第20話 情報共有は大事です


 ◇◇◇



 ──次の日。

 リーガル帝国、柘榴宮の中庭のテラスにて。


「──という内容の手紙が、父から届いたのです」


 いつもよりゆっくりとした朝を過ごせるらしいシュヴァリエから、中庭のテラスで共に朝食を摂ろうと誘われたヴァイオレットは、食事の後、昨日父から届いた手紙の内容を話していた。

 厳密には四枚目以降の、ダッサムについての記述についてである。


「……なるほどな。ダンズライト公爵はそんな方法でダッサムを追い詰めるとは……」

「はい。おそらく国王陛下がダッサム殿下を次期国王にしたがっていることを知っていた父は、直接ダッサム殿下に重たい罰を与えることは無理だと判断したのでしょう。ですから、陛下に交換条件を持ちかけたのだと」

「……策士だなあ、公爵は」


 ──たかが噂、されど噂。

 今回の件でダッサムが国王に即位する可能性が無くなったわけでは無いが、確実にその可能性は減ったことだろう。

 いくら聖女マナカを婚約者の座においているとしても、彼女も謹慎処分を食らった身だ。おそらく以前ほど、聖女を崇める存在は少なくなったはず。


 愚かで求心力のないダッサムと、汚点がついた聖女マナカより、幼いが優秀であるナウィーを次期王にしようという声が日に日に大きくなるのは想像に容易い。


 そして、そのような声は大きくなればなるほど無視ができなくなる。何故なら、内乱が起こるリスクが高まるからだ。


 逆に、今なら国王はダッサムを切っても、それほどデメリットはない。痛むのは両親としての心くらいだろうか。


「だが、問題はナウィー殿下だ。彼はダッサムを押し退けてまで王になるつもりはないのだろう?」

「はい。あのお方はそう公言しておられますが、それは全て、無駄な争いを避けるためなのです。争いが起こって割りを食うのは民だから、と。以前、ナウィー殿下がそう話してくださいました。齢八歳にしてそんな考え方ができるあのお方は大変聡明であられます。……ですから、時が来れば、ナウィー殿下はきちんと判断できるはずですわ」

「……なるほど」


 ハイアール王国では、即位するのに年齢の制限はない。

 それならば、早々にナウィーが即位し、ダッサムが何か反旗を翻す前に彼を切り捨て、ナウィーを中心に国を一枚岩にすることが、ハイアール王国のためになるだろう。


「……私は過去にダッサム殿下の婚約者でしたし、彼をお支えする立場にありましたが、正直このような状況になってホッとしています。……ダッサム殿下は、王になる器ではありませんから」


 ヴァイオレットのそんな言葉に、シュヴァリエは「同感だ」と言って、食後の紅茶を飲み干す。


 そしてヴァイオレットは、瞳を陰らせたまま、再び口を開いた。


「ダッサム殿下は昔から自分が王になるのだと疑っておりませんでした。ですからこのような状況になって……私を恨んでいるかもしれません」

「何故? ヴァイオレットは何も恨まれるようなことはしていないだろう?」


 心配そうな瞳を向けてくれるシュヴァリエに、ヴァイオレットは控えめに笑みを浮かべた。


「……あの方は昔から、何かあると全て私のせいにするのです。父もそのことは知っているので、手紙の最後には念の為にダッサム殿下には気を付けなさいと書かれていました」


 とはいえ、ここはハイアール王国ではなくリーガル帝国だ。

 ダッサムもなんの理由もなしにおいそれとは来られないだろう。


「流石に、それは父の心配のし過ぎだとは思います。申し訳ありません、今の話は聞き流してくださいね」

「………………いや、俺も公爵には賛成だな。あの男は謹慎明け直後にわざわざ文句を言うために公爵家に乗り込んできたようなやつだ。用心するに越したことはないだろう」

「確かにそうですわね……。分かりました」


 とはいっても、城の警備は万全だし、ダッサムがこの城に忍び込めるとは到底思えない。

 それに、ヴァイオレットは自身が次期皇后であることを自覚しているので、一人でふらっと街に行くこともなければ、常に警護がついているので危険が及ぶ可能性なんてほぼないのだが。──だというのに。


(……どうして胸騒ぎがするのかしら)


