第19話 水溜り

俺のために知りたいと江崎を喋らせたのに、何も言えなかった。二人とも黙り込んだままだ。

絵を描けばもう一度逢える。なぜか八百屋お七を思い出した。幼くて一途で必死なその人しか見えなくなる想い。

[逢いたいってそれだけで心が踊る。満たされる。何でも出来てしまう切なくて苦しいけど]桜の言葉。

お七の気持ちって、江崎の気持ち?内村さんじゃなくて江崎のことか?

「もう一回逢うためにずっと描いてたんやろ絵を」

俺の言葉に江崎がため息をついた。

「そんな事しても何にもなれへんのにな…」


そんな事はない。現に届いた内村さんに…

江崎の思いに共鳴した内村さんは今、水川あゆむに会いに行っている。確かめるために…


「なれへんかどうかはお前がこれからどうするかによって変わる」

「……どうすれば良い?またお姉ちゃんに哀しい顔させてしまうかも知れん。まあくんのこと思い出させてしまうかも知れん…」

江崎は泣きそうな顔をして俺を見た。

「思い出したら何でアカンねん。お前も忘れてへんやろ?まあくんのこと忘れられるんか?夢を見てるって何を夢見てんねん、逃げてるって何から逃げてる?」

江崎は目を見開いた。


あの日内村さんがあんなに涙を流しながら、江崎の絵に魅入られていたのは二度と逢えない人、いや二度と逢えない亀のヨロズを想う内村さんの気持ちを江崎の絵の中に見たからだ。逢いたいって言うてると言い切った内村さん。それはお姉ちゃんに会いたい、それ以上にまあくんに逢いたい江崎の気持ちだ。

「お姉ちゃんだけか?まあくんにも逢いたい、そんな気持ちで絵描いてたんちゃうんか」

「何から…逃げてる…?」

呟くと江崎は机を見た。

「…逃げてた お姉ちゃんからじゃなくてまあくんのいない現実から。まあくんが居なくなってしまったって突きつけられるんが怖かった…だってあの頃お姉ちゃんに会う時はいつもまあくんが居ったから……今でも……絵を描いてる時だけはまあくんがそばに居る……あの頃と同じ…いつも一緒に居てる気がして…」

江崎の頭がどんどん下がり机にポタポタと水滴が落ちる。

「お姉ちゃんに会いたかった…一緒に…まあくんと三人で……逢いたかった………」

震える声でそう言うと、江崎はそのまましばらく俯いたままだった。雫はポタポタと落ち続けた。

机の上に水溜りが出来てしばらく経ってから、やっと顔を上げた江崎は、

「まあくんが居なくなってから初めてちゃんと泣いた気がする」

と寂しそうに、でも少しだけ微笑んだ。

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