第5話 革の鞣しの方法はいくつかあるけど水を入れられる桶とかがないとやり方は結構限られてくる
さて、今日は冷たい冬の雨が降っている。
こういう時は雨の中を無理に動いたりせずに、住居の中でできる作業を行うのが普通だ。
この時代には傘もレインコートもないし、体を冷やすのは結構命取りだからな。
男は狩りに使う黒曜石の鏃を作ったり、農作業などに使う石鍬や石鎌などの石器を手入れをしたりしている。
そんななかでガゼルの皮をガジガジ齧っている連中が居たので何をしてるのか聞いてみた。
「お前さん達なんで皮なんか齧ってるんだ?」
かじってる連中の一人が口を休めて答えてくれた。
「ああ、これはこうすると皮が腐りづらくなるんだ。
亜麻だけじゃ冬は寒いし、毛皮はそのまま服にすると、腐ったり固くなったりするからな」
ああ、この時代だと冬は肌着としても上着としても革を衣服として身に着けるのは普通なんだな。
動物の皮の使用は、先史時代までさかのぼりおよそ50万年前のギュンツ氷河期の頃のネアンデルタール人は、寒さや衝撃、地面の鋭い石などから保護するために動物の皮を使用した。
狩猟した動物の皮から肉をこすり落とし、マントのようにくくりつけたらしい。
また、小さい皮を使ってサンダルのような履き物も作ったようだ。
ただネアンデルタールはホモ・サピエンスよりは寒さに強く、手先の器用さでは劣っていて、衣服を縫い合わせるための針の針穴を作ることができなかった。
弓矢と針や釣り針の発明の有無の差がネアンデルタールとホモ・サピエンスの運命を分けたらしい。
しかし、動物の死んだ後の皮をそのままにしておくと、皮の中に残る蛋白質や脂肪などが当然腐る。
もしくは乾いてコラーゲンが柔軟性を失ってしまいカチカチに固くなってしまい、どちらにしろ身につけることは不可能になる。
そういった、革の腐敗を防ぎ柔軟性と伸縮性を維持させる技術が革のなめしだ。
現代ではクロムを使うのが普通で樹皮に含まれるタンニンやミョウバンなどを使うこともあるが、何れにせよ水溶液に皮を漬け込み浸透させないといけない。
しかし、ここには土器も桶もないからその方法は不可能なんだよな。
そして彼らがやっている噛みなめしは、恐らく一番古い時代から行われてきた方法の一つだ。
動物の皮に付着している肉や皮下脂肪をナイフで丁寧にこそげ落としたあとの皮をひたすら噛むというものだが、これはナイフ以外に道具がなくても出来るが労力は半端ではない。
ちなみに鞣しが出来る理由は人間の唾液に含まれている酵素が革のコラーゲンを変質させて固くなったり腐りにくくさせるかららしい。
植物資源が少ない極北のエスキモーやイヌイットは現代まで噛みなめしを行っている。
だが、噛みなめしではコラーゲンの変性は十分ではなく、寒い地域ではあまり問題がなくても暖かい地域ではさほど持たないはずだ。
「しかし、其れだけだと腐っちまわないか?」
「そうだな、夏になれば腐るし、身につけてると腐ってくる。
だから完全に腐ってしまう前に新しくこうやって、新しく革を作っていくわけだよ」
「そりゃ大変だな……」
「まあ、仕方ないさ」
そりゃそうだろうがもうちょっとうまい方法はないだろうか……。
俺は与えられた家に戻りユーチューブで検索してみた。
「ふむ、これだ!」
俺は狩りに出る男たちにいった。
「次回、ガゼルを狩ってきた時、俺にその皮と脳髄をくれないか。
ちょっと試してみたい事があるんだ」
周りにいる連中は首を傾げていた。
「ふむ、彼にはきっと何か考えがあるのでしょう。
良いですよ」
だが、マリアが許可をくれたので次回は俺に一頭分の獣の皮と脳髄をくれることになった。
本当は俺が狩りに出てガゼルを仕留めてくればいい話なんだが、そんな簡単に野生のガゼルを仕留められるようにになれるとも思えんしな。
まあ、頑張って弓の練習もしないといけないだろうけど。
さて、翌日は晴れたので各々与えられた仕事をこなす。
今回も俺は山羊の乳搾りだ。
「さてと、今日も頑張りましょう」
マリアがそういうので俺も頷く。
「働かざる者食うべからずってな」
俺が乳を入れる袋を持ちマリアが絞っていくという前と同じことを行ったが前よりは手早く出来た。
そして今日もガゼルがうまく狩れたようだ。
「今日はガゼルの骨付き肉ですよ」
マリアがそう言って渡してくれた。
「おお、うまそうだな」
骨がついた肉というのはその他の場所よりうまいもんだ。
それを分けてくれるというのは仲間と認められたと思っていいのだろうか?
