【3】おとない
◇
今日もまた、青空に、高らかに蝉時雨が響いている。
巽は神社の手伝いで山の社へ行っていて不在。やることもなく、暑さも手伝って、時矢はごろりとだらしなく、縁側に寝そべって時間を持て余していた。
(……怠惰だ……)
たまにやることといえば、己を団扇で仰ぎながら、寝転んだまま用意されたスイカを齧るぐらい。のんびり、ゆったり――といえば聞こえはいいが、ただ無為で暇だった。
(毎日毎日……変わり映えがないなぁ……)
仰向けになれば、ガラス細工の華奢な風鈴が、風を待ってぶらさがっている。
「……お前も暇かい?」
「風鈴に話しかけてるの?」
突如かかった声に、時矢は驚いて飛び起きた。風鈴が話した――はずもなく、庭の向こう、剪定したばかりの垣根の隙間。そこから、知っている顔が中を覗き込んでいた。麦わら帽子に、白いワンピース。長い黒髪が傾いだはずみで細い肩から流れ落ちる。
「あ、昨日の……」
「こんにちは! このあたりの家の様子がいい感じだったから、ウロウロ見てたら、君がいて。入ってもいいかしら?」
そこそこ距離があるはずなのに、張りのある声はよく通って、間近く聞こえる。
しかし、すっかりくつろいではいたが、ここは時矢の家ではない。それに許可を出すのもどうかと思いあぐねかけて――見つめる華やかな笑顔に、視界を奪われた。それに、時矢の思考がふいに霞む。
「――いいよ、どうぞ」
「ありがとう!」
気づけば、口にしていた。溌溂とした音色が嬉しそうに弾む。それで、発言を翻すのも気が引けてしまった。
――関わり合うなよ。
そう、釘刺すように言った家主の姿が過ったのに、心の中で小さく詫びておく。
「ここが例のお友達の家なのね」
「そう、例の神社の神主の家なんだ。だから立派でしょ?」
門を跳ねるように超えて踏み込んできた彼女を、招き入れた手前、庭から縁側に誘う。さすがに、中まで上げるのは憚った。
「ほんと、さすがねぇ……家も立派だし、庭も広いし」
旧家然とした、どっしりとした日本家屋の瓦の有様から、欄間の細工、柱の作りまで、検分するように彼女は視線を滑らせた。
「ホタルブクロもあるのに、鉄仙も咲いているの。すごいわね」
庭を見渡し、咲き誇る紫と白の花々に、女性は感嘆とはどこか違う吐息を落とした。
「そして、スイカもあるのね!」
「ああ、うん。食べる?」
ぱっと時矢へと向けられた笑みが弾けて、黒髪が踊る。だが、つい奨めてしまったが、スイカは思いきり時矢の食べかけだ。
スイカの歯形に女性が目をやったのと、時矢が失言を悟ったのは、ちょうど同時。視線がぱちりと、重なり合う。
「次の機会にしようかしら?」
「そうだね、そうして」
くすくす笑う声に救われた心地をいだきながら、時矢は申し訳なさそうに返した。
「ちょっと中に入って様子を見てみたかっただけだから、すぐに帰るわ」
言葉とは反対に縁側にちょんと腰かけて、でも、と女性はまだ庭に立つ時矢を見つめ上げた。
「君、すっごく暇そうだったから、少し話し相手になってあげるわね」
なぜか得意げに、いっそ恩着せがましく、女性は生き生きと申し出る。だがその強引さは、漫然と手に余らせていた退屈さを叩き壊していくようで、時矢には妙に心地よかった。
「じゃ、お願いしようかな」
新たな出会いにかすか心躍るのを自覚しながら、時矢は彼女の横に腰かけた。
取り留めなく交わして笑いあう会話の合間合間に、風鈴が鳴る。
少しと言いながら、小一時間ばかり縁側で過ごして、女性は別れを告げて立ち去って行った。「またね」と、楽しげに笑いながら。
思いもかけぬ充実した時間に満足して、ひとり残った時矢は、すっかりぬるくなったスイカを齧る。
その時、縁側になんとはなしに預けた左手に、ぴちゃりと妙な感覚がした。
(あれ……?)
縁側が、ひどく濡れていた。ちょうど女性が腰かけていたあたりだ。スイカと一緒に置いていた麦茶でも、気づかぬうちにこぼしたのだろうか。そう、コップを見たが、それは変わらず、スイカの皿の脇にたたずんでいる。
(なんだろう?)
風鈴が、山からの風にまた、どこか警鐘のように鳴り響いた。
潮騒の音は遙か遠いのに、海の匂いが香った気がした。
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