第31話  絡み合った糸を解きましょう

  

 ヴァイオレットは確かに、シュヴァリエに嫌われていない自信はあった。

 もしかしたら、好かれているのかもしれないと思うこともあった、けれど。


 皇帝になった者の決まり、独特な配偶者選定──初めて口づけを交わした者を配偶者とする、そんな習わしがあるから、シュヴァリエはヴァイオレットに求婚したはずだというのに。


「私がダッサム殿下の婚約者だったときからって……だって……え? 私は、皇帝であるシュヴァリエ様の唇を奪ってしまったから、未来の妻にと……」

「全て説明する。……起き上がれるか?」


 シュヴァリエはそう言うと、ヴァイオレットの上を退き、彼女の背中を支えるようにして起き上がらせた。


 そしてシュヴァリエは、ソファに腰を下ろすヴァイオレットの目の前の床に片膝を突き、真剣な瞳で彼女を見つめた。


「そもそも、”皇帝は初めて口吻を交わした者を配偶者にしなければならない。その相手に断られた場合、別の配偶者を持つことは出来ない“という決まりは、大昔のもので、今は廃止されている」

「……えっ!! そうなのですか……っ!?」

「ああ。それなのに、俺は嘘を言って貴女を強制的に妻にしようとしたんだ。……本当に済まなかった」


 頭を下げるシュヴァリエに対して、ヴァイオレットの心の中に浮かんだのは彼に対する嫌悪でも苛立ちでもなかった。


(まさに青天の霹靂……! つまり、シュヴァリエ様の言葉をそのまま信じるのならば、彼は以前から私を好いていてくれて、求婚も彼の本心から行ったものだということ……!)


 シュヴァリエのことが好きなヴァイオレットからしたら、こんなに嬉しいことはない。天にも昇る心地なのだが、ヴァイオレットは一旦落ち着こうと自身を律した。


 シュヴァリエが何故そんな嘘をついたのか、聞かなければならなかったから。


「謝罪は受け取りました。シュヴァリエ様、とりあえず理由をお聞きしても宜しいですか?」

「もちろんだ。俺は──」


 そうして、シュヴァリエはゆっくりと語り出す。


 突然ダッサムから婚約破棄をされ、王太子妃になる未来を奪われたヴァイオレットが酷く傷付いていると思ったこと。

 長年連れ添ったダッサムに、少しは特別な感情を抱いているかもしれない。それなら、より一層心に深い傷を負っているかもしれないと思ったこと。


 そんなヴァイオレットに、自身の恋心をぶつけても、愛の言葉を囁いても、重荷になってしまうかもしれないと考えたこと。


 だから、本音は言えなかったのだという。


「……そう、だったのですね……」

「だが、ようやく誰のものでも無くなったヴァイオレットをこのまま諦めるなんて出来なかった……影では必死に努力し、薬師としても優秀だと言うのに偉ぶらず、次期王太子妃としての使命を必死に全うしようとする貴女のことを、俺はずっと好きだったんだ。たまに見せる穏やかな笑顔を守るのは俺でありたいと、そんな貴女の隣にいるのは俺でありたいと何度願ったか、今や数え切れない」

「〜〜っ」


(シュヴァリエ様……っ、そんなにも私のことを……)


 だから、と言葉を続けるシュヴァリエに、ヴァイオレットは引き続き耳を傾けた。


「あんな嘘をついた。そうすればヴァイオレットの性格からして絶対求婚を受けてくれるだろうし、この結婚は政略的なものだと思うことで、俺の愛が重みになることはないだろうと考えたんだ」

