第7話障がい者認定日
僕は26歳で不眠症を訴え、始めて心療内科を受診して、軽い精神安定剤と睡眠薬をもらった。
仕事はハードで休む事は出来なかった。
それから2年後、自律神経失調症で1ヶ月間会社を休み、再び会社は僕をボロ雑巾の様に使い半年後にうつ病を発症させて、3ヶ月間の静養を主治医に言い渡され休んだ。復帰すると、会社の上層部は、僕が酒の飲み過ぎで、うつ病になったとん言いふらし、誰も僕を相手してくれなくなった。
悔しかった。使えるだけ僕を使い、使えなくなったボロ雑巾は捨てられた。
失意の中、この会社よりマシな福祉施設の職員として内定していたので、会社を退職した。
施設では楽しく仕事したが、休憩時間がない。月イチの会議は、夜の7時から夜中の1時まで。それは、サービス残業であった。
昼に、誰も見えないところで隠れて、精神安定剤を飲んでいたが、施設長にバレてうつ病であることまで、調べられてクビになった。
薬の名前から、精神安定剤とバレて、うちは精神病の職員はいらない!と言われた。
その直後、嫁さんが大学病院へ連れて行き、詳しく調べてもらう為に診察を受けたら、うつ病ではなく、統合失調症と診断された。
即日、措置入院となった。
それから、セカンドオピニオンで別の大学病院で調べても、統合失調症と診断された。
それから、長い闘病生活が始まる。
まず、眠い。
眠いが、眠れない。
幽霊を見る。知らない人の声が聴こえる。
嫁さんは献身的に僕に尽くしてくれる。お腹には、僕の赤ちゃんがいる。
仕事をしなくては。
だが、一通の手紙と手帳が送られてきた。
精神福祉手帳1級。
障がい者になってしまった。今まで、職員として、身体障がい者、精神障がい者、知的障がい者と接してきたが、僕自身が障がい者になるとは。
その頃、感情の平板化で、涙も出なかった。
それから15年。
まだ、闘病生活は続き一般就労も出来ない。
焦っては何にもならない事を、この15年で学習した。
今は、月9万円弱の給料と障害年金。
初診日はあのハードな貿易会社の在職中だったので、年金は受給出来た。
この2つの収入だけで、生活している。もし、僕が一般就労したら障害年金は停止になる可能性があるが、僕はそれでも良い。
障がい者になったら、悪い面ばかりが目立つが1つだけ、良かったと言える事が。
それは、弱者の痛み、苦しみが分かる人間になれた事。
今、まさに僕は弱者。
だから、一般就労出来るくらい元気になっても、色んな事で苦しんでる人の役に立ちたい。
人は、悩みを他人に話すだけで元気になれる事が多い。
だから、ビール飲みながら、または食事しながら、弱い立場の人の声に耳を傾けたい。
今回の思い出は、障がい者認定日でした。
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