4-2

 ――それからのことを、ティアレはおぼろげにしか覚えていない。


 ジェニアの無垢な驚きの目が、あまりにも残酷な輝きに見えた。


『頭の中に声が聞こえるようになって……《助けなさい》っていう声です。はじめはささやきみたいな声だったんですけど、だんだん強くなってきて……それから、傷や怪我を治せるようになっていったんです』

『いまはもう、はっきりと女神さまの声が聞こえます。女神さまとつながっているのを、強く感じられるんです』


 神官長のかつてない冷ややかさと軽蔑の意味。


『ジェニアこそが真の聖女です。この者こそ、女神に選ばれた聖女。神殿に入ることすらなく、ここまでの力を扱えるとは』


 ――何年も神殿に入って無駄に日々を過ごし、力を失った者とは違って。


『元聖女・・・ティアレは、女神の寵愛を失いました』


 神官長の宣言が、凍てつく刃のようにティアレを切りつけた。

 ティアレは泣き叫ぶことも、否定することもできなかった。

 事実であったから。


『あるいはこの者は、女神の気まぐれで少々力を与えられていたのかもしれません。しかし、などとは言語道断。神聖なる座を欺いた罪は死に値します。だからこそ、与えられていた力も失ったのでありましょう――』




 暗く湿った牢の中で、ティアレはただじっと座り込んでいる。

 簡素だが肌ざわりのよかった上質の衣装をはぎとられ、肌を刺すようなざらざらとした荒い麻の衣を着せられていた。


 治癒の奇跡を失い、聖女でなくなったティアレには何も残っていなかった。

 聖女として神殿に入ったときに、令嬢としての地位や家とのつながりは切れている。

 この牢に入れられているのは、女神の声が聞こえると人を欺き、で多少の治癒の力を与えられ、その力さえ失った大罪人でしかなかった。


(……どうして)


 膝を抱えて壁にもたれたまま、ずっとそのことばかりを考えている。

 ジェニアと自分。一体何が違ったのだろう。自分の何がいけなかったのだろう。何が足りなかったのだろう。


 自分より、ジェニアのほうが純粋だったからだろうか。

 自分より、ジェニアのほうが魂が澄んでいるからだろうか。

 もっと厳しく己を戒めるべきだったのか。もっと自分を清めるべきだったのか。


 こんなふうに奪い取るくらいなら、なぜ女神は自分に力などを与えたのだろう。


 ――カツ、と石床を踏む硬質な音がした。


 刑吏かもしれない。

 だがティアレは膝に顔をうずめたまま動かなかった。

 足音は近づいてくる。複数だ。

 自分にも、ついに終わりの時がきたのかもしれない。

 カツ、と足音が自分の房の前で止まった。


「……ティア」

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