第9話

「数か月前、交通事故を起こした男が現場から行方不明になっている。東郷敬とうごうけいという名で二十七歳のトラック運転手。涼介が見た風貌から判断するに、多分この人物が彼に該当すると思う」


 手にした報告書を読み上げるノイノイ。調査対象は勿論、『第五十五世界ワールド・ファイブファイブ』で出会った外套の男である。


「結構前からなんだな。でもなんで俺たちから逃げる必要があるんだ? あの世界に固執するほどいい暮らしをしているようには見えなかったが」


 そう疑問を呈す涼介だが、


「単によくわからない世界で疑心暗鬼になっているのだと思う。とりあえず素性の知れない相手には警戒から入ると。そういう意味では私のファーストコンタクトの仕方は迂闊うかつだった。反省点だね」


「それは仕方ないさ。もしかしたら何も知らない現地人がライターを拾った可能性だってあるわけだから、異世界の存在を悟られないようそれとなく訊くしかないだろ」


「それと彼との会話にはたどたどしさが随所に感じられた。つまり、翻訳魔法のサポートがなされていない」


「え? じゃあ……」


「現地の言葉を自力で学習していることになる。恐らくだけど、本件については『促す者デベロッパー』は無関与。事故を切欠に時空が歪み、異世界へ飛ばされたんだと思う」


「マジかよ」


 と、涼介が驚くのも無理もない。

 魔法の力を伴わない異世界転移は、長年異世界を監視している『眺める者ウォッチャー』たちの記録にさえ多く残されていない。

 更にはその異世界への転移を可能とする魔法の使い手も、ノイノイたち『眺める者ウォッチャー』と、彼女らと起源を同じくする『促す者デベロッパー』たち以外は極少数で、今回調査した『第五十五世界ワールド・ファイブファイブ』では未確認だと聞いている。

 つまり、ノイノイの打ち出した答えは、非常に稀有なケースだということだ。


「しかし、悪意が全く絡んでいないとはいえ、何時、彼が異世界文化を壊す切欠になるかわからない。我々としては『不純物インプリティ』として早急に対処したい」


「りょーかい。といいたいところだけど、対策はどうする? 追跡はノイノイの魔法で可能かもしれないが、姿を消されると色々面倒だ」


「そうだね。多分、それが彼固有の練式魔法アドベントフォース。逃げに使われても、攻めに使われても厄介。いくらこちらにアダマント製のシャフトとコートがあるといってもリスクは最小限に抑えたい。だから、リョースケのカバー出来るよう応援をお願いしてきた」


 と、ノイノイが言い終わると、示し合わせたかのように入り口の扉が開かれる。

 涼介がその音に釣られて視線を移せば、セミロングの髪が良く似合う、綺麗な顔立ちの少女が入室してきた。


「まいど!」


 元気溌溂、満面の笑みで挨拶を口にする彼女の名は鹿島陽茉かじまひま。涼介と同い年で、常に明るく前向きな少女である。


「ああ、丁度今、応援を頼んだ話を聞いたんだ。誰かと思ったら鹿島だったんだな」


「話を受けたのは今さっきだけどね」


「てか、相変わらず悩み事のなさそうな顔してんな」


「んなことないわよ。現に今だって一つ抱えてるし」


「マジ?」


「今晩のご飯は焼きソバにするか、お好み焼きにするか。因みに、サイドメニューにタコ焼きはマストね」


 と、真顔で能天気な悩みを打ち明ける彼女だが、役割をきっちりこなすことには定評がある。

 涼介としても彼女がサポートなら安心だ。


「でも珍しいわね、涼介たちが応援を頼むなんて。そんな厄介なことでも起きたの?」 


「残念ながら俺一人の手では対処仕切れない可能性がある相手でね。詳しくはノイノイに訊いてくれ」 


「わかったわ。ノイノイ、早速だけど具体的な話を聞かせて貰える?」


 と、彼女は肩を竦める涼介からノイノイへと視線を移す。


「今回の『不純物インプリティ』は東郷敬とうごうけいという名の日本人男性。今のところ『促す者デベロッパー』関与した痕跡はなく、何かしらの不慮の事故で転移した、と見ている」


