第4話 この時代は農耕と採取、牧畜と狩猟は同時に行われているんだ
さて、俺は山羊乳搾りという労働の対価として、村の長に食事を分けてもらっている。
まあ、材料だけ分けられても調理できる自信もないしな。
実際の献立はヤギの乳とバターやチーズなどのその加工品。
小麦や様々なドングリを粉にした無発酵パン。
クルミ、ヘイゼルナッツ、ピスタチオ、アーモンドなどのナッツ。
狩猟で得たガゼルの肉などだ。
山羊や羊などの家畜は主に乳を採るためのものなので、よほどのことがない限りは屠殺などはしない。
また牛や馬、ロバ、猫などはまだ家畜化されていない。
犬は番犬、猟犬、愛玩用などの様々な目的で飼われてるけどな。
ちなみにガゼルは生きてメスを捕らえられたら山羊とは別の場所で柵で囲って肥育して乳を絞ることもあるんだが、日本における鹿と同じでガゼルが家畜になることはない。
そして今現在俺は村長の家で一緒に食事をしている。
「ふむ、食事のメインがナッツというのも奇妙な気分だな」
俺の言葉に村長が不思議そうにしていた。
ちなみに村の長の名前はマリアもしくはアリアかも知れないが、そんな感じのイントネーションの名前だ。
「そうですか?
今まではどうしていたのですか」
俺はちょっと困ったが、正直にいった。
「ああ、ここらへんにはないだろう、稲というものの実を主に食べていたよ」
マリアはそれを聞いて不思議そうにする。
「イネですか?
聞いたことがありませんね」
俺は困ったように答えた。
「まあ、ずっと南に行かないと無いはずだからな」
「そうなのですか?」
「多分な」
まあ、イネは主に中国の長江河口から東南アジア辺りで栽培されているものが多く、それとは別に西アフリカでも陸稲は栽培されているが、水分を多量に必要としてしかも熱帯性の気候も必要だ。
おおよそ約1万5000ほど年前、氷河期が終わり地球が温暖化したが、その時それまで人類が狩猟の対象にしていた大型の象やヘラジカなどは環境の変化によって起こった食料の減少と狩猟圧力によって絶滅してしまった。
同時にそれまでは不毛の砂漠だったこのあたりが温暖な気候になって草原や森林が広がった。
そうして広がった森林の木ノ実の中で人間が食べられるナッツ類やガゼル、野生馬、兎、鳥類等の小動物を新たに食料として狩猟採取の生活に入ったわけだ。
しかし、約1万1000年前にヤンガードリアスと呼ばれる地球的規模の寒気の揺り戻しがあった。
樹の実が取れなくなった時に人々は食べられる食物を必死になって探した。
狩猟を行いつつクローバーの種や植物の根っこなど、21世紀の人間の食用に耐えない植物の種も含めていろいろなものをとにかく食べた。
そしてたどり着いたのが麦だ。
麦は比較的寒さに強く、種類によっては乾燥にも割と強い種類があり、麦はたった10年程度の繰返し栽培で、その性質が変わっていくという優秀な性質を持っており、どんどん粒が大きくなり、殻は柔らかくなって熟しても種が落ちないようになるなど人間の栽培に非常に適した植物だった。
大麦、小麦、ライ麦などとともにレンズマメ、ヒヨコマメ、エンドウマメなどの豆類も食べる。
この時代まだオリーブは入ってきていないので油を採るのはゴマからだな。
そのほかには野菜はニンニク、タマネギ、ニラ、果実としてはイチジク、ザクロ、ブドウ、ナシ、リンゴなど、フルーツはメロンがあるらしい。
「麦は神が私達に与えてくれた有り難い食べ物です」
彼女はそういうがさもありなんだ。
しかし、ヤンガードリアスの寒冷化した期間、集落のほとんどは自然に消滅していった。
それは主に乳児死亡率の高さによるもので、やがて散逸した人々は一つの場所に集まった。
それがここエリコだ。
誤解されていることがあるが農業を始めたから人はその土地に定住したわけではないし、狩猟民が唐突に農耕民になったわけでもない。
定住のきっかけは主にナッツを食べ始めたことだ。
その中でもドングリは粉にして布の袋に詰めてアク抜きをしなければならないが、その作業に莫大な時間が必要だったのと、アク抜きのために水資源が必要なのも有って定住をせざるを得なくなったわけだ。
この時代では雪解け水が川の氾濫を起こした後の大地に麦や豆、野菜の種をまいて実がなったら採取したり、山羊や羊の乳を絞ったりなどの原始的な農耕や牧畜は行われているが、あくまで食料獲得のメインの方法はまだまだ狩猟や採集だ。
農耕や牧畜は冬を越すために行う副業のようなものなのだ。
だからエリコは良質な飲用水が湧き出すオアシスがあり、飲用水や炊事に使う水の確保が楽であるというのが発展の理由だな。
この頃の日本は縄文時代で同じように狩猟採集を行っているが、人間になれやすい動物が少ない日本では猪が飼われていたぐらいで、乳や毛皮を利用できる家畜は居ない。
その代わり日本は淡水資源が豊富で海岸線では貝やエビ・カニ・魚などが多量に取れる。
そして、日本は植物資源も豊富なため土器も早く開発されていた。
それは芋を煮るために使っていた南方の民族が島が沈んだ際に持ち込んだものだが、土器による煮炊きができるようになることで様々な種類の食材を利用できるようになった。
しかし、このあたりは日本ほどは森林資源は豊富ではない。
そういうことも有ってなのか、芋という食べ物がないせいなのか土器が作られるようになるのはだいぶ遅かったりする。
つまりこの時代においての調理法は基本的に”焼く”しか無いということだな。
「それにしてもバターは美味しいですね。
焼きたてのパンに塗るととても美味しくなります。
更にチーズも素晴らしいです」
「まあ、それはいつでも変わらないってことだな」
この頃、冬は秋に収穫した麦類や団栗類を石の皿と棒ですりつぶして粉にして焼くのがほぼ唯一の食べる方法なわけなんだが、それにバターとチーズが加わったのは地味に大きい。
パンと言うのは何もつけずにそれだけで食べると意外と味気ないがバターをつけるとかなり食べやすくなるからな、無論山羊乳に浸して食べても食べ安くなる。
「ごちそうさまでしたマリアさん」
「いえいえ」
まあ、パンとバターとヤギのミルクに焼いたガゼルの肉とピスタチオだけでも十分だけどな。
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