ジャガーマン/ドラゴンスケイル

 意識が遥か過去の記憶を思い出させる。

 公立の中学を卒業後、都立暗殺専門学校で殺人拳を修めた。柊は暗殺専門学校からの親友だ。親友だと思っていた。柊と同じ組に入り、人を殺してきた。ホマレと出会うまでは。

 ホマレは私と同じく殺人に疲れていた。同類だから顔を見ただけで分かった。

 私はヤクザで、ホマレは警視庁暗殺六課で、それぞれ人殺しに倦んでいた。

 出会った頃のホマレは暗殺六課を辞めて、実家の中華料理屋を継いだばかりだった。

『カタギじゃないだろアンタ』

『見て分かりますか?』

『血の匂いがするんだよ』

 血の匂いがするとホマレに言われたとき、私も彼女から同じような人殺しの匂いを感じていた。

 走馬灯から目覚める。

 一日に二度も走馬灯を見たのは初めての経験だった。全身の筋肉が悲鳴を上げている。表皮はズタズタに裂け、血もだいぶ流れたが骨も臓器も傷ついてはいない。

 自己判断ではあるが、戦闘続行は可能だ。アスファルトから立ち上がる。柊の事務所まではまだ二三キロ離れている。

「特殊メイクのお兄さん、病院行った方がええんじゃねえか。空から落ちたんやし骨いってんだろ」

 アロハシャツを来て金髪に髪を染めたエセ関西弁の青年が、私に話しかけてくる。

 どうやら私は高架を走る電車から吹き飛ばされて地面に落ちたようだった。

「病院は行きません。まだやることが残っていますので」

 病院に行くことやホマレの葬儀、今後店をどうするか。それは柊を殺してから考える。今は柊を殴り殺すことしか考える余裕がない。

「精密検査受けた方がいいと思うが」

 ところで青年が言うところの特殊メイクとは一体何のことか。

 周囲の店のガラスに映った自分の姿を見る。

 私の顔は鱗に覆われ、頭部全体の骨格も人間というより竜のように変わっていた。よく見ると手の甲にも鱗が生え始めている。

 噂では聞いていたが、自分がこうなるとは思わなかった。怪人化したのだ。

 怪人は人々の間で語り継がれた怪異と融合した/させられた者あるいは霊的級位上昇アセンションした者を指す。どちらの要因でも自然発生的に怪人になる確率は一万分の一程度のはずだ。

「……怪人化は外科ですかね?内科ですかね?」

「それは知らんなあ?病院の受付で聞くとか」

「そうですよね……」

 瞬間青年の頭部は弾けた。銃弾が頭蓋骨を貫通し、脳漿を辺りに撒き散らしている。

「久しぶりだねえ、ヒカリ。君もこちら側に足を踏み入れたんだねえ」

 黒豹の頭が黒いスーツから生えた者が近づいてくる。顔は昔と全く違うがあれは間違いなくヒイラギだ。どうやらヒイラギも怪人と化しているようだった。

ヒカリは私が自分で殺しました。私は怪人ドラゴンスケイルです」

 頭の中に浮かんだ名前を口にする。最悪の一日で自身の在り方が崩れ落ち、竜胆光リンドウ・ヒカリは死んだ。崩壊した自己からはヒカリの代わりに怪人ドラゴンスケイルが這い上がってきた。ヒイラギ、お前を殺すために。

「じゃあ僕も怪人ジャガーマンと名乗ろうかな?」

 瞬間、私の拳がヒイラギの胸部を打った。近くのパチンコ店の中にヒイラギは吹き飛ぶ。パチンコ店の客はちらりとも反応せず、スタッフは何処からか自動小銃を取り出しこちらに向ける。

