第22話 私は貴方の、婚約者なのです

 

「わぁ……! なんて立派な……!」


 シュヴァリエにお姫様抱っこをされて、目的の建物──調合室に連れてこられたヴァイオレットは、真新しい床に足裏がつくよう下ろしてもらうと、室内を見て感嘆の声を漏らした。


「な、なんて立派な調合室なんでしょう……! それに、大きな保管庫まであります……! あ、調合に必要なすり鉢などの器具も全て用意されています……!」

「人員の確保も直ぐに行おう。可能な限り準備したつもりだが、もしも何か足りないものがあったら教えてくれ。すぐに手配する」

「あ、ありがとうございます! ……って、そうじゃなくてですね!」


 つい望んでいたものが目の前にあるので興奮してしまっていたヴァイオレットだったが、そんな自身に待ったをかける。

 まずは尋ねることが先決ではないかと、慌てて口を開いた。


「シュヴァリエ様! どうしてここに調合室と保管庫があるのですか……っ?」


 再三だが、調合部屋の建設は一朝一夕でできることではない。時間も、職人の技術も、金銭も必要なのだ。


 ヴァイオレットの問いかけに、シュヴァリエはフラスコを手に取りながら答え始めた。


「まず、ヴァイオレットに求婚した直後から、私はこの場所に薬の調合に必要な施設は整備しようと思っていた」

「……!」

「大臣たちには、貴女が薬師として大変優秀だったから、リーガル帝国に来てもその才腕を振るえる方が国益に繋がると思うと伝えた」


 だからシュヴァリエは、ヴァイオレットがリーガル帝国に来る前から、本格的な調合には必ず必要である、調合室と保管庫の建設を始めたらしい。


 調合室や保管庫の独自のノウハウについて、ヴァイオレットの父に頼んで、ダンズライト公爵家の敷地にある調合室と保管庫を造った大工を紹介してもらい、リーガル帝国で建設に携わってもらったそうだ。


 予算については、一旦シュヴァリエの懐から支払われたらしい。


(なるほど、そういうことだったのね……)


 国益に繋がるかもしれないという話なら、大臣たちも反対しなかっただろう。


 それに、ヴァイオレットの薬師としての能力が認められていることは、それだけでとても嬉しいというのに。


「──だが、理由はそれだけじゃない。大臣たちには伝えなかったが……本当は、俺の勝手な我が儘でもあるんだ」

「えっ……?」

「以前からヴァイオレットが薬師の仕事に誇りを持っていたことを知っていた俺は、嫁いできてからも貴女が薬師として活動できたら、喜んでくれるかもしれないと思った」

「…………っ」


 シュヴァリエは、いつもそうだ。いつも、ヴァイオレットのことを思ってくれている。

 笑顔が見たい、喜ばせたい、その姿が見られるのは嬉しいと──それが、幸せなのだと。


(けれど、肝心な言葉は言ってくれない)


 好きだと、愛していると、ヴァイオレットだから妻にしたかったのだと、もしも、そう言われたら──。


(そうしたら、きっと……私の胸の苦しみは消えるはずなのに。……って、どうして? どうして、シュヴァリエ様に愛の言葉を囁かれたら、私の胸のつかえが取れるというの……?)


 ヴァイオレットはそう、自問自答したのだけれど。


(……きっと答えが出たら、辛くなる)


 それだけは本能的に理解できたのか、ヴァイオレットは一旦思考を放棄した。


 自身の中で日に日に大きくなっていくとある感情が何なのかを自覚しても、それが叶わなかったとき、胸が張り裂けてしまうかもしれないと、ヴァイオレットは恐れたのだ。


「シュヴァリエ様、お気遣いいただいて、本当にありがとうございます。私、とても嬉しいです」


 だから、ヴァイオレットは出来るだけこの思いが溢れないようにと、冷静を装って、深く頭を下げた。


「……っ、良かった。それに礼を言うのは俺の方だ。改めて、国や民のことを思いやってくれて、本当にありがとう、ヴァイオレット」

「……当然、ですわ。だって私は、シュヴァリエ様の、婚約者なんですから」


 振り絞った言葉に対してシュヴァリエは、やや頬を赤らめてはにかんだ。どこか耐えるようなその表情に、ヴァイオレットは若干困惑を覚えたものの。


「ヴァイオレット、済まない。さっきの、もう一度言ってくれ。貴女は、誰の婚約者なんだ?」

「〜〜っ」


 その確認をとても甘い言葉だと感じたヴァイオレットは、咄嗟に俯いた。


「……なあ、ヴァイオレット。さっきの、もう一度言ってくれないか? 貴女は、誰の婚約者なんだ……?」


 二度目の問いかけは、先程よりもどこか声色に意地悪さが孕んでいる。


 ヴァイオレットは自身の両手でそっと耳に蓋をして、もう何も聞こえないからと、可愛らしい抵抗を見せたのだった。

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