第6話 砂浜の願い

 9時起床、軽く朝食をとり部屋の片づけをする。

少ない私服の中から、まだしわの少ない白シャツと黒のスウェット

を選ぶ。11時集合、時間は十分にあった。


_ _ _ _ _ _ _ _ _


「優太、行きたいとこだけど」


 土曜授業日の下校時刻のこと


「海とかでもいい」

「おっけ」

_ _ _ _ _ _ _ _ _


 琴乃に対して、最近はいじめの話は聞かない。

ただ、あからさまに琴乃への視線は冷えきったものだった。

 正直想定していた最悪の状況になりつつある、この間の

杉山の彼氏の騒動のせいでうわさが広まったようだ。


『杉山さんの事故に八神が関わってるらしいよ』


 なんとなく想像していたが、その噂は瞬く間に広がった。

物理的ないじめは収まったものの、また別の形でことが大きく

なっていた。

 拡散元はほぼ間違いなく小野寺。


「俺がなんとかしないと…」


 この噂が琴乃の耳に入っているかは分からない。

とりあえず今日くらいは少しでも楽しんでほしい、今からでも

普通の生活を…。


「行ってきます」

「…………」


 自転車で待ち合わせの場所まで走り出す。

最近乗っていなかったからかチェーンがさび付いている。

 油さしとけばよかった……。


目的地の公民館前までつくともうすでに琴乃の姿があった。


「悪い、まったか」

「いや全然、というか早いね」


 近くの時計を見てみると10時45分。

ここから海岸まで2,30分ほどでつく、行き道はほぼ

下り坂だからもっと早く着くだろう。


「じゃ、いこ」


 人一人通れるくらいの細い道をぬけ、あとは

下るだけだ。


「ありがとう、行きたかったんだ」

「いいよ、というか海なんだ行きたい場所って」


 もっと七夕らしいところかと思っていた。


「そう、見たかったんだ…海」


 気持ちのよい風と共に自転車は加速する。


「そういえば…昨日の話」


 緩やかなカーブを曲がるともう、海が見え始めた。

 さび付いたチェーンのきしみが大きくなる。


「カエルの親子の話」

「あー、私が話したやつ」


「あれさ、琴乃は最後に母は子を信じれなかった…って

 言ってたけど、それは最後のさいごで子供に寄り添おうと

 したんじゃないか、結果は悪くなったけど」


 昨日の琴乃の言葉が引っ掛かっていた。俺が初めて

その話を聞いたとき、母カエルの思いやりを感じた。


「そっか、そういう感じにもとらえれるのか」

「俺の勝手な解釈だけど」


 琴乃のほうの自転車がゆっくりとブレーキをかける。

それに合わせるよう、キーッ と嫌な音をたてながら減速した。


「その考え、すき」


 ニッと、わざとらしく笑って見せる。


「なんじゃそれ…」


 白い砂浜が見えてきた。もう少し先に岬がある。


「ここの砂浜でいっか」

「うんっ」


 覚えていた景色よりも遥かにきれいな海。

小さい頃は磯のにおいが好きでなかったが今はそう

思わない。


「ねっ、おにぎり作ってきたの」

「あー、まじで腹へってた」


 レジャーシートに腰掛けて、きれいに並んだおにぎりに

手をのばす。


「いただきます」


ほんのり塩がきいていてうまい。具は…。


「あっ、タラコだ。俺一番好きなやつ…うん美味い」

「でしょ、小学校からずっと言ってるもんね」


 おにぎりのおいしさよりも、そんな小さなことまで

覚えてくれていたことに驚く。


「へー、覚えてたんだ」

「もちろん」


 なんだか恥ずかしい。

海の景色を見てなんとかごまかす。

 やっぱり俺は…。


「足だけでも入りに行こうよ」

「そうしよっか」


 靴の中にくつしたを押し込み、砂浜を走る。

 砂はとても暑く、足がすぐに赤くなり始めた。


 はやく海に入らないとやけどする。波際までくると

波のほうから足を出迎えてきた。


「わっ、冷てー」

「ひゃっ」


 けらけら笑う。


「あっ、見て小さい魚」

「ほんと、捕まえれるんじゃ」


 手をのばした途端に姿を消した。

 さすがに手づかみは無謀だったか。


「ははっ、手は無理だって」

「だよな」


 琴乃がこんなに笑っているのを久しぶりに見た。

しばらく水をかけあったり、砂浜で喋っている内にどんどん

時間はたっていく。


「ねえ…あそこの岬、見に行ってもいい」

「あぁいいぞ」


 歩いても数分だろう。

 自転車を置いて浜辺を歩く。


 そういや今日は七夕だったな、海は全く関係ないが

楽しかった。短冊くらい書いとこうか…。


 書くことは決まっていた、もう今はそれしか望んでいない。


「どうしたの優太」

「え、いやなにも」


「着いたよ」


 波が岸にぶつかり大きな音が広がる。


「まじで綺麗じゃん」

「ほんと…」


 さっきまでいた砂浜はかなり下にある。


「ここ結構高いね」


 波が打ちつけられ海面には白い波ができている。

 砂浜から見たものよりずっと、はるかに綺麗……。


「優太ありがとう」

「別に何もやってない」


 本当になにも……。


「そんなことない、私優太に救われたんだから、今日だって

 この人生の中で一番楽しかった」


「大げさな…」

「ほんとだよ」


 太陽の光で、琴乃の顔がよく見えない。


「琴乃…」


 ぽろぽろと泣いていた。


「どうしたんだよ、なんかあったか!」

「違う…ただうれしくて」


 今になって分かった、琴乃は本当につらかったんだ。

 その辛さをちゃんと見れていなかった。


「ごめん…こうなるまで何もできなくて」

「そんなこと言わないで…」


「ありがとう」




 さっきまでいた砂浜に戻り、帰りの支度をする。


「最後に海入っとく?」

「そうだな」


 足を海につけながらぼうっとしていた。

明日から俺がすることはただ一つ、琴乃の過去の噂、今広がってる噂

全てを終わらせる。

 そうしないと琴乃はだんだんと壊れていく。

さっき泣いていたのも…なにかごまかしていた。


「そういえば今日七夕だよね」

「そういや、忘れそうだった」


「ここに短冊書いていこうよ」


 近くに流れてきた小枝で砂浜に願いを書いていく。


「おっ、いいね」


 書くことは決まっていた。


「優太はなに書いたの」

「あー、俺は…」


『平和な生活をおくれますように』


 これは俺自身だけではない、琴乃も含まれている。


「そっか…」

「琴乃はなに書いたんだ」


 少し恥ずかしそうにしながら見せる。


『優太が幸せでありますように』


 静かに見つめる。


「それなら俺だって琴乃が…」


 書き直そうとする手を掴んだ。


「そのままでいいよ」


 気づいてしまった。これは俺が傍観者だったことを

償うためにしたこと、でも…その中に琴乃に対する

明確な好意があった。


 やっぱり、俺は琴乃が好きだ。

 夕日が傾きだした。


「そろそろ帰ろっか」

「そうだな」


 砂浜を後に、自転車に乗る。

今までよりも一層この普通の生活をおくれるように望んだ。

 短冊の代わりに書いた願いは、徐々に波にのみ込まれる。



 後日、八神琴乃はその人生に自ら終幕をおろした。

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