第2話

 白壁に囲われた『株式会社ブッシュ・ド・ノエル』の一室から一転、足裏に柔らかな感触を得た涼介は、風に誘われる草花の匂いで転移を終えたことを知る。

 周囲を見渡せば緑の絨毯というには些か伸び過ぎた草原。人の背丈より高い樹木は視界に指折り数える程度点在するのみで、遠く眺めて初めて連なる山々が望める自然豊かな平地だった。

 傍らのノイノイが何も言わないところから、無事『第十七世界』に到着したのだろう。


「で、これからどうするんだ?」


「ここから暫らく歩くとこの世界では比較的大きい部類の街があるから、まずはそこから近況調査をしたい」


「りょーかい」


「その前に魔法を掛けておく」


「ああ、頼む」


 小さく呟かれた呪文により、涼介とノイノイの身体が一瞬、仄かな光を放ち霧散した。

 その後、雑草を踏み付けながら暫らく歩けば、轍のような一本道へと出くわす。それに沿って小一時間程歩いたところで、街と思しき建造物に到着した。


「なるほど。こりゃ、思ったよりデカイ街だな」


 涼介が右から左へと視線を巡らせば、街の外周には川を利用した天然の堀がぐるりと囲っており、更に向こう岸には石を隙間なく丁寧に積み上げた壁が高く聳えている。眼前の石橋を渡り、門を潜らねば街中の様子を窺うことすら難しい。

 外から来た者には排他的な印象を与える、城塞都市という言葉が思い浮かぶ街だった。

 石橋のたもとでは、数人の革鎧を着込んだ衛兵が槍を手に街への出入りを厳しく取り締まっているのが見て取れる。

 髪の色は少々異なるが、その他の外見に涼介たちと大差はない。強いて言えば日本人と比べてやや大柄な感じもするが、衛兵という職業柄体格のよい者が就いている可能性も高いだろう。

 ノイノイは馴染みの店に出入りするような足取りで衛兵たちへと近づくと、声をかけた。


「お仕事、ご苦労様」


「おう」


「街に入りたいのだけど、何か必要?」


「ああ、通行税がいる」


「いくら?」


「銀貨一枚だ」


「じゃあこれ」


 と、たすき掛けしたポシェットから小さな硬貨を取り出すと、衛兵が差し出す掌に乗せた。

 この異世界人とのやりとりを、日本人である涼介にも理解できているのには理由がある。この世界に降り立った直後、ノイノイが使用した魔法によるものだ。

 彼女たち『眺める者ウォッチャー』たちは、永い歴史の中で学んだ異世界の言語を、魔法的なデータベースで一元管理している。異世界に滞在する間そこへリンク、アクセスすることで異世界人との意思疎通を可能としていた。

 そして服装の違いに違和感を持たれることもなく、すんなりと通された二人は街の中へと踏み入れることが出来たのも、違和喪失いわそうしつの魔法のお陰である。


 街並みは、中世ヨーロッパといった雰囲気か。木造やレンガ造りの家が多く目に付き、すれ違う街の住人たちは妙に厚ぼったくダブついた衣服を身に纏っている。全体的に地味と評してしまうのも、現代日本の色彩豊かな環境に慣れてしまっているからだろう。

 ただ、少し気になるのは、住人たちの表情が少し暗い。活気がないわけではないが、街全体が何かに怯えているかのように見える。堅牢な石壁に囲われ、門を守る衛兵たちもしっかり責務を果たしているにも拘らずに。


「ちょっとおかしいね。リョースケ」


「確かにな。ちょっと元気がないようにみえる」


「じゃあ早速、聞き込みを開始しよう」


 二人は相談の後、目についた露店の店主から情報を集めることにした。


「そりゃ無理もねえ。カプロキスどもが山から下りてきて暴れてやがんのさ」


「カプロキスが? 確かその亜人種、争い事は苦手だったはず。そのため他種族が寄り付かないような、傾斜の強い山岳地帯を好んで住処すみかにしている。態々人里まで下りて、暴れるなど想像もつかないのだけど?」


