第8話

 見上げるばかりの建物がひしめく。

 そのほとんどが古めかしい石造りだが意匠性が高く、それらが互いに尊重し合う様は街全体が一つ芸術品として完成されている。

 整備された石畳の道沿いは区画整理が行き届いているのか通行を妨げるような露店はなく、そんな街並みの大通りを往来しショッピングを楽しむ人々は様々なデザインや色使いの服装に身を包んでおり、芸術に対する意識の高さを窺わせた。

 ここはノイノイが担当する異世界の一つ、『第五十五世界ワールド・ファイブファイブ』の一地方の主要都市。現在、調査のため訪れている最中である。


「随分綺麗、ってか清潔な街だな。掃除が行き届いている感じだ」


「ここ数十年、戦争と無縁の土地だからね。政治の専横や腐敗がなく、武力抗争の心配が遠ざかれば、人は生活水準の向上、安定に勤しみ、宗教や芸術に傾倒しがちになる。残念なことに、それが争いの新たな火種になる可能性も多々あるのだけどもね」


「へー、ずっと変わらない『眺める者ウォッチャー』の言葉とはとても思えないな」


「別に我々は変化を嫌っているわけじゃないよ。変化の方向性を模索している最中なだけ。いずれ方向性が定まれば、変化を受け入れる時がくると思う」


「でも芸術はともかく、宗教だけは受け入れてる姿が想像できないな。ノイノイたち、神様とか全く興味ないだろ」


「我々だって見方を変えれば種族の変化を司る神の信者なのかもしれない。所詮、神とは偶像。色々な思惑で信徒の数を増やす必要があった者たちが、分かり易く受けの良い人格を作り出し、広めたに過ぎない。我々は広める必要がないから神という形を取り入れなかっただけ。思想と宗教の違いなんてその程度だと、私は受け取っている」


「なるほどね」


 熱心な信者にはとても聞かせられないことを話しながら街を見て回る。治安も良さげであるため、護衛を務める涼介の負担は軽い。無論、油断は厳禁だが。


「まだ見て回るのか?」


「そうだね。文化は緩やかに洗練されているものの予想の範疇に収まり、文明レベル、魔法技術にも特筆すべき発達はないのは大体把握出来た。もう戻ってもいいかな」


 と、調査の切り上げを決めた矢先のこと。二人の前に大通りから裏路地へと続く脇道から外套を羽織り、フードを目深に被る人物が飛び出す。

 いきなりであったのもあり涼介は躱し損ね、互いの肩をぶつけてしまう。


「あっ、すんません」


 反射的に誤ってしまうのは、日本人のさがか。

 しかし、相手は気にも留めず、そのまま足早に過ぎ去ってしまう。


「なんだよ、ぶつかっといて一言も無しかよ」


 涼介の口から悪態が漏れる。

 同意を求めるように目を向けるが、ノイノイはまるで関心がない目をしていた。


「おいおい、冷たいな。少しぐらい心配してくれてもいいだろ?」


 そう指摘するも、幼女型異世界人は表情すら変えず、


「コートがあるから怪我は無いでしょ」


 と、その根拠を返す。


「実害の話じゃねえ、気持ちの問題だよ。まあ、ノイノイに被害が無けりゃ――」


 理解して貰えそうにないと判断した涼介は早々に話を切り上げようとするが、そんな折、ふと視界に掠めたものに気を取られた。


「なんだこりゃ」


 自分の足元に転がっている物を摘み上げる。

 それは握ってしまえばほぼ掌に収まる大きさで、ほとんどが透過性の高い鮮やかなオレンジ色をしていた。


「これ、百円ライターじゃねえか」


「ちょっと見せて」


 驚く涼介はノイノイに催促され、渡す。

 じっくり観察しているのは、この世界に該当する物を検索しているためか。

 そのうち小さな指で弾いたり、着火動作を試したりするが、液体燃料が空で本来の機能、火が点ることはない。


「携帯型ライターの実用化は勿論、材料であるプラスチックがこの世界ではまだ存在しない」


「……てことは」


「十中八九、不純物インプリティだね。どこからか持ち込まれた可能性が非常に高い」


 この街はゴミが少ない。住人の意識が高いか、それとも統治者がきちんと清掃を義務付けているからなのか。どちらにせよ、このように目立つ落とし物が長時間放置されるケースは稀だろう。

