水曜の夜のピクニック
01-01 平成二九年度新入生歓迎会における文芸部の挨拶
◇
新入生の皆さん、初めまして。文芸部です。今日は新入生歓迎会の部活動紹介だそうですね。だそうですねというか、もう始まってますね。というか俺もそのためにここに立っているわけです。
今まさに部活動紹介をしている最中に何を言っているんだとお思いかもしれません。部活動紹介の時間です。
皆さんはこの会で部の紹介を聞いて、また後日興味のある各部活動を見学して、自分が所属する部を選ばないといけないわけです。部活動紹介にあたっては生徒会からの要請のもと、各部の代表者がこの壇上に立って活動内容や実績などを紹介するということになっています。持ち時間はだいたい数分。これを超えると時間が押して皆さんの帰りが遅れるというわけです。困るね、それは。
そういうわけで手短にいきたかったのですが、こんなふうにくだらない能書きを垂れ流しているのは理由があります。話せば長くなるのですが、なんと俺は今日この場に立って話さなければならないということを部長から今朝はじめて聞かされたのです。
こんな話ってありますかね? せめて数日前に言ってくれていたのなら、もうちょっとちゃんとお話できました。ちゃんと文芸部らしく原稿を締め切りまでに用意できました。でも違った。わかりますか皆さん。俺は手ぶらです。いま思いつくままに喋っています。こんな部には入らないほうがいいです。おすすめしません。というだけで終わらせてしまうと怒られそうなので、一応最後に文芸部らしいことを言います。
皆さんは嘘つきですか? それとも正直者ですか? それともうひとつ。皆さんの世界は嘘つきですか? それとも正直者ですか?
ピンと来ないかもしれませんね。まあとにかくそれを聞いてみたかったのです。とりあえず持ち時間分は話せたようなのでここらで終わりにします。もし詳しい活動内容を知りたい人がいたら、あとで二年三組の泉澤怜という人間を尋ねてください。そいつが諸悪の根源です。重ねて言いますが、あんまりおすすめはしません。以上、文芸部でした。
◇
東校舎の三階の隅、文芸部室の中央には、二つ並んだ長机。ホワイトボードを背にパイプ椅子に腰掛けて、部長である泉澤怜は本を読んでいた。もう短くないと言ってもいい付き合いになるのに、こいつとの距離のとりかたが、俺にはいまだにわからない。
俺は窓際に立って、部室の窓から見える外の様子を眺める。中庭の大欅の下、新入生たちが歩いているのが目に入った。
「それにしてもさ」
不意に怜が口をひらいた。
「諸悪の根源っていうのは、ちょっと言い過ぎじゃない?」
「合ってるだろ」
俺は振り返らずに言い返した。
「そもそも、他の部はだいたい部長が部活紹介してたんだ。押し付けられた結果あんな挨拶になったんだから、諸悪の根源で合ってる」
「そうかな。わたしはきみならちゃんとやれるって思ったんだけど」
どうだか。
肩をすくめて、ようやく窓から離れた。気付けば、泉澤怜はこちらを見ている。彼女の視線に、やけに落ち着かない気持ちにさせられる。……なぜだろう? やましいことなんてひとつもしていないのに、彼女に見つめられると、どうしても、なにかを間違えているような気分になる。
四月中旬の放課後のことだ。
新入生歓迎会があったのは今週のはじめのこと。その日以降、新入部員も見学希望者も来ていない。俺のスピーチがあんなありさまだったから、というよりは、もともと文芸部なんて、今どき流行らないということなんだろう。現在、文芸部の部員は幽霊部員を含めても三人で、このままだと同好会に格下げ、部室は取り上げられる、という形になる。怜がそれでもいいと思っているのか、それともそうはならないと思っているのか、俺には判断がつかないし、どっちでもいい。もともと俺はこの部にこだわりなんてない。いっそこんな部室なんて、なくなってくれた方がせいせいするかもしれない。
「入部希望者は来ないみたいだな」
「そうだね。今のところは」
