犬と猫をめぐる冒険

へーるしゃむ

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00-00 恋煩い



 


 黒い木々はあざ笑うようにざわめいていた。見上げた枝葉の隙間から見える空は赤紫に滲んでいる。遠く向こうに沈むのか昇るのかわからない太陽の気配。薄明だ。夜が来るのだろう。……あるいは、朝だろうか? 今が明け方なのか、それとも日没前なのか、もうわからない。


 ここがどこなのか、どのくらい歩いたのかも、わからない。けれどまだ歩かなければいけない。どこに向かっているのかも曖昧なまま、それでもまだ続けなきゃいけない。


 探さないといけない、見つけないといけない。もう一度、声を聞くために。


 不意に風が吹き抜ける。ざわめく葉擦れの音が駆け抜けていく。この暗い森のなかで、自分のからだはどうしたって心許なく、頼りない。


 あと何歩、あと何時間、と、果ての決まっている道ではない。どこにたどり着けば終わるという、そういう道でもない。どこにもないかもしれないものを探している、そういう自覚はあった。


 森の道が開けた。眼の前には、枯れた噴水。その縁に、女がひとり腰掛けていた。目につくのは、その白い肌、その白い服。そして、真っ赤な口紅。

 

 彼女はわたしを見てにっこりと笑い、

 は思わず身震いした。


 その口紅が上下に裂けて、「可哀想に」と、そう言った。


 あなたは誰ですか、とわたしは訊ねる。質問の仕方を間違えたと、すぐに分かった。わたしは、「誰」ではなく、「何」と訊ねるべきだった。


 あなたは、何ですか?


 けれど、きっと、どちらにしても、彼女は答えなかっただろう。


 彼女は、その白いからだを静かに揺らした。

 綺麗な幽霊みたいだと思った。


「ずいぶんと、遠くまで来たのね」


 そういって、彼女はわたしを手招きした。


「あなたは、あの子をさがしているのね。彼に取り憑かれた、可哀想な子。……あの子は、このままじゃ、死んでしまう」


 死んでしまう。

 きっと、そうなのだろう。


 どうしたらいいんですか、と、わたしは訊ねた。


 どうしたら、もう一度、会えるんですか。

 まだ、間に合うんですか。


 嘘でもよかった。

 なんでもよかった。


「ルールがあるのよ」と、彼女は言った。


「この森のルールは、彼がつくった。でも、予想はつく。きっと、重要なのは、そう、あの日、あなたも覚えているあの日、何人が森に入って、何人が森から出ていったか、ということ。わかるかしら。森に入った人数より、森から出ていった人数は、必ず少ない。……ああ、これは、増えた分は別よ。わかるかしら?」


「数……」

 

 そう、だからね、と彼女は言った。


「たぶん、彼が決めたルールは、こう。あの日、森から出られる人数は、森に入った人数より、常にひとり少ない。どういうことか、わかる?」


 わたしは、ただその声を聞いていた。


「数を、合わせればいいのよ」


 枯れた噴水、黒い森でざわめく木々のなか、

 わたしは、白い、白い女に出会った。


 彼女は神様だろうか。

 それとも悪魔?

 これは夢?

 それとも幻覚?


「誰かが、この森に残らなきゃいけないの」


 もう、何でもいいと思った。


「……手伝ってあげましょうか?」


 彼女が悪魔でも、神様でも、これが夢でも、幻覚でも。

 わたしはもう一度、彼に会いたい。


 だから……。


 数を、合わせなきゃいけない。


 

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