王女の推しゴト

玉露

01




フラン王国、小さくとも豊かなその国は、常春の国といわれるほど平和だった。

中立を保つことで周辺国から一目を置かれている。そして、中立であり続けることが信用に繋がり、侵略されない代わりに周辺国の金庫番の役割をもっていた。そのため、戦争はなくともこの国の騎士たちは堅実堅牢であった。

そんなフラン王国には、愛されし姫君がいた。アンジェル・アンドレ・ゼナイド・アニエス・ドゥラクロワ、やわらかなミルクティー色の髪は腰を過ぎるほどに長く、小さな顔にはくるりとした瞳とさくらんぼのような唇が絶妙な位置で配置されていた。平和な国で、蝶よ花よと愛でられた彼女は、愛情を一身に受けとても愛らしく成長した。

彼女が微笑むだけで、人々の心に花が咲く。アンジェルは、それだけ愛らしい少女だった。

いつも通りの朝、侍女に手伝ってもらい身支度が整った頃合いにドアがノックされる。頃合いの的確さに思わず笑みを零しながら、アンジェルは入室を許可した。許可を得て入ってきたのは、彼女の護衛騎士セヴラン。彼は朝の挨拶をして、彼女の次の予定を述べる。


「姫様、朝食の用意ができております」


「ええ、ありがとう。生きていてくれて」


こうべを垂れる彼の手をとり、アンジェルは感謝の気持ちを握らせる。彼女の手が離れてすぐに、セヴランが手を開くとそのなかには金貨が一枚。


「…………姫様、なんですかこれは」


「お布施ふせよ」


曇りなき笑顔で返された答えに、セヴランは溜め息を零したくなる気持ちをぐっと堪える。


「ただの一介の騎士である自分に、一体、なぜ」


「何を言っているの。貴方が生きているだけで、感謝すべきことじゃない。私の目の前に存在してくれる奇跡に感謝しなくて、一体いつするの。貴方の存在は国宝級よ?」


「この国の宝は姫様の方です」


何をいっているのか、と愛らしく小首を傾げてみせるアンジェルに、セヴランの方こそ何をいっているんだと真顔で返す。存在しているだけで国の平和を保っているのは、アンジェルである。騎士だけでなく、国民のほとんどが彼女の笑顔を守るために、と治安維持に努めているのだ。この国では不道徳な行為などを叱るときの文句は、姫君が泣くぞ、だ。恐ろしいもので脅すのではなく、王女の笑顔と天秤にかけさせる方が効果的な国民性である。


「こういったことはお止めくださいと、再三申し上げたはずです」


「大丈夫よ。国税ではなく、合わなくなったドレスをクラリスに売ってもらったものだから」


侍女に私財をつくるのを手伝ってもらったとにこやかなアンジェルに対して、名の上がった侍女へ咎める眼差しを送るセヴラン。王女至上主義の侍女クラリスは、そんな彼の視線をものともせず涼しい顔をして控えている。

王族の衣服は国税によってつくられているため、もとをただせば国税であるし、合わなくなったからと簡単に売り払えるものでもない。クラリスは、有能な侍女であるが、そんなところでまで手腕を振るわなくてもよいのではないか。アンジェルの御心のままに、と忠実すぎるのも問題だと、セヴランは感じた。

侍女を視線で咎めても効果がないと、セヴランはアンジェル本人に視線を戻す。


「姫様の私財であれば、余計にいただく訳にはまいりません」


どうか自身のために使うように、とセヴランは断り、彼女の手へ金貨を返した。この一枚で平民が一年は暮らせる。そんな額を毎日渡そうとしないでほしい。


「ああ、そんな真面目なところも、それゆえに固い表情もとても素敵だわ。けれど、こんなに存在するだけで私の世界を薔薇色ばらいろにしてくれる貴方に、何もみつげないのは辛いわ……」


光悦とした表情を浮かべたあと、至極残念そうにアンジェルは呟いた。愛らしい彼女に物憂げな表情をされると、誰しも首を縦に振りたくなるものだが、セヴランだけは頑として譲らなかった。


「働きに対して充分な給与はいただいてます」


「そのかたくなさが堪らないわ」


謎のお布施を断ることには成功したが、アンジェルにうっとりとされてしまい、セヴランは頭痛がした。一体いつになったら王女とまともに会話できる日がくるのだろうか。

不毛な押し問答を経て、セヴランはようやく仕える主を朝食へ向かわせることができた。これが一日のはじまりなのだから、先が思いやられる。一方、これからセヴランが護衛として追従することが確定しているアンジェルの表情はいきいきと輝くのだった。




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