第9話 夏祭り
ソースの焼ける匂いが漂って来る。急に腹が減ってきた。浴衣を着た江崎と内村さんに挟まれて俺は夏祭りに向かっている。
和裁をやりたいと言ったその言葉通り、内村さんは江崎に浴衣を作ってプレゼントした。江崎の誕生日は八月。浴衣はシブいグレーの幾何学模様で亀甲紋様と言うらしい。内村さんは白地に緑の亀が散らばっている子どもが着るような浴衣を着ていた。お邪魔虫よろしく二人にのこのことついて来たのには訳があった。
内村さんに近くの神社で行われるお祭りに誘われた江崎は、最初は断ったそうだ。人混みが苦手だし、二人きりで行くのにも抵抗があった。いつもなら強引だがしつこくはない内村さんは、そこでアッサリ引き下がるはずだった。
でも今回は、一回だけで良いから浴衣を着ている所が見たいと粘ったらしい。せっかく作ったのに…としょんぼりされると優しい江崎は断り切れない。打開策として信ちゃんも一緒なら…と俺が駆り出されることになった。
俺も最初は断った。二人で行きたいに決まっている。でもそれならやっぱり断ると言う江崎の言葉に、内村さんのわかりやすい、肩を落としてがっかりする姿を想像してしまった。せめて江崎の浴衣姿は見せてやりたい、せっかく作った浴衣が日の目を見ないのも勿体無い。口にした事は何でも実現してしまう、内村さんの実行力に感心と言うか驚愕しながらその浴衣の出来映えも見てみたい気がした。
内村さんは当然のことながら着付けも習得していた。浴衣を着せてもらうため、祭りの前江崎と一緒に内村さんの家に立ち寄った。浴衣の出来映えは素人が見ても完璧に見えた。
家には内村さんしか居ないようで、
「お母さん仕事?」
と聞くと江崎の腰に角帯を巻き付けながら、
「今お父さんのとこ行ってる」
と答えた。
内村さんのお父さんは単身赴任で他県で仕事をしていた。一切家事が出来ないお父さんのお世話をするため内村さんのお母さんはひと月に二十日以上もお父さんの所に行っているらしい。
「独りで大丈夫なん?」
女の子なのにと思った。
「別に困る事ないし。夏休みやし」
内村さんは答えると江崎の浴衣の肩口を引っ張って整えた。
「うん、良い。似合う」
うれしそうに浴衣姿の江崎を見つめる。確かに浴衣は江崎に似合っていた。自分の部屋で浴衣に着替えた内村さんは、
「ほな行こか」
と俺達を連れて家を出た。
神社は内村さんの家のすぐ近くにあった。三人で歩きながら俺は姿を消すタイミングを計算していた。どこかで二人きりにしてやろうと思っていた。
神社の参道には出店が並んでいる。人混みを掻き分けながら歩いていると内村さんが立ち止まった。
水風船釣りの屋台だ。
「やる?」
と聞くと力なく首を横に振った。何となく元気がない。
「金魚すくいとかじゃないねんな」
江崎が屋台を見ながら呟いた。
「最近は生き物はアカンのんちゃう?昔はそれこそひよこ釣りとかもあったよな」
俺が言うと、
「あーひよこに色付けたりしてなー。可哀想やったな」
と江崎が答えた。
「家持って帰ってもなぁ…ちゃんと育つん?」
「僕の友達にひよこ釣りのひよこ飼ってた子おったで。鶏になったけど朝鳴くし近所迷惑やって親がどっか連れて行ったって」
「養鶏場とか?」
「多分……めっちゃ泣いてた 家帰ったらおらんようになってたって」
と言ってから江崎は少し悲しげに、
「ちゃんと責任持って飼えるんならまだしも、上手く面倒見られへんで死んでしまうこともあるやん。子どもの遊びに生き物の命つかうのは、生き物にも子どもにも残酷やわ……」
そう呟いた。
いきなり内村さんが立ち止まった。
「どうしたん?」
尋ねても下を向いたまま動かない。内村さんの普通の女の子よりちょっと角張った肩が震えだした。江崎も気がついて内村さんに声を掛ける。
「具合悪い?下駄で足痛くなった?」
「ごめんな……」
聴き取りにくかったが内村さんが呟いた。顔を覗き込むと泣いている。
「なに…どうしたん?」
慌てて尋ねた。
「アタシのせいやねん。アタシがちゃんと面倒見られへんかったから……」
内村さんはそう言って顔を上げた。
「ごめんな ホンマにごめん」
江崎を見ている。江崎に謝っていた。
「え……なんで……」
江崎が狼狽える。
「冬眠してるんやと思っててん。ずっと甲羅から顔も手も出さへんし……でも春になったらまた元気に動き出すんやと思ってたのに……」
そう言うと内村さんは声を上げて泣き出した。子供みたいな浴衣で子供みたいに大声で泣いている。
男二人はただオロオロと内村さんのそばで戸惑い、周りの人々はただ非難の目で俺達を見ていた。
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