「珍しいわね。で、日本人、つまりこっち出身の人間ってことは……」


「そう、それが今回の懸念点。彼が使う練式魔法アドベント・フォースは己の姿を透明化するもの。リョースケ一人では私を保護しつつの太刀打ちは困難と判断した」


「そこであたしに声が掛かった、と」


「理解が早くて助かるね。それでヒマには私たちのフォローをお願いしたい」


「任せて」


 と、陽茉は頷く。


「じゃあ早速だけど、飛べる準備して。済み次第転移するから」


 ノイノイの指示のもと、涼介と陽茉は『調達課』へと向かう。

 カウンターで出迎えるのはいつもの髪を短く刈り込む厳つい中年だ。彼は鹿島陽茉を見るなり鼻の下を伸ばす。


「お、陽茉ひまちゃん。今日は涼介と二人仲良くお出かけか?」


「ええ。だから素敵なコーディネートよろしくね。渥美さん」


「ほう、じゃあ特別にお揃いのコートを出しちゃおう」


 そんなやりとりの末、鹿島が受け取ったのは同じデザインのロングコートとその他一式。当然だが『調査課』に支給される装備はサイズ以外統一規格で、彼の裁量で変えられるものではない。

 面白いとでも思っているのか。オヤジ特有の激寒なノリに失笑を禁じ得ない。こんな風にだけは年をとりたくないと心に誓う涼介だった。

 それぞれ着替えを済ませ、ノイノイと合流するのは『転移室』。

 淡い桜色の半球状ドームに足を踏み入れる直前、待ったをかけたのは陽茉だ。


「すぐ終わるから」


 と、ポケットから赤い紐を取り出し、束ねた髪をサイドで括る。


「それ、確か前もしてたよな。そんなに髪が気になるんなら、思い切って髪型を変えてみたらどうだ?」


「そういうのじゃないのよ。これから向かうところは異世界で、日本の常識や倫理は通用しない。そう自分の意識を切り替え、覚悟を決めるための言わば儀式のようなものよ」


「なるほどね」


 ノイノイの術式魔法ソーサルコマンドにより、涼介は再び『第五十五世界ワールド・ファイブファイブ』降り立つと、ノイノイ、そして新たな戦力である陽茉と共に、先日東郷敬と遭遇した都市へと訪れた。


「へー、素敵な街だけど、かなり大きいわね。それだけに足取りを追うのは大変そう。それとライターに痕跡を残してあるって話だけど、捨てられてる可能性はない?」


 お上りさんよろしく街並みを眺め回す陽茉に、淡々と答えたのはノイノイだ。


「恐らくケイは何の前触れも無くここに飛ばされた。となると、日本から持ち込んだ物品は郷愁きょうしゅうの念から中々手放せるものではないだろうね。現に燃料が切れ、再充填の目途も立たない使い捨てライターを放棄せず、肌身離さず持っていた」


 そして人気ひとけのない路地裏に入ると、論より証拠と言わんばかりに、掌の上に小さな魔法陣を起動した。


「うん、動いている形跡がある。間違いなく所持したままだね」


「じゃあさっさと接触するか?」


 迅速を是とする涼介の提案。だが、ノイノイは首を左右に振って否を唱える。


「そうしたいところだけど、相手の能力を考えるとね。逃げに徹した彼を捕まえるのは容易ではない。追跡を重ねればいずれ猜疑心さいぎしんを抱き、ライターを放棄される恐れがある」


「確かにな。ならどうする?」


「まず、彼の生活拠点、行動範囲、この世界での呼び名と生業辺りを調査してておきたい。そうすれば最悪探知魔法が失われても追跡可能な足掛かりを残せる」


「なるほど、最低限の保険は掛けておきたいってか」


 行動指針を決めた涼介たちはその足で情報収集を開始した。

 探知魔法で把握した東郷敬とうごうけいの現在位置は、未だこの街を示しているらしい。ノイノイの魔法の導きに従い捜索すれば、先日同様、フードを目深に被った外套姿の東郷敬の姿を捉えた。


