幕間1

 涼介は『第十七世界ワールド・ワンセブン』で山羊獣人カプロキスを討伐し、『促す者デベロッパー』の陰謀を阻止した翌日、まどろみの中にいた。

 現在、時刻は朝九時を回っている。普段ならば、既に出勤時間を大幅に超えているのだが、今日に至っては未だ起きる気配がなかった。

 いや、正確に言えば一度、目は覚ましている。つまり二度寝の真っ最中で、ぼんやりとした眠気に身を任せ、寮のベッドで心地良い転寝を満喫していたのだ。

 そう、本日は出社義務が無い、終日完全オフ日。世間一般では休日と呼ばれる日に当たる。

 特に待ち侘びた休日、でもないのだが、不要かと問われれば否と答える。やはり人間、自由な時間は欲しいもので、こうして誰にも干渉されずに怠惰を貪りながら過ごす休日も、涼介には必要かつ楽しみの一つとなっていた。


 しかし、今日に限ってはその安寧の時に影が差す。

 枕元に置かれたスマホが腹を空かせた赤子のように、突如、けたたましく鳴り響いた。

 その耳朶を殴りつけるような音色に眉を顰めながら、涼介は定まらぬ視線のままスマホに手を伸ばす。


「……もしもし?」


 ベッドから身を起こし、覚醒しきらぬ頭で問えば、


「お。私だ」


 と、耳に押し当てたスマホが答える。

 それは涼介にとって聞き馴染みの有り過ぎる声だった。


「ノイノイかよ……」


「おはよー。リョースケ、起きた?」


「寝てたよ。ノイノイのモーニングコールが鳴るまではな」


 そんな皮肉も電話越しには通用しないのか、ノイノイに悪びれる気配は欠片もなかった。

 それどころか、


「起きたなら、早く支度して」


 続く躊躇いのない要求に思わず返答に詰まらされる。

 おかしい。彼女の言っている意味がわからない。

 支度、というからには外出を促されているのは理解出来る。

 だが、今日は休日。涼介に与えられた、誰にも束縛されずに自由を満喫できる日だ。未だ覚めやらない脳に覚醒を促し記憶を掘り起こすが、特に彼女と約束した覚えはない。

 ならば何故ノイノイから、外出前提の話を進められなければならないのか。

 一応確認も含め、涼介の認識を伝えてみることにする。


「今日、オレ、休みなんだけど」


「行きたいところがある。連れてって欲しい」


 と、即答された。

 そこで漸く合点がいく。どうやら彼女は外出したいらしい。

 だが、それは筋が通らない話だ。


「だからオレは、今日、休みだ。外出したいなら『調査課』のオレじゃなくて、『警護課』の連中に頼めよ」


「無理」


「何でだよ」


「買い物に行きたい」


 そのノイノイの回答を耳にして、


「あー……」


 涼介は続く言葉を失い、天井を仰いだ。


「……『警護課』には連絡入れたか」


「入れた。すぐにでも出発できる。あとはリョースケを待つだけ」


「りょーかい」


 全てを諦めた涼介は、納得出来ない頭を切り替えて、彼女の言われた通り外出する準備を始めるのだった。



2023-06-21-09



 まだ太陽が昇りきらぬ青い空の下。

 ノイノイを伴い、ビジネス街を歩く涼介の手には、本日、休日にも関わらず呼び出された元凶が一枚握られていた。

 それは今朝、『株式会社ブッシュ・ド・ノエル』のポストに投函された、新装開店を宣伝するドーナツ屋の折込チラシ。ご丁寧に美味しそうなドーナツをカラーで掲載しているものだから、ノイノイたち『眺める者ウォッチャー』の心をガッチリ掴んでしまった代物だ。


(よりにもよって、今日オープンしなくてもいいだろうに)


 偶然自分の休日と重なった不運に悪態を吐くも、それは単なる八つ当たりに過ぎない。

 というのも、『株式会社ブッシュ・ド・ノエル』内で行われた「ドーナツ屋さん調査隊選抜ジャンケン大会」で、涼介のパートナーたるノイノイが勝ち抜いていなければ、他の『眺める者ウォッチャー』が訪れることになっていたのだから。

 そうなれば、別の『調査課』所属員のところに呼び出しの電話が鳴っていただろう。


「ドーナツ屋さんはまだ着かないの? リョースケ」


 その喜色めいた台詞を耳にするのは何度目か。


「もう後、十五分ってとこだろ。慌てんなって」


 と、これまた何度目かのおざなりな返事をした。

 時折、チラシに目を落とし、そこに記された住所と現在位置を確めながら目的地を目指す。

 一見、高校生と園児が仲良く買い物に出かける絵面だが、二人を取り囲む光景はそんな微笑ましいものではなかった。

 二人の周囲には、一定の距離を保ちながら警戒する物言わぬ屈強な男たちが、異様に緊迫した空気を身に纏い、すれ違う通行人一人一人を威圧するように、赤縁眼鏡越しの睨みを利かせていた。

 そう、全員統一された焦げ茶ダークブラウンのスリーピーススーツを着こなす彼ら四人は、実は地球上において『眺める者ウォッチャー』たちが事件、事故に巻き込まれないよう活動する、通称「赤縁あかぶち」と呼ばれる『警護課』の者たちである。


