第1話

 出勤途中のサラリーマンが行き交う、日本のとあるオフィス街。

 朝特有の柔らかな日差しを浴びながらマウンテンバイクを軽快に操り、うつむき加減の通勤者達のすぐ脇を駆け抜けて、背の高い塀に囲まれた敷地へ乗り入れる少年がいた。

 名は沖坂涼介おきざかりょうすけ。今年十七歳になる彼は、『株式会社ブッシュ・ド・ノエル』と看板の掲げられたこの企業の関係者である。

 涼介はいつものように中央に聳えるビルの通用口を潜ると階段を上がり、『調査七課』のプレートが掲げられた一室の扉を押し開く。


「おはよー。リョースケ」


 いくつかの白い事務机が整然と並ぶ中、涼介を出迎えたのは一人の幼女だ。

 小さな背中を覆う髪は白銀にエメラルドを溶かし込んだような美しい輝きを放ち、鮮やかな紅の双眸が目を惹くが、眠気眼でこちらを眺める眼差しと、寝癖なのか癖毛なのか分からないやや乱れ気味の髪、そして草臥くたびれた研究者風の白衣から身嗜みに無頓着な印象を多分に受ける。

 一見すると真新しいスモッグが似合う園児のような彼女だが、実は見た目通りのただのお子様ではない。日本が存在する地球とは異なる世界で生まれ育った、歴とした成人女性。

 そう、『眺める者ウォッチャー』と呼ばれる異世界人である。


「おう、おはよう」


 と、朝の挨拶に応じた涼介は、ふと、彼女の左手を注視する。

 そこにはアルミ箔に包まれた、現在進行形で食べ掛けであろう板チョコが握られていた。


「おいおい。また朝っぱらからチョコ食ってんのか? きちんと朝飯食わなきゃ大きくなれないぞ? ノイノイ」


 ノイノイと呼ばれた幼女型異世界人は眉根を寄せて憮然とした表情を作ると、余計なお世話と言わんばかりに反論する。


「これは脳の栄養となる糖分補給。身体の栄養たるモーニングはちゃんと食してきたし、そもそも私は我々種族の平均身長より二ミリ程低いだけで、断じて発育不良じゃないよ」


「とか言って、どうせ食べたのは朝食のトーストより板チョコの枚数のが多いんだろ?」


「それは仕方が無いよ。我々は頭を使うことに生き甲斐を感じる種族故、考えるためのエネルギーが最優先。活動のためのエネルギーなんてほどほどでいいの」


「ぶくぶくと醜く太って、動けなくなっても知らないぞ」


「肉体労働はリョースケ達の領分なんだから問題ない。寧ろ私たちの知的労働が捗るよう、もっと甘いものを提供すべき」


「はいはい。ではノイノイ様、暖かいミルクティーでも如何でしょうか?」


「うむ、頂こう。砂糖たっぷりでヨロシク」


 涼介は芝居染みた口調に加え、丁寧な一礼をした後、部屋の片隅のテーブルへと少女を誘う。

 そしてティーバッグを入れたカップに湯を注ぎ、ミルクとスティックシュガーを二本投入して流暢に日本語を操る異世界人へと差し出した。

 ノイノイは窓から、これから忙しくなるだろうオフィス街を眺めながら、カップに少しだけ口をつけ、満足そうに一息つく。それからふと自身の左手のチョコ、正確にはチョコを包んでいるアルミ箔へと不思議そうな視線を注いだ。


「ホント、未だに信じられないね」


「ん? 何がさ」


「このアダマント、こちらのリョースケたちが言うところのアルミニウムを精製する技術を確立して量産するどころか、日用品として使用した挙句、まさかゴミとして捨てている世界が存在しているってこと」


「ああ、そのことか。でもその代わり、ノイノイたちの世界では金やら銀やらが腐るほど掘れるんだろ?」


「掘れるどころか、雨が降るだけで地面のそこら中から顔を覗かせるよ」


 そう溜息交じりに吐露するノイノイの表情は、決して嬉しそうではなかった。

 彼女たち『眺める者ウォッチャー』の故郷での金の価値はとても低い。というのも軟らか過ぎて物造りの材料には適さず、彼女たちが得意とする魔法との相性がよくないため、掘り集めたところで役に立たない路傍の石程度の扱いらしい。

 一方アダマント、地球で言うアルミニウムは非常に希少な金属で、その上魔法の源たる魔力マナとの親和性に優れているという。その効果の程は、異世界で一メートル程度の直棒を武器にしていた涼介が一番実感しているだろう。