「私から貴方に対する質問は一つだけ。何故殺した?」

 問い質しながらも攻撃の手を緩めるつもりはない。パチスロの台にもたれかかったヒイラギに貫手を突き刺す。

「誰を?僕は毎日仕事で大勢の人間を殺しているからいちいち覚えていないよ」

 ヒイラギは私の攻撃を躱し、貫手はパチスロ台を完全に破壊した。

 スタッフの銃撃が私とヒイラギに降り注ぐ。

 私は超硬の鱗に覆われているため痛くも痒くもないが、ヒイラギは小銃弾程度でも痛いようで避けている。

「……貴方が殺したホマレは私の妻です。当然復讐はさせてもらいます」

 平日の昼間からパチスロに励む人々の間を飛び回り、空いた台を掴みヒイラギに投げつける。

「ああ、そうそう。アレを生きたまま内蔵全摘出したときに判明したんだけど、子宮内に胎児があったよ。おめでとう」

 ヒイラギは投げつけられた台を蹴り返してくる。

「黙れ」

 そうだったのか。帰ってきたら重大発表があると言って、外に出たのはそういうことだったのか。私の方がずっと馬鹿だった。

 涙が留めなく流れて前が見えなくなった。泣くのも悲しむのも後でいい。今はヒイラギを殺さなくてはいけない。

 視覚以外の感覚で周囲を認識する。

「黙らない。なんで君は組を抜けた?僕たち二人なら何処までも高く昇ることができたのに」

 ヒイラギの掌底が、私の胸を打つ。衝撃は肉体に浸透する。

 痛みが現実に引き戻してくれる。心肺が破裂した。崩れ落ちそうになる身体を意地で立たせる。怪人になった私ならばまだ戦える。

ホマレと生きていくため」

 私は足を洗い、人を殺さないで生きていこうと思った。だが今日だけで熊を一匹とサイボーグを一体殺している。結局殺生を辞められないでいる。

「そんなにあの女が大切なら口の中にでも仕舞っていろよ!!」

 顔面にヒイラギの拳がめり込む。衝撃が脳を揺らす。

「……黙れ」

 ヒイラギの腹に手を突き刺し、腸を引き摺り出す。腸でヒイラギの首を絞める。ホマレの苦しみの十分の一にも満たないだろうが、苦しんで死んでもらう。怪人の腸は怪人の握力で掴んでも破裂しない、ちょうどいい縄だった。

「黙れ、黙れ黙れ黙れ黙れ黙れェ!!」

 腸の縄はヒイラギの首をしっかりと絞め、その首の骨を粉砕するまで耐えた。脱力した首を掴み、引き千切る。そしてパチンコ店の床に何度も叩きつけた。

「二度と口を開くな」

 頭蓋が割れ、中身が外にまき散らされた。

「店長、やりますか!?」

「今ならいけるか?いや無理かな……」

 パチンコ店のスタッフが自動小銃の銃口を自分に向け、周囲を囲む。彼らは私を殺すかどうか悩んでいるようだった。

 どうしたものかと考えていると、崩壊した正面玄関から黒い影が入ってきた。

「あら?ちょっと遅かったかしら?」

 漆黒の闇をそのまま切り抜いたような黒髪を伸ばした女だった。カーキ色のトレンチコートを羽織り、下は喪服のように黒いスーツ姿。そしてこの威圧感は間違いない。警視庁暗殺六課課長の後楽園コウラクエンだ。私に電車で絡んできたサイボーグと同型の首を五つも糸で縛り引き摺ってきている。ヒイラギの事務所の方から帰ってきたように思えるが、スーツに汚れ一つついていない。

「暗殺六課課長でしょうか?」

 暗殺の刑事が正面から姿を現したのならば、正面からの殲滅ができる準備があるか、あるいは友好的接触のどちらかだ。

「うん。ちょっとそこのに聞きたいことがいくつかあったんだけど、脳漿ぶちまけられているし、もういいわ」

 暗殺六課課長はヒイラギだったものを一瞥すると、直ぐに興味を失い背を向けた。

「あっ、そうそう。カタギを殺さないうちは見逃してあげる。今日は帰っていいわよ」

 軽薄に手を振ってそのまま暗殺六課課長は帰った。パチンコ店の客やスタッフたちは泡を吹いて倒れていた。暗殺六課課長の存在に本能的恐怖を覚え、意識を喪失したのだ。




 

 


 

 

 

 

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