第3話
中学校に入学して、まずお兄ちゃんがした事はサッカー部に入る事だった。
「勉強の邪魔になるんじゃない?」
と、訝しがるママに、成績は絶対落とさないからと約束して入ったサッカー部。
その約束通り、お兄ちゃんは中学三年間一度も成績を落とす事無く、ずっとトップでい続けるのだけれど、今言いたいのはそこじゃない。
サッカー部に入ったお兄ちゃんは、その上手さからすぐに注目を浴びる事となった。
一度注目を浴びてしまうと、
「あいつ知ってる。成績も良くて、小学校の頃から凄かったんだから」
と、同じ小学校だった子が噂を広めて、他所の小学校だった子達からも注目を浴びる羽目になる。
〝なんだか新入生にすごい奴がいるらしい〟と、瞬く間に学校中の噂になった。
そしてまずお兄ちゃんがされた事は〝告白〟だった。
小学校の時は、ただ「かっこいい」と遠巻きに見ていただけの女の子達までもが、どうした事か、中学生になると次々にお兄ちゃんに告白し始めたのだ。
それも中学三年生の先輩からにまで。
そうやって目立つと、やってくるのが男の先輩だ。出る杭は打たれるとはよく言ったものだ。
お兄ちゃんが中学三年生の先輩に呼び出されたと聞き、ヒヤヒヤしたものだ。
でも、どんな術を使ったのか、いつの間にかその先輩と仲良くなって、一緒にサッカーまでやり始める始末。このエピソードが学校中に広まって、お兄ちゃんは更にモテた。
お兄ちゃんに、
「どうやって仲良くなったの?」
と聞くと、
「簡単だよ。相手の懐に入ればいいんだ。それにはまず相手を怖がらない事。ニコニコしてる奴には怒りづらいだろ?それと一緒さ。あとは相手を立てて褒める事、かな」
「美和、よくわかんない」
「あはは、良いんだよ、美和には分からなくて。美和の事はお兄ちゃんが守ってやるからさ」
と言っていつもの如く頭を撫でた。
そんな時、パパの海外赴任が決まった。行き先は東アジア。
一、二年で帰って来れるというので、ママとお兄ちゃんと私は日本に残ることになった。
「パパ、行っちゃうの?」
お別れの日空港で、私は大粒の涙を流してパパの手を引っ張った。
「パパ行かないでよ」と。
パパは私の手を握った。
「すぐに帰ってくるよ。一、二年間会えないわけじゃないんだ。長い休みには帰ってくるからね。」
それでも涙が止まらない私を抱きしめると、
「陽平、美和とママを頼んだよ」
とパパはお兄ちゃんに言った。お兄ちゃんは力強く言った。
「二人の事は俺に任せて。父さんも気を付けて行ってきてね」
「本当に気を付けてね。ご飯もちゃんと食べて下さいね」
と、ママは心配そうにパパを送り出した。
「うん。子ども達の事は頼んだよ」
そうしてパパは、東アジアへと飛び立って行った。
この海外赴任が、一、二年じゃ済まなくなる事は、この時は誰も知らなかった。
「さて、ママだけになるんだから、あなた達、ちゃんとママの言う事聞いてね。特に美和。あなたは女の子なんだから、もっとママのお手伝いしてね。」
ママは切り替えたように言った。
「はぁい」
気のない返事を返した。
「俺も母さんの手伝いもっとやるよ。何でも言ってよ、協力するから」
「ありがとう。あなたがいれば安心ね」
ママは上機嫌で笑った。
パパが東アジアに旅立ってすぐに、私の抵抗も虚しく、塾は週2から週3に増やされた。
「美和はお兄ちゃんみたいに、放っておいても勉強が出来るタイプじゃないんだから、仕方ないでしょう。嫌なら絵画教室を辞めなさい」
こう言われたら従うしかない。
お兄ちゃんも一緒にママを説得してくれた。
「美和が嫌がってるのにかわいそうだよ。週2のままでいいじゃない」
だが、ママは頑として折れなかった。
「母さん説得できなかった。ごめんな、美和」
「いいよ。お兄ちゃんのせいじゃない」
私はもう小学三年生。
いつまでもお兄ちゃんお兄ちゃんと後をついて回る年齢じゃないのは分かっていた。
しかしパパのいない今、頼れるのはお兄ちゃんしか居なかったのだ。
そんな中でもお兄ちゃんは相変わらず爆モテしていて、私が友達と学校から家に帰っていると、知らない女の子から話しかけられて
「これ、お兄ちゃんに渡してくれる?」
と、手紙やプレゼントを預かった事も数えたら両手じゃ足りない。
「美和ちゃん、また頼まれたの?」
と、一緒にいた友達が呆れるほどだ。
「美和ちゃんは良いなぁ。あんなお兄ちゃんがいて」
羨望の眼差しも、ますます強くなっていった。私はもう慣れたもので、羨望の目が心地良いとは思わなくなっていたが、お兄ちゃんを褒められるのはやはり良い気分だった。
そして同じように
「お兄ちゃんと似てないね」
と言われるのにも慣れた。
もっと小さい頃は思ってた。
私もいつかお兄ちゃんみたいになれるんじゃないかって。でも、それは早々に諦めた。
私とお兄ちゃんは違う。お兄ちゃんはいつでも主人公。
私はその他大勢、通行人Aとかそんな感じ。
でも世の中、主人公よりも通行人の方が多いのだから。私はたまたまその他大勢の中の一人だった。それだけだ。
何でも持ってるお兄ちゃんと、何も持ってない私。選ばれたお兄ちゃんと、選ばれなかった私。それだけ。そういう事実がここにあるだけだ。
でも私は、その選ばれた〝お兄ちゃんの妹〟とういう肩書だけで充分だった。
私はお兄ちゃんのだった一人の妹。
この地位だけは誰にも侵せない。それで充分なのだ。
中学三年生の夏、お兄ちゃんは弱小サッカー部を全国大会にまで導き、学校で表彰されてから、サッカー部を引退した。
受験の夏が始まったのだ。
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