第17話 デートに薬草は欠かせません

 

 ヴァイオレットがシェシェから話を聞いていた雑貨屋にまず足を運んでからは、二人は中央通りをゆっくりと歩いていた。


 ときおりヴァイオレットが興味深く見つめる店にシュヴァリエが「入ろうか」と気を利かせてくれるので、ヴァイオレットは過度に遠慮することなく街を楽しめており、彼には感謝で胸がいっぱいだ。


 ヴァイオレットは感謝の気持ちを伝えるべく、「あっちの店には──」と説明してくれているシュヴァリエが話し終えたタイミングで、声をかけた。


「シュヴァリエ様、私が気を遣わないように気にかけてくださったり、質問には優しく答えてくださったり……ありがとうございます。とても楽しいです。今日は誘っていただいて、本当にありがとうございます」

「俺は楽しそうなヴァイオレットを見られて幸せだ。むしろ、俺こそありがとう」

「〜〜っ」


 敢えてだろうか。絡ませている指に僅かにキュッと力を加えたシュヴァリエにドキドキしつつ、ヴァイオレットたちはそろそろ昼食を摂ろうとレストランに入る。


 互いに多忙なため、いつもは一緒に摂れない昼食を存分に楽しむと、二人はもう一度中央通りへと戻った。


「一本奥の道に入ると、ここほど活気はないが珍しい品を売っている店が多いんだ。行ってみるか?」

「はい! シュヴァリエ様が宜しいのでしたら、是非!」


 それからヴァイオレットは、シュヴァリエに手を引かれて一本奥の裏通りへと足を進めた。

 治安がとても良いリーガル帝国では一本奥の道に入っても、人通りがやや少ないだけで危険な臭いはしない。

 それに、遠くには護衛が、隣にはシュヴァリエが居るのだから、ヴァイオレットには不安なんて欠片もなかった。


 むしろ、今日はややはしゃぎ過ぎてしまっている気がするので、そろそろ気を引き締めないと、と思っていたというのに。


「……!? シュヴァリエ様! あちらに薬草を取り扱っているお店があるようです……!」


 薬草のイラストが描かれた看板を見つけ、そちらを指差すヴァイオレットの白い歯が見え、淑女とは程遠い笑みを浮かべた。


 直後、興奮を隠しきれないというように、シュヴァリエの手を力強く握り締め、ブンブンと動かす。


 そんなヴァイオレットに、シュヴァリエは嬉しそうに薄っすらと目を細めた。


「嬉しそうだな、ヴァイオレット」

「……あっ、その、申し訳ありません、その、はしたなかったですわね」

「いいや。いつもの上品で凛とした貴女も素敵だが、今みたいに無邪気にはしゃぐ姿もとても愛らしい」

「あっ、あいら……っ」


 今日は一体何度目だろう。体感では百を超えるほどに顔に熱が帯びている気がするが、それを冷静に数えられる精神状態ではない。


 ヴァイオレットがシュヴァリエに捕らえられていない方の手で顔を扇げば、シュヴァリエが薬草店の方を見ながら口を開いた。


「あそこはこの国でも一番多くの薬草を取り扱っている店なんだ。連れて来たらヴァイオレットが喜ぶだろうと思っていたが、作戦成功だな」

「えっ……」

「本当はもっと早く街を見せたかったし、この店にも連れてきてやりたかったんだが、長期間ハイアール王国で滞在していたせいで仕事が中々終わらず今日になってしまった。済まないな、ヴァイオレット」

「そんな……っ、謝らないでください、シュヴァリエ様……! むしろ、その、謝らなくてはいけないのは私の方で……」

「ん……?」


 ヴァイオレットは、頭一つ分以上ゆうに高いシュヴァリエの顔を見上げる。

 そして、周りの護衛たちには絶対聞こえないように、小さな声で気持ちを吐露したのだった。


「私、実は……今日はデートという名の視察だと思っていたのです。けれど、シュヴァリエ様はお優しいから、仕事ではなくプライベートであることを強調するために、デートという言葉をお使いになったのだと……」

「…………ほう?」

「もしくは、外出するくらいなら働けと言って自由な外出の殆どを禁止されていた私を憐れに思い、街に連れ出してくれたのかと……」

「待て。それは初耳だ」


 ヴァイオレットの発言に、シュヴァリエは眉間にしわを寄せ、「あの男本当にクズだな……次会ったらどうしてやろうか」とボソリと呟く。


 ヴァイオレットにはそんな彼の声は届かなかったが、代わりにシュヴァリエの表情が険しくなっていることだけは気付いたので、深く頭を下げた。


「シュヴァリエ様のお言葉をそのまま受け取らず、私を喜ばせようとしてくれていたことに考えも至らず、あまつさえ誤解してしまっていたのです。本当に申し訳ありませんでした」


