夏の風色

加藤 良介

第1話

 朝の日差しを浴びて海が輝く。

 暑くなる予感がする。

 本州の西の端。海に向かった山が、力尽きた先に島がある。

 角島。

 全長四キロほとの、小さな島だ。

 その小さな島に、不釣り合いなまでに立派な橋が架かる。

 角島大橋。

 青い海に手を伸ばした橋の上を、一台の車が走る。

 色は黄色。

 輝く海の上を、黄色い車が滑るように橋を渡ってゆく。ボンネット一杯に光を受け、海に負けじと輝きを放ちながら。

 車は一路、島の先端へ。海へと向かって突き進む。速度は速い。車らしからぬ二気筒音を響かせて。

 黄色い車は島の先端、未舗装の駐車場に停車した。


 ガチャ。


 ドアが、真夏の空気を押しのける。

 私の足が角島に触れた。

 すぐ隣で、同じ音がする。


 「暑い」


 助手席から降りた女が、嬉しそうに声を上げた。


 「ああ、暑い」


 遮るもののない光の中。私はサングラスを車内から持ち出すべかを考える。

 しかし、砂利をかむ音が、その思考を遮った。

 島のシンボルに目を奪われたのか、彼女は私に一瞥をくれることなく歩き出す。

 私は目を守ることを諦めた。


 「本当に、石造りなのね」


 駐車場から少し上った先の高台に、立派な灯台が立つ。

 彼女の言う通り、立派な石造りの塔。

 私はロウソクみたいだと思った。

 

 「なんだか、ロウソクみたい」


 彼女も同じ感想を口にするので、可笑しさがこみ上げる。

 

 「海の上のロウソクか」

 「うん」


 力いっぱいに頷いた後、少し恥ずかしそうに彼女が笑う。


 「見たいじゃなくて、おっきなロウソクだった」


 灯台は、沖合を行き交う船にとって、闇夜のロウソク。

 今は、青い空向って屹立する石の塔だが、日が落ちれば星になる。


 「夜に来ても、よかったね」

 「ああ、綺麗だろうな」

 「絶対、綺麗」

 「なら、夜に来るか」

 「めんどい」


 綺麗だと断言した割に、執着が薄い。


 灯台の周囲は、ちょっとした公園になっていた。

 

 「高い木が、生えていないな」

 

 この公園が、いや、この島が、妙に明るい理由が分かった。

 この島は、下草と灌木に覆われているから。

 一番高い木ですら、私たちの身長の倍程度だ。四方から、日の光が差し込む。


 「風が強いんじゃない」

 「遮るものが何もないもんな」

 「冬は北風が凄いわよ。きっと」


 ここは、風強きイタケの地。



 公園を上がった先に、古ぼけた小屋がうずくまる。

 手入れの行き届いた塔とは対照的だ。

 安いコンクリを流し込んだだけの、黒ずんだ古い小屋。

 その小屋で、灯台へ登るためのチケットを買う。

 塔の内部は、狭い螺旋階段であった。

 私たちは、慎重に、だが速足で階段を上ってゆく。

 狭い階段を登りきると、光と風の世界が広がっていた。


 「うわー。きれい」

 

 小さな麦わら帽子を押さえながら、彼女は感嘆の声を上げた。

 全くの同感だ。

 夏の日差しに輝く海が、私たちを出迎えてくれていた。

 沖合には幾つかの船が行き交い、中には白い帆を上げたヨットの姿も見える。 

 僅か二十メートルそこそこの高さではあるが、下界とは全く違う景色。

 海を背景にした、強い光と風の世界。


 「これは、登った甲斐があった」

  

 強い風に負けじと、私も大きな声を上げる。

 乾いた海風に、汗が消え去ってゆく。


 「そうだね」


 私たちは、灯台の欄干をぐるっと回る。

 反対側には本州が、その巨体を横たわらせていた。

 蒼天の下、太陽の光を反射した、濃い緑が眩しい。

 島には濃い緑は少なく、島と本州の対比が明瞭に表れる。

 これが、自然の芸術か。

 本州と島の狭間には、私たちが渡ってきた角島大橋。島の小さなビーチには、朝早くから人影が見えた。


 「ここは、もっと良くなるよ」

 「なにが」

 「いや、観光地としてのポテンシャル、潜在力が高い」

 「今でも観光地よ。橋の写真。見たことあるもん」

 「今よりも良くなるってこと」


 そこから私は、角島のリゾート化計画間について語り出す。

 ホテルを建てるだの、ビーチをもっと整備するだの、多種多様なレストランを建てるだの、有名な神社を勧進して、外国人旅行者を呼び込むだの。色々だ。


 「ストップ。いつまで続くの、その演説」

 