 無意識に眉尻を下げるヴァイオレットを前に、シュヴァリエはおもむろに立ち上がった。


「……不安な顔にさせてすまない。何にせよ、貴女のことは俺が守るから大丈夫だ。だから、あまり悩まなくて良い」

「……っ、は、はい。頼りにしております、シュヴァリエ様」


 それなのに、シュヴァリエにこう言われるだけで、不安が吹き飛んでしまうのだから、不思議なものだ。


 ヴァイオレットはふわりとした笑みを浮かべると、彼を見上げた。


 すると、テーブルを避けてこちらに歩いて来たシュヴァリエが手を差し出してくるので、ヴァイオレットは何だろうと思いながらも、彼の手を取って立ち上がった。


「一旦あの男の話は終わりにして、少し俺に付いて来てくれないか?」

「……? はい。もちろんですが……」

「じゃあ、こっちだ。そんなには歩かないから」

「?」


 シュヴァリエが歩き出した方向は、中庭から東──湖がある方向だ。


(そういえば以前、このお城の全体を把握するために、湖には一度だけ出向いたわね)


 そのときは確か、湖の近くで建物を建てているのを見かけた。


(あの頃はとにかく敷地内外のことをきちんと覚えようということで精一杯で、何を建てているのかまで考えが及ばなかったけれど、一体何だったのかしら? 完成したなら一度見てみたいわね)


 ヴァイオレットはそんなことを思いつつ、朝の気持ち良い空気を感じながら、シュヴァリエと共に歩みを進める。


(こういう穏やかな時間も、たまには良いわね……って、あ、そういえば──)


 そのとき、とあることを思い出したヴァイオレットは、シュヴァリエに話しかけた。


「シュヴァリエ様、一週間前に会議で議題になった、大災害に見舞われたときの対応について、私なりに対応策が思いついたので、お話ししたいのですが、聞いていただけますか?」

「構わないが……どうしたんだ? 突然」

「いえ、実は前から対応策については考えていたのですが、提案できるくらいの材料を集めるのに時間がかかってしまって……。それと、今日は手紙の件もありましたので、このタイミングになりました」

「そうか。……で、その対応策とは何だ?」


 シュヴァリエがそう問いかけたとき、ぶわりと風が吹く。

 ヴァイオレットは乱れた髪の毛を手櫛でさっと直してから隣にいるシュヴァリエに視線を移した、そのとき。


(お、おでこが見えていらっしゃるわ……! 何だか可愛い……)


 風の影響で乱れたシュヴァリエの前髪。そこから覗く額に、ヴァイオレットはキュンとしたのだけれど。


「ヴァイオレット? どうかしたか?」

「い、いえ! 何でもありませんわ……!」


(いけないいけない、今はシュヴァリエ様に見惚れている場合じゃない……!)


 ヴァイオレットはブンブンと首を横に振る。そして、冷静さを取り戻してから口を開いた。


「そもそもなのですが、リーガル帝国では過去、大災害に見舞われた際、友好国であるハイアール王国から聖女を派遣してもらい、多くの民の傷を癒やしてもらったという記述が残っていますよね。今でもその条約は締結されているはずです」

「ああ、そのとおりだ」

「けれどその時は魔力酔いについて明らかになっておらず、魔力を持っている一部の民は魔力酔いにより命を失った……もちろん、聖女による恩恵のほうが、大きかったわけですが……」

「ああ、そうだ。それが発端となり、一部の学者が魔力酔いの存在を明らかにした。それからリーガル帝国では有事の際に備え、国民全員が魔力の有無を調べるようになっている」


 現在、リーガル帝国では魔力持ちの人間はリスト化されており、それは城で管理されている。


 もしもまた大災害が起こり、どうしてもハイアールから聖女の助力を受けなければならない際に、魔力持ちが聖女の魔法の被害に遭わないよう対応するためだ。


「しかし、それでは根本的な解決にはなっていないと思うのです。医学の発展はもちろんですが、魔力持ちの方でも、聖女の魔法の恩恵を受けられれば、格段に被害は小さくなります」

「……それはそのとおりだな。それならば、ヴァイオレットが俺に飲ませてくれた魔力酔い止め薬を、聖女が派遣された際に民に配布する──いや、大災害の直後にそんな余裕はないな。おそらく、魔力酔い止め薬が彼らの手元に渡る前に、死者が出る。かと言って事前に配布しても、魔力酔いが起こってから自らの意思で飲むのは困難だろう」

「はい。ですから、有事が起こる前に、魔力持ちの方でも聖女の魔法の恩恵を受けられる状態にしておく──つまり、魔力酔いをする人間を無くす、または魔力酔いの症状を軽度にすることが、民の生命を最も救う最善の手ではないかと。……まだ机上論ではありますが、その方法が思いついたのです」

「……!」


 瞠目するシュヴァリエに、ヴァイオレットは対応策について語り始めた。


「シュヴァリエ様、ワクチンって、ご存知ですか?」

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