 これが、ヴァイオレットが昨夜眠れなかった最たる理由だった。

 もちろん外出が楽しみという気持ちも多かったが、シュヴァリエのデートという言葉に引っかかりを覚え、どうにかそれを解消しようと思考を巡らせていたのである。


(とはいえ、街に着いてからは純粋に楽しんでしまったのだけれど……)


 だから、おそらくシュヴァリエの前で変な態度にはならなかったはずで、別にこのことは言わなくとも構わないかとも思ったのだけれど、黙っているのはヴァイオレットの良心が許さなかった。

 人の純粋な好意を少しでも疑ってしまったのだから、頭を下げるのが筋だと思ったのである。


「ヴァイオレット、頭を上げてくれ」

「……っ、はい」


 いくら人通りが少ないとはいえ、長時間の謝罪は人の目を引いてしまうこともあって、ヴァイオレットはゆっくりと顔を上げる。

 すると、少し屈んだのか、至近距離にあるシュヴァリエの真剣な顔と、そんな彼の大きな手に頬をするりと撫でられて、羞恥心で全身が沸騰しそうだった。


「あの男の愚行については初耳だが……ヴァイオレットが視察だと思った経緯については納得したし、怒っていないから大丈夫だ」

「……ほ、本当ですか……?」

「ああ。だが、二度と誤解されないように、もう一度言っておく。俺はヴァイオレットと共に街を歩きたくて、貴女に喜んでほしくて、貴方の喜ぶ顔が見たくて、デートに誘ったんだ」

「……っ」


 そしてシュヴァリエは、少し頬を緩めて言葉を続けた。


「それに、俺はどんな経緯であれヴァイオレットが喜んでくれるのが一番なんだ。今のところ、デートは楽しいか?」

「は、はい! とっても、とっても楽しいです……!」

「はは。それなら良いな。さあ、早く薬草店に入ろうか。ゆっくり見たいだろう?」

「はい……!」


 ──シュヴァリエとの結婚が決まったのは、彼の唇を奪ってしまったから。

 だとしても、彼はこんなにも大切にしようとしてくれている、表面上だけでなく、きちんと仲を深めようとしてくれている。


 そんなシュヴァリエの根底にある感情が、愛情なのか、ただの情なのかは分からない。


 けれど、ヴァイオレットはシュヴァリエの好意が嬉しく、そして、自分の中でどんどんと彼の存在が大きくなっていくことを感じていた。



 薬草店に入れば、ヴァイオレットは棚に陳列されている瓶に入った薬草に、今日一番の興奮を見せた。


 単純な薬草の数だけでいったら、薬大国であるハイアール王国のほうが多いのだが、リーガル帝国は大変水が豊かで綺麗なので、この国でしか手に入らない薬草が数多く存在するのだ。


 そんな中でも、ヴァイオレットが手に取ったのは、緑色をした、少し棘がある薬草だった。


「シュヴァリエ様……! 見てください! これですわ、これ! このリントです! このリントが魔力酔い止め薬の原料なのですわ! このリントは発見されてからそれほど日が経っていないはずですのに、もうお店に並んでいるのですね」

「ああ。大量にリントが生えている採集場所がこの前見つかってな。それで、もう店にも出回っているんだ」


 なるほど……とヴァイオレットは頷きつつ、興奮冷めきらぬ様子で次々と薬草を見ていく。


(ああ、見慣れたものから珍しいものまで、全て買ってしまいたいわ。それで薬を作ったら、シュヴァリエ様やシェシェ、皆の役に立てないかしら)


 そんなことを考えていたヴァイオレットは、とある陳列棚の前でピタリと足を止め、手を伸ばした。


(……あ! これなんて見たことがない薬草! メビウルの森の採れた──名前は……セーフィル。煎じて飲むと体調を崩さなくなりやすい……つまり、予防効果があるのね。え? 待って……予防……予防!? じゃあが作れるかもしれない……! でも──)


 リーガル帝国では、ハイアール王国ほど薬が発展していないので、間違いなくヴァイオレットが作る薬は需要がある。輸入ではなく国内で生産できるのは、大きなメリットだろう。

 新薬の開発も成功すれば、より一層国が豊かになるかもしれない。


 しかし、それには持参した調合の器具だけでなく、臭いや成分が漏れないような調合室や、薬を保管する保管庫が必要だ。

 もし、新薬を開発するのならば、正直人手もほしいところだ。


(設備だけでざっと計算すると……半年後、皇后になった際に私に割り振られた予算の五年分くらいが必要かしら。それに、人件費もいるのよね。私が自由に使って良い予算とはいえ、いざというときに国や民のために使うことも想定すると、全ては手元に残らないわけだし……あまり現実的ではないわね)


 ヴァイオレットはそう結論づけると、今日は見るだけ、もしくは趣味の範囲で調合できる程度の薬を買おうと、セーフィルを棚に戻そうとしたのだけれど。


「店主、済まないがここにある薬草は全て購入できるのだろうか?」

「……!? シュヴァリエ様……!?」

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