まるで、黙っていてもそのうち来る、とでも言いたげな口ぶりだった。すべてを見透かしたような顔で、彼女はまた文庫本のページに視線を落とした。
「そろそろひとり来るよ」
と、言うが早いか、ノックの音が聞こえた。
「知り合いか?」
「どうかな。任せてもいい? あと一ページできりのいいところまで読み終わる」
どうせ立ち上がる気はないんだろう。かわりに俺は扉へと向かい、それを開けた。
小さな女の子がそこに立っていた。
彼女は俺と一瞬目を合わせたあと、すぐに興味を失ったようにそらすと、部室のなかへと視線を泳がせ、そのあとすぐに、俺の横を通り過ぎて、怜の方へと向かった。
「せんぱい、来たよ」
と彼女は言った。俺のことなんてぜんぜん見えてないような態度だった。その声、その表情、その仕草に、どうしてだろう、ひどく気持ちがざわついた。
「うん。もう少し早いかと思ってた」
「興味なさそう」
「もうちょっとできりのいいところまで読み終わるから、待っててね」
「早くしないと、気が変わって帰っちゃうかもしれないよ」
「うん。もうちょっと」
言い終えると、怜は文庫本に栞を挟んで、彼女のほうへと向き直った。怜が視線を合わせてにっこり笑う。来客のほうの表情は、俺からは見えない。
「入部希望でいいんだよね?」
「うん」
当然のように、そのままうなずいた。俺は状況が飲み込めずに、頭をかく。
「知り合いか?」
後ろから声をかけると、小さな女の子はこちらを肩越しに振り向いてから、怜のうしろに隠れた。
「中学のときの後輩だよ。新入部員だね」
「……アテがあったのか」
「……この人、誰?」
「部員だよ。一応、副部長だね。見たことあるでしょ」
「新歓で変なスピーチしてた人?」
「そう」
「おまえがさせたんだろ」
俺が話すたびに、女の子は身を縮こまらせて怜のうしろに隠れた。
「新入部員をおどかすのは感心しないよ」
「……おどかすつもりじゃないんだが」
こう怯えられると、こっちのほうがつらい。とはいえ、怜といると、こんなことには段々と慣れてくる。俺はいつだって怜のおまけで、助手で、脇役で、アシスタントだ。べつにいまさら期待なんてしちゃいない。
女の子は、ようやく気づいたというみたいに姿勢を正して、俺のほうをまっすぐに見た。……なにか、異様にかわいらしい少女。どこか、魔的ですらある。
目をそらせないような。
「……はじめまして。真中柚子です。せんぱいのペットです」
「……ペット?」
「はい」
「ちがうよ」
怜は苦笑したけれど、真中と名乗った女の子は、いかにも真剣そうだった。
「……まあ、なんでもいいけど、入部希望者なんだな」
「うん」
敬語を使う気はなさそうだった。もっとも、そこにこだわりはない。どうだっていい。
「あとひとり来ると思ったんだけど、今日は来ないのかな」
怜のつぶやきに、溜息をつきかけて、やめた。考えるだけ無駄だ。じゃんけんみたいなものだ。グーはパーには勝てない。
ほとんど名前だけの自己紹介を終えたあと、真中柚子は近くにあったパイプ椅子を引き寄せて、怜の隣に座った。怜はたいして興味もなさそうに文庫本の続きを読み始める。彼女たちがどういう知り合いなのかとか、そんなことは考えるだけ無駄に思えた。
俺は考えるのをやめて、俺たちが入部する前から壁にかけられているらしい水彩色鉛筆画を眺めた。海と空とグランドピアノが描かれたその奇妙な風景画は、手持ち無沙汰な時間を潰すにはうってつけだ。
真中も俺に興味を持たず、俺も真中に注意を払うのをやめた。もともとこの部室のなかで起きることの大半は、俺には関係がない。今日だってそうだというだけだ。
ふと、ポケットのなかでスマートフォンが震えた。
着信をチェックすると、妹からメッセージが届いていた。
それを確認して、俺は立ち上がる。
「用事ができたから、今日は帰るよ」
「そう。鍵は締めておくよ」
「ああ」
怜が俺に返事をしても、聞こえていないみたいに、真中はこっちを見なかった。
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