第28話 自覚したら見る目は変わるものです

 

 ◇◇◇



 雷雨に見舞われたセーフィル採集の四日後のこと。


 陽が落ちて空が茜色に染まる頃、調合室に集まる大勢の協力者たちとヴァイオレットは、保管庫の中にずらりとあるワクチンを見て、歓喜の声を上げた。


「皆の協力のおかげで魔力酔いに対するワクチンが全て作れたわ! 本当にありがとう!」

「「「うおぉぉぉぉぉ!!」」」


 抱き合うシェシェとロンに、うおんうおん泣きながら抱き着く大臣たち、騎士たちは肩を組んで喜んでおり、ヴァイオレットもこのときばかりは淑女であることを忘れ、口を大きく開けて皆と笑いあった。


「盛り上がっているな」


 そんなとき、聞き心地の良い低い声に、ヴァイオレットは「あっ」と声を漏らした。


「シュヴァリエ様! お疲れ様です。急ぎのお仕事はよろしいのですか?」 

「ああ、しっかりと終わらせてきた。それで、全てのワクチンが完成したのか?」

「はいっ! 皆で今盛りあがっていたところです!」

「ふっ、そうか。良いな」


 シュヴァリエはそう言うと、皆の中心にいるヴァイオレットのもとに歩いて行く。

 家臣たちは皆シュヴァリエが行く先を邪魔しないように一歩後退すれば、シュヴァリエはヴァイオレットの肩を抱き寄せた。


 それだけで照れるヴァイオレットに一瞥をくれてから、シュヴァリエはヴァイオレットと共に皆の方を向き直り、息を大きく吸い込むと。


「ヴァイオレットはもちろんだが、お前たちの頑張りのお陰で、この国で魔力酔いに苦しむ者はこれから居なくなる。……皆、大義であった」


 皇帝から大義だと言われることなど、生きていてそうあることではない。


 感動のし過ぎのためか、調合室では三秒ほど沈黙が流れたのだが、それは直ぐに解かれることになった。


「今日は全員に行き渡るよう豪華な料理と酒を用意させるつもりだ。各自楽しめよ」

「「「やったぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」」」


(ふふ、さっきまで感動ムードだったのに、素直な人たちね)


 それからというもの、早速ワクチンを効率的に配布するために大臣たちは会議に向かうことになり、使用人や騎士たちは各々の持ち場に戻ることとなった。


 大きな仕事を成し遂げたこと、そしてあと一、二時間もすれば豪華な料理と酒が振る舞われるため、調合室を出ていく皆の足はとても軽かった。



「ヴァイオレット」


 ──パタン、という扉の音の直後。

 調合室に二人きりになった瞬間、シュヴァリエは調合室の椅子を引くと、ヴァイオレットに「ん」と言ってここに座れと促す。


 ヴァイオレットは一瞬目を泳がせてから、おずおずと彼に誘われて腰を下ろしたのだけれど。


(うう、二人きりになってしまったわ……! どんな顔をすればいいの……!)


 ここ四日、ヴァイオレットはワクチンの残りの製造に、シュヴァリエは公務に忙しくて二人きりで顔を合わせることはなかった。


 だから、それほどシュヴァリエのことを考えなくとも済んでいたのだけれど。


(ど、どうしましょう……! 好きだと自覚したあの日から、初の二人きり……! シュヴァリエ様が前よりも格好良く見えるし何だか良い香りがするし声を聞くだけでキュンとしてしまうし、どうしたら良いの……っ!)


