第5話 カエルの子

「こちらまで」

 

 警察にパトカーへ誘導される。


「琴乃……」


 行っちゃだめだ。


「大丈夫だから」


 その不安げな目をして…とても大丈夫には見えない。


「また明日」

「…うん」


 後ろ姿がとおく、遠ざかっていく。


_ _ _ _ _ _ _ _ _ _

《7月6日》


『ごめんね…私』


「はっ…!」


 時計に目を向ける、6 時32分…………。

いつもより起きる時間が若干早い。


「今のは…」


 久しぶりに夢を見た、だが…。


「頭いてぇ」


 なんとなく琴乃のことを思い浮かべる。

 ………早めに行こうか。

朝食はテーブルの上にあったバナナを一つ食べ、身だしなみ

もせず、玄関へと向かう。


「…いってきます」

「…………」


 別に返事を求めていたわけでもない、求めてたわけじゃ……。

 足早に家を抜け出した。

 もしかしたらまだ学校には来てないかもしれない。

いつもより家を出る時間は早いし、なのにどうしても琴乃の

ことが気になった。

 いないと思っていても歩幅は大きくなる。


「ハァ…、ハァ……」


 学校ってこんなに広かったけ、まだ誰も来ていない、

自分の足音だけが廊下に響く。


「…………」


 教室には誰もいない。


「まぁそれもそうか」


 わかっていた。

窓の外を見ると雨が降り出してきている。

急いでたせいで天気予報を見るのを忘れた、もちろん傘も。


「なんではやく来たんだろ」

「はやいね」


 驚いて肩を飛び上がらせてしまう。


「琴乃!なんで…」

「雨降るって言ってたから早く来たの…そっちこそ」


「俺は、昨日のことが気になって」

「あぁ…」


 壁に少しもたれながらつぶやく。



「別に大したことじゃないよ、ただ…私と杉山さんが

 少しもめ事になっていたことが知られていて」

「そうか…」


「どういうことがあったのかだけ聞かれた」


 おそらく、警察にそのことを伝えたのは…。

 

「小野寺か」


 真っ先に頭に浮かんだのはあの先輩。


「分からないけど、たぶんそう…警察に何度も問い合わせを

 していたみたいだから」


 雨がだんだん強さを増す。


「やっぱり私…」

「琴乃、それは…」


 だめだ、もう君は傷つかなくていい。


「…………」

「…………」


 一般的に見ればこれは逃げなのだろう、でも…。

琴乃はこの状況から逃げず一人だけで立ち向かっていたのだ。

 もう…逃げ出すくらいいいんじゃないか。


「なぁ琴乃、明日七夕だけど…一緒にどこか行かない」

「えっ…全然いいけど」


「よし、じゃあ行きたいとこ考えといて」

「うん」


 無理やり話を変える。これからは普通の生活を

してほしい、もう苦しまない生活を。

 早く来すぎてしまったのかホームルームまで1時間はある。

 雨とウシガエルの鳴き声だけが沈黙を和らげた。


「ねぇ、カエルが雨の日に鳴く理由知ってる」

「いや、知らん」


 席を立ち、窓際にまで歩きながら話を続ける。


「韓国の童話なんだけどね、カエルの親子がいて、

 その子供はとてもヤンチャで母ガエルをいつも困らせていたの」


 この話…どこかで聞いたような。


「子カエルは母カエルの言う事を全く聞かず、

 母カエルの言ったことと真逆のことをした」


 そうたしか。


「虫を捕まえてきてと言うと魚をとってきて、

 ヘビは危険だから近づくなと言うとヘビの巣穴に入っていく…」


 思い出した。これは小学1年生くらいの時、母が話してくれた童話。


「そんなある日、母カエルは病気にかかった。自分でも命は短い 

 と悟り、子カエルに小さな嘘をつく。本当は花畑の近くに墓を

 建ててほしいが、それとは逆の場所。川のほとりに墓を建てるよう

 に言って息を引き取った」


 つまり、いつも言うことの逆をするから母カエルは

自分のしてほしいことの逆を言ったのだ。


「でも…」

「でも、子カエルはその嘘を守り川のほとりに墓を建てた…。

 雨の日は川が増水してお墓が流されてしまう可能性がある、

 だから子カエルは雨の日に墓のことを心配して鳴いている…

 そういう話だろ」


「優太知ってたの」

「途中から…」


 この話はとても切ない最後だ、死ぬ最後の約束を守ったが

 それは望んでいたものじゃなかったのだから。


「雨の日になると思い出す」

「悲しいな…」


「本当…、」


 ゆったりと席へと戻っていく。


「母カエルは最後に子を信じれなかった」


 廊下のほうからガヤガヤと騒ぎ声がきこえてくる。

気づけばもう登校時間か…。俺も席へと戻る…。


「ね…優太」


「七夕楽しみにしてる」

「あぁ」


 こういう普通の日々を、永遠にと望んでしまう。

 ゆっくりと終幕が近づいてきていた。

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