「ヒマ、あれが今回のターゲットとなる不純物インプリティ


「なるほどね。覚えたわ」


 陽茉に視認させ、目標の識別情報を三人で共有化させる。

 涼介たちとの接触があった所為かはわからないが、やけに警戒している印象を受けた。

 ノイノイの認識阻害の魔法で気配を消しつつ追跡すると、彼は周囲に比べ大きな建物に入っていく。


「何の建物だろう。役所のような雰囲気だけど」


「でも、出入りしてるのは荒っぽい感じの人ばかりね。襟を正してるような人は殆どいないわ」


 そんな二人の疑問に答えたのはノイノイだ。


「確かあれは労働の斡旋所で、その日暮らしの住人を中心に短期の仕事を割り振っている。これだけ人が集まる街になれば、治安維持のためにも必要な施設」


「人は食べてくための手段が必要だものね。でなければ犯罪が横行しかねないから」


 そんな中、東郷敬とうごうけいは転移して数か月という短期間、まして意思の疎通に欠かせない言語の壁があるだけに、この施設に辿り着いただけでも大したものだと思う。

 突然、言葉だけでなく文化も違う異国の地に放り込まれたのだ。コミュニケーション能力に難あれば、犯罪に手を染めるか、野垂れ死んでいてもおかしくはない。

 三人が建物の陰で待ち伏せしていると、要件を済ませただろう東郷敬が斡旋所を後にする。

 それをやり過ごして入れ替わるように斡旋所に入ると、殺伐としたロビーにはガラの悪い男たちが我が物顔でのさばっている。彼らの間をすり抜けて窓口の一つに辿り着けば、出迎えてくれたのは無愛想な受付嬢の無感情な声だった。


「用件は?」


「訊きたいことがある」


「仕事のことならそっちの掲示板に張り出されるから勝手に見て頂戴。労働内容、期間、賃金など自分に合ったものを選んで持ってきてくれればここで受理するわ」


 話し掛けたノイノイの外見で見下したわけではないだろうが、あまりに横柄な態度に自然と涼介の眉間に皺が寄る。いくら毎日荒くれ者たちの対応で心がささくれていたとしても、こうは酷くならないだろう。

 だが、ノイノイはそうした態度にも全く気にする素振りはない。自分の欲望にのみ忠実で、他人の顔色を窺うタイプではないのは良く知るところ。この場では適任だと言える。


「さっき出てった人がいつもどんな仕事を引き受けているのかを知りたい」


「さっき出て行った人、とは誰? 出入りしてる人なんて沢山いるんだけど」


 そう口にする彼女の目は、そのぐらい理解しろ、と言外に語っていた。

 尤もではあるが、返す言葉に一々棘がある。涼介にはこんな受付と会話を続けられる自信は皆無。ノイノイの精神構造に尊敬の念すら抱いてしまう。


「背は私のツレより少し高いぐらい。細面、外套にフードを目深に被った男」


 ノイノイの要点だけ伝える説明を耳に、受付嬢は煩わし気に吐息を漏らすが、それでも答える気にはなってくれる。


「あー、はいはい、ケイのことね。でも貴女が彼の仕事を知る必要がある?」


 胡乱げに目を細める受付嬢。じっとりと粘りつくような空気が纏わりつくが、ノイノイの顔色が一向に変わらないのを見ると、嘆息しながら話し始める。


「まあいいわ。でも、参考になるかしら。ケイが得意としてるのは狩りや危険地帯での採集よ? 君ならこんな仕事のがいいんじゃない?」


 投げやりに提示してくる彼女推薦の仕事を興味有り気なフリをしながら聞き流すと、とりあえず一旦出直すことにして断り、三人は斡旋所を早々に後にした。

 再び追跡に戻り、東郷敬を泳がせること数日。彼の拠点、行動範囲をある程度把握した涼介たちは、遂に行動を起こす段階へと移行する。

 実行に選んだタイミングは、彼が仕事を請け負い街の外に出た後とした。荒事になる可能性を踏まえ、現地民を無用なトラブルに巻き込まないためにも、人目に付きにくい場所が望ましいとの判断である。

 相変わらず東郷敬は周囲を気にしながら行動している。ノイノイの認識阻害の魔法がなければうにバレているのではとさえ思える程だ。


「随分と警戒されてるわね」


「鹿島の目にもそう映るか。自意識過剰にも思えるが、何かに恐れているようでもあるな」


「その用心深い性格のお陰か、とりあえずこの世界への文化汚染は現在確認されていないのだから、我々としてはポジティブに捉えておけばいいよ。リョースケ」


「そうだな」

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