 二分ほどの我慢の後に、彼女が私の言葉を遮った。


 「演説じゃない」

 「演説よ」

 「違う」

 「なら、なに」


 問われても困る。

 反射的に否定しただけで、何か考え合っての事ではない。


 「妄想。かな」

 「より酷いわ。私に向かって妄想を話してるの」

 

 彼女の言う通りだ。

 演説は人に向かってするが、妄想はこっそり黙ってするものだ。


 「演説だな」


 私は負けを認めた。


 「演説するのは政治家だけで十分。政治家になりたいのなら、立候補でもなさい」

 「当選しないだろう」

 「しないわね」

 「なら、政治家にはなれない」

 「あら、落選しても政治家は政治家よ。世のため人のために働くのが政治家」


 理想論だが、その通りではある。


 「ってか、そんな話はしないでって言ってるの。この景色を前にして、変な話をおっぱじめないで。綺麗な景色なんだから、綺麗だね。って言えばいいの」


 彼女の言葉は、大抵正しい。

 この時もそうだ。


 「綺麗だね」

 「それほどでもないわよ」


 なぜか、誇らしげに答える。


 「君に向かっていったわけではない」

 「なら、綺麗じゃないっての」

 

 私はしばらく考え、面倒になって、綺麗だと答えた。

 だが、彼女は、私の間が気に入らなかったらしい。


 「愛してるって言いなさい」


 今度は返答のハードルを上げてきた。

 何のゲームだ。


 「今、言う必要があるのかい」

 「有るから言ってんの」

 「理由もないと思う」

 「愛してるに、理由が必要なの」

 「男は要らない。女は知らない」

 「女も要らないから言いなさい」

 

 拗ねた様子の彼女を見て、からかいたくなった。

 

 「太陽が眩しいですね」


 少しの間をおいて、彼女は答える。

 しょうもないと。

 私のギャグは、気に入ってもらえなかった。

 しかし、人目のあるところで、恥ずかしい台詞を口にしなくて助かった。

 私の車はイタリア製だが、乗っている私は日本製。イタリア人の様にはいかない。真似をする気もない。


 角島の太陽と海風を満喫した私たちは、灯台を降りると、更に公園を下っていく。


 「どこに行くの」

 「海の近くに行きたい」

 

 なだらかな傾斜を進んでいくと、海岸線にたどり着く。

 ボールサイズの石ころが、積み重なるように転がっていた。

 石の間には、小さな青い花が咲いている。

 どこから栄養を吸収しているのだろう。


 「見て、塔がある」


 彼女の視線の先には、石を積み上げた、小さな塔が立っていた。

 私たちと同じ観光客が、面白がって作ったのだろう。

 私は足元の石を拾うと、ジェンガの要領で、その塔の上に石を置いた。

 うん。形が良くなった。

 小さな満足の上に、彼女が石を置く。

 さらに形が良くなった。

 たった二つの石を置いただけだが、この小さな塔に愛着のようなものを覚える。

 不思議なものだ。


 「そろそろ、戻りましょう」

 

 彼女の言葉に、私は腕時計を見た。

 午前九時を少し回ったところ。

 今日はここからもっと暑くなるだろう。


 ゆっくりと駐車場に向かう私たちの間を、風が吹き抜けていった。

 私は思う。

 あの石の塔は、いつまであの場所に立っていられるのだろう。

 強い風が吹けば崩れるし、誰かが触れば崩れるだろう。

 だが、少なくとも今日の間ぐらいは、あの場所で風に吹かれて立ってるだろう。

 夏の風は、どのような色で吹き抜けるのだろう。



            終わり

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夏の風色 加藤 良介 @sinkurea54

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