「…………っ」

「ヴァイオレットの傷が癒えたと思ったら、直ぐに愛していると伝えるつもりだったんだが──」


 いくらヴァイオレットが恋愛に疎くとも、シュヴァリエの言うことは痛いほど理解できた。


 相手のことを思いやって嘘を吐き、それでも手に入れたいと思う感情も。ほんの少しのことで嫉妬して、冷静さを失ってしまうことも。


「愛おしくて仕方がない貴女に、あんなことを言われたら」


『嬉しかった、のです。……私のことを、ダッサム殿下には絶対に渡さないと、仰ってくださった、から……』


「……っ、あれは、その……!」


 その瞬間、膝の上に置いておいたヴァイオレットの真っ白な手の上に、ゴツゴツとしたシュヴァリエの手が重ねられ、ギュッと包みこまれる。


 そんなシュヴァリエに熱っぽい目も向けられてしまえば、ヴァイオレットには穏やかな微笑みを返す余裕なんてなくて、ただただ彼を見つめ返した。


「なあ、ヴァイオレット、俺はもう自分の思いを隠さない。たとえ傲慢だと思われても、貴女の心がほしい。愛している、ヴァイオレット」

「……っ」

「……思い違いじゃないなら、ヴァイオレットも俺と同じ気持ちでいてくれているのだろうか。……もしそうなら、貴女の口から……聞きたい」


 あんなことを言ったのだ。ヴァイオレットの気持ちなんて、とうにシュヴァリエにはバレてしまっているのだろう。


(そんな状態で、思いを伝えるのはとても恥ずかしい……けれど)


 それでも言葉を求めるシュヴァリエの気持ちを、ヴァイオレットには理解できる。

 不安な気持ちも、切なかった過去の記憶も、その言葉を聞けば全て忘れてしまいそうになることを、ヴァイオレットは知っているから。



「わ、私は……私は、シュヴァリエ様のことが──」



 ──コンコン。


「「…………!?」」 


 突然のノック音に、ヴァイオレットとシュヴァリエは目を見開く。


「「失礼いたします……って、あれ?」」


 揃って入室してくるロンとシェシェ夫妻に、ヴァイオレットは無意識に姿勢を正し、シュヴァリエは立ち上がって溜息を漏らした。


「おいロン……今度はシェシェも一緒か……一世一代のこのタイミングで入って来るお前たちを、むしろ俺は恐ろしくなってきたよ」 

「「も、申し訳ありません……とてつもない邪魔をしてしまったことは察しました……」」

「流石夫婦……ぴったりですわ」


 一字一句揃っていることに、羞恥よりも驚きが勝ったヴァイオレットがそう言うと、シェシェがハッとしてロンの背中をバシリと叩く。


 それからロンは、シュヴァリエとロンに向かって口を開いた。


「たった今、ハイアール王国のダッサム殿下と聖女様がお出でになりました! それをお伝えするために参った次第です!」

「あの男……本当に間の悪い。……まあ良い。ヴァイオレット、行こうか」

「は、はい! 参りましょう」


 ヴァイオレットが立ち上がると、シュヴァリエにそっと肩を抱かれる。


 きちんと思いを伝えられなかったと焦るヴァイオレットの耳元で、シュヴァリエは「続きはあの阿呆の相手をした後だ」と囁いた。



 ◇◇◇



 シュヴァリエと共に応接間に入ると、先に通されたのだろうダッサムとマナカがいた。


 マナカは勢いよく立ち上がると、拙いながらに挨拶を見せる。その一方でダッサムは、ソファにふんぞり返ったままだ。


「謝罪に来たとは思えない態度ですわね」

「全くだ。流石稀代の阿呆」

「……ふふっ、あまり笑わせないでくださいませ」


 ダッサムたちには聞こえないようコソコソとそんな会話を繰り広げてから、ヴァイオレットたちはダッサムたちの向かいに座る。


 こちらに指を指しながら「こっちを見て笑っていなかったか!?」なんて言ってくるダッサムに、それが謝罪をしに来た者の態度かとヴァイオレットは言いたかったが、そんなことを言っても彼が反省することはないので、話を進めることにした。


「……それで、ダッサム殿下。シュヴァリエ様の貴重な時間を奪ってまで謝罪に来たのですから、早速本題に移ってはいかがですか」


 そんなヴァイオレットの言葉に、ダッサムは腕組みを解くと、前のめりになってヴァイオレットを見つめたのだった。


「ヴァイオレット、再び王太子妃の座をお前にやろう。私のもとに戻って来い」

「え、嫌ですが」

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