 となれば、外套の人物がぶつかった拍子に落とした可能性を疑うのが妥当だ。

 涼介はすぐに振り向き、先ほど接触した外套の人物を探す。

 しかし、それらしい姿は見つけられなかった。


「どうする? ノイノイ」


「顔は覚えてる?」


「いや、ろくに見てない。フードで殆ど隠れてたし。ただ、体格から多分、男だとは思う」


「そう……。見失ってしまったけど、やはり先程の人物を探し出して訊くのが最優先だね。持ち主かもしれないし、そうでなかったとしてもどこで入手したのか訊き出せれば追跡し易い」


「りょーかい。恐らく路地裏に入ったんだろう。時間が経てばどんどん離されるだろうし、急いだ方が良さそうだな」


 外套を目印に捜索すると、すぐに行動を起こしたのが幸いしたのか、らしき人物の背中を見つけ出す。


「ちょっと待ってくれ!」


 涼介が背後から声をかけると、外套の男は足を止め振り向く。

 顔立ちから歳は二十台後半といったところか。フードから覗く眼差しが鋭いのは、警戒心を露にしている所為だけではないだろう。こけた頬が印象的だが、細い体格ながらもがっしりしており不健康には見えない。


「ナニカヨウカ?」


 こちらに探りを入れるようなその物言いに、涼介は笑みを作り敵意がない旨を取り繕うと、親指と人差し指で摘まんだ百円ライターを見せる。


「いや、これアンタのじゃないか?」


 フードの男はすぐには返事を寄越さず、暫し矯めつ眇めつする。それはライターが自分の物なのかを確認なのか、それとも涼介の人となりを見定めているのか不明だが、気を許す素振りを見せなかった。

 やけに慎重な姿勢を見せる男に涼介はどうしたものかと迷う。

 落とし物を届けるのは悪いことではない。寧ろ親切な行為だと思う。しかし、変に誤解を生むのはよくないと考えると、迂闊に身動きが取れなかった。

 出方を窺っていると、男は漸く口を開く。


「アア、オレノモノダ」


「やっぱり。さっきぶつかった場所に落ちていたんで多分そうだと思ったんだ」


「ソウカ。スマナイ」


 受け取ろうと差し出す男の掌に涼介はライターを乗せた。

 そのまま愛想無くその場を去ろうとする男。

 ノイノイはその背中に問い掛ける。


「それはどこで手に入れたの?」


「……ホシイノカ?」


 と、振り返る彼の目には質問の意図を探るような鈍い光が放たれていた。


「興味はある。でも出来れば燃料が入ったヤツが欲しい」


「……ナニガイイタイ?」


「知りたいだけ。喫煙者である貴方が今はどうやって火種を用意しているのか」


「ホウ……、コレ、ワカッテイルノカ」


「ついでに言えば、どこで作られた物なのかもね」


 言葉のやりとりが途切れ、路地裏に静寂が訪れると同時に空気が張り詰める。

 その一触即発の状況を先に打ち破ったのは外套の男の方だった。

 体重を後ろへと僅かに倒したかと思いきや反転、いきなり涼介たちに背を見せ駆け出す。


「リョースケ、追って!」


 交渉でも、脅しでもない。まさか初手から逃げに転じた男の行動に涼介は意表を突かれるも、ノイノイの指示に素早く反応、地を蹴った。

 刹那、男は勢いそのまま再び身を反転させ小さくバックステップをすると、その彼の身体が後を追う涼介の目の前で背景に溶け込むように薄れ、消えていく。


「なっ!」


 男の姿を見失い、動揺を隠せない。

 と、涼介の動きが鈍った次の瞬間、一瞬の煌めきが視界を掠める。間髪入れず、足元で甲高い音色を奏でて石畳とぶつかり合ったのは一本の短剣。跳ねた角度から姿を消した外套の男が投じたのだと思われた。


「リョースケ!」


「大丈夫だ。当たっちゃいない」


 ノイノイの身を案じる声を耳に、後退を余儀なくされる。コートに守られている涼介はともかく、ノイノイに短剣が投じられれば対処する手段がないからだ。

 何時襲われるかわからない緊張感に汗が頬を伝う。

 涼介は小さな異世界人を庇い、慎重に周囲の気配を探れば、遠目に捉えたのは何時の間にか姿を現した外套男の逃げる背中だ。どうやら短剣を投じたのは足止めに過ぎなかったらしい。


「どうする? ノイノイを守りながらはちと骨が折れそうな相手なんだが」


「そうだね、一度態勢を立て直そうか。幸いライターには探知魔法用の痕跡を残してあるから追跡は何時でも可能だし」


 追跡を断念した二人は、一旦『株式会社ブッシュ・ド・ノエル』に戻ることにしたのだった。

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