第29話 さて、他のご要件は何でしょう
ダッサムからの手紙が届いてからというもの、調合室には不穏な空気が流れた。何故なら、あのダッサムからの手紙だからだ。それ以上もそれ以下でもない。
ヴァイオレットは、ロンから手紙を受け取るシュヴァリエをちらりと見やる。
(わ、わぁ。明らかに不機嫌になっていらっしゃるわ)
額に青筋が浮かんでいるそんな姿も格好良いと思ってしまうのは、かなり重症だろうか。それほど、恋の力は凄いらしい。
ヴァイオレットは今人生で初めて恋する乙女になっているので、ダッサムの手紙の内容にも気になりつつも、それよりも苛立つシュヴァリエを眺めることに夢中になっていると。
「ヴァイオレット、ここじゃ何だから俺の部屋で食事をしながらこの手紙を破──読もうか」
「は、はい」
(今破るって言おうとしなかったかしら……?)
それからシュヴァリエは、自室に二人分の食事も運ぶようロンに命じると、ヴァイオレットの手を取って自室へと歩いたのだった。
その後ヴァイオレットとシュヴァリエは先に食事を摂ると、ソファに横並びになった。
そして、シュヴァリエがペーパーナイフで封筒を開くと、二人は便箋の中身を最後まで読んでいく。
「「………………ハァ」」
次いで二人が溜息を漏らしたのは、その内容があまりに酷いものだったからだ。
ヴァイオレットは呆れた声で、その手紙の概要を口にした。
「私とシュヴァリエ様に謝罪したいからマナカ様と共に一週間後に訪問する、と。……だから時間を空けろ、と。陛下も、殿下がようやく反省したから話を聞いてやって欲しい、と。これは両国にとってより絆を強固とするものになるから、と」
「……呆れて物が言えんな」
「全くです……ダッサム殿下が正式に謝罪するにしても遅いわ、日時はあちらが指定してくるわ、陛下は息子に甘過ぎるわ……何です、絆って……それに何より──」
ダッサムの両親、特に父──国王が彼に甘いことを、ヴァイオレットは知っている。どうせ上手く言いくるめられて、この手紙にも一筆入れたのだろう。
まあ、息子が心変わりをしたのなら、それを手助けするのは父親としても国王としても、それ程の愚かな判断ではないのだろうが……如何せん、その息子はダッサムなのだ。
自慢じゃないが、ヴァイオレットは国王よりも、ダッサムがどういう人間なのかを知っている。
「あのダッサム殿下が、反省なんてしているわけがないじゃないですか……」
「同感だ。あの男の辞書に反省や謝罪なんて文字は絶対ない」
「はい。ですからこの訪問には、謝罪以外の他の意図があるのは間違いありませんね。……問題は何なのか、ということですが……」
そもそも、このダッサムの訪問を必ず受け入れてやる必要はないのだ。もし訪問に来ても、日時を勝手に指定されても先約があると言って断ればいいだけの話なのだから。
しかし、シュヴァリエとヴァイオレットはあまりそれは得策ではないと考えていた。
国王の一筆により、この手紙にかなりの重要性が付加されたこと、そして──。
(ハイアール王国には、聖女のマナカ様がいますもの)
有事の際に聖女の力を借りることが出来るのは、両国が友好国だからだ。懸念であった魔力酔いのワクチンも完成したことから、リーガル帝国にとってマナカの存在は希望の光となった。
そのため、マナカを有しているハイアール王国からの謝罪を蹴って、両国の亀裂が大きくなり、結果として友好国でなくなることは、リーガル帝国にとってデメリットの部分が大きいのだ。
まあ、ダッサムはそこまで考えていないだろうけれど。
ヴァイオレットがそんなことを考えていると、シュヴァリエが僅かに目を細めた。
「もしかしたら、ハイアール王国に戻るよう、ヴァイオレットを説得するためかもしれない」
「……! 何故です? 自分で言うのもなんですが、あのお方は私のことを酷く嫌い、憎んでいると思います」
「それを差し引いても、優秀なヴァイオレットを我が物にしたいと思う事情があったとしたら、どうだ」
そう言われて、ヴァイオレットはハッと目を見開いた。
「ダッサム殿下は今、ナウィー殿下に王位を脅かされています……だから、自分の方が王に相応しいと周りに示さねばならない……ですが、ダッサム殿下は頭が残念なので公務をこなせるはずはありませんし、いずれ周りの貴族たちも付いてこなくなるでしょう。マナカ様も異世界から来た方ですし、あまり勉強をしている様子はないので妃になるには少々……だから──」
ハイアール王国でも影響が大きいダンズライト公爵家、その娘であるヴァイオレットは、出自は言わずもがなで、妃教育を済ませている。
あのダッサムでさえ勉強やマナーは完璧であると認めるような才女であり、ハイアール王国の公務をこれまで多くこなしてきた実績があり、仕事が滞ることもないだろう。ほとんどの貴族たちは、そんなヴァイオレットに全幅の信頼を置いている。
その上、薬大国のハイアール王国で、その妃が国家薬師の資格を持っているとなれば、箔が付くというもの。
「……ダッサムめ、ふざけるなよ……ヴァイオレットは絶対に渡さん……絶対にだ……」
「シュヴァリエ様……」
膝の上においた手を力一杯握り締めながら、瞳に怒りを映す感情的なシュヴァリエ。
その横でヴァイオレットは、思いの外落ち着いている自分がいることに驚いた。
(公爵邸に乗り込んできたダッサム殿下を見てから、彼に対しては少なからず恐怖を抱いているはずなのに……)
今、自身の隣には、ダッサムに怒り、ヴァイオレットを手放したくないというシュヴァリエがいる。部屋の外へ出れば、慕ってくれる家臣たちが、使用人たちがいる。
(何より、私はもうシュヴァリエ様の婚約者なんだもの)
そう思うと、ダッサムに対して恐怖なんてなかった。どんと来いと、そう思えるくらいに。それに。
(……シュヴァリエ様、絶対に渡さないって仰ってくれたわ……! 不謹慎かもしれないけれど、嬉しい……っ)
シュヴァリエに必要とされている。好きな男性から求められている。
ヴァイオレットはそれが嬉しくて、つい綻んでしまう。
そんな自身の顔を隠すように、ヴァイオレットはローテーブルに置かれている手紙を手に取ると、それを顔に近付けることで頬の緩みを隠すのだけれど。
「………………」
そんな自身の行動が、シュヴァリエにあらぬ誤解を生ませることになるなど、このときのヴァイオレットには知る由もなかった。
◇◇◇
そして、それに纏わる事件が起こるのは、ダッサムとマナカが訪問してくる日の朝のことだった。
「ヴァイオレット……貴女はダッサムを好いているのか」
「…………。えっ!?」
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