「うん、素朴でうまいな」
マリアは頷いた。
「はい、大地の母が恵みをくださったことに感謝しましょう」
どうやらこの時代も豊穣神としての大地母神信仰はあるらしい。
そんなことを話しながら食事が終わった。
本格的な皮のなめし作業は明日からだな。
俺はマリアに許可をもらって毛皮をのばすための木枠を木の枝と紐を使って作っておくことにした。
一晩寝て、起きたらもう一度ユーチューブを見直して鞣しの手順を覚える。
まずは皮を街の周りの濠に注ぐ小川に持っていって水でよく洗う。
濠は侵入防止の理由も在るがトイレや下水道としても使われている。
なので流れ出す方には入りたくはないな。
「おお、やっぱ川の水はつめてえな」
革を水につけて洗って皮に水分を吸わせ柔らかくするとともに土汚れやダニなどの寄生虫の類、血などを綺麗に落としたら、昨日作った木枠に毛皮の端に穴を開けて紐でピンと張って軽く乾かす。
しばらく経って、毛を触ってみて軽く乾いたら、木枠から外し、平らな木の板の上におろしてスクレイプ、つまりこすって削いでいく作業だ。
体表側の毛皮の毛を木の角を使ってこそげ落とし、その後裏返して赤く残ってる血管や皮下脂肪、肉などをちまちま削り剥がしていく、使うのは丸く削られた石斧の刃の部分で、細かい所は黒曜石のナイフを使う。
血管や脂肪の部分が全部こそげ取れたら、脳髄を革袋に入れて棒で細かく潰す。
「うえ、結構ひどい臭いがするな」
次に皮に潰した脳みそを塗り込んでいく。
ちなみに脳みそを塗り込むのは腐敗を早めるためなので魚卵や肝臓や糞尿でもいいのだが、魚卵は手元になく肝臓は重要な栄養源、糞尿を塗り込んだ革を着たり水袋にするのはなんとなく嫌な気がするので、結果として脳みそを使うことにした。
この脳みそを使う方法は水資源が少ない場所では比較的よく行われているらしいな。
そして動物の皮をなめすのに必要な脳みそはその動物の脳の大きさでで十分らしい。
潰した脳みそは革袋ごと日に当てて温め、染み込みやすくして、少しずつ皮に手ですり込んでいく。
この作業は重要なのでむらのないようにゆっくり丁寧に、隅々まで手を回しながら丁寧に塗りこむ。
脳みそを塗り込んだら、毛皮を4つ折りにして1時間くらい脳みそが馴染むように置く。
「なんとなく皮なめし職人が差別された理由がわかった気がするな」
一時間ほどしたら濡れた亜麻布を皮全体にかけて、そのまま1晩置く。
「お、いい感じじゃないの」
翌日になって亜麻布を取って皮のようすを見ると、皮には脳みそが染み込んでだいぶ柔らかくなっている。
この状態で、まだ皮に残っている脂肪などを削ぎ落とす。
まあ素人が完全に取るのは難しいので、ある程度取り除くことができたら木枠に貼って皮を乾燥させる。
生乾きになったら皮を伸ばしコラーゲンをほぐすストレッチ作業を行う。
これをやらないと固くなっちまうからな。
皮の中央が生乾きでも端はまだけっこう濡れてるのでまず真ん中から木に当ててゴリゴリ伸ばしていき、濡れていたところが生乾きになったらそちらも伸ばしていく。
そして一度大きめの革袋に水を入れてその中に皮を入れ脳みそを落とす。
これで皮がなめされていればいいのだがまあそんな簡単には終わらない。
達人なら一回で完璧な鞣しができるらしいけどな。
皮を木の板において、水袋の中の脳みそを落とした水を少しずつかけて伸ばして染み込ませていく。
皮が全体的に十分湿ったら、また、生乾きの状態になるまで干して、生乾きになったらストレッチをする。
「まあ、こんなもんか?」
鞣した革は最期に脳みそを十分に落として、更にピンと張った状態にして乾かす。
そして生木の葉っぱで燻してやればなめしの完成だ。
なめした皮をいぶしてやらないと、雨などで水に濡れたときに硬くなってしまうし、燻せばより腐りにくくなる。
「というわけで、マリア、これを縫って衣服として使ってみてくれ。
多分大分腐りにくく固くなりにくくなったはずだ」
マリアはそれを聞いて喜んでいる。
「まあ、そんな素晴らしいものを私にくださるのですか?」
「ええ、俺にはとりあえず腐らない衣服がありますからね」
マリアは鞣した革を嬉しそうに受け取った。
「ありがとうございます」
しばらくしてマリアが着ている衣服の話を聞いて集落の他の女子が俺に言ってきた。
「あの、マリアに作った革、私にも作ってくれないかな?」
「え、ああ、いいけど」
そしてまた他の女子が噂を聞いて俺のところへやってきてということをしばらく繰り返した。
「やれやれ、俺はしばらく革の鞣しにかかりきりになりそうだな。
やり方を教えて一緒にやってくれそうなやつを探すか」
皮を噛むよりは多分楽だと思う。
脳みその臭いはなれないと大変だけどな。
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