「ああ、確かにお嬢ちゃんの言う通りだ。今まではばったり出くわしたとしても向こうから逃げ出すようなヤツらだったさ。しかしここ最近、武器を手に群れを成して襲ってくるんだよ」


「見間違い……、ではないのかな?」


「信じられねえって気持ちはよくわかる。俺だって数か月前までは出来の悪い法螺話、笑い話にするならもう少し信憑性を混ぜたらどうだって思ってたクチだ。幸いこの街にまだ被害は出てないが、この辺の街道は俺たち商人がうかうか出歩けない、危なっかしい場所になっちまったってもっぱらの噂さ」


 店主は吐露すると、参ったと言わんばかりに肩を竦めた。

 なるほど。外敵を防ぐ石壁に囲まれていようとも、一歩外に出れば危険地帯。文化レベルからして交易には街道必須と考えれば、閉ざされた街中でも不安になるのも理解できる。

 涼介たちは礼を述べ、その場を後にしようとするが、その際店主からは「北にだけは行かない方がいいぞ」との忠告を受ける。

 どうやらカプロキスとやらは、そちらの方角に多く出没するらしい。


「なあ、ノイノイ。そのカプロキスってのは何者なんだ?」


 改めて店主と別れを告げた涼介が、同行人にその正体を詳しく訊ねれば、


「大きな二本の角を持つ山羊頭が特徴の亜人種。この世界の平均的な人間種より少し大柄で筋力もそれなりだが、争い事はあまり好まない臆病な性格。群れは作っても小規模で、多少の縄張り意識のようなものは持ち合わせているものの、日中のほとんどを食べるための木の実や植物の採取に費やし、社会を形成するだけの文明は未だ持ち合わせていない。文化レベルは極めて低く、長年発展の兆しもないことから、今のところ我々の観察対象からは外れているね」


 と、彼女は図鑑を読み聞かせるような、要点を捉えた解説を淀みなくしてくれた。


「なるほどね。つまりノイノイの知識と、さっきの店主の説明ではまるで食い違ってるってことだな」


「そうだね。もしそれらの辻褄を合わせるとするなら、今、考えられるケースは大きく分けて二つ。一つはこの界隈で暴れているのが山羊獣人カプロキスに類似した別種族、あるいは成り済ましている者の仕業。もう一つは最近、山羊獣人カプロキスという種が大きく変わらなければならない程の何かがあった可能性」


 涼介は「なるほどね」と納得すると、


「で、到着早々になるけど、行くんだろ?」


 と、ノイノイに訊ねる。


「愚問だよ。私たちは観光に来たんじゃない。こういった不測の事態の調査こそ、ここに来た理由。一応、あと何件か話を聞いてみて食い違いがないようなら、直ちに現地調査へと移行したい」


「りょーかい」


 その後、数件の露店を回るが聞ける話に大差はなかった。

 すぐにでも山羊獣人カプロキスの変貌ぶりを己の目で確かめたいノイノイは、その足で街を出ることを決断する。

 集めた情報のもと進む道は草原を経て、そのまま森へと続いていた。


「さて、ここからだな」


 この森より北が、山羊獣人カプロキス襲撃頻度が高いと街で噂の危険地帯となる。


「以前と変わっていなければ、この森を抜けると隣街に続いているんだけど」


「今は無事に辿り着けるかわからない、ってか」


 元々、薄暗い森というのはどことなく身の危険を感じさせるものだが、この森からは街の住人たちの不安が伝播した所為か、より一層薄気味の悪さが覆っているような印象を受ける。