 お陰で涼介は、物の価値とは場所で全く異なる評価を受けると学習したものだ。


「さて、今後の予定だけど」


 と、飲みかけのティーカップをテーブルに置いたノイノイが、話題をこれからについて転換を図る。


「現地でも伝えたけど、『第三十四世界ワールド・スリーフォー』は一旦終了」


 涼介の頭には怪力の王の姿が脳裏を過るが、それも一瞬。ノイノイの終了という宣言に、即座、忘却の彼方へと追いやった。


「今日からは久しぶりに『第十七世界ワールド・ワンセブン』に行こうと思う」


「『第十七世界ワンセブン』か。俺、行ったことあったっけ?」


「確かリョースケは初めてじゃないかな?」


「そっか」


「すぐに出られる?」


「そうだな。五分、着替える時間を貰えれば」


「じゃあ『転移室』で合流しよう」


「りょーかい」


 涼介は片手を軽く上げて応じると、再びティーカップ片手にチョコを頬張るノイノイを尻目に、一足先に『調査七課』を退出した。

 そして廊下、曲がり角を経て、到達したのは『調達課』だ。

 扉を潜るなりカウンター越しに一人、髪を短く刈り込んだ厳つい風貌の中年が目に入る。

 彼は涼介に気づくと、強面こわもての目尻に皺を作りながら歓迎してくれた。


「おー、涼介か。おはよーさん」


「おはよーございます、渥美さん。で、ノイノイがすぐにでも転移したいって言ってるんで、俺の装備を出して欲しいっす」


「おう、ちょっと待っとれ。……と、あったあった。ほれ」


 と、カウンターに並べたのはアルミシャフトに黒のロングコート、それからアンダーシャツやズボンにブーツだ。


「ブーツは随分傷んでたんで新しいのと交換しといたぞ」


「げっ、マジっすか。あのブーツ大分履き馴染んできたのに……」


「仕方ねえだろ。何か問題があってからじゃ手遅れなんだ。っても、サイズもモデルも前のと一緒。すぐに慣れるだろうよ。ほら、ノイノイが待ってるんだろ? 早く行った行った」


 それ以上の文句は受け付けないとばかりに追い立てられた涼介は、渋々と隣の更衣室へと向かうことにした。

 この『調達課』で支給される装備一式は異世界での不慮の事態に備え、サバイバルを想定した耐久重視で作られている。特にロングコートにはアルミ製の細かな鎖帷子が仕込まれており、様々な危険を退けてくれる非常に優れた防具の役目を果たしている。

 それらに着替えた涼介は次に地下への階段を下ると、銀行の巨大な金庫を彷彿させる重厚な金属製の扉の前に到着した。

 壁面一杯埋め尽くすそれは、ただ見ているだけで拒絶されているかように威圧され、この先を隔絶かくぜつしたいという作り手の意思が視覚的にも感じられてしまう。

 ここがノイノイとの待ち合わせ場所である『転移室』で、部外者立ち入り禁止のこの部屋こそ、『株式会社ブッシュ・ド・ノエル』にとって最も重要な一室と言っても過言ではない。


「おまたせー」


 遅れてやってきたノイノイが入室するなり部屋隅のパネルに歩み寄って操作すると、金属扉が重々しい音を響かせながらゆっくりと開かれていく。

 扉越しの向こう側は蛍光灯の明りで照らされた、四方白い壁で囲われた無機質な部屋。その中央では、淡い桜色をした光が床に断面を接する形で半球状の空間を作り出し、数人の『眺める者ウォッチャー』がその周囲でなにやら黙々と作業をしていた。

 彼女たち『眺める者ウォッチャー』と呼ばれる異世界人は、古くから幾多の異世界を観察し、それぞれの文明の発展、衰退を記録し続けていた歴史的背景を持つ。


 しかし今まで幾度となく、観察対象が予期せぬ事象で滅びる事態が発生した。

 勿論、文明の破綻も歴史における一つの答えだが、外的要因によるものとなれば話は違う。

 まだまだ変化の余地を残す文明が外部干渉で失われてしまうのは望ましくない。そこで彼女らは、ほんの少しだけ異世界文明に対する介入を決意。

 対策の一環として『とある日本人』と手を組み、終焉、崩壊の切欠となりうる外的要因を調査、排除する組織を創設し、『株式会社ブッシュ・ド・ノエル』をその拠点としたのである。

 因みに、『ブッシュ・ド・ノエル』の名に深い意味はない。甘味に目がない『眺める者ウォッチャー』がお気に入りのスイーツから名前を拝借したと、涼介はこの会社の代表である『とある日本人』から聞いている。


「さて、行こうか」


 と、ノイノイは桜色に光るドーム空間へと侵入する。

 続いて涼介が踏み込むと、すぐに身体中の細胞が沸き上がるような感覚に囚われた。

 これは魔力マナに触れた際の正常な反応なのだが、では何故、今このような変化が訪れるのか。

 実はこのドーム空間の中、厳密に言えば日本ではない。本来地球上にないはずの魔力マナを存在させるために空間を無理やり捻じ曲げ、ノイノイたち『眺める者ウォッチャー』の故郷をほんの一部だけここ日本へと強引にめり込ませた異世界空間である。

 ノイノイは横目で涼介がすぐ近くにいることを確認すると、


術式魔法ソーサルコマンド移送転移いそうてんい


 朗々と詠唱した魔法を完成させる。

 三角錐の魔方陣に包まれた二人は忽然と姿を消し、異世界へと旅立つ。

 このようにして涼介は、ノイノイのボディガードとして日本と異世界とを日々、行き来していた。

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