる。アンジェルはそんな彼らに微笑んで手を振ってみせた。

たおやかな愛されし王女の振る舞いをしていたアンジェルであったが、彼女の全神経は背後へ集中していた。

他の騎士たちとともに整列し、警護にあたるセヴランが背後にいる。周囲を警戒しながらも、自分が突飛なことをしでかさないかと視線が向いているのを感じる。アンジェルとしては、心配してくれていることも嬉しいし、周囲への警戒を怠らない真面目さもとても好きだ。叶うなら後ろに振り向いて警護している彼を、延々と見つめたい。内から湧く欲求と闘いながら、彼女は公務を全うするのだった。

式典の挨拶を終え、私室へ戻ったアンジェルを、侍女のクラリスが出迎えた。クラリスの持つ盆には、レモン水のはいったグラスが二つ。


「あら?」


「どうして二つもあるんだ」


アンジェルが小首を傾げるのと、セヴランが数が合わない点を指摘するのは同時だった。そして、なぜ相手が疑問を感じるのかと、お互い顔を見合わせる。


「アンジェル様、本日は陽光が強いのでセヴランが用意するように、と」


「まぁ、そこまで心配してくれるなんて、なんて神対応なの……!?」


「もう一つはアンジェル様からあなたにです。セヴラン」


「何……?」


推しである護衛騎士の細やかな気遣いに感銘を受けるアンジェルと、自分の分もあることに驚きを隠せないセヴラン。


「だって、陽射しが暑いほどなのに、セヴランってば長袖の騎士服をきっちり身に着けているじゃない。脱水症状でも起こしたら大変だわ」


アンジェルは、セヴランの騎士服姿が好きだ。それまで騎士服に特別思い入れなどなかったが、セヴランに出会いこの制服は彼のためにあるのだと啓示を受けた。彼のためにある服といっても過言ではない。ただそう思っているのは、アンジェルただ一人である。

しかしながら、暑い中気崩すことなく不動で立っていたのだ。服装含めて一貫したストイックさは堪らない半面、体調が心配にもなる。推しが倒れたら大変だ。


「そこまでお気遣いいただかなくとも……」


思いもよらない配慮を受け、セヴランは戸惑う。日頃の過剰な貢物と違い、今回は真っ当だったから余計だ。


「屋外の警備にあたってくれた騎士たちにもレモン水を手配しているのよ。もう用意してしまったのだから、ね。セヴランも」


他の騎士たちにも用意したのは、セヴランの生真面目な性格を考慮してだ。自身だけ優遇された場合、彼は頑として断るだろう。しかし、公平な配慮なら彼も無下にはできない。そう、これはひとえにセヴランに貢ぐためであり、他の者の分含めて推し活の一環である。騎士たちはそうとも知らず、まさしく未来の国母に相応しいと、彼女の配慮に感激し、アンジェルへの支持が高まるのだった。

アンジェルの布石により、断ることができなくなったセヴランは、グラスに手を伸ばした。ぬるくならないうちにと一気にグラスの中身を干し、袖口で口元を拭って、盆へ返した。


「ありがとうございました」


きまり悪げに礼を述べると、アンジェルは両手で頬をおさえ、わなわなと震えていた。


「~~っいやらしいわ!」


「は?」


「なんていやらしいの!? 水を飲んで隆起する喉といい、濡れた唇を拭う様といい、色気が溢れすぎているわ! 一気飲みする男らしさとそんな色気を兼ね備えて、どうする気なのっ、私以外の女性が目にしたら卒倒するだけでなく孕んでしまうわ……!」


「そんな訳ないでしょう」


勝手に昂ぶるアンジェルに、セヴランの感謝の念すら静まった。奇怪おかしな理論に冷静に返す。ただ水を飲んだだけで、人が倒れたり孕んだりはしない。


「不意打ちだったから、記憶に焼き付けるのを失念したわ。もう一回!」


「一杯で充分です」


自分の分を差し出してまで、食い気味に懇願してくるアンジェルに、セヴランはにべもなく返す。他人の健康管理を気遣うなら、自身の健康管理を怠らないようセヴランは彼女を諫める。そうして、アンジェルは渋々諦めて自分の分のレモン水を口にするのだった。

彼女に気を許すとロクなことにならないと、セヴランは内心で嘆息する。

たかが飲む様子ぐらいで、と思ったセヴランは、彼女が飲み終わるまでの間、ついその喉元や口元に視線がいっていたことに気付かなかった。




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