第86話 地中海における交易の歴史はものすごく古い、そして息子の冬服も作ってやろう
さて、黒曜石などを持ってきた商人はエリコでドングリなどの保存が効く食料と物々交換を終えて帰っていった。
現状では必要最低限しか作れていないので無理だが、次回また商人がエリコに来たときには、ヒツジの数が増えて毛織物や毛糸、あるいは毛糸のマフラーや手袋とか、タンニンなめしをしたことで皮が腐らなくなっている毛皮の敷物、あるいは防寒具兼雨具の蓑笠や炻器の水瓶などと交換できるようになっていればいいなと思う。
これらはまだエリコ以外では広まっていないはずのものだからな。
ちなみに交易とは、特定の個人間や集団の間で自分のところでは余っているが相手のところには不足している価値のある品物をお互いに交換する取引のことで、基本的には貨幣を介さず物々交換に重きを置いた語として用いられることが多い。
そして、地域が違うと交易、すなわち物々交換が可能な特産品が生じうるため結構離れた場所の間で行われることも多い。
地中海域の交易は、黒曜石やラピスラズリなどの宝石と、塩や食料の交換が主だったが、その交易網は14000年前頃にはすでに存在し、トルコのあるアナトリア半島のカッパドキアやギリシア、イタリアなどの火山地帯から算出される黒曜石や宝石をエリコなどのあるレバント、メソポタミア、エジプトなどの地域の食料と物々交換するための主要拠点はキプロス島だったようだ。
つまり、黒曜石や食料は一度キプロス島に持ち寄られて、そこで自分たちの地域では不足しているものと交換しているわけだな。
いちいちアナトリアからエリコまで往復するよりは、エリコとキプロス、あるいはキプロスとアナトリアを往復すればいいならそのほうが効率もいいわけだし。
まあ、黒曜石の交易は2万年年前からニューギニアとその他の島々で行われていたようではあるし、後期旧石器時代に入る5万年前には貯蔵穴を持つ一時的な居住場所である集落はすでに発生していたこともあり、その頃にはすでに集落からものを持ち寄って交換する行為自体は存在していたようだが。
そして黒曜石は石刃や石鎌、矢じりなどの打製石器に使われる重要な石なのだな。
そして、アナトリアのカッパドキアや、ギリシアのミロス島、イタリアのリーパリ島のような黒曜石の産地は火山地帯なので農業に向いていない。
なのでエリコのドングリとアナトリアの黒曜石の物々交換が成り立つわけだ。
樫や楢などのドングリや栗、あるいはピスタチオなどのナッツが豊富に存在するのは、この頃はヨルダン川流域からアンチレバノン山脈で北東に折れて、ダマスカスを経由してユーフラテス川に突き当たる場所までの狭い場所に限られていて、トルコ最古の定住の農耕集落であるアルスランテペが出現する7000年前くらいまではそれが続いていたはずだ。
神殿遺跡であるギョベックリテペは1万2千年前の物でエリコよりは古いがここは定住の集落ではなかったようだしな。
今のアナトリアは温暖化とともに乾燥も進んでいるはずなので、なおさら食料確保は不安定なはずなのだ。
一方のエリコでは今までは無視していた栗を採取して食べるようになり、ドングリに関しての確保にも余裕が出てきた。
ちなみに保存がきくというだけであれば麦でもいいと思うのだが、エリコの場合は小麦の収穫が終わるとすぐにヨルダン川が増水してして当たり一面水浸しになるから、それを避けるため訪れるのは秋口なんじゃないかと思う。
この時代はウマやロバ、ラクダなど荷物を載せて運ばせることが可能な家畜はまだいないので、交通手段は船と徒歩だけだから、持ちはこびできる荷物の量も自ずと限度がある。
エリコから地中海側に出るには山を超えないといけないし、商人たちも大変なんだろうと思うが、もう少しこまめに来てほしいなとも思う。
それはさておいてドングリやナッツ、栗やキノコの採取の季節もそろそろ終わり、この先は本格的に寒くなってきて冬の衣服に着替え、外での農作業に備える季節だ。
春に刈り取って保存しておいた羊の毛はすでに毛糸にしてある。
リーリスや俺の分については いいとしてアイシャや息子のために羊毛を加工して防寒具を作ってやろう。
本当に小さな子供はすぐに体が大きくなるので、毎年衣替えの季節には新しく服を作ってやらなければならないんだよな。
まあ基本的には息子はアイシャが使っていた奥の部屋に吊るされている皮の服を着るし、マフラーや手袋、靴下に帽子なんかは毎年毎年つくりかえじゃなくても大丈夫だけども。
羊の数は結構増えてきたので、夏毛への生え変わりの時期に刈った羊毛はたくさんある。
「小さいときは男の子の方が体が弱いらしいから、息子は暖かくしてやらないとな。
去年はリーリスがずっと抱いたりおぶさっていたりしていたけど、今年は自分で歩くことも増えると思うしその分冷えやすくなると思う」
俺がそういうとリーリスはうなずいた。
「そうね。
アイシャに作ってあげたように、この子にも作ってあげましょう。
毛糸で作ったものは本当温かいものね」
息子はオレたちの言っていることの意味は正確に把握していないだろうがなにかもらえるらしいということはわかるらしく嬉しそうにニコニコしている。
そして元々亜麻を織ったり、葦を編んだりしていたこともあって、リーリスは毛糸を編むのもお手の物だ。
まあそもそも服を作り上げることができない女は成人として認められないくらいだから、自分で糸を作ったり、布を織ったり、編んだりできるのは当然でもあるんだけどもな。
そしてなんでもリーリスのマネをしたがるアイシャも編み物が随分上手になった。
「じゃあ、あちしもやうー」
「わかった、じゃあアイシャは弟の首に巻くマフラーを頼むな」
「わあったー」
そしてリーリスが言う。
「じゃあ私は息子用の指付きの手袋に膝丈の靴下とセーターを作るわね」
「お、おう。
そうしたら俺はお腹から膝上くらいまである毛糸のショートパンツでも作るか。
まずは息子の分を作って、できればアイシャとリーリスの分も」
そしてそれを聞いてリーリスが言う。
「そういえばリーリムも無事に子供ができたみたいだし、お腹を冷やさないように毛糸の防寒具を作ったほうがいいわよって伝えておいたほうがいいわね」
「今年の春に結婚したリーリムにも子供ができたのか。
それは良かったな。
たしかにお腹を冷やさないためにも防寒具はあったほうがいいだろうな」
まあ、エリコは緯度的に鹿児島と同じくらいなこともあって、基本的には暖かくて、冬でも平均では最低気温が10度を下回ることは殆どないんだけどな。
死海では5月中旬から7月上旬までと9月上旬から10月下旬ぐらいまでは快適に泳げるくらいだ。
7月中旬から8月いっぱいは逆に暑すぎて脱水症状で死にかねないので死海で泳ぐのは危険だったりする。
「じゃあ、アイシャも頼むな」
「わーい、あちしがんばるー」
アイシャは早速毛糸を手にとって指編みでマフラーを作り始める。
まあ、直ぐにできるわけではないが、息子の分は本格的に寒くなる前には出来上がるだろう。
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