第21話 ご案内はお姫様抱っこにしましょう
「ワクチン……? それは何だ?」
「御存じないのは当然です。つい三ヶ月ほど前、ハイアール王国にいた頃、数名の国家薬師たちと新たな薬の形を考案し、そう名付けただけですから」
ヴァイオレットたちが名付けたワクチンとは、簡単に言うと病気などの予防薬のことである。症状が出る前にワクチンを経口摂取することによって、いざというときに症状が出なかったり、その症状を著しく軽減させることができる。
ヴァイオレットはシュヴァリエに対してそう説明すると、彼は「信じられない……」と声を漏らした。
「ワクチン、だったか? そんな夢のような薬がこの世に存在するのか?」
「はい。ハイアール国ではすでに、流行り病に対するワクチンが数百名に処方されています。ワクチンを接種したことによっての大きな問題点も出てきていませんし、流行り病にも大幅にかかりにくくなりました。もし罹患しても、かなりの軽症で済んでいます」
「凄いな……それは……。だが、今回は魔力酔いに対するワクチンなのだろう? 作れるのか?」
シュヴァリエの疑問は至極尤もだった。
病気と魔力酔いは、症状は似ているものの、根本的に似て非なるものだからだ。
けれど、ヴァイオレットは淡々とした口調で言い切った。
「実は、魔力酔いの薬を作ったとき、魔力酔いに対するワクチンも必要になるのではと思い、いくつか試作したことがあったのです。結果……ワクチンは作れました」
「なっ……!」
「けれど、魔力持ちの国民に行き渡るよう作るには、私が知り得る薬草だけ足りないことに、気づいたのです」
魔力持ちが人口の約一パーセントといっても、大帝国であるリーガルの全人口から考えて、ワクチンの必要数は膨大になる。
対して、ヴァイオレットが魔力酔いのワクチンを作る際に用いたのは、魔力酔い止め薬のときにも使ったリントと、ハイアール国に生えている、レメンという数が非常に少ない予防効果のある薬草だった。
ハイアール国には予防効果のある薬草はレメンしかなく、当時は他国にも予防効果のある薬草は流通していなかったのである。
そのため、魔力酔いだけでなく、その他病気についてのワクチンも、それほど膨大に広まることはなかった。
「しかし、最近見つかったとされる新しい薬草──予防効果が期待できるセーフィルの存在を知りました」
「……! 街に行ったときにヴァイオレットがよく見ていた薬草か!」
やや声が大きくなったシュヴァリエに、ヴァイオレットは力強く頷いた。
「そうです。実は昨日、従者に頼んであのときのお店の店主に話を聞いてきてもらって、今朝報告を受けたのですが、セーフィルの需要が分からないためそれほど多くの数は仕入れていないだけで、森には大量に生えている採集場所があるそうです。立ち入るのも自由だそうなので、セーフィルの確保には困らないかと! それに、魔力酔い止めにも使ったリントも採集場所が見つかったとシュヴァリエ様が仰っていましたから、材料の心配はいらなくなったのです!」
──そう、嬉しそうにヴァイオレットが語ったときだった。
「ヴァイオレット……!」
「きゃあっ……!」
シュヴァリエに繋いでいた手を離されたと思ったら、直ぐ様力強く抱き締められたヴァイオレット。
(……えっ!? だっ、抱きしめられて……!?)
突然のことへの困惑と、好感を抱いているシュヴァリエに抱きしめられたことへの恥ずかしさと、つい出てしまう嬉しさで、頭がぐちゃぐちゃになる。
その結果、婚約者として彼の背中に腕を回すべきなのか、いや、それともこのままプランと下ろしておくべきなのか? なんてことをぐるぐると考えてしまう、のだけれど。
「ヴァイオレット……! 貴女は本当に最高の女性だ! 民のためにここまで考えてくれていただなんて……っ、この国を統べる者として、心から貴女に感謝し、そして貴女を誇りに思う」
「……っ、シュヴァリエ様、お、お待ち下さい……!」
そんなふうに感謝の言葉を述べられたら、誇りとまで言われたら、頭の中のぐちゃぐちゃはクリアになった。それと同時に、きちんと伝えなければいけないことがまだあるからと、ヴァイオレットは自然と言葉が溢れた。
「大変言いにくいのですが……このワクチンの大量生産には、まだ問題が山積みなのですわ。……その、薬を生産するための調合室と、薬を保管する保管庫、それと調合するのをサポートしてくれる人手がないことには……いくら材料があっても……」
調合で一番重要な薬草を一定の割合で混ぜ合わせる部分に関してはヴァイオレットにしかできないが、その他の薬草をすり潰したり、水をろ過するなどの作業は単純であるため、人員は確保できるだろう。
それこそ、皇帝命令ともなれば、その辺りはそれほど心配していないのだが。
「分かった。その全てが揃えば、他に懸念はないのだな?」
「ええ、とりあえずは……」
しかし、調合室と保管庫はわけが違う。国庫を使えば金銭的な問題はクリア出来るだろうが、そもそも建設に時間がかかるし、調合室は普通の民家とは作りが違うため、ノウハウがいる。
ハイアール王国は薬大国なので、そのノウハウも持った大工が沢山いるわけだが、リーガル帝国ではそうはいかないはずなのだ。
ヴァイオレットはこのことをシュヴァリエにしっかり伝えなければと思い、口を開こうとした、そのとき。
「それならば、問題ないな」
「えっ?」
「ここからならばギリギリ見えるか……。ヴァイオレット、振り返って湖の傍の建物を見てみろ」
そう言ったシュヴァリエが抱擁を解いてくれたので、ヴァイオレットは彼の分厚い胸板から、湖の方に視線を向けると。
「あ、あれって、まさか──」
国家薬師になってから、父が手配して建ててくれた、生家の敷地内にあったそれと酷似している建物に、ヴァイオレットは目を見開いた。
「早く近くまで行こうか。中も見てみたいだろう?」
「待ってください……! あの、どうして」
「ヴァイオレット、とりあえず質問は後だ。私が早く貴女の喜んだ顔を見たいから──失礼する」
「……!? ひゃぁぁっ……!!」
やっと腕が解かれたというのに、今度はお姫様抱っこなるものをされてしまったヴァイオレットは、甲高い声を上げた。
(こ、こんなの、昔お父様にされて以来だわ……!? お、お顔が近いし、まままま、待って! 私重たくないかしら……!?)
そんなことを思うのに、緊張と羞恥と不安のせいか、ヴァイオレットは口をパクパクとさせるだけで、声が出なかった。
そんなヴァイオレットにシュヴァリエはどこか意地悪そうに微笑むと、ヴァイオレットにぐっと顔を近付けて、「舌を噛まないように口を閉じていろ」と聞き心地の良い低い声で囁いた。
「さて、行くぞ」
「〜〜〜〜っ!?」
そして、シュヴァリエはヴァイオレットを大切に抱えたまま、湖近くの建物へと走り出す。
振り落とされないよう、ヴァイオレットは本能的に彼にしがみついたのだった。
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