「いつまでも森の入り口を眺めていても仕方がない。このまま隣街まで突き抜けてみよう」


「りょーかい。ノイノイは俺の後ろについててくれ」


 道が整備されているとはいえ左右両側に樹木が鬱蒼と茂る以上、常に物影が生じてしまう。

 涼介はノイノイをいつでも庇えるよう一歩前を歩くことにした。

 それから小一時間といったところか。何時、何が飛び出してくるかわからない中、四方に気を配らせて進んでいると、ふと不自然な物音を耳が捉える。


「なんか聞こえないか? ノイノイ」


「うん。進行方向からだね。とりあえず物影に隠れて様子を見よう」


 二人は一旦道を外れ、手頃な木陰に身を潜めることにした。

 そうして暫く気配を殺して待っていると次第に近づいてきたのは、十数人の護衛を伴った豪華な二頭立ての箱馬車と、それを追い立てる山羊頭の黒い獣人――カプロキスと思しき一団だった。


「やられてんな。それも一方的に」


「そうだね。何故この状況に至ったかはともかくとして、山羊獣人カプロキスが蛮行に及んでいるという街で集めた情報に間違いはなかったね」


「どうする? ノイノイ。助けた方がいいのか?」


「助けるって、どちらを?」


「どちらって……」


山羊獣人カプロキス不純物インプリティだという決めつけはよくない。現時点での干渉はまだ早計というもの」


「そっか。そうだったな。すまん」


 声をひそめる涼介はアルミシャフトを握り直すが、ノイノイからの指示は待て。

 そう、彼女たち『眺める者ウォッチャー』は、何も正義のヒーローを気取っているわけではない。飽くまで既存の文明を作為的に乱す外的要因――不純物インプリティを排除するのが目的であり、例え目の前で現地人が困っていようとこの世界の住人同士のいざこざには一切介入しないのが基本スタンスだ。

 それを再認識させられた涼介は、静かにことの成り行きを見守ることにした。


 山羊獣人カプロキスたちの武器は棍棒に毛が生えた程度の実に粗末なもの。しかし数の上ではざっと二倍以上で、加えて体格の良さで勝っている。

 対して護衛たちは剣や槍、そして統一された鎧と装備面では分があるものの、数の不利、そして何より馬車を守りつつでは劣勢を覆すことままならずにいた。

 それでも追撃の手からのがれようと馬車を走らせてきたが、ここまで無理をさせたのだろう。その負荷に馬車の車軸が遂に限界を迎え、真っ二つにへし折れてしまう。

 鈍い音とともに車輪が宙を舞い、馬車が轟音を立てて横転停止。当然、護衛たちも足を止めざるを得なくなり、すぐに獣人たちに囲まれてしまう。

 横たわる馬車の中に何があるのかはわからない。

 庇う護衛たちの必死の抵抗から、余程守りたいモノなのは窺い知れるが、気合や執念で覆せる戦力差には限度がある。統率もあり良く守ってはいるものの、悲しいかな数の前に囲みの輪が徐々に狭まりつつあるのが現実だった。

 時間の問題。涼介が、そう思った瞬間だった。


 馬車を中心に防御陣形を布く護衛たちの中に、一人だけ列を乱した者が目に止まる。

 新米だろうか。明らかに戦い慣れしていない小太りの彼は、分の悪い守勢に我慢の限界を迎えたのだろう。逆ギレし、意味不明な奇声を上げながら獣人へと切りかかった。

 当たればただでは済まない、そう思わせる渾身の一振り。

 しかしその大振りな一撃は獣人を捉えることはなく、それどころか勢い余って自らのバランスを大きく崩し転倒、そのまま無様に森の中で身を潜める涼介の足元までゴロゴロと転がってきた。

 大の字に寝転がった彼は、すっかり目を回してしまっている。

 そんな情けない自爆劇を目の当たりにしてしまった涼介が、彼に護衛される人物に同情の念を抱いていると、傍らからノイノイの冷静な声が耳に届く。


「リョースケ、それ」


 注視する彼女の指先を目で追えば、足元で伸びている小太りの彼の左手首に至る。


「って、これ……」


「うむ、私の見立てでは凡そこの世界の産物ではない。間違いなく不純物インプリティが関わっている」


 現在、ノイノイが指し示しているモノとはゴツい腕時計。そう、日本でよく見かけた耐水性、耐衝撃性に優れたソレだ。どうやら彼女は蓄えた知識から、この世界にはオーバーテクノロジーであると判断したようだった。

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