幕間2
ドーナツとドリンクを乗せたトレーを受け取った二人は、店内一番奥のテーブルを確保した。
最奥のシートにノイノイを座らせれば、『警護課』はすぐに脇を固め、辺りを警戒する。四人のうち二人が店外の見回りを始めたため、左右を陣取るのは二人と減ったが、相変わらず場違い感は否めず、周囲からの白い目に晒されていた。
ただ、その張本人たるノイノイの意識は眼前に山と盛られた色とりどりのドーナツに全力で注がれているため、その無言の抗議は全くの無駄に終わるのだが。
「ねえ、どれから食べたらいい?」
「好きなやつから食べればいい」
彼女は瞳を輝かせながら散々迷った挙句、最初の一つに手を伸ばした。
こうして口の周りを粉砂糖塗れにしながらドーナツをパクつく姿は、そこいらの子供と変わらない。
涼介はこんな彼女を見る度、未だ疑ってしまう時がある。
ノイノイは、実はただの幼い地球人で、『株式会社ブッシュ・ド・ノエル』までをも巻き込んだ、盛大なドッキリを仕掛けられているんじゃないかと。
自分は騙されているんじゃないかと。
だが、彼女には異世界を見せられている。
一度だけではない。何度も、何箇所も。
それは地球の人間では成しえない力を持っている証拠だ。
見た目はどうであれやっぱり彼女は異世界人なんだよなと、ぼんやりと何度目かの再認識に至る頃、ふとノイノイの顎が止まっているのに気付く。
何かと思えば、彼女の視線が自分の手元辺りに固定されている。
「どうした?」
怪訝に思い、訊ねれば、
「それ、何?」
と疑問でもって返される。
彼女の指先を辿れば、「それ」が涼介のオーダーしたドリンクだと理解した。
どうやら『
「レモンスカッシュ」
「甘いの?」
「とっても甘い。飲んでみるか?」
とグラス勧めれば、彼女は短い手を伸ばして手繰り寄せる。
そして挿したストローを咥え、頬を凹ませた次の瞬間、
「すっぱい!」
ノイノイは驚きのあまり、瞼を固く閉じ、唇を小さく窄めた。
わたわたを慌てふためきながら自分のバニラシェイクで口直しをする姿が滑稽で、涼介は悪戯の成功を喜び、休日を潰された仕返しが出来たとほくそ笑む。
「脳が弾けるかと思った。ヒドい」
「レモンは身体にいいんだぞ」
「ダメ、身体に良くても頭には優しくない」
すっかり嫌われてしまったらしいレモンスカッシュは、彼女の手ずから遠ざけるように押し返されてしまう。
こうした何気ない悪戯も日本にいるからこそ。
普通なら疑問にすら感じない日常の一コマだが、しかし涼介にはその当たり前が当たり前でなくなった。そう、半年前、突如異世界に飛ばされた日を境に。
その時の驚きは、今でも鮮明に思い返せる。
下校時、街中を歩いていたと思ったら、いきなり見たこともない野菜に囲まれていた。
突然のことに脳の処理が追い付かない。現状を説明する手がかりを求め、畑だろうその場所を抜け出し、出会った人は額に宝石のようなものが埋まっていた。
アクセサリーかと思ったが、どうも違う。更には耳が尖っている。
当時、まだ『
その後、己に冷静を叩き付け、状況を整理して日本ではないことを把握。飛ばされた原因はさておき、取り急ぎ安全を確保すべく現地民と交流を試みるも、身元不明では疑念の目に晒されるばかりで上手くはずもない。
そうこうしているうちに、その寒村が狼のような獣の群れに襲われる事件に巻き込まれ、死と隣り合わせの地獄のような毎日を過ごすことになる。
ノイノイたちに助け出される頃には心身共にすっかり疲弊し、日本に戻ってからも暫くは常に何かに襲われるような錯覚に囚われる。目が覚めればまた辛い異世界生活に戻されるのではと、眠れぬ夜が続いたものだ。
転機になったのは『株式会社ブッシュ・ド・ノエル』に所属したこと。
怖い思いをしたのが原因なら、そこへもう一度飛び込み、克服したらどうだと。
その現社長からのアドバイスで、ノイノイと行動を共にするようになってから異世界でも生き残る自信をつけ、そして何時でも帰国出来る安心感も相まって克服出来たのだと思う。
「そういえば、祖父江って人は大丈夫なんかな?」
「大丈夫って?」
「異世界での経験の所為で、日常生活に支障が出てないんかなって」
「あー、今のところは問題ない。異世界での経験を自慢気に吹聴してるけど、誇張気味だからあまり相手にされてないみたいだね」
涼介は意外に図太い神経してるなと感想を抱くも、短期間だったから旅行感覚なのかと納得。
傍から見ると『
一つは、地球には
そしてもう一つは、魔術ではなく科学で成り立っている地球に『
日本に拠点を置いているのも都合がいいからに過ぎず、つまり彼女たちにとって観察対象でないこの地がどうなろうと構わないのである。
そんな彼女たちに協力している自分はどうかしているのか。そんな考えは脳裏を掠めたことすらない、と言えば嘘になる。しかし、『
『株式会社ブッシュ・ド・ノエル』では危険を伴う立場であるが、装備など安全に対する配慮はされている。更に日本での生活も保証してくれている。
だから恩返しを含め、ノイノイたちの活動に暫く付き合ってもいいかなと考えていた。
少し遅めの朝食で腹を満たしドーナツ屋を後にした涼介は、今、両手に持てるだけの紙袋を持たされている。
脇が締まらぬその物量は、これだけお持ち帰りすれば文句は言われまい、とノイノイたちを納得させるだけの量はある。
重さこそそこまで気にならないが、やはり嵩張って歩き難い。
何度か『警護課』の連中に押し付けようかとも考えたが、しかし彼らは涼介と視線を合わそうとしない。
それは己の役割を忠実に遂行しているという体裁を見せつけ、遠回しに荷物持ちを拒否しているのかと邪推してしまう程、露骨だった。
残るノイノイは自発的に手伝ってくれるのは良いのだが、彼女の小さな身体では一箱抱えるのが精一杯。加えてペンギンのような覚束ない足取りで目の前を歩かれては、背中を蹴飛ばしそうで寧ろ気を使う。
そうして帰り着く『株式会社ブッシュ・ド・ノエル』で待ち伏せていたのは、飢えた『
通用口を潜った直後、涼介はその獲物を狙うような眼光を無数に浴びて、思わず怯む。
が、そんな涼介などお構いなし。小さな異世界人たちは手にした紙袋に群がると、ドーナツが収められた箱を奪い合うようにして引っ手繰っていった。
モミクチャにされた涼介は、もう用はないと言わんばかりに一人取り残される。
「いつも自分の欲望に忠実なこって……。はあ、疲れた。帰ってもう一度寝るか」
今頃、『
半分潰された休日を満喫すべく、家路につく涼介だった。
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