 何故、ノイノイたちが要人のような過保護な扱いを受けるのか。

 それは『株式会社ブッシュ・ド・ノエル』がかなり羽振りの良い企業であり、その運営に小さな異世界人が関わっていると一部界隈で知れ渡っていることに繋がっている。

 二つを結び付きを考えればこの不景気だ。金銭目的で彼女たちとの接触、あるいは良からぬことを考え身柄を付け狙う者がいてもおかしくない。

 しかし、マナが存在せず、仮に魔法を使っても威力の乏しい地球上では、『眺める者ウォッチャー』たちは抗うどころか、逃げ出す術すら持たない幼児並みの脆弱な存在となる。

 そこで『株式会社ブッシュ・ド・ノエル』が用意したのが『警護課』であり、彼らは日本に滞在中の『眺める者ウォッチャー』たちに危険が及ばないよう、日夜、彼女たちの身近な場所でその目を光らせ、安全確保に勤しんでいた。

 そうした屈強な男たちに周囲をガッチリ固められる涼介とノイノイは、幾つかの横断歩道を経て、商業区域へと足を踏み入れる。

 ビジネス街特有の他人行儀な乾いた空気から、賑やかかつ人々の交流を受け入れる雰囲気に一変したのを肌で感じながら、そろそろこの辺りだと思いつつ首を巡らすと、交差点の向こう側に「サターンドーナツ」という土星をモチーフにしたポップな看板を発見した。


「おー、見つけた。あそこだ、リョースケ」


 涼介は目標を見つけて逸るノイノイの頭を押さえ付けながら信号を渡り、店舗入り口前で一端停止。深呼吸で息を整えてから、ゆっくり確めるように自動ドアを潜った。

 そんな涼介たちを出迎えたのは、ドーナツの甘い香りと、

「いらっしゃいま――、せ?」

 カウンターの向こう側にいる女性店員の疑問形の挨拶だった。

 そんな反応も涼介には理解出来る。彼女の頭の中では、さぞ判断に困っていることだろう。

 果たして客として迎えてよいものかと。

 中央に位置する幼女はいい。カウンターディスプレイに並べられた数々のドーナツに目を奪われる様は、今まで来店した同世代の子と同じ反応を示している。


 だが、他が明らかにおかしい。

 幼女の四方を固める揃いの焦げ茶ダークブラウンのスーツに身を固める屈強な男四人は、口を真一文字に引き、剣呑な気を放っていた。

 それは「話しかけるな」どころか「近づくな」とまで言いたげな、ある種結界のような空間を作り出しているものだから、他の客が怯え、もしくは煙たがって仕方が無い。

 正に迷惑千万。客商売に対し有るまじき行為なのだが、そこは百歩譲って良しとしよう。商品さえ買って頂ければ、彼らとて顧客なのだから。

 そう、一番問題なのは、モノを買う意思がまるで感じられないこと。

 お前たちは一体何しに来たのだと、さぞ問い詰めたいに違いない。しかしその纏う雰囲気から話しかけるのは憚られる。


 そんな時、ふと店員の視界の端に引っ掛かるのが涼介の存在だ。

 店員の引き攣ったスマイルを向けられ、涼介はやっぱりこうなったかと苦笑が洩れる。

 本来なら異世界担当『調査課』所属の涼介に、同行する義務は無い。

 しかし、残念ながら『警護課』の連中は業務にのみ忠実で、警護しかしない。

 それでは小さな異世界人たちの要望を達成するには困難を極めるケースが多く、結局外出を希望する『眺める者ウォッチャー』とペアを組む、仲の良い『調査課』所属員がついて回るのが常だった。

 こうして消去法で白羽の矢が立てられ、女性店員の様々な意味が込められた視線を受ける涼介は、彼女の期待に応えるべく一歩進み出て客であることを主張する。


「ノイノイ、どれにするんだ?」


 途端、待ってましたとばかりに駆け寄るノイノイ。

 カウンターディスプレイに貼り付き、ガラス越しにドーナツの品定めを始めた。

 トレイに整然と並べられたドーナツを食い入るように見つめるが、しかしその品目は二十以上にも及び、ノイノイの眼を惑わすばかり。決して少なくない時間を浪費して周囲を散々待たせた挙句、決めかねた小さな異世界人は女性店員に向けて、満面の笑みでこう言った。


「あるだけ全部。テイクアウトで」


「やめてくれ」


 間髪入れずに突っ込んだのは涼介だ。

 だが、納得出来ないノイノイは表情で否を表す。


「お金ならある」


「お金の問題じゃない」


「なんで?」


「誰が持って帰るんだよ」


「私とリョースケ」


「二人で持って帰れる量じゃないだろ」


「ダメ、沢山持っていかないと待ってる同志を裏切る事になる」


 確かに『株式会社ブッシュ・ド・ノエル』に残る留守番組にとっては、ノイノイに賭ける期待は並々ならぬものが有るのだろう。

 涼介は雁首揃えて買出しを待つ『眺める者ウォッチャー』たちと、巣で嘴を開いて親鳥を待つ雛たちを重ね合わせ思わず心が揺らぐが、とはいえ抱えきれない量を買い込まれても荷物持ちの自分としては非常に困る。

 まして商品の買い占めなどしたら、後続の客たちから非難の眼が殺到するのは火を見るより明らかだ。

 となれば涼介としても、ここで引くわけにはいかなかった。


「とりあえず、なんか食ってこうぜ。起こされてすぐ出てきたから、朝飯まだなんだよ。ほら、ノイノイも味見しといた方がいいだろ? 待ってるみんなの期待を裏切らないためにもな」


 一先ず決断を先送りにし、時間を稼ぐ。

 あとはドーナツを齧りながら、どう説得するかゆっくり考えれば良い。

 暫し考え込むノイノイだが、ドーナツからを目を離さないその目を見れば一目瞭然。その目論み通り、程なくして涼介の提案は受け入れられることとなる。


「リョースケの言葉も一理ある。リョースケの朝ご飯を兼ね、味の調査をしていこう」


 こうして女性店員が唖然とした表情で見守る前で、二人の譲れない戦いはノイノイが言いくるめられることで決着がついたのだった。

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