 ヴァイオレットは両手で頬を包むようにすると、これ以上ないくらいに眉尻を下げた。


 いつの間にか完全に陽は沈み、調合室にはいくつかあるオイルランプの明かりしかない。 

 そんな状態で、隣の椅子に腰掛けたシュヴァリエ。

 二人きり、そして夜という環境なだけで心臓がざわつくのに、少し動けば肩と肩がぶつかりそうなその距離感に、ヴァイオレットは息をすることさえも緊張した。


「改めてヴァイオレット、ワクチンの製造、お疲れ様」

「は、はい! シュヴァリエ様にご協力していただいたおかげです」

「何を言っている。俺は何もしていない。……ヴァイオレットがいてくれたからだ」

「……シュヴァリエ様……」


 好きな相手に褒められることは、なんて心地良いのだろう。

 オイルランプのほんわかとした明かりから見えた彼の優しそうな笑みに、ヴァイオレットは「ふふっ」と微笑むと。


「はい。私も、頑張りました。シュヴァリエ様も、皆も、頑張りました。……全員の、おかげですわ」


 自分のことも認めてあげよう。そう思ってヴァイオレットが紡いだ言葉に、シュヴァリエは参ったと言わんばかりに眉尻を下げると、口角を上げた。


「……ははっ、そうだな。全員のおかげだな」 

「はい!」

「ヴァイオレットが全員のおかげだと言っていたこと、あいつらに伝えたらさぞ喜ぶと──」


 そこで、シュヴァリエの言葉はぽつりと途切れる。


「……シュヴァリエ様……?」


 急に黙った彼は、ヴァイオレットの頬に向かってずいと手を伸ばしてくる。  


 ヴァイオレットは恥ずかしくて目を固く瞑ると、頭を撫でるでもなく、髪の毛を掬うわけでもなく、彼の指が自身の頬を拭う感覚に、パチリと目を開けた。


「あ、あの……?」

「ああ、済まない。ヴァイオレットの頬に少しだけ汚れが付いていたから拭わせてもらった」

「……!?」


(あっ、もしかして……!)


 さっき頬を触ったとき、調合の際に手に付いていた成分の一部が頬に付着してしまったのだろうか。


「薬草の成分が付いていたみたいで……それに、髪や服だって……不格好な姿をお見せしてしまいまして申し訳ありません……っ!」


 頬の汚れも然ることながら、朝から調合に必死で髪の毛も乱れているだろうし、ドレスだってふだんより地味なものだ。


 淑女たるもの、いつも身なりには気を遣わなくてはならない。好きな男性には、可愛いところだけを見られていたい。


 そんな二つの感情が胸に渦巻いて、ヴァイオレットは堪らずそう謝罪したのだけれど。


「何を言っている。……ヴァイオレット、こちらを向け」

「……っ」


 シュヴァリエに命じられ、ヴァイオレットはおずおずと顔を上げると、頬をするりと撫でられる。


 そのときのシュヴァリエの表情には、いつもの穏やかさの中に、仕事をしているときのような真剣さと、普段は隠しているのであろう獰猛さのようなものが見えた気がした。


「頑張る貴女は、世界で一番美しい」

「……!」

「別にドレスで着飾らなくとも、髪が乱れていようとも、頬に汚れが付いていたって──ヴァイオレットが世界で一番美しいんだ。だから、謝るのは俺が許さない」

「シュヴァリエ……様……」 


(そうだわ。この方は、こういう人だもの……)


 見た目を可愛いと、綺麗だと、もちろんそこも褒めてくれるけれど、シュヴァリエは何よりもヴァイオレットの努力を、我慢を、頑張りを、何よりも認めてくれていた。ヴァイオレットが一番求めている言葉を、彼は掛けてくれていたのだ。


(もう、だめ……。もっと好きになっちゃう。……伝えたく、なってしまう)


 ヴァイオレットはシュヴァリエの初めての口吻を奪ったから、彼のそばにいられる権利を得た。

 愛はなくとも、互いに尊重できる夫婦になれるなら、それで良かった。

 何度も何度も、シュヴァリエを思う気持ちに蓋をして、気付かないふりをした。


 けれど──。


「シュヴァリエ様、私……っ」

「ヴァイオレット……?」


 もう、この感情を隠すことなんて出来ない。シュヴァリエに、この思いを伝えたい。


 叶うなら、愛し、愛されたい。


 ──その相手は、シュヴァリエ様じゃなきゃ嫌だ!


「私は、貴方のことが──っ」


 ──バタン!!!!


「「……!?」」


 しかし、ヴァイオレットの言葉が最後までシュヴァリエの耳に届くことはなかった。


 シュヴァリエの従者であるロンが、慌てた様子で調合室に入ってきたからである。


「ノックもなしに何だ!」 

「も、申し訳ありませ……!! しかし、これは早めにお伝えしたほうが良いかと!」


 ロンはそう言うと、ジャケットの内ポケットから封筒を取り出す。


 そして、その封筒をシュヴァリエとヴァイオレットの方に向けながら、口を開いた。 


「ハイアール王国──ダッサム第一王子から、陛下とヴァイオレット様宛てにお手紙が届いています……!」

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